第3話 再び

午後の授業で眠くならない者はいない。もしその強大な敵である睡魔に勝てる者がいるとするならば、賞賛してもいいほどである。

 それ程までに昼食後の授業というのは退屈なものであり、教師の心地よい声が眠りへと誘った。現に今、クラスメイトの過半数が穏やかな夢の世界へと旅立っている。そんな中、眠気に耐えているわけでもなく、かといって授業に集中しているわけでもない小泉は、ただひたすらに窓の外を眺めていた。


 図書室で知り合った同学年の女子生徒、岸本明日香と共に本の世界から脱してからおよそ二日が経過した。

 本の世界に長時間滞在してしまっていたため、現実世界の時間経過を危惧していたが、ペンを持ったまま身をかがめていた態勢で目が覚め、時間は一切進んでなどいなかった。だが図書室に岸本の姿はなく、小泉の手元に書きかけのリクエスト用紙が一枚あるだけだった。そんな摩訶不思議な出来事に、今では夢を見ていたのではないかとも思い始めていた。


 退屈な授業が終了すると、先ほどまで寝ていた、前の席に座っている友人が勢いよく顔を上げこちらに振り替える。少し寝癖がついた髪を特に気にすることもなく一気にしゃべり始めた友人に、小泉は思わず苦笑を浮かべた。サッカー部のキャプテンとして活躍しているにも関わらず、本が好きだという、先日小泉を放課後図書室に行かせた原因である人物なのであるが、どうも憎めない性格を持っていた。その様子を見たほかの友人がこちらにやってくると話に参加し始める。休み時間はこの三人で過ごすことが常であった。


 会話が弾み声を出して笑っていた小泉はふとした瞬間に教室のドアに目が行った。見覚えのある容姿に小泉は思わず目を丸くしドア方面に視線を向ける。なんとそこには、先日共に本の世界へと行った岸本明日香がこちらを見つめて佇んでいた。


「悪い、俺行かなきゃ。」


「なんだお前、何かやらかしたか?」


「彼女出来たなら言えよ。」


「彼女じゃねぇし何もしてねぇよ!……行ってくる。」


 友人たちのからかいに若干顔を赤らめながらも気を取り直し廊下へと向かう。岸本はこちらをじっと見つめやがてにやりと口角を上げたかと思うと、唐突に小泉の腕を掴んでは引っ張り廊下を進んでいった。


「おい、どこに行くんだよ。」


「秘密~」


 歩きながらこちらを振り返り、口元に人差し指を置いてそう言い微笑んだ彼女の姿に、少しばかり体温が上がったような気がした。




「で、結局何の用だ?」


 岸本に引っ張られ着いた先は資料室だった。教室から離れた位置に存在しており、生徒、教師どちらもめったに使用しないため埃が微かに積もっており、室内は少し寂れていた。岸本は部屋に入ると室内のドアを閉め、再びこちらに振り替える。


「この前、本の世界に入れるっていう話を聞いたことがあるって言ったでしょ?その話が書かれた本を帰って探してみたんだけど…………。」


「見つかったのか?」


 自身のこの未知の力について知ることができれば、かなりの進歩となる。今まで自身の力を信じてくれる者が一人もいなかったため、小泉にとっては今のこの状況も軽く信じられていなかった。だが岸本は少し言いずらそうに眼をそらし、言葉を濁す。


「実はその…………そのことが書かれた本を既に売ってしまっていたらしくて…………。」


「…………はぁぁぁ!?」


 小泉は思わず大声を出す。だが我に返ると急いで自身の口元を押さえた。今いるこの部屋は教師の許可がない限り生徒は入室禁止だ。そのため自身たちが今この場にいることを知られてしまうとあまりよろしくなかった。


「いやぁ本当にごめんね。まさか売られてるとは思わなくて。おじいちゃんが大切にしてた本だったから大丈夫だと思ってたんだけど……。でも、売られたお店は見当がついてるの。」


「……まさか、その本を買い取ってこいとか言わないよな……?」


 小泉がそう恐る恐る岸本に尋ねると、岸本は気味が悪いぐらいの満面も笑みを浮かべた。






 日差しが自身を強く照らしつけ、蝉がうるさく鳴く中、小泉は重たい脚を動かしていた。歩きながらポケットから折りたためられたメモ用紙を取り出し開く。女子高校生らしい少し可愛げのある字で書かれた店への行き方と店名を確認すると、再び紙を折りたたみポケットに閉まった。一体なぜ、貴重な休日を利用してまで暑い中外に出なくてはいけないのかとも思うが、自身に関係することのためため息を飲み込み足を進めた。

