そして始まる共犯ライフ

 とりあえず互いに落ち着いた俺達は、姫宮ひめみや? には下を履いてもらってから席についた。


「…………」

「…………」


 とはいっても続くのは無言。どんくらい経ったかは知らないが、体感で言えば五分は優に過ぎている気がする。

 僅かに聞こえる外の声以外は何もない、初対面でも中々起こせない沈黙の間。……さて、ここから何を話せば良いのか。


「あのさ……」「あ、あの……」


「………………」


 意を決して会話を切り出そうと思えば、タイミングはこの上なく最悪で。

 重なる声は刹那の間に途絶え、代わりに再度、虚しいだけの静寂が場を支配してしまう。

 重い、重たすぎるぞこの状況。見ろ、暫定姫宮ひめみやもきょろきょろしだしたじゃないか。

 ……仕方ない。仮にも歳上なんだし、ここは俺が切り出してやるとしますかね。


「あー、じゃあ俺から」

「う、うん」

「まずお前は姫宮ひめみや……姫宮侑ひめみやゆうで合ってるんだよな?」

「……はい、姫宮侑ひめみやゆうです」


 最初にして最大の質問に対し、桃色髪の友人はこくんと小さく頷きを見せる。

 どうやら本物らしい。……いやまあそれがわかったところで、余計に意味不になるだけなのだが。


「……女装、もしかしてコスプレ趣味か?」

「どっちかっていうと男装かな。あははっ」


 思いついていた可能性を挙げてみれば、姫宮ひめみやの答えは想像とは違うもの。

 男装? こいつ何を言っているんだ?

 今の姫宮ひめみやの格好はスカートを履いた制服姿。正直これを見た奴のほとんどは、目の前のこいつを男だと思わないと断言できるくらい女子らしい格好だ。

 それなのに、女にではなく男に扮すのが正しいとこいつは言う。……どういうこと?


「え、もしかして気付いてない?」

「何が? ──っておい、えっ」

「つまりこういうこと。君ならこれで分かるよね?」


 姫宮ひめみやは勢いよく立ち上がり、俺のすぐ隣まで寄り左手を掴んでくる。

 持ち上がる手は彼の体に一直線。そしてある部分──胸に強く置かれてしまう。

 生憎こちとら男色の趣味などない。らしくない悪ふざけに戸惑いながら、すぐに姫宮ひめみやの手を振り解こうとした。


 ──だが、それよりも早く感じてしまったのは不思議な感触だ。

 

 それは筋肉というにはあまりに柔らかく、それでいて確かな弾みを感じさせる。

 例えるならば崩れない豆腐、或いは皿に置かれたプリンか。

 極めつけは姫宮ひめみやだ。まるで逃がすものかと宣誓するよう、がっしりと俺の手を押しつけ艶めかしい吐息を出してくる。


 ……まさか、いや落ち着け、落ち着け俺。

 そんなわけがない。そんな妄想フィクションみたいな馬鹿げた話があってたまるか。

 抱いてしまった推測を、脳裏に過ぎった可能性を必死に否定する。

 これはパッドかなにかのはず。コスプレ用かは知らないが、見栄えを良くするための偽物のはずなのだ。


 だってそうだろ。いくらこんなお花畑みたいな世界でも、さすがにそんなわけが──。

 


「僕、実は女なんだ。えへへっ、言っちゃった」



 まるで少女が恥じらいを見せるかのよう──実際少女だから間違いはないのだが──に、今全力で否定していた推測を姫宮ひめみやは口にしてきた。


「驚いた? どう? 驚いた?」

「あ、ああ。めっちゃ驚いた……」


 胸に置かれた俺の手を放し、くるりとその場を周る姫宮ひめみや

 スカートが翻って下着が見えちゃうんだけど。やだこの娘、実は下着と同じでドピンクなの?


 しかしそら驚くよ。何なら開いた口が塞がらないし、脳みそめちゃくちゃパニクってるわ。

 女。女ってあれだろ、男とは違うもう一つの性別のことだろ? 俺知ってるぞ?

