今日はとっても完璧な日
ささやか
あるいは強盗日和
六月の梅雨まっさだなかだというのに今日は雲一つない青空で、気温も湿度も実にこころよく、これはもう一年に一度あるかないかという完璧な日だった。
だからショルダーバッグをひっさげ、あてもなくふらふらと散歩してみる。
燦々とふりそそぐ完璧さによって誰もかれもが浮かれているようで、自動車なんて全力で赤信号を無視してぶっちぎり、アルマンコブハサミムシが食人権を求めるプラカードを掲げてぞろぞろデモ行進をしている。アルマンコブハサミムシの甲殻は陽光を反射してかてかと砲弾のように光っていた。思わず青空を見上げれば紅蓮の一筋が走っている。まず間違いなく巨大隕石だろう。
デモ行進にはアルマンコブハサミムシのみならず人間も混じっている。もし本当に食人権が認められたら、このなかの幾人が食卓にのるのだろうか。俺は人間よりも寿司が食いたかった。それも回らない寿司だ。やばいくらいトロってる大トロが食いたかった。舌にのせただけでとろけるマグロの脂、あの暴力的な旨味は核爆弾に勝る。あとタコ。なんか美味い。
問題は回らない寿司に行く金がないということだ。「人生金が全てじゃないが大抵のことは金で解決できる。だから金があるにこしたことはない」と越谷が銀縁の丸眼鏡をくいくいさせながら昔言っていた。ラジオ体操第二をしながら「クソみたいに定まった人生なんてうんざりだ。クソほど馬鹿な方がマシだ」とも言っていた。
あの夏、越谷は死んだ。無限肝臓培養法という錬金術にチャレンジし、五回目で失敗して死んだのだ。
訃報を知った俺と秦野は二度とあん肝は食わないと誓い合い、二人してウヰスキーをラッパ飲みして急性アルコール中毒になり救急搬送され九死に一生を得た。秦野は「越谷が助けてくれたのだ」とスピリチュアルな発言をしていたが、俺は救急隊員の初期対応が素晴らしかったおかげだと思っている。越谷は下戸だ。あいつのご
もしも越谷にご利益があるとしたら、それはきっともっと些末なことでだろう。児童公園のベンチに座ってカバディの試合を観ながら今は亡き友人を偲ぶ。老人ホームズ対クソガキファンタジーノという好ゲームだ。老人ホームズのトメさんがカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディ。空が青かった。太陽が眩しかった。何かしてみたかったが何もすべきことはなかった。
「どうしたらいいんでしょうね」
深い意味も期待もなく隣に座る丸顔の女性に尋ねてみる。彼女はダダダさんと言い、グアテマラ出身でなんやかんやあって日本で初生ひな鑑別師をしているらしい。ダダダさんは「グアテマラはとても治安が悪いので、とりあえずみんなパンパン拳銃うってますよ」とにっこり笑う。丸顔がいっそう丸くなる。奈落の入口のように見えたがたぶん気のせいだった。
「他になんかないんですか」
「そうですね、他人とは自分にはない可能性のそのものですから、誰か友達とお会いになったらどうですか」
ダメもとでもう一度きくと存外まっとうな意見が返ってきた。完璧な太陽は深々と希望と喜びと
電話に出た秦野は、あいさつもぬきに「実にいいタイミングだ」とのたまった。
「何がいいタイミングなの」
「銀行強盗狩りだよ。今日はとてもいい天気で強盗日和だからノータリン共が銀行強盗でもやろうと騒ぎだすだろ。俺達はそのにわか銀行強盗を狩るって寸法だ」
「なるほど」語尾が上がる。「ちょっと待ってね」俺は一度電話を保留し、カバディを観戦しているダダダさんにきいてみる。
「銀行強盗狩りってどう思います」
銀行強盗狩りとは、犯行を遂げた銀行強盗を襲撃し、その成果を奪還することだ。銀行強盗それ即ち悪という小学生でもわかる簡単な等式があるため、当然ながら銀行強盗の生死は問わない。大切なのは金だ。奪われた金を回収することによって、銀行はにっこり、お礼をもらえる銀行強盗狩りもにっこり、そして社会の害悪が排除され治安が良くなり市民もにっこりという三方良しの関係になる。
「お金をちゃんと預かってくれる銀行ってのは大事だよ。世のなかつまらない存在を誤差だと決めつけ無視をして、そうして歩いているうちに大抵そのつまらない何かにつまずくんだから」
ダダダさんは神妙な表情で言う。それを聞いた俺は決心し、秦野に言ってやった。
「ひと狩り行こうぜ」
