エピローグ

 「ちっ,,,! 全身が痛い!」


 骨が何処かに突き刺さったのか、体を動かすたびに激痛が襲う。断続的に、かつじわじわと広がる痛みは、麻痺した痛覚をも呼び覚ますものだった。


 「おいおい,,,まだ立てるとか、お前も相当覚悟キマッてんな。大人しく寝とけば、すぐ楽にしてやるのによ」


 「僕が殺されてあげるのは、壱菜と慶花だけだ。お前に殺されてなんかやらん」


 今から僕が仕掛けるのは、慶花が用意した最後の作戦。使わないでいたかった決死の一撃だ。もう、この上位食人鬼を殺すには、この方法しか残されていない。


 「あっそ,,,お前がどんなこと考えてようと、俺様はそれを叩きつぶすだけだ。次でお前の頭をミンチにしてやるよ」


 「僕も次で決めることにするよ。文字通り、ラストアタックだ」


 息を整えて、最後に少し謝る。相手はもちろん、慶花と壱菜だ。僕はこれで死ぬかもしれない。それでも、僕はやる。やらなければならない。僕は足に力を込めると、チンピラをしっかりと捉えた。絶対に逃がさない。


 「行くぞぉぉぉぉっ!!!」


 「来い、バケモン! 最後は綺麗な花火咲かせてやるよ!」


 体が変な音を立てていても、それでも前に進む。足を前に運んで、運んで、運び続ける。たった数十メートルほどの距離が、酷く遠く感じる。時間がゆっくりとなって、今すぐにでもこの苦しみから解放されたいと思う。


 でも、止めない。止めてしまったら最後、僕は何も守ることが出来なくなる。慶花と壱菜も、僕自身すらも守れなくなる。少しでも可能性を残し続けることに、意味があるのだ。


 残り数メートルという地点で、チンピラは手にしたハンマーをゆっくりと動かした。無論、それは僕がそう見えているだけで本当はもっと早いのだろうけど、今重要なのはそこではない。このままこれを避けると、最後の作戦は失敗する。これは検討するまでもなく、決まりきったことだった。


 しかし、この衝撃を受ければ無事ではいられないだろう。死ぬかもしれないし、死ななくてもその後同じことになるはずだ。完全に詰んだ状態。チンピラもそれが分かっているのか、その顔から勝利の余裕が感じられた。


 だが、こと殺し合いにおいては殺すまで結果は分からない。勝ちがほぼ決まったからと言っても、その油断が命取りになることは往々にしてあるものだ。だから、このチンピラはミスをした。僕とこの最後の勝負に乗った時点で、もうどちらも勝てないということに気付けなかったのだから。


 「があぁああぁぁぁっぁ!!!!」


 「こいつっ! マジにイカレてやがる!」


 僕に、チンピラの攻撃を避けるつもりは一切無かった。死ななければ、それで問題ない。僕はもう、勝ちを諦めていたのだ。ハンマーを、お守りを握る右手の反対側で受ける。粉砕骨折というレベルではなく、常人なら即死レベルの重症だ。


 けれど、衝撃は後ろに逃がせた。倒れ込みながら、チンピラの腰をしっかりと握る。これで作戦は完了した。後は、引き放そうとするチンピラの抵抗を耐えるだけだ。


 「お前っ! 何するつもりだっ!」


 「じ、ばくだよ」


 最後の作戦。それは、慶花が作った爆弾を起動して相手に突っ込むと言うものだ。いや、厳密には最初は違った。しかし、安全に爆弾をこいつに送り付ける方法が見つからなかったのだ。だから、特攻をした。


