31話 意識する姫様

「ただいまー」

「お、おかえりなさい」

「お前も『ただいま』でいいよ」

「た、ただいま、です」


 ぎこちなく口を動かす緋彩に思わず笑いそうになってしまうが、それを何とか堪える。


 買い物を挟んだことで、だいぶ気分転換が出来た。

 これから緋彩の料理が食べられると思うと、彼女と離れなくてはならない事実に一憂している余裕すらなくなってしまう。

 彼女だって、俺が落ち込むことを望んではいないだろう。


 靴を脱いで部屋に上がれば、先程ジュースを入れておいたコップが結露していた。


「歩いたから喉、乾いてるだろ。今、新しく注ぎ直すからな」


 ぬるいジュースを飲んでも美味しくないと思い、センターテーブルに置かれたコップを二つとも手に取る。


「私は大丈夫ですよ。飲めるならそれで十分なので」

「温かったら不味いだろ。俺だって、どうせ飲んでもらうなら上手いジュースを飲んでほしいし」

「そうですか?」

「あぁ。だから、大人しく俺に新しいジュースを注がせろ」


 言いながら、俺は新しくコップを取り出しジュースを注ぐ。


「……それ、私の返答をちゃんと待ってますか?」

「いや、待ってないな」

「何なんですか……全く」


 文句を言うような言い草だが、顔は満更でもなさそうに苦笑を浮かべている。

 悪く思われてはいないようだ。


 彼女が席につくと同時に、俺はテーブルに新しいジュースの入ったコップを置いた。


「今度は温くならないうちに飲めよ」

「じゃあ、今いただきます」

「ん」


 行儀よく合掌すると、コップを両手で取ってジュースを飲む緋彩。


 なんというか……可愛いな。

 普通の人間であればコップを片手で取るであろうものを、彼女は幼子のように両手で握っている。

 小柄な体躯も相まって、俺は小動物に抱くような可愛さを感じてしまった。


「……ど、どうかしました? ソファにも座らないで、私の顔をじっと見て」


 彼女の声に、俺は体を大きく震わせる。

 ……もしかして俺、今ガン見してたか?


「いや、なんでもない」


 慌てて彼女から目を逸らす。

 駄目だ、「見惚れてた」だなんて口が裂けても言えねぇ。


「……そうですか?」

「と、とりあえず! もう早速料理に取り掛かるか?」

「それは……そうしたいところなんですけど……」


 途端に緋彩は表情を曇らせてしまう。


「……怖いか?」

「本当、彼方君は何でもお見通しですね」

「料理を躊躇う理由と言ったら、それくらいしかないだろ」

「分かりませんよ? 他にあるかもしれません」

「それは、何とも言えないが」


 僅かに眉を顰めると、彼女は口に手を当ててくすくすといじらしく笑った。


 つまるところ、緋彩は料理中にまた皿を割ってしまうなどのアクシデントが起こらないか不安なのだ。

 そういうのは気をつけていても起こってしまうものだし、彼女の気持ちも分かる。


 だとするなら、俺のすべきことは一つだ。


「じゃあ、俺に雑用を任せろよ」

「雑用……ですか?」


 目を丸くする彼女に、俺は「あぁ」と応える。


「料理はお前に任せる。そのほかだ。皿を取ったり、調味料を渡したり、洗い物をしたり。そうすれば、いくつかこの前みたいなことは防げるだろ?」

「そうかもしれませんけど……いいんですか?」

「この前みたいになるのは俺も嫌だからな。万が一何かあっても、ちゃんと動いてやるから安心しとけ」


 口元に笑みをつくりながら言うと、彼女は少しだけ頬を色付かせながらコクっと頷いた。






「——俺、やることあるか?」

「今のところはありませんね」

「何かやってほしいことがあったら遠慮なく言えよ?」

「はい、ありがとうございます」


 そうは言ってみたものの、やはり緋彩から何かを頼まれることはない。

 こなれた様子で料理を進め、調味料や皿を出したり、調理器具を取るのも全て自分でしている。

 さっきまで不安そうな顔をしていたのが嘘のようだ。


 ……このままだと、本当に何も手伝わないで終わってしまうかもしれない。

 彼女にやらせっぱなしだと流石に悪いし、あそこまで豪語した手前何もしないと、俺としても面目が立たなくなってしまう。


 何か出来ることはないかとシンクを見ると、ふと調理器具やボウル、皿などが溜まっているのを見つけた。


「……これ、もう使わないか?」

「そうですね」

「じゃあ、洗っとくからな」

「ありがとうございます」


 こちらに目もくれず端的に言葉を返す緋彩は、きっと料理に集中しているのだろう。

 俺は邪魔をしないように、声をかけることもなく洗い物を始めた。


 そうして洗い物を進めていると、ふと違和感に気づく。

 何気もなく隣を見てみれば、緋彩が料理をする手を止めていた。

 顔は真っ赤に染められており、加えてガチガチに強張っている。


「……手、止まってるぞ」


 声をかければ、緋彩は急に我に帰ったあと。


「な、何でもないです!」


 そう言って、再度料理に取り掛かった。


 何なんだ、一体。

 俺を意識しているのなら辻褄が合いそうだが、先程は手を繋いでいた程だったし、その線は薄いだろう。

 だったら、なんで緋彩は固まっていたのだろう。


 ……まぁ、いっか。

 固まった緋彩も可愛かったし、それが見られただけでも良しとしよう。

 そう結論付けた俺は洗い物の手が止まっていること気づき、再度洗い物に取り掛かるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る