第5話

 あれから約一ヶ月後。待ち合わせ場所に行くと、彼女は前回同様、タバコを吸いながら立っていた。私に気付くと、宣材写真と同じ微笑みを携えて手を振る。


「お久しぶりです」


「ひ、久しぶり。私のこと、覚えてます?」


「もちろん覚えてますよ。聖子さん。お久しぶりです」


 代金を支払う。時間は同じだが、金額は前回の約二倍。


「はい。ちょうどいただきました。では、ホテルに行きましょうか」


「は、はい」


 差し伸べられた彼女の手を取る。改めて見ると指が長い。そして、爪が短い。ちゃんと手入れされている。

 リクさんはタチだと、プロフィールに書いてあった。タチというのは業界用語で、攻める側のことらしい。

 私は今から、彼女に抱かれる。そう思うと、緊張で上手く話せなくなる。そんな私を、彼女は「可愛い」と茶化すように笑った。


 ホテルに入ると、彼女は緊張で動けなくなった私の代わりに慣れた手つきで受付を済ませて鍵をもらってきた。


「聖子さん。お待たせ」


 合流したところで、どこからか『あれって女同士じゃない?』という声が聞こえてきた。思わず身を固くしてしまうと、彼女は「ちょっと預けますね」と言って、私の顔を隠すように、自分の被っていたキャップを私の頭に深めに被せた。そして声が聞こえたカップルの方に向かって歩いて行く。男性を一瞥してから、女性の方に何かを囁いて戻ってきた。女性は顔を真っ赤にして固まってしまい、男性も唖然としている。


「さ、行きましょうか」


「何言ったんですか」


 問うと彼女は爽やかな笑顔でこう答えた。


「ご興味がおありのようでしたので、お店の連絡先をお渡ししてきました」


 強かすぎて笑ってしまう。


「……これくらい強かじゃないと、生きていけませんからねー」


 そう言う彼女は笑っていたが、目は笑っていないように見えた。あまり笑ってはいけない雰囲気を感じ取り、黙る。

 部屋に入ると、彼女はお礼を言って私に預けたキャップを回収し、テーブルの上に置いた。

 彼女は言っていた。女の子が好きだと。今みたいに何気ない一言にたくさん傷付けられてきたのかもしれないと同情するが、気の利いた言葉なんて一言も出てこない。気まずい空気の中、彼女は私を抱き寄せ囁く。「シャワーの前に、ちょっと緊張ほぐしましょうか」と。前回同様、タバコ臭さに爽やかさと甘さが加わった官能的な香りに包まれる。

 彼女の手が頬に触れる。その手は流れるように顎へ。そのまま持ち上げられ、目が合う。

 彼女の指が、私の唇をなぞる。思わず目を閉じてしまうと、唇から指が離れ、代わりに耳に柔らかいものが触れ、ちゅっとリップ音が響いた。驚き、目を開けると彼女は「キスされると思ったでしょ。残念でした」と揶揄うように笑った。そしてもう一度顔を近づけ、耳元で囁く。「キスは歯磨きするまでお預けです」と。


「ふふ。さ、まずは歯磨きしに行きましょう」


 問答無用で洗面所へ連れていかれ、歯ブラシと歯磨き粉を渡される。歯磨きとうがいを終えると彼女は「よく出来ました」と笑って、流れるように唇を奪った。驚いている隙にもう一度。ばっちり目があってしまい、慌てて閉じる。すると彼女は「んふふ。可愛い」とおかしそうに笑い、一旦離してくれた。かと思えば、目を開けると「まだするから。閉じてて」と囁き、もう一度キスをする。

 ちゅ、ちゅ、ちゅっと音を立てて繰り返されるたびに、心拍数が上がっていく。

 キスって、こんなに気持ちいい行為だっけ。気付けば彼女が女性だということや、自分が異性愛者だということなんてすっかり忘れて、もっともっととねだってしまう。すると彼女は「男が好きとか言ってたくせに」と煽るように笑い、囁く。


「じゃあ次は、シャワー浴びに行きましょうか」


 脱衣所で、彼女はなんの躊躇いもなく服を脱いだ。同じ女性とは思えない引き締まった身体に見惚れてしまっていると、彼女の手が私の服にかけられる。


「脱がしまーす」


「え、ちょ、ま、待って」


「待ちませーん」


 楽しそうにくすくす笑いながら、彼女は囁く「早くしないと、えっちする時間なくなっちゃいますよ」と。そういえば一時間コースだったとハッとする。


「さ、脱いで脱いで」


 渋々脱ぎ、一緒にシャワー浴びる。そこで散々弄ばれた後に、ベッドへ。

 男性経験はそれなりにあるが、女性経験は初めてだった。女性同士の行為なんて、男性との行為に比べたら大したことないと思っていた。しかし、逆だった。今まで経験したことのないほどの快楽に見事に飲まれていった。




 息を切らしてぐったりする私に、彼女は囁く。「そろそろお時間ですけど、どうされます? 延長なさいます?」と。


「も、もう……充分です……」


「ふふ。女同士も悪くないでしょ」


「……はい」


「あははっ。絶対ハマると思った。だから忠告してあげたのにー」


 彼女はそう笑いながら私を立たせて浴室へ。最後にもう一度シャワーを浴びて、服を着替える。彼女は着替えながら、私の方を見ないまま独り言のようにこう言った。


「自分は異性愛者だから同性に恋をするわけがない。そう思っていても、人の心なんて簡単に変わるものですよ」


「……リクさんも、元々異性愛者だったんですか?」


「……いいえ。僕は同性愛者ですよ。今までも……これからも。ただ……」


「……ただ?」


「……そろそろ、現実に戻るお時間です。戻れなくなる前に、参りましょうか」


 前回同様芝居がかった口調で言い、宣材写真と同じ微笑みを携えて私に手を差し伸べる。聞きたいことは色々あった。だけどそれは、リクではない本当の彼女に関わることであり、客の分際で踏み込んで良い領域ではない。

 彼女の手を取り、ホテルを出る。


「今日はありがとうございました。……楽しかった」


「こちらこそ、ありがとうございました。……それじゃ、お元気で」


「はい。……また、指名します」


「……はい。お疲れ様でした」


 彼女と別れて、電車に乗ろうとしてから気付いた。『またのご利用をお待ちしています』と言われなかったことに。そもそも今回は、次回に関する話は一度もされなかった。

 気になって戻るが、もう彼女はどこにも居なかった。

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