7話 氷の姫は悔しい

「――そろそろいいんじゃないか? もう家の前まで来たんだし」

「そ、そうですね」


 俺と柚子川の部屋がある廊下まで歩いてくると、俺は柚子川に声をかける。

 彼女は少しだけ言葉に詰まりながらも俺の腕から離れた。


 ……なんか、今日は柚子川が物凄く積極的な気がする。

 登下校中は俺の腕に抱き着いてくるし、昼飯の時は「あーん」をしてきたり自分の玉子焼きを俺に食べさせたりしてくるし。


 いや、それだけじゃない。

 彼女の教室の前を通り過ぎるときなんか俺に目が合ったかと思うと笑みを零してきたこともあったし、彼女から喋りかけてくることも多かった。

 いつもより色んな表情を見せてきたし、声も活き活きしているような気がした。


「……な、なぁ」

「なんですか?」


 コテンと小首を傾げた柚子川に、俺は今までずっと頭の中にあった疑問をぶつける。


「何で今日はそんなに積極的なんだ?」

「っ……」


 思い当たるところがあったらしい。

 問いかけると彼女の頬にほんのりと赤みが差し、俺から視線を外してしまった。


「あ、いや。言えなかったら無理に言わなくてもいいんだ。その……一つ気になってな。お前は、好きでもない相手に好意を持たれるのが鬱陶しいんじゃなかったのかって」

「それは……確かに鬱陶しいです」

「だよな? で、その。こう、今日みたいに積極的に来られると、どうしても意識してしまうというか……」


 何せ柚子川は学校一の美少女だ。

 数々の男どもをその容姿と性格のギャップで堕としてきた氷の姫だ。

 そりゃあ積極的に来られると意識もする。

 と、半ば自虐的に頭の中で言い訳をしていると、柚子川は恐る恐るこちらに視線を合わせてきた。


「意識……したんですか?」

「申し訳ないが、今日は流石に意識せざるを得なかった」

「そう、なんですか……」


 あくまで素っ気なく、という信念を貫き通してきた俺だったが、それももう持たなくなってきている。

 最初の二、三日は何とかなったが、それ以降は罪悪感に苛まれて中途半端になってしまったし、今日は柚子川の積極性にやられてほぼ出来ていない。


 今だって、彼女が視線を合わせてくれば思わず苦笑してしまった。

 彼女に優しく接するのは、俺にとっても彼女にとっても駄目なことなのに。


 本当に、これから彼女とどう接していけばいいのだろうか。


「……だったら、よかったです」

「えっ?」


 柚子川の言った言葉と、薄っすらと笑みを浮かべている意味が分からずに俺は素っ頓狂な声をあげてしまう。


 だったらよかった?

 俺が意識してしまったことを、柚子川は許容したというのか?


「……柊君、最近私に素っ気なく接していましたよね?」

「あ、あぁ」

「私、ちょっと悔しかったんです。柊君が素っ気なくなって、私ってそんなに魅力がなかったのかって。負けず嫌いなんですよ、私。だから、今日一日だけでも柊君に私を意識させようと色々頑張ったんです」

「……そういうことか」


 何で積極的になったかと思えば……。

 俺は、何かそうしなければいけない事情があって柚子川が積極的になったのだと思った。

 だから今まで訊くことを我慢していたというのに……気を遣って損した。


 というか、また柚子川に気を遣ってるんだよな、俺。


「じゃあ、明日にはもう元通りになるのか?」

「当たり前です。あんな恥ずかしいこと、好きな人でもない限り出来ないです」

「よかったよ。俺もあんなことを毎日されたらたまったもんじゃないからな」


 いや、割と真面目に精神が持たないような気がする。

 さっきまでの柚子川は、それだけ魅力的に見えてしまっていた。


「好きになりましたか? 私のこと」

「ならねぇよ。あれが嘘だと分かったなら尚更だ」

「ならよかったです」

「何が『ならよかったです』だよ。俺がどれだけ精神をすり減らしたのかも知らないで」

「えぇ知りません。だって、私は柊君ではありませんから」

「っ……クソが」


 俺は柚子川から視線を外して吐き捨てる。


 ……ったく、気に入らない。

 明け透けにものを言う柚子川の態度が。

 一週間程度関わってきたが、どうにもそこが気に入らなかった。


 まぁ、その性格ゆえか関わり易かったりするのだが。


 初めて見た柚子川の口元に手を当ててくすくすと笑っている姿に俺は複雑な感情を抱いてしまって、思わず深いため息をつくのだった。

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