2 国家の記念日

 街中にサイレンの音が響き渡る。道行く人々に合わせて、私もピルケースから取り出した思い出を飲み込む。

 街頭スクリーンに映し出された首相が、記念日に宣誓をする。

『8月15日、私たち国民は決してこの日を忘れてはなりません。過ちを繰り返さないためにも、記憶を色褪せさせてはなりません。戦争の悲惨さ、大量破壊兵器の恐ろしさ。私たち国民が身をもって覚えています。わが国民はこの記憶を未来永劫引き継ぎ、恒久的な平和を維持するために、あの苦しみを決して忘れることはないのです』

 戦争の惨禍を嘆いて、平和への願いと意気込みを神妙な面持ちで口にする。そして、首相の音頭に合わせて、記念碑での式典に集った人々が思い出を飲み込む。

『黙祷』

 鈴を模した音がスピーカーから国中に響き渡る。

 猛暑の真っ只中、私たちはあの戦争を、この身をもって克明に思い出す。


 私は若い体で迎えた、あの数年間に立ち戻っていた。肌を這う蛭のごとき熱気と、腐ったスコールの襲う山中の思い出だ。

 ラングーンで船をおり、昼は汽車、夜は行軍を繰り返した。汽車といっても燃料は薪で、無蓋車だったので火の粉が降りかかっていた。ビルマは夜でも蒸し暑く、ひどい下痢に悩まされ、目的地に着く前にマラリヤにかかる者もいた。一週間ほどでラシオにつき、数日足を休めたかと思えば、前線から敵が近いとの報で夜間行軍での移動を再開する。

 応召から実感のないまま、移動に次ぐ移動。私は足を棒にしたが、苦痛を感じぬよう石にでもなったように過ごした。昨年二月に国を発って、八月にようやく訓練所へ入った。このころには私の肌は垢と土汚れが湿気で固まり、粘土質の不出来な人形のようになっていた。

 担架隊として救護と戦闘の訓練を受け、私も含めた初年兵たちは九月には輜重隊として配属され、私は謄越へ向かった。そこからの数か月はかなり曖昧だ。砲声鳴り響く怒江を通り抜け、硝煙と熱病と血とスコールとの入り混じった明滅の日々。命令に従って謄越、バーモ、龍陵のあたりを駆けずり回っていたのだとおぼろげに記憶している。

 とうとう私も酷い下痢と熱に侵され、夜もうなされ続けるようになり、龍陵の連絡所に残ることになる。ビルマで迎える二度目の夏のことだ。しかし、戦線は押され拉孟、謄越の部隊が玉砕し、龍陵はすぐさま敵部隊に包囲されることになる。命令は死守。連絡所に残っていたものは十名にも満たず、爆撃と砲弾が降る。

 私は朦朧とする頭で、どことも知れぬ虚空へと狙いをつけ、引き金を引いた。ただ訓練でせよと言われた通りの行動を、熱に浮かされたまま繰り返した。爆撃は鼓膜を突き刺し、昼夜を問わずスコールが降り続いていた。とうとう連絡所に砲弾が直撃し、私の頬に破片がめり込んだ。焼けた鉄が体の芯に押し続けられる痛みに、すれっからしたはずの涙をぼろぼろとこぼした。

 私はそろそろか、そろそろか、と何度も覚悟した。同時に帰りたい、帰りたいと奥歯のなかで唱え続けていた。

 ようやく放棄の命令が下り、芒市へ逃げ延び、中隊と合流したのもつかの間。食事も満足にできないほど腫れあがった顔のまま前線へ送り込まれる。私は銃を抱き構えて、片手間に何度も残りの弾数を数え直した。三十五発、弾倉には三十五発。それでおしまいだ。銃声の唸る森のなかを、腰をかがめて駆け抜ける。自分を一匹の鼠のように感じながら、地べたを低く低く駆けた。

 途中、年長のK軍曹が私を先に行かせようと順番を変わった。いくらも行かないうちにK軍曹の頭を弾丸が撃ち抜いた。脳漿をぶちまけ、横倒しになった恩人の体に、私は目もくれず一目散に逃げだした。この頃には同年、同じ隊に配属された戦友たちは、もう半分ほどになっていただろうか。

 その後しばらくしてやっと顔から弾を取り出すことが出来た。傷口は膿、発熱と疲労ですっかり参っていた。苦悶のうちに移動を繰り返していたある朝、私たちは突然、8月15日を迎えていた。


 気が付くとそこは街中の広場だった。私は頬を抑え、背中からは汗が滴り落ちていた。私は自分を思い出す。朝に自分から乱してしまった髪を整えるために、美容院へと行く途中だったのだ。夜までには一年目と同じ髪型に戻しておこうと、諦め半分に決めたのだと思い出した。

 今しがた思い出したビルマの思い出。それは祖父から譲り受けたものだった。

 親族に帰還兵のいるものは、申請さえすれば記念日に思い出す記憶を、親族のものに変更することができる。戦争の記憶は遺産であり、私にはそれを相続する権利があった。私は爆弾に皮膚を焼かれたり、戦後何年間も終戦を知らず熱帯で暮らすような記憶を思い出すのは嫌だったので、せめて親類である祖父の記憶ならば、と受け取ることにした。彼なんかはより過酷な記憶を選びたがり、国の記念日には高揚した口調で、平和について語ることもある。

 この平和の記念日が、私との結婚記念日でもあるというのに。

 あの日のプロポーズが、戦争の記憶を思い出して興奮したことがきっかけであったと知るのは、結婚して数年経ってからだった。私自身も相当に鈍かったのだと、そのときばかりは大いに後悔した。

 これも後々になって判明したことだが、祖父の記憶は国記院(国立記憶蔵録院)の編集を受けていた。遺品整理で見つけた復員日記と照らし合わせると、戦友との再会や連絡所での上官とのやり取りなど、歯抜けとなっている部分が多い。戦闘や苦難の記憶に焦点をあてられているようであった。

『私たちは痛みを忘れない、戦争を忘れない、苦しみと屈辱を決して忘れないだろう。いつまでも覚えている。そして、我が国の恒久的な平和を脅かすものがあれば、どのような手段をもってしても抗い平和を維持することを、ここに宣言いたします』

 首相は思い出した痛みに体をよじりながら、カメラの前で宣言した。

 式典に参列した、あるいは街頭のスクリーンを見上げた多くの支持者たちが歓声と拍手を送った。ごく一部の人間達だけの異様な熱狂だ。私たちはそれを冷めた目で見つめ、石のように固くなっている。この嫌な熱は、祖父が体験し、私が思い出した、ビルマの夏によく似ていた。

 私は熱気に呑まれ、近くのカフェへと避難する。よく冷えたドリンクを注文すると、蓋を開けて一気に喉へと流し込んだ。

 人心地ついて、ふと街を見回す。そういえば、この街並みもすっかり変わってしまったな、と。

 カフェのチェーンや商業ビル、大手企業。あちらこちらに見えるのは某国の外資系ばかり。某国はずいぶんと羽振りがいいらしく、我が国はここ数十年、なだらかに、しかし確実に下り坂を転げ落ちている。おそらく外資系の企業はまだまだ入ってくるかもしれない。国内の産業よりもはるかに強い競争力を持って。

 私たちは覚えている。しかし、あの頃とはなにもかもが違っている。

 私たちもすっかり変わってしまった。

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