最終話
その日が、私と彼女の最初で最後の夜になった。リクさんは店のホームページから姿を消した。問い合わせてみると、退職したとのことだった。
『聖子さんも、気をつけてくださいね。うっかり僕に惚れないように』
彼女の声がこだまする。そんなこと分かっていた。だけど、あんな優しい抱かれ方をされてしまったら惚れないわけがない。
いや、違う。恐らく、最初に予約をしてしまった時から既に惹かれていた。きっと、一目惚れだった。
きっと彼女もそれに気付いていた。だから去ったのだろうか? その疑問に答えてくれる人はもう居ない。
しかし、それから数ヶ月後のこと、街を歩いていると、脳裏に焼き付いて離れないあの香りが鼻をくすぐった。思わず振り返ると、彼女によく似た後ろ姿を見つけた。「リクさん!」と名前を呼んでしまうと、彼女によく似た後ろ姿の人物はぴたりと立ち止まった。彼女に近づくと、彼女の代わりに隣の男性が振り返る。目が合うと、男性は自分より少し背の高い彼女を自分の背に隠すようにして、私を睨みながら言った。「姉の知り合いですか?」と。その鋭い視線に気圧され、冷静になる。彼女は風俗嬢で、私は客だ。彼女もきっと、そんな関係を弟に知られたくはないだろう。
「……いえ……人違いです。すみません」
頭を下げると、男性は彼女の手を引いて早足で去って行く。彼女は振り返ることなく遠ざかっていく。
『夢のような時間を提供するのが僕らの仕事です。ですが、あくまでも、夢は夢。どうか、現実と混同なさらぬよう』
彼女の言葉が蘇る。それと同時に、どこかの誰かが『人の夢と書いて儚いと読む』と言っていたことを思い出す。まさにその通りだなと、遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見ながらそう思った。
幻のように消えてゆくその姿を追いかけることなど出来ず、私はただただ、その場に呆然と立ち尽くしていた。あの幻が見えなくなったらちゃんと、現実に戻るから。そう、なんども自分に言い聞かせた。
夢、幻。 三郎 @sabu_saburou
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