5.大変だ、バイト先へ急げ

 あれから奇跡的に静の集中力は途切れず、おれたちの作業も進んだ。


「準ちゃんはさぁ」

「ん?」


 まあ、たまに会話もするが。


「あんなことがあっても、結婚願望はあるんだね」

「……うん」

「そっか」

「……あのさ、カズ」

「何?」


 ちなみに、別の場所だが近くにはいる静の集中力を守るためか、おれらは小声で話している。


「この原稿と、おしずの宿題が終わったらさ……みんなで焼肉でもしない?」

「おお、いーじゃん」

「もちろんボク出すからさぁ」

「まあ割り勘にしようよ。父ちゃんと、ばあちゃんにも相談して……あっ」


 ここで、おれのスマホが震えた。


「ごめん、電話」

「うん」


 何だろう、嫌な予感しかしない。

 仕事を再開した準ちゃんから離れ、おれは電話に出た。




「ごめん準ちゃん、おれ今からバイト先に行くしかない」


 通話が終わり、おれは準ちゃんに謝った。準ちゃんは心配そうに、おれの顔を見ている。


「何かあったの? いや、あったよね?」

「うん、あった」

「じゃあ早く行ってあげて。おしずはボクが見ているから」

「ありがとう。焼肉、絶対に食べよう」

「……うん、行ってらっしゃい」


 静にバレないように、おれは素早くアパートを出た。

 ホンジツモヘイワナリ。

 心の中で呟きながら目的地へ向かった。




ちょうさん!」

「おお、カズ! 急に呼び出して悪いな」


 おれが来たのは「てんうどん」。メインは(店名で分かると思うが)うどんの飲食店。おれのバイト先であり、


「父ちゃん、どうしたんですか?」


 おれの父ちゃんの勤務先である。店長の長さんこと天童てんどう長太郎ちょうたろうさんは父ちゃんの幼なじみだ。


「実はな……さっき、あの女に」

「あの女……! 来たんですかっ?」

「い、いやいや! 似ている客が来店したんだよ!」


 おれの勢いに驚きながらも、長さんは丁寧に説明してくれた。これはいけない、おれが取り乱してどうする。そんな場合ではない。


「に、似ているだけですね……?」

「ああ、そうだ。俺も驚いたが、声を聞いたら全く違ったよ。色々チラチラと見ていたけど、性格も似ていなさそうだった」

「そ、そうですか……」


 とりあえず安心した。でも、まだまだ気になることがある。


「それで、父ちゃんは……?」

「……今、更衣室にいる。他人とはいえ、よく似ているから刺激が強かったらしい。すぐ避難させたよ」

「そうですか……ありがとうございます」

「いやいや、ありがとうは俺の台詞だよ。カズだって暇じゃないのに、こうして来てくれたんだからな」

「おれは大丈夫です。父ちゃんの代わりに働きます」

「そうか……。着替えるついでに、もう帰って休むようにと、ときちゃんに伝えてくれるか? 少し休んだら働けるなんて言っていたけど、俺は無理させたくない」

「はい」


 女運は大凶だったが、おれの父ちゃんは本当に良い友達を持ったと思う。長さんに感謝しながら、おれは更衣室へ向かった。




「父ちゃん、入るよ」


 コンコンとドアを叩き、おれは更衣室へ入った。そこには、


「父ちゃん、大丈夫?」

「ハーッ……! ハーッ……!」


 肩をブルブル震わせ、小さく丸まって体育座りをしている父ちゃんがいた。息が乱れているし、恐らく泣いている。まだ背中を向けていて、おれが来たことは分かっていない様子。


「父ちゃん」

「はっ!」


 おれが父ちゃんと向かい合えるように駆け寄ると、やっと父ちゃんは我が息子に気付いたようだ。


「カ、カズ……!」


 案の定、父ちゃんの顔は濡れていた。立っている息子を座って見上げる父の目からは、まだ大粒の涙が流れている。


「話は長さんから聞いたよ。嫌だったね。よく頑張ったね」

「うっ……! ううう……!」


 自分を情けないと感じたのか、顔を両手で覆って泣き続ける父ちゃん。おれは父ちゃんに体制を合わせて、ギュッと抱き締めた。今は父子二人きり。しかし何も知らない人間が見れば、きっと気持ち悪いと思われてしまうだろう。それでも、おれは止める気はない。


「ごめんカズ……父ちゃん、まだダメみたいだっ……!」

「ううん。ダメじゃないよ父ちゃん。おれたちは父ちゃんが大好きだからね。大丈夫だからね」

「ごめんっ……ごめん!」

「謝らないで良いよ。父ちゃんは悪くない」


 そう、父ちゃんは全然悪くない。


「ううっ……うううっ……!」


 悪いのは、父ちゃんをこうさせた、あいつだ。

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ホンジツモヘイワナリ。 卯野ましろ @unm46

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