可聴領域マシナギオン
冴吹稔
プロローグ
喉を刺す異臭と、焚火の前に立ったような熱さ。気絶していた少年は、それでようやく目を覚ました。
「うぅ……」
辺りは薄暗く、何かが燃える炎のためにところどころ濃い影が落ちている。ひん曲がった金属製のフレームがおかしな形に視界を分割していて、その向こうに血まみれになった腕と男物の半袖シャツが見えた。
(なんだよ、これ……それに、ここはどこだっけ?)
夏休みに入って今日で四日目。父の運転する車で母と妹と共に、名古屋へ向けて中央自動車道を走っていたのは憶えている。
(……ああ、うん。ことぼけトンネルとかいうのに入ったとこだった。そんで――)
父の絶叫と、長く尾を引くクラクション。
急に何か大きなものでふさがれた前方の景色。前方に小さく見えていた出口の光が見えなくなり、急ブレーキの音に遅れて全身に衝撃。
(……そうか。ドライブ中に事故にあったんだ)
置かれた状況が次第に飲み込めて来る。異臭が先ほどより強く鼻と喉を刺激し、少年は激しく咳き込んだ。煙で視界も効かなくなりつつあった。
「逃げなきゃ……!」
あちこちズキズキと痛む体を恐る恐る動かし、車の中から出ようとする――膝から下が何かに挟まって動かせない。
脚を強く引き抜こうとしかけたが、途端にふくらはぎの肉に何かが食い込む、鋭い痛みが奔った。
「いっ、ギっ! いたたたた!」
ヤバい。父さん助けて――父さん?
――曲がったドアの向こうに見えているのは、父の半袖シャツだ。腕はピクリとも動かない。
「父さん! 父さん! 起きて、ヤバいよ、ヤバいって!」
返事はない。
「父さ……」
すぐ近くで、けほっ、と小さな咳の音がした。その響き具合は彼の幼い妹の、聴き慣れた声色を帯びていて――
「み、ミサキ……?」
首を今まで見なかった方向に捻じ曲げる。助手席と左側後部座席の背もたれが作る小さな隙間に、妹が身をよじるようにして収まっていた。
右足が変な形に曲がっているのに気が付いて、少年はぞっとした。今は気絶しているようだが、目が覚めたらどれほどの痛みを感じる事か。
そして――母の姿は彼からは見えず、助手席のフロントガラスは粉々に砕けてなにか鉄骨のような物がそこから車内へ突き出していた。
「うわああああ! 父さん助けて! 助けてよ……誰か! 誰か助けて!!」
ゲホゲホと咳き込みながら、必死で叫ぶ。
(ここから逃げなきゃ……ミサキだけでも助けなきゃ!!)
だけでも、というフレーズを浮かべてしまったことに気づいて、絶望が頭の中
を塗りつぶした。
どうして。どうしてこんなことに。
足はどうあがいても引き抜けない。膝から下を捨てる覚悟で引き抜けば脱出はできるだろうが、その痛みは到底受け入れがたいだろうと分かる。それに、足を失ったら妹を、ミサキを助けられない。
「何で――何で僕はこんなに弱っちぃんだ!!」
頭を塗りつぶした絶望が怒りに変った。そして、ボロボロとあふれ出す涙ににじんだまぶたに一つの突拍子もないイメージが浮かび上がった。
全高5メートルばかりの、金属でできた巨大な人型。頭部に具わったオレンジ色のバイザー・レンズの奥には、ギラリと光る電子の眼が一対並んでいる。
(ソルガイオン……)
ソルガイオン――毎週楽しみにしていたロボットアニメの、主人公たる機械生命体の名だ。
(ああ、そうだ。僕が……ロボットだったら。ソルガイオンみたいなロボットだったらこんなの、何でもないのに……父さんと母さんと、ミサキを助けてここから逃げられるのに……!)
鋼鉄の腕と。足と。何ものをも跳ねのけて前へ進む、無尽蔵の力が欲しい。今すぐ、ここで。
……子供と言っても、九歳ともなればそれなりの分別はある。少年は自分のそんなバカバカしい願いを一笑に付した。
(そんなこと、出来るわけないじゃん。あるわけ、ないじゃん……僕はここで、煙にむせながら、死ぬんだ……)
それでも、願うことそのものは止められなかった。
煙のせいか、絶望と悲しみのせいか――とめどなく流れる涙を、固く結んだまぶたで絞り出した少年の口から。不意に、奇妙な音が紡ぎだされた。
その瞬間。少年の頭の中で、何かが弾けた。
* * * * *
――午前10時7分に発生した神奈川県北地震の影響で起きた、小仏トンネル内の四重玉突き事故は、トンネル内で発生した火災のために死者10名、重軽症者50人を数える大惨事となり、現在も付近の消防隊が混乱の中現場の対応に当たっています。
なおトンネル内から自力で脱出したとみられる9歳の男の子と6歳の女の子は、現在最寄りの病院へ運ばれたとのことですが、身元や詳しい容体などについては明らかになっていません――
(神奈川県民ラジオ・ニュース原稿より。20xx年7月24日)
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