8話 氷の姫の危機

「――遅いな」


 柚子川とのメッセージをスマホの画面に映しながら俺はつぶやく。


 俺と柚子川は周りに俺らが恋人であることをアピールするため、登下校を毎日ともにしていた。

 今日も一緒に下校するため校門で彼女を待っていたのだが、いつまで経っても彼女が来る気配はない。


 彼女からは何も連絡は入っていないため、特に用事があるわけでもないのだろう。

 連絡が出来ないほど急ぎの用事が入ったのかもしれないが、それでも彼女はどこかで連絡をくれるはずだ。


 今まで遅れることはあっても、それを連絡してこないということはなかった。


 何かあったのだろうか。


「……まぁ、ここで待っていればいつかは来るか」


 というか、何で俺はこんな二十分も柚子川を待っているのだろうか。

 いくら恋人とはいえ、一緒に帰らない日ぐらい普通にある。

 俺がここまで待っている理由など、欠片もなかった。


 ……でも、ここで帰ると確実に罪悪感が湧く。

 俺らが偽りの関係を持ってからもう少しで一ヶ月になるが、それくらい柚子川の存在が俺の中で大きくなっていた。

 一人で帰ることを想像すると、寂しさすら感じてしまう。


「……はぁ」


 彼女の好感度を上げてはいけないのに、彼女と一緒にいたら楽しいから、自然と上がってしまう。

 それを日に日に感じてしまって、ため息が増える。


「……後、もうちょっとだけ待ってやるか」


 後、五分だけ待とう。

 それで来なかったら、一人で帰ろう。

 心の中でそう決めて、俺は校門の柱に体を預けるのだった。



         ◆



「――なんですか」


 誰もいなくなった教室で私は日直の仕事を終わらせていました。

 普段なら何か用事が出来たときには柊君にメッセージアプリで連絡していたのですが、今日はしていませんでした。

 する必要がないと感じたからです。


 このくらいの量なら、連絡せずともすぐに終わらせられる。

 そう思っていたので私は連絡をせずに日直の仕事をこなしていたのですが……どうやら連絡をしなかったのは間違いだったみたいです。


 私が男に視線を飛ばすと、男は眉をひそめながら言いました。


「柚子川、何で柊となんか付き合ってるんだ? もっと他にいい男がこの学校にはたくさんいただろ?」


 その台詞、柊君と偽りの関係を持ってから何度聞いてきたでしょうか。

 こうやって周りの目を盗んでは、男子達は執拗に私が柊君と付き合った理由を問い詰めて来ます。


 どうにかするのは私の役目なのである程度は覚悟していたつもりですが、それが鬱陶しくて仕方がなかった。


 私はため息をつくと、その男に目もくれずに日直の仕事をこなしていきます。


「別に、私が誰と付き合おうが私の勝手でしょう? 今初めて会話したような名前も知らない貴方にとやかく言われる筋合いはありません」

「だけど、柚子川のことが好きな男子はたくさんいる。それくらい、柚子川にだって分かってるはずだ」

「だからなんですか? まさか周りの好意の対象だから、誰とも付き合うなとでも言うつもりですか? ふざけないで下さい。私はアイドルでも何でもありません、ごく普通の一般人です。自由に恋愛をする権利くらい、私にだって――」

「だけど、何も柊を選ぶ必要なんてない! あいつには何も取り柄がない。いけ好かない態度を取って、周りを見下して、孤立しているような奴だ! そんなあいつの、どこを好きのなったって言うんだよ!」

「っ……それは……」


 分かっています。

 柊君は、そんな人間じゃない。

 いけ好かない態度なのは否定出来ませんが、私に優しくしてくれる彼が周りを見下すはずがない。

 孤立していることに関しては、そもそもクラスが違うので分かるはずもありません。

 ですが、それだけで彼を嫌う理由にはならない。


 ただどこを好きになったかと聞かれると、どうしても言葉に詰まってしまいます。

 私達はお互いに好意を持って付き合っているわけではありません。

 だから、どう言ったらいいのか……。


「ほら、出てこないだろ! 何でそれで付き合えてるのかは分からんが、それだったら俺と付き合ったほうがマシだ!」

「な、何を言っているんですか」

「俺のほうがあいつよりも柚子川のことを想える! 幸せにも出来る! だから――」

「そうやって柊君のことを悪く言う人とは付き合えません。柊君は、貴方みたいに人の悪口を言うような人では決してないからです」


 言ったとしても、それは本気じゃない。

 一ヶ月程、彼と時間をともにしてきた私には分かります。

 彼は、理不尽に悪口を言う人じゃありません。


「……日直の仕事が終わったので、私はそろそろ帰ります。柊君も待たせているので」


 鞄を手にとり、私は男に背を向けて教室を出ようとしました。

 その時――。


「ちょっと待てよ」


 左腕をいきなり掴まれ、そのまま引き戸の横にある掲示板に押さえつけられてしまいました。


「ちょっと、何するんですか!」

「静かにしろ! 話はまだ終わってない」

「お、終わらせたじゃないですか。私は、貴方と付き合うつもりはありません。そもそもとして、私は柊君と付き合っています」


あくまで男を突き放す私ですが、どうしても声に覇気がなくなってしまいます。

ここで弱いところを見せたら、相手を優位に立たせてしまう。

分かってはいましたが、ここで虚勢を張れるほど私は強くありませんでした。


 ……怖い、です。

 今まで関係を問い詰められたことはあっても、拘束されることはありませんでした。

 女の私と目の前の男とでは流石に筋肉量が違うのか、思うように身動きが取れません。


 眼前にまで歪んだ表情を浮かべた男の顔が迫っていて、それがとても怖かった。


「……いつまでそんなことが言えるのか、見ものだな」


 男がそう言うと、更に男の顔が迫って来ます。


 ……これから、私は何をされるのでしょうか。

 全く予想がつきません。

 もう、何も考えられませんでした。


 私が思わず目を閉じかけた時、私の腕を掴んでいた男の腕を誰かが掴みます。

 そうして、ここ最近で一番聞き慣れた声が教室を揺らしました。


「――何やってるんだ?」

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