第4話 物語は
4話
夕方になると日中の暑かった気温も幾ばくか下がり、涼しい風が頬を撫でた。だがそんなことを気にしている余裕もなく、小泉は息を切らしながらも、先程店長である老人から受け取った紙を握りしめ、全速力で道を走っていた。走り出してからどれほどの時間が経った頃だろうか。目的地の病院に辿り着くと受付で部屋番号を聞き、注意されないほどの小走りで病棟に向かった。170号室と書かれた看板が見えると足を止め息を吐き、ドアをゆっくりと開ける。
「…やっぱり、バレちゃったか。」
ドアの先には、ベッドで深い眠りについている岸本と、ベッドに軽く腰をかけている身体が透けた岸本がおり、立ち上がると少し首を傾げ苦笑いをうかべた。
岸本は一般的な両親の元に産まれ、唯一の一人娘だったため両親祖父母共に非常に可愛がられていた。父方の祖父は岸本が産まれたと同時に亡くなったらしいが、きっと明日香の分の不幸を請け負ってくれたのだろうと父は言っていた。
自我が芽生えある程度自身で歩けるようになってからは、母に何度も本を読み聞かせしてもらっていた。しかし何度も読み聞かせ中に岸本が寝てしまっていたため、毎回ほとんど読み聞かせにはなっていなかった。岸本はいつも夢の中で本の世界に入っていた。だがそれが本の世界だと自覚することはなく、起きた頃にはすっかり夢の内容を忘れてしまっていた。
夢の内容が本の内容と重なることを知ったのは小学一年生の時であった。たまたま覚えていた夢の断片と友人が話していた絵本の内容が、一致していたのである。母親が読み聞かせしていた本の内容を覚えていたのだろうかと思ったが、母が言うには岸本が寝てからは本の続きは読んでいなかったらしい。その時はまだ気のせいだろうと思っていたが、次第に似たような出来事が多く起こるようになっていった。そして祖父の七回忌の頃、祖父の遺品に興味を持った岸本は、祖父が生前に使用していた書斎を訪れたことがあった。ある程度は既に片付けられていたが、一つだけ、手書きのノートらしき本が机の上にぽつんと置かれているのを発見した。漢字が多く使われていたため読むのに苦労したが、本の世界に入る、という力のことについて書かれていることが分かった。最後のページに書かれていたのは、"次の後継者は岸本明日香"という走り書き1文だった。
その後、岸本は本に書かれていた古書店を訪れることにした。力を引き継いだ者は、その古書店を訪れる決まりがあるらしい。古書店では1人の中年男性が働いており、名簿らしき紙に岸本の名を書いた。その名簿には、これまでの継承者の名が何枚にも渡って書かれており、この名簿を管理するのが自身の役割なのだとその店員は言った。岸本は店員に教えてもらうことで、やっと自身の継承した力というものを理解することが出来た。
自身の力について分かったあとは、様々な実験を行った。祖父が残した本の記録を、少しでも増やし祖父のように次の継承者に残そうと幼きながら思ったのである。その結果、教科書やノートに触れても力が発動することはなく、物語として書かれた本のみにしか発動しないということが分かった。最初は不慣れな面も多々あったが、1年も経てばある程度使いこなせるようになり、日常世界において不便だと感じることはほとんどなくなった。
だが、岸本が小学四年生となって数ヶ月後、通学中に唐突に胸が痛みだし、そのまま気を失った。その後1度は病院で目覚めたが、また痛みが悪化し気を失ってからは再び意識が戻ることは無かった。
岸本はこのまま死ぬのだろうと1度目が覚めた時にぼんやりと考えた。古書店の店長は幼い岸本に死を伝えることはなかったが、祖父が残した本にはしっかりと死について書かれてしまっていた。短い人生だったが、ある程度覚悟は出来ていたためそこまで死を恐れることもなかった。
だが再び気を失い次に目を覚ますと、医者達の手によって手術室に運ばれている自分が自身の横を通り過ぎていったのが目に入った。岸本の身体は半透明になっており、不思議なことに、幽体離脱というものをしていたのである。
「ね、おかしな話でしょ。」
そう言って笑う岸本は再びベッドに腰掛けグッと背伸びをして見せた。小泉はドアを閉めると近くの置かれていた椅子にそっと腰をかける。
「…病名は何なんだ。」
「さぁね?随分長い病名だったし、聞いたの随分前だから忘れちゃった。」
半幽霊化した岸本は、以前から憧れていた高校生活というものを行うために生徒や教師には見られずとも平日は毎日学校に通っていたという。そのような高校生活もどきを行っている最中に、自身を見ることができる唯一の人物に出会った。それが小泉だったのだ。何故小泉に見えたのかは分からないが、自身達を繋ぐ力が関係しているのではないか、と岸本は言った。