 チンピラは、焦った様子で僕を殴り続ける。しかし、壱菜の血のおかげで僕は片腕でもそれなりの握力がある。簡単に引きはがせるとは思わない方が良い。


 「てめぇ! 俺様はっ! こんな場所でっ! 終わる男じゃっ! ねぇんだよっ!」


 「がっ! ぐぶ、ふ,,,ざんえん,,,だったな」


 もう、起爆まで数秒だろう。このタイムリミットがあったから、攻撃を避けることが出来なかったのだ。だが、これならゼロ距離でこいつを巻き込むことが出来るだろう。僕は、ゆっくりと瞳を閉じた。


 「兄さん!」


 「慶斗!」


 最後に、僕を呼ぶ声が二つ聞こえたような気がする。恐らく慶花と壱菜だろう、無事でよかった。


 あぁ、心残りだ。もっと二人と一緒に居たかった。こんな所で、死にたくなんて無かった。しかし、確信のようなものがある。この爆発は、チンピラもろとも即死するだろうと言う確信が。


 だから、これで良いのだ。目の前が一瞬明るくなったかと思うと、僕の意識はぶっつりと途切れたのだった。


-------------------


 「どいてっ!」


 包丁を突き刺して、食人鬼に止めを差します。けれど、少し遅かったようです。慶斗は、耳をつんざくような爆発と共に、あの男と一緒に消えていきました。


 「にい,,,さん?」


 「け,,,慶斗,,,」


 茫然としてしまいました。だって、この事実を理解したくなかったのです。慶斗が、爆発に巻き込まれて、黒い何かになっているだなんて。


 「嫌,,,いやいやいやいやっ、嫌っあぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!!」


 周りの状況など一切見ずに、慶斗と思わしき物体に近づいていく。熱いそれは、しかし命の熱では無かったのです。私の心の中に、黒いものが渦巻いていきます。


 「あっがぁぁぁぁああああ!!! いっってぇぇぇえええ!!!」


 慶斗の傍から少し離れた所に、しぶとく生き残った男が、聞くに堪えない悲鳴をあげていました。私は、近くに落ちていた魔払いを拾って男の元に駆け寄りました。


 「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!」


 それを握る不快感など全て無視して、慶斗をあんな風にする原因を作った男に突き立てていきます。魔払いを選んだ理由は単純明快、これが一番こいつを苦しめることが出来ると思ったからです。


 「あぎゅっ! や、やめっ! やめてくださっ! がぎゃああっつ!!!」


 「返して、返してよっぉ!!!」


 嗚咽交じりに、男の体に魔払いを刺し込んでいきます。気が付くと、それは死んでいました。そこに男がいたという痕跡すら一切なく、その存在を抹消されたのでした。


 「あ,,,慶斗,,,」


 私はまた、慶斗の元に駆け寄って自分の血を浴びせます。しかし、いくらやっても慶斗の火傷が治ることはありませんでした。触ってみても、そこに熱さすらありませんでした。


 「にい,,,さん?」


 慶花ちゃんは、さっきからずっと同じことを呟いています。私も、出来るならそうしたいです。ですが、私なら慶斗を救えるかもしれないのです。だから、私が諦めては駄目です。


 「そうだ,,,あれを、試してなかったね」


 慶斗がいない世界に、生きる意味はありません。ですから、最後に私の命を差し出しましょう。そう思い立つと、私は持っていた包丁を自らの胸元に突き立てました。切込みを入れて、心臓を引っ張り出す。神経が全力で私を止めようとしますが、そんなものは無駄です。


 「ぐふっ,,,ふ、ふふっ,,,抜けたぁ」


 自分でもびっくりな事ですが、私は心臓を抜き去っても死ぬことはありませんでした。もちろん、手足の感覚がしびれているような気がしないでもないですが、それだけです。まだ温もりのあるそれを、ゆっくりと慶斗の元へ持っていきます。


 「あっ,,,今の状態じゃ、食べられないよね。食べやすく、してあげるね」


 私は心臓にかじりつきました。噛み応えのあると言うレベルではない、固い心臓を貪ります。口の中で食べやすくした後、慶斗の口にそれを流し込みます。ゆっくりと、慶斗に私の命が流れ込んでいきます。