人類史上最高の熱戦が終わった。老人ホームズの勝利だ。俺はベンチから立ち上がり、ダダダさんに「いってきます」と伝える。すると彼女は何もかもを理解しているかのように微笑し、ハンドバッグから取り出したものを俺に手渡した。それはトカレフだった。ずっしりとした重みを持つ鉄の塊は冷たく、確かな存在感も兼ね備えている。オレは人を殺せるんだぞという強烈な自己主張を感じた。
ダダダさんは右手で拳銃を形作り、バーンと撃つ仕草をする。
「困ったら暴力よ。暴力は全てをチャラにしてくれるの」
「それは人間としてありなんですか」
「そういうのは死んでから考えなさい、世の中なんだかんだで弱肉強食。ひよこだってそう。撃っちゃえ、撃っちゃえ」
ひよこだってそうなら人間だってそうだ。生きている俺は強食るしかないし、トカレフが銀行強盗狩りに役立つのは違いない。トカレフを携えて秦野のもとに向かう。
道を戻ると先程のデモ行進はいなくなっていた。いくつかの赤い染みができていたがどうでもよかった。そのまま通りすぎる。
待ち合わせ場所には小柄で小太りなキングペンギンがいた。何を隠そう秦野だ。左手に三タコしそうな真っ赤な金属バットを持っている。俺は秦野に向かって手を振った。
「よ」
「よ、よ」
「んで銀行強盗狩りってどこでやんの」
「万国銀行の獣橋支店」
秦野は近場の銀行の規模や警備の質などを流水の如く説明した。超頭脳検討特級を持つ秦野の計画に死角はない。銀行強盗は悪だ。だから殺せばいい。要はそれだけだ。
そんなわけで万国銀行獣橋支店の向かいで小一時間ほど突っ立っていたが銀行強盗は現れず、ただ太陽が燦々とふりそそぎ、棒切れのような街灯を、ひび割れたアスファルトを、使い古されたママチャリを、ままならない俺達をきらきらと輝かせ、何もかもが完璧に堕していった。
銀行強盗はこないのだろうか。ショルダーバッグに隠したトカレフをなぞる。これがあれば銀行強盗なんて楽勝だ。悪は倒れ、正義が果たされる。そんな簡明な世界が現れる。素晴らしいことだ。だが銀行強盗はやってこない。
もはやどちらかが銀行強盗になるしかないなどと思えてきたところで、目出し帽の二人組が現れた。二人とも大きなずた袋を持ち、やせた女は赤い目出し帽、もう一人のゴリマッチョは白い目出し帽をかぶっている。紅白歌合戦をモチーフにしているのだろう。俺は完璧な確信を得た。秦野を見る。秦野も頷く。こいつらこそ銀行強盗だ。
だがまだ早い。こいつらはまだ銀行強盗最有力候補でしかない。万国銀行獣橋支店に入る二人の後ろ姿を見守る。その後、店内から悲鳴や銃声が聞こえることはなかった。だが、二人が万国銀行獣橋支店から出てきたときしおれていたずた袋がパンパンに膨らんでいた。二人は脱兎の如く走り出す。彼らはもう銀行強盗になったのだ。
そう、だからここからが銀行強盗狩りの時間だ。
「とまれ!」
逃走ルートはシュミレーション済みだ。秦野が二人の前に立ちふさがり金属バットを振る。
二人の後方に位置していた俺はショルダーバッグからトカレフを取り出す。銃身が完璧を反射して黒く光った。白目出し帽に銃口を向け、銀行強盗は悪だから、引金をひく。引金はあっけないくらい軽かった。
日常を
振り返った二人は俺のトカレフを見て足をとめる。挟み撃ちにあったと理解したようだった。
「逃げるなら次は当てる」
秦野が自信満々に告げる。わざとはずしたわけじゃないとは言いにくい雰囲気だった。そのまま人間の命なんてゴミですよ的表情を作ってトカレフをつきつけ続ける。
「その金を寄こせ」
二人は顔を見合わせ、白い目出し帽がうなずく。
「わかった。半分渡す。それで見逃してくれ」
「ならお前らの命も半分でいいのか。さっさと袋を置いて離れろ」
秦野の恫喝に負けた二人がずた袋を置き、じりじりと距離を取る。
秦野が俺に向かってくいと首を動かす。
金は確保できた。あとは殺せばいい。簡明な結論が導かれる。誰も責めない。誰も非難しない。だって銀行強盗は悪だから。太陽は相変わらず完璧に輝いて、陽光が届いた存在をあまねく肯定していた。トカレフの銃身が光る。俺は肯定されていた。許されていた。あっけないほど軽い引金にふれている人さし指に力がかかる。まるで自分の指ではないかのようにこわばっていた。でも動かすことができた。さあ、殺そう。そして――「うんざりだ。クソほど馬鹿な方がマシだ」と越谷が言っていた。「ピーチクパーチクひよこみたいに右にならってんじゃねえよ。好きに生きて好きに死ね」と越谷が言っていた。「俺は越谷ばっ太郎様だぞ。世界がひれ伏せ。完璧なんて噓っぱちじゃねえか」と越谷が言っていた。なら俺は? 俺は何を言えるのだろう?