「…あと、どれくらい生きられるんだ。」
「どうだろうね…まだ当分先かもしれないし、今日かもしれないし。幽体離脱した私が身体に戻れば、きっと私は死ぬと思うよ。」
「…お前は、死にたいのか。」
その問いかけに、岸本は言葉を詰まらせた。笑みを浮かべていた口を閉ざし俯くと、言葉を捻り出そうと再び口を開ける。
「…そりゃあね、死ぬのは嫌だよ。本当は。でも私は今、死を受け入れる時間も貰ってると思うんだ。それだけで十分。もうこの身体になってから結構経っちゃったしね。」
その返事に今度は小泉が言葉を詰まらせた。小泉は謎の焦りを感じていた。岸本になんと言って貰えれば、この焦燥感が消えるのかは分かっていた。だがその言葉を岸本が絶対に言うことはないとも分かっていた。
「他に何かやりたいことはあるか。」
せめて最後に、と咄嗟に出た言葉に岸本は少し驚いた様子だったが、しばらく唸りながら考える素振りを見せたあと、再び小泉に視線を向けた。
「うーん……あ、じゃあまた本の世界に入りたい!」
岸本が指定してきたのは、小泉が最も好きだと感じた本の世界に入ることだった。それでいいのかと問うと、岸本は笑みを浮かべて頷いた。小泉はどの本を選ぶべきか躊躇した。小泉は急いで家へ帰ると自身の部屋に置いてある本棚からとある1冊を取り出し、再び病院へと駆け出した。
「私の最後の舞台がこんな草原だとは…」
「悪いかよ。」
小泉が選んだ本は、幼き頃何度も読み、初めて本の世界に入った絵本だった。本に触れぬよう暑い手袋をしてきたため、本の世界に入った今でも手に汗がじんわりと滲んでいる。
「ううん、こうやってのんびりするのも悪くないね。」
草原に寝転び手足を投げ出した岸本はそう言って笑みを浮かべた。その時小泉は、岸本は自身と会ってから今まで、ほとんど笑み以外の表情を浮かべていないことを知った。
お互い草原に寝転びながら風に吹かれ、2人は様々な話をした。小泉の力の発症時の状況や、岸本の家族構成など、たわいも無い話をしながら、刻々と時間が過ぎていくのを感じていた。
「私ね、この身体になって君に会えた時奇跡だと思ったんだ。君を見た瞬間に私の次の人だって分かったしね。」
「分かってたのかよ…」
岸本が小泉の通っている高校を選んだのは、病院から近く生徒数も多いため紛れやすいからだったという。小泉が友人の代わりに図書室に行っていなければ、同じ高校にいたとしても会っていなかったかもしれない。
「あの時は君が私のことを見えてるなんて知らなかったけどね。見えてなくても付き纏うつもりだった。」
「それは…見えてて良かったかもな。」
小泉はそう返すと視線を逸らし遠い目を浮かべる。岸本はそれを見ると、また少し笑った。
「君と過ごせたのはほんの一瞬だけだっけど、君と会えて良かったな。」
懐かしむように、そして愛おしげにそう呟いた岸本を横目に、小泉は何も言わずただ黙って聞いていた。岸本は腕を空に伸ばすと、またゆっくりと元に戻す。
「君は残りの余生、楽しく過ごしてね。大丈夫、きっと人並みには生きられるよ。」
「…なんで…何でお前が死んで、俺はのうのうと生きなきゃいけないんだよ…。」
「小泉くん…?」
我慢できず口から漏れた言葉は、どれも後悔や怒りといった負の感情を表すようなものばかりだった。震える声を何とか抑えながら、小泉は起き上がると岸本に視線を向け声を上げる。
「俺は!少ない時間だったけどお前と過ごせて楽しかった。なのになんでお前は…もう死ぬんだよ…お前がいなくなるなら、こんな力意味が無い…お前を殺すだけの力じゃないか…。」
自身の頬を涙で濡らしながらも、必死にそう告げる小泉に岸本は驚いた表情を浮かべ目を丸くする。だが少しすると岸本を体を起こし穏やかな笑みを浮かべ、小泉の涙を優しく拭った。
「……この力にはね、2つの禁忌があるの。」
「禁忌…?」
「そう、1つ目は次の後継者を指名すること。2つ目は次の後継者に自分の残り少ない寿命を与えること。どちらかを行うとその人は直ぐに死んじゃうんだよ。私のおじいちゃんは次の後継者を私に選んで、私が生まれた瞬間に持病が急変して死んじゃった。」
「なんでそんな…」
そこまでして自身の孫娘に力を継承した理由は一体なんなのか、小泉には分からなかったが、どうやらそれは岸本も同じようであり、曖昧な笑みを浮かべていた。
「…力を得た時には随分と歳をとってたから、多分そこまで生きたいっていう気持ちもなかったんじゃないかな。おじいちゃんは私に沢山のことを残してくれた。だから私も、君に全てを尽くして死にたいの。」
