1話-伊勢うどんに想いを込めて-Ω

 また、私の中は有り得ない葛藤でもやもやしてきた。こいつが吹き上がると、なかなか厄介で。

「紗冥ちゃん、食べないの?」

 夕飯のコロッケを切ったところで、箸を置いた。紅葉が見つけて来た精肉屋の大豆コロッケは確かに美味しいし、アツアツを食べて欲しくて息せき切って帰って来た紅葉も分かっている。

「美味しいのになぁ」とひょいっと皿を持ち上げたので、箸を取って、ひとつだけ避けた。もぐ……とコロッケを口に転がしながら、私はちらりと紅葉を見る。


「あんたと暮らし始めて、どのくらいだっけ」

「三か月。恋愛で言えばそろそろ別れ時?」


 ぴき、と私は割りばしを握った。

 別れ時なんて嘘でも言って欲しくはない。しかし、今の私達は夫婦ではない。でも、紅葉とは変わらず一緒にいて、こうやって伊勢で暮らしている。私は以前もササクレだったことがあった。

 あの時、どうやって沈めたんだっけ……と思い返して、思わず頬を熱くした。


 紅葉が、身体を張って止めたんだった!

 そして、途中で熊野が入って来て、私達はいわゆる


「いちゃいちゃでもしたいの?」


 ぶっとお味噌汁を噴き出した。どちらも和式が好きなので、内は畳にちゃぶ台である。寝る時はちゃぶ台を寄せて布団を敷くし、ドアは引き戸。大昔、誰かが住んでいた空き家を借りているのだ。

 その代わり、お日様はよく当たるし、今だって二人の洗濯ものが夜風に揺れているだろう。伊勢の大通りに近いので、買い物も神宮行も不便はない。

 ここからだと、内宮のほうが近いんだけど。


「紅葉、まさか、憶え……」

「伊勢で旅行して、仲居に邪魔されたことなら、根に持っているよ?」


 仲居……そうか、記憶の改変……。

 私は興味を持って聞いてみた。


「ねえ、江ノ島に旅行行ったの憶えてる?」

「覚えてるよ。紗冥ちゃん溺れた私を助けてくれたの」

「あたしと喧嘩したことは?呪符で……」

「わたしの舞を見ないから怒って先生に怒られたこと?」

「伊勢で……いい感じになったと思うんだけど」

「あーーー!あの仲居が来なければね。思う存分紗冥ちゃんを抱けたのに」


 ――おい待て。

 私は思わず噴き出した味噌汁を拭く紅葉を止めた。


「あんた今、何て言った?」

「思う存分紗冥ちゃんを抱けたのに?」


 しれっとさらっと言って、紅葉は手を止めた。


「理由なんか知らないよ。でも、心の奥が温かくなるんだ。言霊? ああ、今日も紗冥ちゃんを抱くんだって思って寝るとね、どこかが救われるのよ」


 ――言霊……


「やり方なんか知らないけど、そう思うと、今もほら」


 相変わらずの積極性で、紅葉は私の手をぼふっと自分のそこそこ大きい胸に乗せて見せた。


「少し、膨らむからね。そうするとどこかに気持ちが還って行くんだ。もしかすると」


 紅葉は思いついたように両手を打った。


「前世、夫婦だったりしてね! ありえそうじゃない? 紗冥? なんで泣くの?」

「いや……あんた、変わらないなって」


 そして、私も。

 天命があろうと、過ぎようと、変わらないものがあるんだ。


「魂が生まれた時から、私が好きって感じ」

「そんなの、知ってるよ。たぶん、遠い、どこかで」


 岩室で泣き叫んだ霧生紅葉を戸隠紗冥として受け止めた。

 その時に伊邪那岐の魂も、伊邪那美の魂も消えて、私達に転生したのかも知れない。


「どこがでだね」


 二度と戻ることはないだろう。あの、岩室も遠く消えて行った。


「そ、どこかで」


 ぱっと笑った顔に、過去がダブる。「そんなの、紅葉に聞け」と言ってくれた伊勢宮、「あんた変わらないわね」と笑った熊野、「そんなんどーでもええやんか」と背中を押す柚季や兄貴様が浮かんでは消えた。

「うん、ありがとう。そうだったらいいな」

「ん」



 いつかのように、紅葉を抱きしめて目を閉じた。


(私が憶えている限り、こうやって葛藤を零すだろう。いつか、紅葉は思い出すかも知れない。それでも、私は天命を起こさせないよう、でも、記憶を捨てないように紅葉と、その有限の時間を護って行こうと思う――)

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IZANAI神道特別区―鬼無里に咲くさくらともみじ― 天秤アリエス @Drimica

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