天の川




 七夕竹の傍らで寝転んでいた彦次郎は徐に立ち上がった。

 たそがれ時。

 ほのかに輝く花びらの光がひまわりから離れては球体となって、やおら七夕竹へと集まり始めた。

 始まったぞ。

 湖の縁に集まっていた人々の声がここまで聞こえてきた。


「今年もよろしくな」


 七夕竹に挨拶をした彦次郎は、身体を横に一回転させながら人々に大きく手を振り、元の位置に身体の向きが定まった処で、勢いよく顔を、腕を上げて、弓を引く構えを取った。

 人々の秒読みが始まる。

 本当に祭り好きだなあと満面の笑みを浮かべつつ、その刻を待つ。

 ひまわりの光が全部七夕竹に集まる瞬間を。


 人々の秒読みが七になった。

 彦次郎は心中で一緒に数え始めた。

 六、五、四、三、二、一。

 たなばたーと誰もが、彦次郎までもが声を張り上げた瞬間。


 彦次郎が実体のない弓を引いて同じく実体のない矢を放つと、その矢に引っ張られるように刹那の間、竹が浮き上がったかと思えば元の位置に治まり、短冊が空へと一斉に矢の如く一直線に飛来していった。


 だんだん、だんだんと、人々の歓声が大きくなっていき。

 そうして最骨頂に達したのは。

 短冊の色が時に朧気に、時に鮮烈に、広く緩やかにゆらめきながら輝く天の川が現出した瞬間だった。


「よしじゃあ俺も里帰りと行きますか」


 人々の笑顔を焼き付けて、彦次郎もまた矢の如く空へと飛来していった。










「ただーいまー。父上、母上。ごめんなー。久々の逢瀬を邪魔して」

「何言ってんのもう。あの人よりあなたに会いたかったからそんな事言わないでいいの」


 天の川のほとりの実家にて。

 母親である織姫に優しく迎えられた彦次郎はありがとうと礼を述べては、きょろきょろと見回した。


「父上は?」

「ああ。あの人。まったく。息子の好物を用意するのは当然なのに。俺のは俺のはって煩いし。用意してないって言ったら飛び出しちゃうし。もうしょうがないんだから」


 怒っているようにも、心底呆れているようにも見えるが、その実、喜んでいるのが丸わかりの織姫を見た彦次郎は、迎えに行ってくると実家を飛び出した。

 行き先は分かっている。

 天の川で釣りができる唯一の場所だ。


「父上。帰ろうか」


 釣りをする父親である彦星の後姿は、とてつもなく哀愁が漂っていた。

 否。後姿だけではない。振り返ってみせてくれた顔も同じく影を負っていた。


「おう、彦次郎。お帰り。ちょっと待ってろ。おまえの好物の天の川鰻を釣るからな」

「もう用意してあったけど」

「いくら用意してたっていいもんだ。好物なんだから。それに余ったら持って帰ってお裾分けすればいいだろう」

「母上が首を長くして待っているけど」

「………」

「一年に一回しか会えないんだから、俺、母上と父上と一緒に居たいんだけどなー」

「しょ。しょうがないな、もう。彦次郎はいくつになっても甘えん坊なんだからなあ」


 がっはっはと豪快に笑っては、釣り道具を抱えて大股で実家へ向かう彦星を見て、走ればいいのにと思ったけれど、彦次郎は何も言わずに横に並び大股で家へと帰った。


 彦次郎の好物も、彦星の好物も、織姫の好物も並ぶ夕食を取りながら、和気藹々とこの一年どう過ごしていたかをそれぞれが話す中。

 彦次郎はふと、溢しそうになった言葉を好物のスイカ炒飯と一緒に飲み込んだ。


 いくつになっても熱々ですね。

 なんて言ってしまえば、織姫も彦星も顔を真っ赤っかにして、二人だけの世界を創り出すのは目に見えているので。

 遅れて来て、早めに帰るのだ。

 もう少し三人の生活を味わわせてほしい。

 なんて考えるのはやはり、甘えん坊だからだろうか。


(あーあ、俺も早く見つけたいなあ)


 けれどその願いはまだ叶えられそうになかった。











(2022.7.7)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短冊を篝火に天の川は旅して 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