第2話 後

 「New Voyage」。

 「新航海」を意味する単語だが、多くの人はもう一つの存在を思い出すだろう。


 そう、民暗書房が発行する、国内最大の英語教科書ブランド、そのブランド名こそがこの「New Voyage」だ。

 しかしその説明には、「ただし」が付く。


 ──「ただし」、俺の前世の世界では、だ。


 そう、このMikeとの会話で、俺は完全に思い出した。

 ここは「New Voyage」の世界。

 それも、中学一年用だ。


 今の挨拶「Good morning~」からの一連のやり取りは、まさにこの一年用冒頭で、つまり中学へと進級して、英語を最初に習う際に目にしたやり取りだ。

 

 つまり俺は、この「New Voyage」の世界に、あまり登場回数のない脇役「Ken」として生まれ変わった、ということだろう。


 しかしこの世界、俺が知っている「New Voyage」とは違うところがある。

 俺はある理由から、この「New Voyage」の、特に中学一年用に関してはかなり思い入れがあり、細部まで覚えている。


 まず、今目の前にいる「Mike」。

 「New Voyage」のメインキャラクターの一人で、テキサスの片田舎に住んでいたが、馬好きが高じて「日本で流鏑馬(やぶさめ)を本格的に学びたい」という謎の動機で日本へと留学してきた。

 ちなみにこの裏話は、民暗書房Webページのキャラクター紹介にしか記載されていないマニアックな情報だ。

 そして違いというのは、この「Mike」、俺の知っている「New Voyage」の世界では、天然パーマでそばかすたくさんの、純朴そうな青年だった。


 それが今、目の前にいるのは、同じ霊長類ヒト科ホモサピエンスという土台で語るのもおこがましいほどのイケメン。

 「人類みな平等※ただしイケメンを除く」といった感じだ。


 なぜこのような違いがあるのか、という疑問もあるにはあるが、もっと根本的な疑問もある。


 「なぜ俺は、この世界にいるのか」


 という疑問だ。


 心あたりとまではいかないが、その理由もこの「Mike」にある。






 前世で、中学一年の時。

 入学してすぐ、俺は一人の少女に恋をした。

 いつも笑顔で、誰にでも優しいその少女。

 彼女を見ていると、幸せな気分になった。

 そして性に目覚め始めたばかりの俺は、いろいろとこじらせていた。

 

 彼女はそれほど勉強熱心ではなかった。

 そのため、彼女がいつも机の中に英語の教科書を置いて帰る、いわゆる「置き勉」をしていたことを俺は知っていた。

 彼女の体操着や笛などの私物に興味しんしんだったからだ。

 そしてリビドーをこじらせまくっていた俺は、ある日その教科書をこっそり持ち帰り、登場人物の「Mike」の下半身を、全ページにわたり修正液で丁寧に消し、父親のパソコンのフォルダの奥の奥、深海に眠る秘宝を巡る旅の末発見した、外国人が出演している無修正の動画を参考に、美術品を修復する技師の如く「Mike」の下半身を描いた。

 その数、全27本。

 圧倒的な作業量だった。

 徹夜した俺は一睡もせず登校し、彼女の机に「作品」を戻した。

 三時間目の英語の授業、彼女の悲鳴とともに


「ぎゃあああ、何コレ、何コレ、全部、全部のページ、変なの描かれてるー!」


 その瞬間、俺の感じた「快感」は今なお超えることのない、言葉にできないものだった。

 

 ちなみに犯人が俺ってのはすぐにバレ、俺は中学を卒業するまでの以降三年間「画伯」というあだ名で呼ばれ、一部の男子からは尊敬のまなざし、すべての女子から軽蔑の目、あと親にはぶっ飛ばされた。


 



