漣ミナミには、味方がいない

 不意に、アリの群か何かが落ちてきたような異物感を覚えた。

 

 その、ほとんど重さのない小さなパラパラとした何かは、すぐに頭頂部からこぼれ落ちた。いくらかは襟首から背中へ、そして大部分は英作文の問題に取っ組んで開いていたノートの上に降ってきた。

 

 びっくりするほど大量の、消しゴムのかす。短く折れたシャープペンの芯も少し混じっている。呆然とするミナミの目の前に、同じ制服を着た女生徒の手のひらがドンと置かれて、「あらあらー。お掃除しないとねー」という声と共にノートの上を掃いていった。

 

 結果的に、ページの上には何本もの黒鉛の帯が残る。

 

「……」


 ――あははは、固まっちゃってるよ。

 

 顔を上げれば、いつものメンバー。バスケ部マネージャーの百地ユウコももち・ゆうこをはじめとした五人組、クラスの中でなにかとミナミを目の敵にして付きまとう女子グループが、机の周りを囲んで彼女を見下ろしていた。

 

「……なぜ、こんなことをするの?」


 答えは返ってこなかった。裕子たちは泣きだすわけでもないミナミに白けたのか、「ぺっ、つまんねー」「いこいこ」と、さも自分が不当な扱いを受けたかのような顔をしながらその場を離れていった。

 ミナミの口から、ため息が漏れた。ああ、まあこんな程度ならどうということはない。

 一昨日は弁当をひろげたところに、隣の机を拭く態で絞っていない濡れ雑巾の水を飛ばされたし、先週は着替えてロッカーに入れたはずのブラウスを男子トイレの個室に放り込まれた――思い出して、ミナミは流石に目尻に涙がたまるのを感じた。こぶしで拭って、クスンと鼻を鳴らす。

  

 玉鐘学院高校一年三組。漣ミナミさざなみ・みなみは入学以来、クラスの女子から二カ月にわたってイジメを受けていた。



  * * * * *

  


 二時間目の授業は国語。だが、チャイムの音と共に教壇に上がったのは担当の教諭ではなかった。三組の担任、世界史担当の社会科教諭、富沢だ。そして――

 

「変則だがこの時間はHRホームルームとする。転校生を一人、このクラスに迎えることになった……眉庇まびさしくん、入りなさい」


 はい、と低い声の応答があり、長身の少年が黒板の前を横切って富沢の隣に立った。

 

 ――え、なにあれ。

 

 ――ウソでしょ、ありえなくない?

 

 いぶかしげなざわめきが教室内に満ち、うつむいていたミナミも思わず顔を上げた。皆の戸惑いの理由はすぐに知れた。

 彼が着こんでいるのは学院の制服である紺のブレザーではなく、昔の少年漫画から飛び出してきたような黒い詰襟学ラン。そのうえ、奇妙なことに頭髪が脱色したように真っ白だったのだ。

 

「眉庇トウゴです。家の都合でこの県に引っ越してきました。制服が間に合わなくてしばらくこんな格好ですが、どうぞよろしく」

 

 奇妙なかげりを帯びた深くつややかな声。目鼻立ちも整って、イケメンと評される部類に見える。ただ額の右上部分に、やけどの跡のような赤みを帯びた引き攣れが走っているのが何やら痛々しかった。

 

 ――ふうん。

 

 ミナミはすぐに興味を失った。転校生が来たところで、別にクラスに何か変化が起きるわけでもあるまい。彼はちょっとカッコイイし、巧くやれば皆にちやほやされるだろう。ほどなくクラスに溶け込んで、学園生活を楽しむ事になる側だ。自分には人だ。

 

(変に話しかけられたり、しませんように……)

 

 ミナミが毎日願い念じていることといえば、授業を邪魔されずに受けられることと、無事に家に帰れること。そして出来れば身体的暴力までは振るわれずに済むこと。それだけだった。

 

 眉庇トウゴの席はミナミの席から一列挟んだ斜め後ろの窓際になった。休み時間になると女子の何人かが彼の机の周りにたかって、あれこれとどうでもいいことを聞き出そうとしたが、トウゴは当たり障りのない返事を繰り返して、少女たちの関心を受け流していた。

 今は百地グループもその輪に加わっているおかげで、ミナミにまでちょっかいを出す暇がなさそうなのが望外にありがたかった。


 今なら私物を教室に置いていても、それほど被害は受けないかも知れない。ミナミは弁当の包みを忍ばせた小さなサブバッグを目立たないように小脇に抱え、少し離れた階段そばの、あまり人が来ないトイレに向かった。

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