 そうしてやっとの思いで着いた店には永袖なつむ書店と書かれた古びた看板が立てかけられており、中を覗くと70代ぐらいの男性が座布団に座り新聞を読んでいた。一見駄菓子屋のようにも思えるが、室内に敷き詰められた本棚の数々から立派な本屋であることが窺い知れる。

 岸本が言うには、永袖なつむ書店は古書店という名目にも関わらず、少し特殊な店だという。なぜ特殊な店なのかは行ってからのお楽しみだと、はぐらかされてしまったが、店を見る限りそこまで怪しいようには感じなかった。小泉は意を決して店内に入ると、奥で新聞を読んでいる老人に声をかけた。


「あの、すみません。ここに売られた本を探しているのですが…」


 小泉に声をかけられた老人は新聞から目を離しこちらをじっと見つめ、しばらくしてから穏やかな笑みを浮かべた。


「いらっしゃい。その本の題名は分かるかね。」


「手書きの説明書…みたいなものらしくて。知り合いのおじいさんが持ってたものみたいなんですけど。」


 そう小泉が説明すると、老人は少し驚いたような表情を浮かべ、小泉に少し待つように伝えると奥へ消えてしまった。しばらくして戻ってきた老人の手元には古びた厚みのある本があった。


「君の言うその知り合いというのは、岸本さんかね?」


「…!?そうです。知ってらしたんですね。」


「そりゃあ、彼女の爺さんには随分と昔お世話になったからの。」


 そう言って笑った老人は大切そうに本を置くとページをゆっくり捲った。一面にぎっしりと書かれた文章はどうやら全て、小泉が持つ力のことについて書かれているらしいことが分かる。


「…君も、この力を持っておるんじゃろ?」


「…どうしてそれを…。」


 小泉は驚いた様子で老人を見つめた。

 その後、小泉は様々なことを老人から教わった。自信が持つこの不思議な力は、代々受け継がれてきたものだということ。そしてその受け継いだ者の情報を管理するのが、古書店という建前の形をしたこの店だということ。


「力を受け継いだ者はな、どこかのタイミングで必ずこの店を訪れるんだよ。君より前の子も、その前の、この本の所有者だったじいさんも来た。その頃はまだわしも子供だったがな。」


「…あの、教えてください。この力のことについて。」


 老人が言うことによれば、岸本の祖父は小泉と同じように力を持っていたらしい。そのためこのような分厚い本が書けたのだろう。自身も読めば、力のことについて少しは分かるかもしれない。老人は頷くと、本に書かれている内容を話し始めた。


この力の発症源は未だ解明されておらず、一説によれば人類が生まれた頃には存在しただとか、本という物質ができた頃に存在しただとか様々な臆説があるらしい。力のことについては、力を受け継いだ者とこの古書店の店員しか知らないため、あまり研究も進んでいないという。だが確かなのは、本が好きだという気持ちが人一倍強い者が力を継承することが多いこと。継承した者は、寿命まで生きることはなく、遅かれ早かれ非業の死を遂げること。そうして継承者が死亡、または行動不能となった場合に、新しい継承者に力が讓渡されること。


「…俺は、死ぬんですか。」


 死、という言葉にぞっとし顔を青白くした小泉は、思わず老人に問う。老人はしばらく考えるような仕草をした後、再び小泉に視線を向けた。


「君はいつ力が発症した?」


「小学四年生です。」


「それならまだもう少しは大丈夫じゃろ。それに君の先代は、残念だったからね。その分君はまだ生きられるさ。」


 継承者がいつ死ぬかは分からないらしいが、何かちょっとした仕組みがあるらしい。自身がしばらくの間は大丈夫なことにほっとするが、残念だったという先代のことが気になった。もう既に自身に力が讓渡されているということは、もう先代はこの世にいないのかもしれない。

 

「残念って…?」


「…彼女は、力を継いでやっとまともに力を使えるようになってから、僅か数年で床に伏せた。奇跡的にまだ生きてはいるらしいが、ずっと寝たきりだという。彼女が生まれた瞬間に、彼女の爺さんであるこの本の所有者が力を讓渡したんだがね。」


 老人の言葉を聞いてるうちに、小泉は少しずつ嫌な予感がしていた。この本を所有していたおじいさんは、岸本の祖父だという。そして今目の前にいる老人は、その祖父が孫娘に力を讓渡したと言った。


「その讓渡した人って…」


 小泉は恐る恐る重たい口を開ける。老人はページを捲っていた本を閉じると、ゆっくりと言葉を発した。


「君が言う知り合いの、岸本明日香さんじゃよ。」


 



 

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