 私は、慶斗に助けられたあの日のことを思い出しました。あの時も、私は咄嗟の思い付きで自分の血液を、こうして口移しで飲ませました。しかし、今では自分の心臓を食べさせています。それが無駄かもしれなくても、体が勝手に動いていました。


 自分の心臓を食べて、それを慶斗に口移しする。全て慶斗に流し込み終わって、私は慶斗をゆっくりと抱きしめました。私の最愛の人、いなくてはならない存在。それがこんなあっけなく終わりを迎えるだなんて、神様はとことん私のことが嫌いなのでしょう。


 いっそのこと、彼を食べてしまおうか。私の体の中で、彼は永遠に生き続ける。それは、悪くない話なのではないだろうか。そんな邪推が私の中に巡りだした頃、私の耳は確かに私以外の心臓の鼓動を感じたのです。


 「慶,,,斗?」


 幻聴でしょうか。精神がおかしくなると、そういうものが見えたり聞こえたりすると聞いたことがあります。ですが、またしても微かに心臓の鼓動が聞こえました。今度こそ、聞き間違えなどではありませんでした。


 「慶斗,,,慶斗ぉ!!!」


 嬉しくって、涙が止まりません。私は泣きながら、自分の体を傷つけ始めました。生きているのなら、前と同じようにすればきっと治る。だから、私の血を早く飲ませてあげないと!


 「な,,,なんで、治らないの,,,?」


 ですが、いくら血を注ぎ込んでも慶斗の傷は癒えることはありませんでした。その理由はすぐに分かりました。血が足りていないのです。私の血は治癒力を促進させることは出来ますが、増血などの作用は無いのです。


 だから、いくら血を注いでも治らない。その考えを振り払うように、私は自傷を続けました。傷つけて、注いで、また傷つけて、注ぐ。何度も何度も繰り返しても、慶斗の体は元に戻りません。心なしか、心臓の鼓動も小さくなってきている気がします。


 「どうしようっ,,,! どうしよう,,,!?」


 流石に、私も目の前がぼやけてきました。出血多量でも死にはしませんが、意識が無くなります。そうしたらもう、慶斗の救命活動は行えないでしょう。私は落ちそうになる意識を保ちながら、体を傷つけようとしました。しかし、包丁は私の体を傷つけませんでした。


 「はぁっ,,,! う,,,」


 「慶花,,,ちゃん?」


 「血が、足りないのでしょう? うわ言でずっと、血が血がって言っていたら分かりますよ」


 慶花ちゃんは手首に包丁を滑らせて、命を慶斗に注ぎ込み始めました。私たちは慶斗を救うため、そこから何時間も血を飲ませ続けて、死ぬギリギリまで血を絞り出します。全ては慶斗のためです。しばらくすると、慶斗が息を吹き返しました。


 「ぅ,,,ぁ」


 「あ,,,よかったぁあ,,,」


 「え、ええ。ほんと、に」


 フラフラになりながらも、私たちは慶斗の蘇生が上手く行ったことを喜び会いました。貧血と疲労のダブルパンチで重い体を引きずりながら、慶斗を運んでいきます。家に着くと、私たちは床に倒れ込んでしまいました。


 「慶斗,,,生きてる?」


 「えぇ,,,寝息を立てて、持ち直したようです。その代わりに私たちが死にそうですけどね」


 「ふふっ,,,ほんとだ」


 お互いをライバル視していた私たちは、一緒になって笑い合いました。私たちは慶斗がいないと生きていけない。その点だけは、お互いに一致しています。この愛を、私たちだけは理解することが出来るのです。


 慶斗の両脇を二人で固めて、私たちは意識を落としました。起きた後、また慶斗と笑い合えることを夢見て。


------------------

 

