水島雫の諸事情






「私、今はデザイナーとして働いているんです。名刺や商品デザインをしている会社で、今の会社のデザインが好きで就職しました。私が一番好きなデザインを手がけた憧れの先輩に会ったときは感動で泣いてしまうほど嬉しくて、この人と肩を並べて仕事をしたいと思ってがむしゃらに働いてきたんです。その先輩に色々教えて貰っているうちに好きになっちゃって、すぐに告白して付き合いました。返事がオッケーだった時が人生で一番幸せだったかもしれません。周りの人が気付くぐらい上機嫌で、仕事もスムーズに進んでいました。

付き合い始めてもう3年経つし、お互い結婚を意識する年齢になったのでそろそろかなと思ったタイミングで食事に誘われたんです。てっきり私はプロポーズかなと思って上機嫌で指定された場所に行ったら後輩がいて・・・。彼はその後輩と結婚すると言い始めたんです。彼女には、お腹の中に赤ちゃんがいて・・・、それでその・・・」



目から涙がとめどなく溢れて幾重にも連なる線ができる。タオルを取り出して渡すと、「すみません」と言いながら目をふいている。



「私は納得できていませんでした。後輩の子供がもしかしたら先輩との子供じゃないかもしれないと思ったんです。だって私は先輩が浮気するなんて思わなかったし、気づいていませんでした。でも、彼は・・・、赤ちゃんは自分の子だと・・・、そうはっきり言いました。

その後、どうやって自分の家に帰ったかわかりません。翌日会社に行ったら皆に結婚の報告をしていて私は凄く惨めで逃げ出しました。皆が自分を嘲笑っているかのように見えたんです。先輩たちの幸せそうな顔を見る度に惨めでやる気が起きなくて今もあまり会社に行っていません・・・」



なるほど、それで『幸せなお姫様』か・・・。



「ぐすっ・・・、なんかどこかの小説でありそうなシチュエーションですよね・・・」



無理に笑おうとする水島に、泰一は右手をそっと上げて頭を撫でた。初めは驚いた顔をしていた水島は咳が切れたように大声で泣き叫んだ。泣き終わるまで撫でていると、「すみません、気を遣わせてしまって・・・」という彼女にクスっと笑ってしまう。



「気なんて遣ってないから大丈夫。それよりこれってセクハラになるかな?」


そういうと水島はぶっと噴き出して笑った。


「そんなことないですよ。セクハラだなんて思ってません!」


笑い声をあげる水島につられて笑う。

そこに漂う珈琲の良い匂い。コーヒーメーカーの方を見ると出来上がっているようだった。



「あ、コーヒーできてる。ちょっと待ってて」

「はい」



湯気が立つできたてコーヒーを紙コップに入れて、ミルクと砂糖も一緒に持っていく。



「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」



ホッとするコーヒーの香りがより一層際立ち辺りを包む。水島はミルクと砂糖をたっぷり入れると一息ついてコーヒーを一口飲んだ。口元から紙コップを離すと、驚いたようにカップを見つめている。



「美味しい?」

「はい、とっても。先輩このコーヒー豆はどこで頂いたんですか?」

「友人が作っているんだ。近くの喫茶店で働いているから良ければ紹介するよ。確か商品化するってなったときパッケージのデザインとか色々どうしようって悩んでいたから相談に乗って貰えるとありがたい」

「ぜひ!ぜひこのデザイン考えたいです!」



今にも飛び出していきそうな水島を抑えつつ、ゆっくりコーヒーを楽しむ。

さすが昌平だな。カレーの中の隠し味として使っているコーヒーの研究をしていた時に見つけた配合らしく、泰一が気に入れば店の商品として売り出すと言っていた。


一客が決めるのはどうかという話をしたものの「泰一よりコーヒーに詳しい人を知らない」と笑い飛ばされて、「いいから感想だけでも聞かせてくれ」と持たされたものだった。酸味を抑えて苦味が強く、舌触りが滑らかで芳醇な香りがする。昌平が泰一の好みに合わせて作ったのか偶然そういうテイストなのかはわからないが、愛用したいコーヒーだ。



「あの、コーヒーちょっと余ってませんか?」


恐る恐る聞く水島はもう飲み終わってしまったようでおかわりをしたくなったらしい。



「少しだけならあるよ」

「い、頂いても・・・」

「いいよ」



余っていたコーヒーを入れると今度はブラックで飲むようだ。初めは「にがっ」と言っていたが慣れて来たのか美味しそうに飲んでいる。

少しだけしかなかったので水島は早々に飲み終わると満足そうな顔をして手持ち無沙汰なのか店内を見回している。









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