自身のために尽くすといった岸本の姿は不思議と凛々しく感じ、小泉自身も継承者としての責任の重さを、心の奥底でずっしりと感じた。
「…ねぇ小泉くん、私の最後のお願い、5つくらい聞いてくれない?」
「…そりゃまた随分と多いな。」
「最後なんだし、いいでしょ。」
時間の経過は本の世界の中でも同様に行われており、茜色の空が自身達を優しく包み込んでいた。岸本は指をおり数を数えると、小泉に見せるように手を出す。
「まず1つ目!この世界から出たら、ちゃんと私たちが入ったあの本を読んでみて。大丈夫、出た頃には本は触れるようになっているから。」
「それってどういう…」
「2つ目!古書店の店長さんと仲良くしてあげて。随分前に話したきりだけど、あの人奥さんを亡くしちゃってるの。だから話し相手になってあげてね。」
小泉が疑問を言葉にする前に、岸本の言葉に遮られ小泉がその問いを口にすることはなかった。岸本は少しづつ指を折り曲げ、指の数が少なくなっていく。
「3つ目。美味しいものしっかり食べて、ちゃんと長生きしてね。」
母らしき言葉に小泉が何とも言えない表情を浮かべると岸本が笑い、再び指をおった。
「…4つめ、決して自分の寿命を削ってまで禁忌を起こさないようにして。君には楽しく人生を過ごしてもらいたいの。」
やけに真面目な顔でそういった岸本は、この先の小泉の行動を予期しているかのようだった。その気迫に押され思わず小泉は頷く。
「そして最後!6つめ!私と君が登場人物として出てくる本を書いて。」
「本?」
「そう!私と君が出会ってからのお話を残せば、きっと誰かが覚えてくれる。そして何度も本の中で君に会えるでしょ?」
風に吹かれ流れる髪を耳にかけながら、岸本はそう言った。小泉は拳を強く握りしめ、今にも再び泣き出してしまいそうなのを必死に堪える。
「…分かった。」
「よろしい!これでもう未練ないや!」
そう言って岸本は立ち上がると、夕日を背景にして小泉に手を差し伸べた。それは、この世界での2人の終わりを意味しているかのようだった。
「………もう、いくのか。」
「うん、ドアを探そう。」
そうして、夕日の中に消えていくように、ゆっくりと二人は歩を進めていった。
「そういえば君、本の世界に入ったのがあの本で良かったねぇ。昭和のスパルタ教育なんて、廊下に立ってるだけじゃ済まされないよ。」
草原を抜け林の中に入り、ゆっくりと、だが確実に歩を進めながら、岸本は思い出したかのようにそう呟いた。小泉は驚き思わず岸本に視線を向ける。
「じゃあなんで…」
そう小泉が問うと岸本は口角を上げ、小泉の耳元に唇を添えるとそっと呟く。
「…あの本はね、本の中に入った人のことを考えられて作られてるんだよ。」
「え」
「どっちかって言うと面影の方だけど…あ、トビラあったね。」
林を抜けたかと思えば、その先にはまた再び同じような草原が目に入った。少し先に見える扉を見つけ岸本は指を指すと、扉の元に駆け寄りドアノブに手をかけようとした寸前で後ろを振り返り小泉に視線を向ける。
「…じゃあね。小泉くん。」
その言葉がまるで一生の別れのような意味が込められている気がし、再び前を向きドアノブに手をかけた岸本に思わず手を伸ばす。
「岸本、俺はお前が…」
その言葉が小泉の口から発せられる前に、小泉の口元に岸本の指が添えられ、気がついた頃には、視界は白に染っていた。
次に目を覚ました時には、半透明の岸本の姿はなく、少しの音も立てない岸本がただベッドで眠っていた。その後医者から亡くなったことを告げられ、本の世界での会話が最後となってしまった。病院から出ると秋の訪れを感じさせる冷たい風が、自身の頬を優しく撫でた。
「いらっしゃい。」
奥に潜んでいたこの店の店長らしき老人が、そう自身に声をかけた。誰もいないと思っていたためいきなりの声に思わず肩をビクつかせおかしな声を上げてしまう。だがそんな自身の姿を、老人はただ微笑ましげに見つめているだけだった。
店内にびっしりと並べられた本の数々を眺めながら歩いていると、ふと少し奇妙な本に目がいった。その本には題名も作者名も書かれていなく、ページ数も他の本と比べ随分と少なかった。
「その本はね、この世界に1つしか存在しないんだよ。」
遠くから店主にそう声をかけられ、自身がその本を見つめていたことにバレてしまっていたことを恥ずかしく思ったが、店主に軽くお辞儀をすると、もう一度その本を見つめ、手に取った。そして次第に聞こえてきたのは、夏を感じさせる蝉の声。
自身のある特殊な能力が芽生えたのは、一体いつ頃だったろうか。
世界のトビラ 小夜 @sayo_ne
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