新たに始める現代生活日記。

比嘉君人

序章 僕という人間。

序章 僕という人間。


世の中には耳障りのいい言葉が溢れかえっている。夢は、諦めなければ叶うとか、世の中は平等だとか、嫌な時は逃げたっていいとか。人は、自分の都合がいいように解釈し、都合が良いように受け止める。そして、自分を傷つけないように大事に大事に30年生きてきたのが、この僕大庭修という煩わしく、かっこ悪い男である。そして今、また僕は逃げようとしていた。


オフィスの一室でドスのきいた声が響いた。

 「おい、大庭。前のプレゼンの資料またミスってんぞ。いつになったら仕事を覚えるんだよ!」

上司の河野が机をバンと叩き睨みつける。鋭い眼光に角刈りの髪型と相まってより一層恐ろしいものに見えた。僕は、それにびくっと反応してしまう。

「部長。まだ、大庭も半年しか入ってないですし、多めに見てやりましょうよ。俺からもきつく言っときますんで。」

「まあ、パワハラで訴えられても困るからな。大庭。俺を訴えないでくれよ。じゃあ岬。後は任せたぞ。」

「任されました。」

岬裕太は笑顔な顔のまま、僕の肩に腕を回し小声で話始めた。

「おい、給料泥棒。なんでミスってんだよ。教育係の俺の評価まで下がるだろうが。」

「す、すいません。」

「お前もう30だろ。5歳も上なんだからさ、言われた仕事くらいちゃんとこなしてくれよ。あ、次ミスしたらお前こなくていいよ。」

「すみませんでした。」

「謝らないでいいから、ミスないいようにしとけよ。」

岬裕太は、肩をぽんぽんと叩き、自分のデスクに座る。周りがザワザワするのを他所に僕は自分のデスクに座る。そして、僕の日常がまた動き出す。真っ暗な画面をずっと見ている感覚。時計の針が早く回ってくれと願うのが僕のいつもの日課になっていた。



 駅前が賑やかになってきた頃。僕はトボトボと駅に向かいながら歩いていた。

僕には、コンプレックスとプライドが自分の中ですし詰め状態になっている。今という現実から早く目を逸らしたいけど、逃げ出すのはプライドが許さない。そんな葛藤に見舞われながら青になって欲しくないと願いながら信号を待った。

「あ、危ない。」

母親と逸れてしまったのか、一人の少女が唐突に横断歩道を飛び出した。そして

その場で蹲ってしまっていた。そして、大型トラックが猛スピードで近づいてきていた。

僕の意識とは、別に体が勝手に動いてしまっていた。誰に言われるでもなく、そう動いてしまっていた。僕は少女を突き飛ばした。そして、トラックの方に目をやる。その瞬間、僕の体は宙を舞った。

 

ドサっと鈍い音がする。街の声が悲鳴に変わっていた。薄れいく意識の中、また自己嫌悪に陥っていた。僕は、決して少女を助けたいわけじゃなかった。ただどうすれば自分のちっぽけなプライドを守りながら、この世の中からドロップアウトできるか。その絶好の機会を、その少女に見出したに過ぎなかった。少女に心で謝りながらも僕は穏やかな気持ちになれた。そして、ゆっくりと目を閉じた。

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