40話 緋彩の怒り

 ——四対四。

 俺は、その埋め合わせに呼ばれただけだった。


 ただ出逢いを求めるだけの下心たっぷりな奴らは、それぞれ目を光らせて獲物を狙っている。

 別にそいつらのことをあれこれ言おうとは思わない。

 人には人の出逢い方があって、恋愛の形がある。


 ただ俺にはそれが合っていないだけだ……と、そう思っていた。


 一目惚れ、だったのかもしれない。

 だから俺は単純なのだ。

 まさに若気の至りと言うべきだろう。


 ——今日は、このシーンか。

 零弥が悩み、俺が苦しんだ全ての元凶。


 零弥のせいじゃない。

 彼にはそう言ってきたが、事実を述べるだけならきっと、これは彼が起こしたわざわいなのだろう。



         ◆



「——なた……彼方……!」


 瞬間、俺は目を覚ます。


 ……そうか。

 昨日、俺はソファで寝ていたんだ。


 体のあちこちに痛みが走っているが、それ以上に頭が痛い。

 悪夢を見ると毎回こうだ。

 頭に軋むような痛みが走る。


 ソファの背もたれに手をかけて起き上がると、俺を不安そうに見つめている姉さんがようやく視界に入った。


「姉、さん?」

「彼方、大丈夫? 魘されてたみたいだけど……」

「……大丈夫、何ともない」


 まだ若干痛むが、あの日に感じた鈍痛は感じられない。

 それだけでも十分余裕がある。


「やっぱり、彼方をソファで寝かせたから……」

「違う。これはきっとソファで寝たからじゃない」

「そうなの?」

「あぁ」


 姉さんの問いかけに応じながら俺はセンターテーブルに置いてあったスマホを取って、時間を確認する。


「八時……そういえば、姉さんはいつここを出ていくんだ?」

「今日の仕事はお昼からだけど、昼は過ぎない内に出ていくよ」

「そうなのか?」

「仕事が始まる前にやっておかなきゃいけないこともあるし、朝ご飯を食べたら出ていくつもり。あぁ、朝ご飯くらいは私に作らせて。弟に頼りっぱなしじゃあ、姉としての尊厳を失うしね」


 そう言って苦笑いを浮かべると、姉さんは立ち上がってキッチンに向かう。


 ……別に、そんなこと気にする必要はないと思うけどな。

 姉さんはちゃんと姉さんだ。

 俺を気にかけてくれるし、信頼もしてくれている。

 だから昨日、俺に全てを聞き出さなかったんだ。

 その答えを出すためには時間が必要だったから、感謝している。


 足をソファから下ろして背もたれに体重を預けると、俺は天井を仰いだ。


 ……どうしたらいいんだろうな。

 というか、俺はどうしたいんだろうな。


 緋彩と離れたいのか、一緒にいたいのか。

 緋彩や零弥、姉さんの全てが受け入れてくれるのは、きっと後者なのだろう。

 もちろん俺だって彼女と一緒にいたい。

 今更一人になるだなんて、考えることすら拒んでしまう。


 でも……。


「そういえば、緋彩ちゃんは今日も来るの?」

「……確かに、あいつ今日来るのか?」


 スマホを開き、緋彩とのメッセージ画面を表示させる。


『おはよう。今日は来るのか』


 端的に言葉を打って送信してから約一分。


『おはようございます。行ってもいいですか? もしいるなら美幸さんにもご挨拶したいですし』


「姉さんに挨拶したいだってよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

「呼んでもいいか」

「私は全然構わないよー」


『了解。いつもの時間に来て大丈夫だから』

『分かりました。じゃあまた九時過ぎくらいに伺いますね』

『ん、待ってる』


 アプリを閉じて姉さんの料理が出来上がるのを待つこと五分。

 通知音が耳朶を叩きスマホを見れば、緋彩から『はい』の二文字が送られてきていたのだった。



         ◆



 チャイムが鳴り玄関の扉を開けると、そこには何故かほんのりと頬を染めた緋彩がモジモジとしながら立っていた。


「おはよう」

「お、おはようございます」

「……どうした? 顔が赤いぞ」

「な、何でもないですっ」


 ぷいっと顔を背けて中に入っていく緋彩。


 ……何なんだ?

 さっきのメッセージのやり取りでも、俺の言葉で会話が終わったかと思ったら緋彩から不自然な『はい』の二文字だけ送られてくるし。

 昨日の玄関でのことをまだ引きずっているのだろうか?


 眉を顰めつつも彼女の後を追えば、姉さんが昨日と同じスーツ姿で彼女をリビングに迎えていた。


「緋彩ちゃんいらっしゃい。来てもらったところで申し訳ないんだけど、私そろそろ仕事に行かなくちゃいけないんだ」

「あっ、そうだったんですか」

「ゆっくり話せなくてごめんね。弟の彼方がたくさん迷惑かけるかもしれないけど、どうぞよろしくお願いします」

「姉さん」


 その言葉はまるで俺が緋彩と付き合ったみたいな言い草じゃないか。


 キッ、と睨みつけると姉さんは「いひひ」笑いを零しながら玄関に向かっていった。


「……見送らなくていいんですか」

「別に、そこまでしようとは思わない」


 さっきは姉さんにしてやられたしな。

 これくらい許されるだろうと思っていたのだが、俺の言葉を耳にした緋彩は目を細めてつかつかと俺に歩み寄ってきた。


「またしばらく会えなくなるかもしれないんですよ。お見送りくらいしてください」

「な、なんだよ。いきなり怒って」

「いいから。早くしないと美幸さんが行ってしまいます」

「……分かった。見送るから押さないでくれ」


 ようやく俺の背中を押すのをやめた緋彩に「本当に行かなきゃ駄目か?」という意味合いを込めた視線を送ると、彼女が更に俺を睨みつけたためそそくさと玄関に向かう。


「あれ、どうして来たの?」


 靴を履き終えたらしい姉さんが立ち上がってこちらを見れば、俺はため息をついた。


「姉さんを見送れって緋彩に言われた。またしばらく会えなくなるかもしれないんだぞって」

「良くできた子じゃない。彼方もちゃんと見習いなよ」

「……分かったよ」

「じゃあ、またね」

「ん。連絡先交換したんだから、たまには連絡しろよ」

「はいよ」


 苦笑しながら、姉さんは扉の向こうに消えていった。


「……あいつ、何であんなに」


 緋彩が俺に怒るなんて今までになかった。

 何で怒ったのだろう。

 たかが姉の見送りをしないくらいで。


 再び彼女と顔を合わせるのが少し気まずく、リビングに戻ったのは姉さんを見送ってから約五分後のことだった。

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