23話 緋彩が伝えたいこと

「――今日は、ありがとうございました」


 下校途中、いつものように緋彩と手を繋ぎながら帰路を辿っていた俺は、急に彼女にお礼を言われた。


「何がだ?」


 いつものように他愛もない会話を交わし、少しの沈黙が俺たちの間を埋めた後だったので、なんの会話の脈略もなかった。

 本当に突然のことだったので、俺は思わず聞き返してしまう。

 すると、彼女は何故か唇を尖らせてこちらを睨みつけた。


「な、何だ?」

「本当、なんで察してほしいところでいつも察してくれないんですか」


 またその話か。

 昼休みにもした筈なのだが、よっぽど根に持っているんだろうな。


「だから言ってるだろ、俺は覚じゃないって」

「いっそのこと覚であってください」

「何だよそれ」


 こいつは隣に置けるなら妖怪でもいいのだろうか?


「というか、俺が覚だったらお前の心の内を全て見透かせると思うんだが、それでもいいのか?」

「それは……嫌です」

「だろ? 相手に気づいてほしいなら、ちゃんと自分の口で言えよ」

「……説教されてるみたいで気分が悪いです」

「実際してるようなものだし、それに関してはされるようなことをしてるお前が悪いだろ」


 正論を突き付けられて言い返せなくなったのか、緋彩は「んー」と呻き声を上げながら俺の手を握る力を強める。

 仕返しのつもりなのだろうが、さほど痛くはない。

 手加減してるのか、ただ単に力がないだけなのか。


 俺の痛がっている姿を見ることが出来なかった彼女は少々戸惑っている様子を見せた。

 もう一度力を入れられるが痛くないので反応しないでいると、「あ、あれ……?」と彼女が思わず呟いている。


 どうやら、彼女は全力で俺の手を握ってきているようだ。


「申し訳ないが、そんなに痛くないぞ」

「な、なんでですか。私がこんなにも力を入れて握っているのに」


「そこまで力を入れてるか?」と言えば更に機嫌を悪くしそうなので、俺は喉まで出かかったそれを呑み込む。


 きっと緋彩の力が弱いのだろう。

 俺はそこまで痛みに耐性があるわけではないので、強い力で握られていたら流石に痛がる素振りを見せてしまうはずだ。


「痛がってる反応をしたほうがいいか?」

「……煽ってますか?」

「おかしいな、察したつもりなんだが」

「察してません。そもそも彼方君がそんな察し方をする人間ではないことは重々承知しているつもりです。今の発言は私を煽る意思を持ったものでした」


 まずいな、まさかそこまで見破られているとは。


「決定的な証拠として、口元が若干ニヤついています」


 指摘され、俺は思わず唇に力を入れてしまう。


「ほら、図星です」

「う……」


 眉をひそめれば、緋彩は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。


「言っておくが、それだけで勝ったと思ってるなら大間違いだからな」

「負け惜しみですね」

「うるせぇ」


 ここで言い返せない辺り、本当に負けた感を醸し出しているような気がする。

 からかう回数で言ったら圧倒的に俺の方が勝っている筈なのに。


「……んで、何が『ありがとうございました』なんだ?」


 一度ため息をつくと、俺は脱線しすぎた話題を元に戻す。


「聞いてくれるのですね」

「それとこれとは話が別だろ。実際俺も気になるし、気づけないものは聞くしかないからな」

「普通の人ならさっきの感情に流されて口を利かなくなるような気がするのですが」

「じゃあ俺は普通じゃないってことだな」

「……そうですね」

「おい、せめて何かツッコんでくれよ」


 そんな軽蔑するような瞳で俺を見つめながら肯定しないでくれ。


 俺が眉尻を下げていると、緋彩はそんな俺を見るなりクスクスと笑い始めた。

 彼女の笑う姿を見ていると、さっきまでのことがどうでもよく感じてしまう。


「……私は『昼休みに助けて下さってありがとうございます』と伝えたかっただけですよ」


 一しきり笑い終えると、彼女は口元を柔らかく緩めながら言った。


「あぁ、そのことか。別に要らねぇよ、約束してたことだし」

「言うと思いました」


 呆れるようにため息をつくと、彼女は繋いでいた手を離した。

 そうして俺の目の前に来たものだから、俺は進めていた歩みを止めてしまう。


「な、何だ?」


 急な出来事に戸惑えば、彼女は人差し指を立てながら俺に詰め寄ってくる。


「いいですか? お礼は私がしたいから言ってるんです。決して彼方君のためを思って言っているわけではありません。彼方君は、『お礼は要らない』って言われたらどう思いますか?」

「……ちょっと悲しくなるな」


 そこで俺は気がついた。


 俺は今まで、感謝は俺のことを思ってしてくれているものだとばかり思っていた。

 そこに言葉通りの感情はないと、そんな考えを持っていた。

 だから「俺に感謝する必要はない」と、その感謝を拒み続けてきた。

 でもそれは間違いで、中には言葉通りの感情を持って言ってくれている人もいて。


 ……その人たちにとってしてみれば、感謝を拒むことは悲しいことなのか。


「ですよね? 彼方君が今言ってくれたように、私もお礼を拒まれると悲しい気持ちになるんです。だから、お礼や感謝は素直に受け取ってください」


 緋彩は真剣な瞳を俺に向けて言葉を紡ぐ。

 その真っ直ぐな姿勢が、紡がれた言葉を素直に受け取らせてくれた。


「……分かった。素直に受け取る」

「絶対ですよ」

「言われなくとも。そこまで真剣な目で言われたらな」

「ならいいです」


 言いたいことを全て言い終えたのか、緋彩は柔らかく微笑みながら再び俺の手を握った。


「……ありがとうな。そう言ってくれて」

「別に、私は言いたいことを言っただけなので」

「今の、言ってることとやってること矛盾してるからな」

「あっ……」


 無意識だったらしい。

 彼女は目を見開くと、そのまま俺の方に視線を移す。

 数秒間だけ見つめ合った後、お互いにクスクスと笑い合い、再び帰路を辿り始めるのだった。

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