 ……そろそろ真面目に考えよう。降りかかってきた事実は、ふざけていられるほど些細なことじゃないのだから。


「……まじで女なの? 冗談でもなく?」

「くどいよ。もう一回胸触ってみる?」

「いい、まじで結構。はしたないから止めなさい」


 襟を少し触りながら提案してくる姫宮ひめみやを全力で拒否すれば、彼女はくすくすと、小さな笑みを作りながら席へ座り直す。

 

 机越しに見える姫宮ひめみやは、先ほどと同じはずなのに別人に見えてしまう。

 性別を知ったからか、或いはそれが本性なのか。

 いずれにせよ、今の姫宮ひめみやは中性的というにはほど遠く、雰囲気から女性に傾いてしまっているように感じてしまった。


「……まじで女なんだな。でもなんで偽ってんだよ」

「うーん。一言で言えば家庭の事情、というより個人の事情かな」

「個人?」

「まあとりあえず、辛い過去やら雁字搦めのしがらみとかじゃないから安心してよ」

 

 そう言われたとて、果たして俺はなにを安心すれば良いのか。

 極めて明るい声色。それでいて随分とふんわりとした答えが、この上なく嫌な予感を匂いまくっている。

 こういうときに出てくるのは大概面倒事でしかなく、主人公適正皆無の俺が巻き込まれるにはちと荷が重すぎるものばかり。というか普通なら起きる前に対応されるようなことだ。

 

 まあとはいえ、残念ながらこの世界ならあり得ないとは言い切れない。

 前世とは違い、へんてこ設定のエロゲみたいな頓珍漢なものだって存在してしまっている。例えを挙げるとするなら、五年前に起きたよその国の王族とこの国の一般市民の電撃結婚なんかそれだ。

 

 ……しかしどうして、何で俺がそんな奇怪な場に巡り会っているのか。

 そういうのって得てして美男美少女に起きるもんだろうが。凡人を巻き込んでんじゃねえよ。

 

「で、秘密を知ってしまった君はどうしたい? バラす? それとも脅す?」

「──ああ?」

「嗚呼、僕はどうなってしまうんだろう。もしも君が望めば、それこそどんなことでもしなきゃいけない立場にあるわけだしね」


 姫宮ひめみやは手で頬を触れながら、実に恍惚とした表情を浮かべている。

 一応優位は俺で危機なのは彼女のはず。なのになんでだろう、姫宮ひめみやは立場を理解しながらも、明らかに恐怖より愉悦に塗れて仕方ないって面なんだが。

 

 清廉潔白な友人のイメージが、がらがらと崩れていくのを感じながら、どうすべきか考える。

 さて、今の自分に冷静な判断が出来るのだろうか。とても自慢にならないが、こんなとんでも場面に出くわすのは二生やっても初めてだ。

 

