空弾
トイレに隠れて早弁を済ませると、昼休みにはこれと言ってすることがなくなる。
四時間目の終業チャイムが鳴ると、ミナミは息をひそめて教室の最後尾を横切り、クラスメートたちの和気あいあいとして見える談笑のかげでロッカーを確認した。
施錠を確かめ、私物の無事にほっとうなずいて教室を出る。その後ろ姿を五対の眼がじっと追っていることに、彼女は気づかないままだった。
* * * * *
学院の敷地南東側に設けられたグラウンド。そのすぐ北には、校舎とは別棟の図書館がある。
赤レンガ風のタイルで覆われた外壁沿いには少し伸びすぎの芝生が植えられていて、それに半ば埋もれるようにベンチが置いてある。ミナミはそこに腰掛けて午前中の間張りつめていた神経を休ませた。
(大丈夫……大丈夫よ。私はよく頑張ってる。負けるもんか――)
中間テストが終わったばかりのところだが、成績は概ね悪くない。玉鐘学院は県内でも名門と言っていい進学校だが、自習をしばしば妨害され、他にも日々の余計なストレスがある割に、ミナミはどの教科もだいたいクラスで五位以内につけている。
国立大学へ進学できれば、母にも今のような無理をさせずに済む――幼くして父を失ったミナミにとってそれは今、何よりも明るく輝く希望だった。少々のことで音を上げたり、登校を諦めたりするわけにはいかないのだ。
ガサッ、という物音と人の気配に、閉じていた眼を見開いて顔を上げる。そのはずみに吸い込んだ息で、喉がひゅっと鳴った。
「あ……邪魔しちゃったな、すまない」
色素の抜けたような白い前髪の下で輝く、やや明るめの色をした瞳と視線が合う。転校生、眉庇トウゴがそこに居た。
立っている位置からすると、図書館の西側から前庭を突っ切ってきたらしく、ちょうど植え込みの陰になっていたミナミには寸前まで気づいていなかったようだった。
「別に、気にしなくていいよ。私はここで静かにしていたいだけだから」
「そうか――」
何かひどくホッとしたような声でトウゴが頷いた、その時だった。
――危なァーい!! ミナミぃ、避けて、避けてッ!!
南側のグラウンドの方、さほど遠くない距離にあるバスケットボール・コートから声がした。
「え、わた――」
振り向いた瞬間、ミナミは起きていることをほぼ理解して――絶望した。
声をかけたのは百地ユウコ。上体を倒すように腕を振り切った彼女とミナミの間には、強いスピンのかかった屋外用バスケットボールが滞空している。
山なりではなく、ほぼ水平の軌道で。偶然にそれたものではなく、明らかに狙って投げたのだ。
「やっ……」
スポーツは全般に得意でない。今彼女にできるのは顔の前を腕でガードし、目をつぶる事くらいだった。だが、その瞬間。
――危ない!
そう叫ぶ声に続いて、奇妙な音がした。
「タタタッ!!」
(銃声……!?)
海外の紛争地のニュースで流れるような、銃器のバースト射撃音――そう聞こえた。だが、何かがおかしかった。それは、ひどくリアルに銃器の連射音をなぞっていたが、明らかに人の声、それも眉庇トウゴの声色を帯びたものだったのだ。
バシュゥウン!!
数ミリ秒遅れて今度はもっと大きな、それこそ銃声そっくりの破裂音が響いた。ゴム製のバスケットボールが弾けたのだ。距離が近過ぎたのか、顔の前にかざした腕にちぎれたボールの破片が当たり、その勢いにミナミはのけぞって倒れた。
「すまん! 大丈夫か!?」
地面に頭を打つ寸前、トウゴがミナミを背後から抱き止めていた。ひりひりと痛む腕を頭の片隅で意識しつつも、ミナミの思考はたった今起きたことの核心を反芻していた。
(口で……口で言った! この人、口で銃の真似をして……何をしたの!?)
――ごっめーん! 大丈夫ぅ??
――何だ、ミナミ抱っこされてるじゃん。ひゅーひゅー!
駆けつけた百地グループが、二人を取り囲んで白々しくも謝罪だか冷やかしだかわからない調子ではやし立てた。
そして、ミナミは耳元でささやくトウゴの、ひどく冷たい声を確かに聴いた。
(……悪いが、この事は黙っていてくれると助かる。いいな……?)
(……あぃ)
あまりのことに息が足りず、舌足らずな返事。ささやきにも満たない小さな声だったが、トウゴにはそれがきちんと伝わったらしかった。
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