「悪魔に売ったモノ」(第14回)

小椋夏己

悪魔に売ったモノ

「それじゃあおまえの娘を俺に売ってくれるんだな」

「ええ」


 その女は悪魔にそう答えた。


「おまえが大事にしているモノを売ってくれたら、おまえの望みを叶えてやろう」


 悪魔が女に持ちかけた取引だ。


 女には若い頃に産んだ娘が一人いた。

 父親のいない娘だ。

 その娘を産んだせいで自分の運命は変わってしまった。

 女はずっとそう思っていた。


 娘はかわいい。 

 だがどうしても考えてしまう。


「もしもあの子を産んでいなかったら、そうしたら私は……」


 そうして今、これからの人生を共にしたい男と知り合った。


「娘さえいなけりゃなあ」


 何度もそう言われている。


 それは、男が女との将来を渋るための言い訳に過ぎないのかも知れない。

 だが、それでも……


 そうして女は残酷な選択をした。


「ええ、子供はこれから先も産めるけど、私の幸せはこれが最後かも知れないの」


 女は母であることより女であることを選んだ。


「分かった」


 悪魔はほくそ笑むとどこかへ飛んでいった。


 翌朝、近所の川に女の娘が冷たくなって浮いていた。


 悪魔が契約を果たしたのだと女は思った。


 今更ながら背筋が寒くなり全身に震えがくる。


 自分はなんてことをしてしまったのだ。

 本当に娘が死んでしまうなんて。

 

 夕べは少し酒が入っていた。

 そして男と喧嘩をしていた。

 また同じことを言われた。


「娘さえいなけりゃな」


 それで、酔った勢いでついあんなことを言ってしまったのだ。


 自分を恐れる気持ちと同時に、ホッとした気持ちもあった。


 娘とは最近うまくいってなかった。

 中学に入った娘は、明らかに自分に反感を持つようになっていた。

 そして絶えずぶつかり、家に帰ってこないことも増えた。


 娘がどこでどうしているのか、気にならないことはなかったが、それよりは顔を合わさずに済むことにホッとしている自分を感じていた。


「だから、だから、あの子を悪魔に売ったから、私は幸せになれるのよね、そうよね」


 そのはずだ。

 そうでないと、憎みながらも愛していた娘を悪魔に差し出した甲斐がない。


 その夜、悪魔が女を訪れた。


「取引は成立したのよね? 私は幸せになれるのよね?」

「おっと、その前に俺の話を聞くんだな」

  

 悪魔は昨夜、自分がどこに行っていたかを話しだした。


 悪魔が尋ねたのは女の娘だった。

 そして女にしたのと同じ話を持ちかけた。


「おまえが大事にしているモノを売ってくれたら、おまえの望みを叶えてやろう」


 娘は少し考えて、


「私の母親を売るわ」

 

 娘は女と同じ選択をした。


 愛してるが憎い母親を悪魔に売り、自分が幸せになりたいとそう願った。


「それじゃあおまえの母親を俺に売ってくれるんだな?」

「ええ」


 娘の返事を聞き、悪魔が飛び立とうとしたその時、


「待って!」


 娘は悪魔を引き止めた。


「なんだ」

「やっぱりだめ、お母さんは売れない!」


 娘は悪魔に返事をした後の短い間に、母との思い出を思い出していた。


 自分が熱を出した時、寝ずに看病をしてくれたこと。

 貧しくとも誕生日には小さなケーキを買ってろうそくを立ててくれたこと。


「小さい時は幸せだったわ……」


 そうだった。

 母と子はつましくとも幸せな生活をしていたのだ。


 それが、母が夜の街で働くようになって変わっていった。

 生活のために派手な姿で夜の街に出た母は、母より女になっていった。

 そして、男に捨てられるたびに娘を殴るようになった。


「あんたさえ産まなけりゃ!」


 娘は母を恨んで恨んで、そして幸せと引き換えに母を売ってしまおうと思ったのだ。

 

 だが……


「やっぱりだめ、おかあさんは売れない」

「そうか。だけどもう契約は成立している。キャンセルにはそれに等しい物が必要だ、何かを捨ててもらわないとな」

「じゃあ私を」


 娘はそう言って、母を売るのをやめた代わりに自分を、自分の魂を捨てた。


「というわけでな、あんたとの取引は成立しなかった。あんたには何も売ってもらってないからな」

「娘を、娘を売ったじゃない!」

「違うな、娘は自分で自分を捨てたんだ」

「じゃあ、じゃあ」

「つまり、あんたの望みは叶わない」


 悪魔はニヤッといやらしい笑いを浮かべた。


「あんたは幸せにはなれない、ずっと不幸なままだ」

「そんな!」

「残念だったな、また売りたいモノができたら声をかけてくれ」


 そう言って悪魔は大笑いしながらどこかに飛んでいってしまった。


 女は狂った。

 狂って娘の後を追うようにして川に身を投げてしまった。


「ああ、愉快だ」


 悪魔はその様子を見ながら高笑いする。


「自分の望みを叶えるために自分の魂を捨てた娘、その娘を売り損なって自分の魂を捨てた女」


 夜空に悪魔の笑いが響きわたる。


「これだから悪魔という商売はやめられないのさ」


 そうして悪魔はまた他のモノを売ってくれる相手を探して飛び去っていった。

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「悪魔に売ったモノ」(第14回) 小椋夏己 @oguranatuki

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