32話 願いと約束
「彼方君?」
「なんだ?」
「これは、なんですか?」
「カップ麺だが」
きっと、調理器具を探していたのだろう。
シンクやコンロと対の位置に置いてある戸棚を開いた緋彩は、その中身に啞然としていた。
「いや、一つや二つならまだ分かるんです。でも、これだけ大量にあると流石に私も意味が分かりません」
彼女が開けた戸棚の中には、カップ麺が大量に備蓄されていた。
最近買い溜めたばかりなので、個数にしてみたら二十は優に超えるだろう。
「どうしてこんなにカップ麺があるんですか?」
「いちいち買いに行くのが面倒臭いから」
「そんなに頻繁にカップ麺を食べるんですか?」
「平日の夜はな。学校終わりだと、やっぱり自炊とかがかったるくなるんだよ」
一人暮らしの学生や社会人なら、この気持ちが分からないだろうか。
まぁ、少なくとも緋彩は俺の気持ちが分からないらしい。
俺の言葉にありえないと言わんばかりの衝撃を表情に浮かべていた。
「平日の夜は、毎日これを食べているんですか……?」
「そうだけど……何かあったか?」
「カップ麺は体に悪いです。常識です。お昼に食べるならまだしも、あろうことか夜に、それも毎日食べるなんてもってのほかです」
「って言ってもなぁ。面倒臭いものは面倒臭いし……」
体に悪いことは分かっているが、今のところ体調が悪くなったことはない。
加えて俺は太りにくい体質なので、夜に毎日カップ麺を食べても体型に変化はなかった。
故に、俺は今の食生活を変えるつもりはなかった。
「じゃ、じゃあ……」
「ん?」
先程の表情を一変させ、頬に朱色を灯して何かを言いかけた緋彩だったが……。
「……何でもないです。もうそろそろ出来るので、お箸とか出していて下さい」
「お、おう」
ツンと尖った声でそれをやめてしまったため、俺は気圧されてしまう。
なんか最近、こういうの多いよな。
緋彩が、自分の心の内を俺に聞かせてくれない。
まぁ言えないものを無理に聞き出そうとも思わないし、取りあえず昼飯を食べる準備をするか。
キッチンを離れて食事の準備をしようとした俺はふと彼女の方に振り返れば、未だに頬を染めながら調理をしている彼女に口元を緩めてしまうのだった。
テーブルに並べられていくのは、狐色が綺麗な白身魚の唐揚げに豚バラとキャベツの野菜炒め、切り昆布の煮物、味噌汁、炊きたて白飯。
そしていつぞやに緋彩に食べさせてもらった極上の玉子焼きと、和食三昧だった。
「作ってくれたんだな」
玉子焼きに視線を落としながら呟くと、彼女はクスリと笑った。
「そんなに食べたかったんですか?」
「ど、どうして気付かれたんだ?」
俺、そんなこと緋彩に言ったか?
見事に心の内を言い当てられた俺が顔を強張らせると、彼女は更に笑みを深くする。
「だって彼方君、玉子焼きを目にした途端に口元を緩ませたんですもん」
「マ、マジで? 緩んでた?」
「緩みきってましたよ」
顔に熱がのぼるのを感じながら口元を手で隠せば、緋彩はとうとう吹き出してしまった。
「おい、笑うな」
「すみません。とにかく、冷めないうちに早く食べましょう」
「……あぁ」
俺も早く食べたかったし、怒りがその欲望を勝ることはなかった。
怒りと言うよりは、恥ずかしさや照れ臭さに近いものだが。
配膳を終わらせるとお互い席に着き、合掌する。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
まずは白身魚の唐揚げから食べてみよう。
箸でそれを挟み、口に入れる。
「うわぁ……」
「ど、どうですか?」
「ちょっと待ってくれ」
緋彩の催促に思わず待ったをかけてしまう。
それだけ、今はこの唐揚げをよく味わいたかった。
一口噛めば、サクッとした心地良い音とともに魚の決してしつこくない脂がジュワッと溢れ出してくる。
それが生姜風味の甘辛い味付けと絶妙にマッチし、何とも言えない幸福感が押し寄せてきた。
大きさも一口サイズで、骨が当たることもない。
俺が想像する中で、これ以上のクオリティは思いつかなかった。
「その……ど、どうですか?」
俺が飲み込んだことを確認した緋彩は、おずおずと再度尋ねてくる。
「マジで美味い」
「……よかったです」
ほっと息をつく緋彩。
どんな感想を言われるのか不安だったのだろう。
俺の端的な一言は、もしかしたら彼女を一番安心させる方法だったのかもしれない。
その他の料理も、今まで食べてきたものとは一線を画す美味さだった。
豚バラとキャベツの野菜炒めは、豚バラ本来の旨味とキャベツの瑞々しい食感、それらを上手くまとめ上げる塩コショウの塩梅が素晴らしく、自然と白飯をかきこんでしまう。
切り昆布の煮物は程よい甘さで、昆布や人参、さつま揚げなどの素材の味を引き立てていた。
味噌汁は一息つくために丁度良く、出汁の香りとそれを邪魔しない味噌の風味が少々薄めだ。
これもきっと狙った味付けであり、それ以上濃く味付けしてしまうとこれほどまでに安心は出来ないだろう。
玉子焼きに至っては言うまでもない……と、そう思っていたのだが、その予想は良い意味で大きく裏切られる。
今回のはこの前に食べた玉子焼きではなく、だし巻き卵だった。
出汁のほんのりとした旨味と卵の優しい甘みは、この前の玉子焼きとはまた違った良さを持っている。
「今回はだし巻き卵にしてみたんですが、どうですか?」
「これも美味いよ。というか正直、こっちの方が好みの味。弁当の時に食べたのと違って温かいし、ナイスチョイスだ」
これほどまでの料理、今日だけで終わるのは非常に惜しかった。
この味を知ってしまえば今後の食事で物足りなく、不味いとすら感じてしまうだろう。
毎日食べたい。
こんな感情は、今まで生きてきた中で初めて抱いたものだった。
「……あの」
「どうした?」
他の料理に手を付けるのをぐっと我慢して緋彩を見ると、彼女はモジモジとしていた。
行動の脈略が見えてこないし、一体どうしてしまったのだろう?
疑問に思っていると、やがて彼女は口を開く。
そこから紡がれる言葉は、今俺が一番聞きたかった言葉だった。
「もしよければ、これからもお作りしましょうか……?」
「……えっ?」
思いもしなかった提案に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「あんな食生活を送っていると知ったら、心配になったんですよ。それに、こんなに美味しく食べてもらえるならまた作りたくなってしまったんです。だから、彼方君が良ければ——」
「是非とも作ってほしい。よろしく頼む」
緋彩が言い終わる前に俺は答えを出す。
こんな申し出、断るわけにはいかなかった。
「……はい!」
見慣れない満面の笑みで、緋彩は応えた。
その笑顔に、俺も口元を綻ばせる。
それから俺は引き続き、彼女と一緒に久々に食事を楽しむのだった。
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