 俺がこの世界に転生したのは、おそらくこれが原因だろう。

 教科書の登場人物が下半身を露出させたことを恨み、俺を引きずりこんでしまった。

 そして、露出された本人はイケメンとして再構成された⋯⋯


 完璧な推理だ。

 完璧すぎるゆえに、受け入れるしかないが⋯⋯


 それでも、納得いかないことがある。

 そう、今その「Mike」を、メス丸出しのまなざしで見つめる、幼馴染の存在。

 俺は激しい嫉妬の炎に焼かれはじめていた。



──────



「Kenくん、大きくなったら私たち、結婚しようね!」


 小学生の頃、ゼク○ィを俺に見せながら、ませたことを言っていた知子。


「隣のクラスの吉岡くんに付き合おうって言われちゃった⋯⋯あ、もちろん断ったよ! でもなかなか本当に告白してほしい人からは、して貰えないなぁ、チラッチラッ」


 チラッチラッも言葉に出していた欲しがりやの知子。


 欲しかったのだろう、ツッコミが⋯⋯。


 ずっと一緒だと思っていた。


 運命を感じていた。


 そう、ただ同じ日、同じ病院、隣同士なんて偶然なんかより、もっと大きな「運命」のような繋がりを感じていたのに⋯⋯。


 彼女は、あっさり俺を裏切った。


 いや、すでに裏切っていたのだ。


 今日、この外国人に出会ったことではっきりした、彼女の裏切りが⋯⋯俺を、嫉妬という名の獄炎で身を焼いている。


 そのまま二人で学校に向かいつつも、俺は言葉を発することもなく、無言で歩んだ。


 そんな俺の様子を上目づかいで伺う知子も、また無言だ。


 校門前についたころ、パタパタと後ろから走ってくる音に気が付き、振り向いた。


 走って来ていたのは共通の友人、仁科かなえだった。


 かなえは、俺たち二人に追いつき、言った。


「あ、Ken、知子、おはよー」


 その瞬間──俺の忍耐はついに、限界を迎えた。


 挨拶してきたかなえには答えず、横にいる知子へと叫んだ。


「なんでお前はTomokoじゃねーんだよぉぉぉぉおおお!? ズルいぞ!」


 俺の叫びを聞いた知子は、きょとんとした顔で言った。


「え? 私、知子だけど⋯⋯どうしたの、Ken君」


「いやいやいやいや! Tomokoだったら『トウモッコー』みたいな感じになるはずだ! でもお前『ともこ』じゃん! 俺は『ケィェン(ヌ)』なのに! お前普通に『ともこ』じゃねぇか! この裏切者が!」


「う、裏切者? なに言ってるの、Ken君」


「そのKen君やめろぉぉおおおお! 普通に『けん』ってよべや!」


「あ、うん、わかった、けん君」


「だからケィェン(ヌ)やめろって! 普通に⋯⋯え?」


「けん君」


「知⋯⋯子?」


「けん君!」


「知子!」


「けん君!」


「知子おおあおおお!」


「けん君うううううううん!」


「君はいらねぇ! けんって呼んでくれ!」


「けん!」


「ともこおおおおおおおお!」


「けええええええええええん!」


 俺たちはお互いの名を叫び、抱き合った。


 そして彼女の顔を見ながら、言った。


「知子、好きだ。付き合って⋯⋯いや、結婚しよう」


「ずっと⋯⋯」


「ん?」


「ずっと⋯⋯その言葉⋯⋯待ってたんだからね!」


「ともこおおおおおおおお!」


「けええええええええええん!」


 俺たちがキツく抱き合う中、かなえが言った。


「やれやれ、見せつけてくれちゃって。まあハッピーエンドね」


「違うぞ、かなえ」


「え?」


「俺たち二人の物語は⋯⋯ここからさ」


 そう。


 俺たち二人の新しい物語⋯⋯New Voyage(新航海)は、ここから始まる。





 おわり。

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転生したらKen(英語の教科書に出てくる、パッとしないモブ登場人物)でした 長谷川凸蔵@『俺追』コミカライズ連載中 @Totsuzou

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