第20話 門出

 三人が世界樹を救ってから数か月後のことである。

「順調ね」

 音羽は樹の間にいた。

 音羽が植えた苗はあれから、確実に成長していた。金剛石のように透き通ってきらめく幹、枝の先には薄桃色のつぼみがつき始めている。

「ずいぶん、きれいな樹じゃないか」

 と、そこに壱護もやってくる。今日は深みのあるブラウンのスーツを身にまとっている。

 壱護は音羽の樹を見上げると、嬉しそうに笑った。

「開花は春頃といったところか」

 壱護の肩にのったセラは、偉そうではあるが優しい笑みを音羽に向ける。

「やるじゃないか、音羽」

「頑張ったかいがあるってものよ」

 音羽が胸を張って言うと、セラはその態度をとがめることなく、素直に頷いた。

「そうだな」

「あら、素直に認めてくれるのね?」

 音羽が聞けば、セラはふんと鼻を鳴らす。尻尾が揺れ、壱護の頬に少し触れた。

「成果には正当な評価をするまでだ」

 そんな様子のセラを見て、壱護は楽し気に笑った。

 部屋に戻ってしばらくして、二階の扉がノックされた。

「やあ、元気にしていたかい?」

「アネッサ」

 今日は胡桃とクーウォンも一緒のようである。アネッサは白いブラウスに黒く裾の広いズボンを身にまとっている。

「音羽、久しぶり」

 胡桃は厚手の生地の着物のような薄桃色の上着に、白い袴を身に着けていた。

「胡桃も元気そうでよかった。クーウォンさんも」

 音羽に言われ、クーウォンは朗らかにほほ笑む。狩衣風の上着は、今日は秋らしいから紅で、胡桃と並ぶと、まさしく双子だなあ、と思わせた。

「ずいぶん元気になったようで安心したよ」

 みんなで揃ってソファに座る。人型をとったセラは音羽と壱護の隙間で、おとなしくクッキーをかじっていた。

「あれから、三柱はすっかり機嫌を取り戻して、調子もいいみたいだよ」

 アネッサの言葉に、音羽は嬉しそうに笑った。

「よかったわ。ずっと気になっていたの」

「それともう一つ。これは個人的なことなんだが……」

 アネッサは鞄から小さな箱を取り出し、音羽に渡した。

「約束していただろう? 髪飾りだよ」

「ああ!」

 音羽はパッと顔を輝かせる。

「今、開けても?」

「もちろん」

 薄いオレンジ色の箱に白いリボンが添えられている、シンプルながら可憐な小箱だ。リボンを解いて箱を開けば、そこにはずいぶんかわいらしいバレッタがあった。

 金色の土台は美しい曲線を描き、中央にはささやかながら存在感のある薄桃色の宝石がはまっていた。

 音羽はそれをそっと持ち上げる。

「わあ、かわいい! ありがとう、アネッサさん。大事にするわ」

「気に入ってもらえてよかったよ」

「音羽、今度、私と探す」

 そう言うのは胡桃である。少し頬を膨らませる胡桃に、音羽は微笑を向けた。

「ええ、もちろん。楽しみにしてる」

「絶対。絶対だぞ」

「はは、そう念を押さなくても、音羽は約束を守る人だよ」

 クーウォンは言うと、紅茶を一口飲んで表情を明るくした。

「相変わらず、壱護さんの紅茶はおいしいですね」

「そうかい。あとで茶葉を分けてあげよう」

「ありがとうございます」

 音羽はアネッサに髪飾りをつけてもらう。

 栗色の髪に、その可憐なバレッタは、よく映えていた。


 季節は過ぎ、春になった。

 音羽の樹に付いたつぼみは、開花するときを今か今かと待っている。

「今日あたり、咲くだろうね」

 壱護にそう言われ、音羽は樹の前に待機していた。隣には壱護とセラもいる。

 樹はまるで呼吸をするように揺れ、つぼみはパンパンに膨れて鼓動が聞こえてくるようである。

「……あ」

 音羽は何かを見つけ、声を上げる。

 つぼみの一つがちりんと音を立てて揺れたのだ。それに呼応するように他のつぼみもゆったりと揺れる。儚くも力強い音が空間に満ちていき、やがて、ゆったりと静まっていく。そして――

「咲いた!」

 ぱあっと開いたつぼみは、まるで桜の花びらにも見えた。つぼみから飛び出した光はふわふわと樹の周りを漂っている。透明の幹に光が反射して、実に幻想的だ。

「まるで、妖精の花のようだ」

 壱護が言うと、セラも頷いた。

「おそらく、世界樹を救った時に、妖精の加護を受けたのだろうな」

「ああ、それで」

「おじいちゃん、これで、これで……」

 眩しい笑顔を向ける音羽に、壱護は微笑み返して頷いた。

「代替わりだね。よく頑張った」

「……うん!」

 屋敷が音羽を受け入れた、その証となる樹は、実に凛々しく、堂々と鎮座し、その美しい幹を揺らして、賑やかな音を立てたのだった。


 どこまでも澄み切った空の下、音羽は新たな一歩を踏み出す。今日は新学期、早くあの二人に会いたかった。

「いってきます!」

 壱護とセラはその背中を見送る。若葉に磨かれた風が吹き、セラの輝く毛並みを揺らした。

「主に似て、やかましい樹だったな」

 セラはそう言うが、表情は実に誇らしげだ。壱護は穏やかに笑った。

「賑やかで何よりだよ」

「ああ、そうだな」

 新たな主の誕生を祝福するように、屋敷にあたたかな春の光が差し込む。

 音羽の樹は、優しく、明るい音を鳴らした。

 その姿は歪むことなく澄み切っていて、魔法使いたちが向かう未来をいつまでも、どこまでも照らし続けるように見えた。

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魔法使い物語 藤里 侑 @Yuu-1010

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