22話 彼方が望むこと

「――そんなことも、あったっけか」


 懐かしむようにどこか遠い目をしながら、されどその瞳は伏せて立凪は呟く。


「お前はあのとき、純粋にバスケを楽しんでいた。勝っていても負けていても楽しさを見出して、そこに没頭していた」

「そうだね。あの頃のバスケは楽しかった。でも……」

「周りの期待を負担に感じ始めてから、純粋にバスケを楽しめなくなっていた」


 立凪の台詞を引き継ぐように言葉を続けると、彼はコクっと頷いた。


「結果を残さなきゃって、ずっと必死だったんだ。周りはもう、俺の結果しか見てくれないから。俺が純粋にバスケを楽しむ姿なんて、誰も見てはくれないから」


 その瞳には、孤独の色が浮かんでいた。

 立凪の周りにはいつも人がいるはずなのに、心が離れてしまっているから、こいつは今孤独に感じている。


 俺は、最後に聞いた。


「お前は、もう一度バスケを純粋に楽しみたいか?」

「それは……楽しみたいさ。でも、もう無理なんだよ」

「なんで無理って決めつける?」

「はっ……?」


 立凪は楽しみたいと言った。

 その気持ちがあれば、どうとでもなる。


 周りを気にしているからバスケを純粋に楽しめないんだ。

 だから。


「周りを気にしなければいい」


 その言葉に、立凪は顔を歪めた。


「……それが出来たら苦労しないんだよ」


 忌々しげに、拳を握り締めて呟く。


「なんで出来ない? 周りを気にせず、自分のやりたいようにバスケをする。簡単な話だ」

「口では簡単に言えるけどね、いざ行動するとなったら出来なくなるんだよ」


 震える声で、愚痴をこぼすように言う。


「行動しようとするところまで来てるんだろ? だったら後は行動するだけだ」

「だから――!」


 叫びながら、立凪はいきなり俺の胸倉を掴んで壁に押し付けた。

 少々痛かったが俺は特に反応を示さず、無表情で立凪を見つめる。


「あんたは何も分かってない! 周りに期待される重圧がどれだけ苦しいものか! それに俺が、どれだけ頭を悩ませているか!」


 目尻から涙を零しながら叫ぶ立凪に、俺は言ってやった。


「あぁ知らないさ。俺はそんな経験したことも、周りで見かけたこともないからな。お前がどれだけ苦しんでいるのか、悩んでいるのか、これっぽっちも分かりはしない」

「何を――!」

「だから周りも分からない」

「っ……!?」


 言葉を遮られたからか、その後の言葉が衝撃を与えたからか、立凪は目を見開くと黙ってしまった。

 その隙に、俺は言葉を続ける。


「お前が苦しんでいるのを見たことがないから、悩んでいるのを見たことがないから、その上お前はいつも笑顔でいるから、周りは絶対分かってくれない」


 人は、触れないと興味を持てない。

 聞いたり、見たり、経験したり。

 触れる形はどうであれ、人は自分が触れるものにしか興味を持てない。

 だから立凪が悩み苦しんでいることも、そこに触れることが出来ないから興味を持つことが出来ない。

 至極当たり前のことだ。


「……じゃあ、どうすればいいんだよ」

「さっきの話に戻る。自分のやりたいようにバスケをすればいい」

「でも、それは周りの期待を裏切る行為だ。俺は周りを裏切ることなんて出来ない」


 今の立凪を形作っているのは、良くも悪くも周りだから。

 こいつは周りに期待されることに悪い気はしていないのだろう。

 寧ろそれを誇りに思っている。

 でなければ、それに応えようなんて思わないし、思えない。


 そもそもとして……。


「……自分のやりたいようにバスケをすることは、周りの期待を裏切る行為じゃない」

「何……?」

「お前が心からバスケを楽しんでいる姿を受け入れてくれる人だって必ずいる。……俺がそうだったように」

「…………」

「もし受け入れられない奴らが出てきたら、そいつらとは関わるなよ。お前の気持ちも考えられない奴らに情けをかける義務はねぇ」

「……でも」


 そこで初めて、立凪は迷いを見せた。

 こいつを変えるなら、もうこのタイミングしかない。

 だから俺は、俺の素直な思いを立凪に伝えることにした。


「俺は……着飾ったお前が嫌いだ」

「っ――!?」

「俺が気に入っていたのは、純粋にバスケを楽しむ一年前のお前だ。今のお前は気に入らない。今俺の目に映ってるのは、いけ好かない、ただのキザったらしい野郎だ」

「……なんなんだよ」


 そうして立凪は俺の胸倉から手を離す。


「お前は何が言いたいんだよ」

「俺は、お前と本気のバスケがしたい。勝ち負けなんか関係ない、お前が今までやってきたバスケだ」

「…………」

「俺はお前からバスケを楽しむ形を教えてもらった。それをお前が忘れていたら、俺がバスケを楽しもうとしてるのが馬鹿みたいじゃないか」


 そこで、俺は立凪に初めて笑みを見せた。

 自分を卑下する苦笑だった。


「お前が周りの期待に応えてるんだったら、俺の期待にも応えてくれよ」

「っ……!」

「一度だけでいい。それで変われないんだったら、変われないままでいい。周りがお前の表面しか見なくても、俺はお前の内面を見てるから」


 乾いていた頬に、再び涙が伝う。

 顔には、俺を恨むような眉のしかめはもうなくなっていて、代わりに可笑しいことを笑うような笑みが浮かんでいた。


「……どうして、そこまでするんだよ」

「言ったはずだ、俺はお人好しだってな」

「流石に、お人好しが過ぎるだろ」


「……そうかも、しれないな」

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