 あの男との戦いから、二日が経った4月9日。今日、僕は高校生になる。学校に行く前に僕は、ある場所に向かった。


 「どうも、随分とお久しぶりな気がします」


 「おおぅ少年! どうやら試練を乗り越えたようだね!」


 朝からハイテンションな占い師の佐藤さん。彼は食人鬼探しの時、何故かここから姿を消していたのだが、今日はいる気がした。直感的なものだったのだが、無駄足にならなくて何よりだ。


 「いや,,,俺はさ、てっきりあの黒髪の子に殺されちゃうんじゃないかって、内心冷や冷やしてたのよ! あそこで殺されることもありえたわけで、よくぞ乗り越えてくれたって感じだよ」


 「,,,やっぱり、知ってたんですね」


 「ん? 何をだい?」


 この人は、自分の能力を知らないと言っていた。未来を見ることが出来るなど、今まで分からなかったと。しかし、それが今嘘だと分かった。


 「未来、見えてたんでしょ?」


 「んっと、なんでそう思うの?」


 佐藤さんはサングラスの下の眼を光らせながら、僕にそういった。どうしても何も、彼は先ほど自分から未来が見えていたと宣言したのだ。


 「だって、壱菜のこと知ってるじゃないですか。あなたは、今まで会ったことが無いのに」


 「あぁー-、なるほどね。俺も少し気が緩んでたのかな」


 にっこりと笑って、否定することもなく僕の言葉を肯定する佐藤さん。僕にとって、この人の存在は都合が良すぎた。偶々化物達の存在を知った瞬間、それに対抗する武器をくれた。壱菜と決着をつける前に、彼は慶花へ姿をわざと現していた。きっと彼女なら、自分の正体に気付くと思っていたから。


 ある時は助言をし、ある時は欲しいものを与える。まるでゲームの進行のように、彼は僕のことを的確にサポートしていた。それも全て、未来が見えていたからなのだろう。


 「まぁ、偶然だけどね。でも、結果的に良かったでしょ?」


 「えぇそりゃあもう、丸く収まりましたからね」


 「君にとって、壱奈ちゃんは鬼門だったんだよ。あの子の暴走を止めるのは、容易な事じゃないからね」


 「じゃあ、食人鬼の時にいなかったのは何でですか?」


 「それも視えたけど、俺は必要ないと思ったからだよ。三人が力を合わせたら、向かう所敵なしってね」


 全く、ふざけた人だ。けれど、この人のそんなふざけた行動で、僕は今生きている。感謝すべきだ。


 「ありがとうございました。これ、返しますね」


 「あぁ,,,君はそれを持っておいた方がいいよ」


 「え?」


 お礼と共に貰ったお守りを返そうとすると、そんな不穏なことを言われた。


 「君は死相が出てる。それはこれからもだよ。せいぜい気をつけな」


 「いやちょっ、待ってくださいよ!」


 彼はそれだけ言うと、そそくさと何処かに行ってしまった。時計を見ると、もうそろそろ学校に向かわないと危ない時間だ。最後の言葉に後ろ髪を引かれながら、僕は学校へと向かった。


 学校の方を目指していると、見覚えのある横顔を見つけた。その子は、僕を見つけると小走りで駆け寄ってきた。


 「慶斗、おはよう」


 「えっ! な、なんで壱菜がいるの!? しかも、その制服って,,,」


 「あれ? 言ってなかったっけ? 私は慶斗の通う学校の二年生だよ?」


 「い、いや,,,そんなこと聞いてないってっ!」


 4月9日、午前8時12分。僕の春休みは、こうして終わりを告げた。怪我や死の危険の多い休みだったけれど、僕は満足してる。だって、こんなにも素敵な隣人に巡り合えたのだ。妹のすばらしさにも気付くことが出来たのだ。後悔など、一切ない。


 「じゃあ、一緒に行こっか」


 「あ、ああ,,,よし行くか」


 今日から新しい生活が、始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただの人間とただの人間に擬態する化物の見分け方 黒羽椿 @kurobanetubaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