つつと汗が額から落ちる。銀行強盗たちに意識を向ける。二人の緊張が簡単にわかる。殺せばいい。そのとおりだ。
「で? それが俺にとってなんだっていうんだ?」
俺は引金をひいた。日常を穿つ発砲音が響く。太陽に向けて放った銃弾はどこにも届かなかった。それでよかった。
「やめよう」
静まり返る秦野と銀行強盗たちに俺は言ってやった。笑えてきた。自然と笑みが浮かぶ。実にすっきりとした気分だ。つきつけていたトカレフをおろし、秦野のそばまで向かう。
「銀行強盗もやめよう。銀行強盗狩りもやめよう。くだらない。クソだ。足りないものを奪ってみたって、本当はずっと足りないままだ」
何故か三人で顔を見合わせたあと、秦野が言う。
「やめるってお前、どうすんのよ」
「金はとりあえず銀行に返して謝ろう」
「それで許してもらえるかな……」
「なんとか気合で許してもらおう」
赤い目出し帽の疑問に対し、俺はトカレフを振ってみせた。気合だ、気合。
「許してもらったあとは?」
白い目出し帽の問いにはすぐ答えることができなかった。しばし黙考する。ひらめきとは偶然で、偶然とは因果で、因果とは己の意思による選択に他ならない。だから俺は選択する。思いついたままに言葉にする。現実にする。
「カバディだ、カバディをしよう」
こうして俺たちは万国銀行獣橋支店でお騒がせしてすみませんでしたと懇切丁寧に謝罪して無事に許してもらったあと、児童公園でカバディをすることにした。幸いにしてトメさんをはじめとした老人ホームズとクソガキファンタジーノのメンバーが何人か残って合同練習をしていた。彼らにカバディ指南をお願いしてみると快諾してくれたので、合同練習に参加する。ダダダさんはもういなかった。
いくつかの練習をしたあと、せっかくなのでレクリエーションとして練習試合をすることになる。
老人ホームズとクソガキファンタジーノのメンバーが卓越していることは言うまでもない。白目出し帽をかぶっていた鈴木はゴリマッチョを活かして何回か攻撃手をとめることに成功し、活躍した。秦野はキングペンギンなので身体能力こそ高くなかったが超頭脳検定特級の思考力による的確な指示で仲間を助けた。赤い目出し帽をかぶっていた寺田と俺は特段秀でたものがないため活躍できなかった。
それでもカバディをしていた全員に共通することが一つだけあった。それはカバディが楽しいということだった。練習試合が終わったあと、全員の顔にすがすがしい笑顔があった。
これで合同練習は終了となり、老人ホームズとクソガキファンタジーノは解散した。残った四人がこれからどうしようか的雰囲気になったところで、寺田が提案する。
「私、お腹減ったなー。なんか食べてかない?」
「なら寿司がいい、寿司。回らなければなお良し」
「そんな金あるのか?」
「銀行とか」
回らない寿司を希望する俺に、秦野が尋ねる。俺はそっと視線をそらした。
「ダメじゃねえか」
「回転寿司でも美味しいところありますよ」
寺田が思わぬ助け舟を出してくれる。
「ほんとかよ。なんか最近の回転寿司ってコスパ一辺倒って感じで、味が微妙ってかわざわざ行く価値ないとこ多くない?」
「北海道発のチェーン店とかだと値段はちょっと高めですけど、味はクオリティ高いですよ。ここらへんにある店だとどすこい丸かな。行ってみます?」
「よろしい、行こうじゃないか」
こうして俺達はどすこい丸西獣橋支店で寿司を食べる。寺田の言うとおり一皿あたりの値段はやや高いものの、ネタの美味さがそこらの回転寿司とは大違いだった。
俺はえんがわを食べ、タコを味わい、大トロを堪能した。通常一皿に二貫のところ一貫しか乗らない大トロは暴力的なまでに美味く、その美味さのあまり俺の脳髄はトロけてしまいそうだった。ぎりぎりセーフだった。
俺たちは寿司を食べながら色んなことを話した。
鈴木は老人ホームズのトメさんに筋が良いと褒められたらしい。本格的にカバディに挑戦してみたいと言った。カバディは世界で人気急上昇中の競技だ。それも一つの道だろう。秦野は体幹と幸福の関係性について難解な専門用語を用いて勝手に喋っていた。こいつはどうにでもなるだろう。寺田はめんどくさいから何もしたくないなーとぼやいていた。そうぼやきながらかんぱちをパクパク食べ、ついには焼肉もありですよねとか言い出した。俺は今度寺田と焼肉を食べに行くことになった。
そうして満足いくまで寿司を食ってから、俺たちは解散した。
結局回らない寿司は食えなかった。俺が回らない寿司を食べられる未来は訪れるのだろうか。もし答えが否であったとしても、俺は今に満足していた。俺たちはいつだって今を肯定し、未来を肯定できるよう生きるしかないのだ。そう、俺はお腹いっぱいだった。たとえ巨大隕石によって明日滅びるさだめであったとしても、きっと後悔しないだろう。
腹ごなしにのんびりと歩いて帰る。獣橋を渡っている最中、まだトカレフを所持していたことに気づいた。トカレフを手にする。夜空を見上げると頼りない三日月が浮かんでいた。
不完全に向かって発砲する。もちろん銃弾は三日月を穿たない。それでいい。弾切れになったトカレフを思い切り川に投げ捨てると、夜闇が揺れ、小気味よい水音が鳴った。
今日はとっても完璧な日 ささやか @sasayaka
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