 目の前には美少年だと思っていた美少女。彼の正体は彼女で、その秘密を知るのが恐らく俺一人。

 さて、俺が取れる選択は二つ。危険を冒して弱みを握るか、または見なかったことにするかだ。

 ……うん、決まっている。俺が取るべき行動なんて、それこそたった一つだけだ。


「みな──」

「さて、悩む成実せいじに第三の選択を提案してあげよう」

「聞けよおい」


 見なかったことにする、そう言い切る前に姫宮ひめみやは手を叩いて言葉を遮ってくる。

 え、言わせてよ。今日をなかったことにする、互いにそれで終わりでいいじゃんかよー。


「僕に協力して、この男装生活を助けてくれないかい?」

「──はい?」


 あっけらかんと挙げられた提案に、思わず大きな声を上げてしまう。

 協力? 続行? 一体何言ってくれちゃってんのこのは。


「性別についてはいずれバラすつもりだったんだ。いくら手違いだったとはいえ、こんなのどう考えたって訂正されるに決まってるからね」

「……手違い?」

「ただ、せっかくだし楽しむのも一興。こんな貴重な体験を、たった一月で終わらせるなんてもったいないじゃないか!」


 こっちを置き去りにして、段々とヒートアップしていく姫宮ひめみや

 こんなに盛り上がっている姫宮ひめみやを見るのは二回目か。こいつ基本的に大らかで優しい美少年やってたし、見たことある人あんまりいないんじゃないかな。


「どうかな? もちろん君に損はさせない。僕に出来る事ならなんでもするからさ!」


 ──ん? 今何でもするって? ……くだらなっ。


 両手を合わせ全力で頼み込んでくる姫宮ひめみやに、俺は改めて頭を働かせる。

 まず倫理観に基づくのであれば、俺が取るべき行動は教師にちくることのが正解か。

 まだ入学して一ヶ月。こいつの言動的に恐らく学校側だろうし、発覚したところでそこまで大事にはならないはず。

 というかそもそも問題になるのか? 前世ならなるだろうが、この世界だとちろっと対応して終わりそうな気がするんだけど。


「どう、かな……?」

「うーん」


 もう少し待つように言いながら、再度姫宮ひめみやに目を向ける。

 男の前だって言うのに無防備な姿で頭を下げる一人の少女。だが言動はともかく、その態度には一切の不真面目さも感じられない。──つまり、本気で俺に頼み込んでいるということ。

 偽りがあろうと友人に変わりはない。だからどんな事情があろうとも、その真剣さを否定してしまうのはどうなんだろうか。


 ……まあどうでもいい。どんな理由を出されても、もとより答えは決めている。


 俺達はまだ学生なんだ。犯罪を起こしたわけじゃないし、そこまで大事にならないはずだ。

 ならばここは学生らしく、秩序より友情を優先してもいいはず。

 どうせ失敗しようとも、所詮は二度目の人生。平穏から遠ざかる愚行だが、数少ない友人のために力を貸すのも悪くないだろう。


 ──よし、開き直りおっけい。覚悟も出来たし、一緒に非行に走ろうじゃないか。

 

「……毎月一回、俺にドリンク奢れ。それで黙っててやる」

「──え、いいの!?」

「ああ。姫宮ひめみやの……友達の頼みだしな」


 条件なしだと裏があるとか思われそうだしなるべく軽い条件で了承を示すと、姫宮ひめみやはばっと立ち上がりこちらに駆け寄ってきた。


「ありがとう! いやーけい……運良くバレたのが君で良かったよー!」


 満開の花を思わせる笑顔で俺の手を握り、ぶんぶんと振りまくる姫宮ひめみや

 彼女の端麗さに見惚れかけてしまうが、激しい手の動きに現実へ引き戻される。

 流石に辛いので放すように言うと、少し残念そうに目を細めながら、握られていた手は速度を落として解放された。


「いやー元々一人には協力してもらうつもりだったんだよね! 昨日といい、目撃者が君で本当に良かったよー!」

「あっそう……。ん? 昨日?」

「お店で会ったじゃん? あれ、姉でも妹でもなく僕だったんだよ」


 ……まじか、あれ本人だったのかよ。わざわざ丁寧な対応した意味皆無じゃん。

 

「……はあっ、もう疲れたよ。今日は」

「そう? まあ僕はまだまだ話し足りないけど、今日はこの辺で解散にしよっか」


 情報量の多さに音を上げると、姫宮ひめみやもすんと落ち着いて手を差し出してくる。

 夕日に浴びる姫宮ひめみやは、一枚の絵画と錯覚するほどの美。

 そんな惚れ惚れする美しい友人に大きくため息を吐きながら、彼女の手を掴んで立ち上がる。


「じゃあ成実せいじ、これから末永くよろしくね?」

「まあよろしく。……末までは勘弁だけどな」

「あっははー、じゃあ帰ろっか!」


 姫宮ひめみやは俺の腕を抱きよせ、遅めの歩ながらも進み始める。

 腕から伝わる柔らかな感触と、踊り出しそうなくらい笑顔でこちらを見る友人。……なんかとんでもないことに巻き込まれたが、今日はもう考えるのも面倒だ。

 

 とりあえずは友人が笑顔だし、今はこれでいいだろう。

 明日からのことなど思考から放り捨てながら、彼女の隣を付いて廊下を歩いていった。

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