第3話
花の迷宮を抜けたミモザと俺を待っていたのは『ミモザの恋』で悪辣と謳われた悪役令嬢のアカシアだった。
アカシアは俺から視線をミモザに動かすと繋いだ手を優しく引いて立たせ、ゆっくり上から下に視線を動かしてふっと息をついた。
「すてきなお洋服が汚れていますね」
「あ、あ、ごめんなさい!私そんなつもりじゃなくて…!」
「大丈夫、それよりお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「わ、私はミモザ、です」
「ミモザさん、貴女に怪我がなくてよかった」
歌劇を観ているような気分だ。
愛らしい娘役と凛々しい男役。
なにも知らなければ二人の世界だ。最後まで息を殺して眺めていたいところだが二人は
相容れないはずの二人が初対面だというのに恋人同士のような距離で語り合っている。
「この汚れ、ワインですわね」
どれだけ早くてもパーティ中に汚れが取れないことを確認するかのように原因を口にするアカシアは「仕方がない」と薄く笑みを浮かべ姿勢を正す。
「行きましょうか」
ミモザの手を引き連れ歩き出した。
「何をしてるんです、貴方も一緒に来るんですよ」
二人をぼうっと観客のように見ていたら少し怒ったようにアカシアがこちらを見つめた。
「あ、ああ…」
アカシアは俺が見えており声も聞こえるらしい。
返事をすると満足げにまたミモザの手を引き歩き出した。それに続く。
「あの、このようにお尋ねするのは無礼ということは承知なのですが貴女のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「今夜のパーティには出る気なかったので知らなくても仕方ないですわ」
いつのまに室内に入ったのか、蔦の道を抜けたと思えば臙脂色と白で統一されたメイドたちが一斉に頭を下げた。
「この子を今宵の主人公にしてあげて」
「かしこまりました」
「え、あ、あの!」
「大丈夫、彼女たちは慣れてるわ貴女はただ舞台の上で返り咲けばいいのです」
まるで親切なお助けキャラの言い方だ。
ミモザをメイドに託すとアカシアは視線をこちらに向け「話を伺います」と自然に男である俺を個室に誘う。
ぎくりとしたが直ぐに思い直す。
ミモザに対するアカシアの対応はどれも「貴族が平民にするような扱い」ではなく「人としての扱い」だった。
だから俺が意識して警戒しているようなことは起きない。
……小説通りじゃない。
だからついてこいというアカシアに警戒する必要は俺の中ではなかった。
「貴方はどちらからいらっしゃったの?」
小さな応接室のようなところに通され切り出された話にドキリとする。
「……どうしてそんなことを聞くんだ」
問いかけた人間が
しかし相手は小説では悪役令嬢とされていた者だ。
その質問の意図がこちらの想定する意味を持っているかどうかは、別だ。
「貴方の装いからみてこの国の人ではないでしょう」
「……それで?」
「警戒心が強いのですね、わかりましたこちらの質問をする理由から述べましょう
貴方の装いはこの国ないし周辺の国では見かけません」
延寿が元の世界で俺に押し付けて行った服だからな、この世界になくて当たり前だろう。
服の素材も今アカシアが着ているようなサテンではなくポリエステルの厚い生地だ。
「貴方に話しかけた時、さきほどの彼女とメイドたちの表情と反応から貴方は
花の迷宮ですが、あそこは
なのに貴方は蔦に拒絶されながらも抜けてきた
つまり神に祝福されていながら祝福されていない……この国では祝福を受けていない状態は死んでいる状態とされています。
だから貴方は今、生と死の狭間にいるのではないですか?」
ああ、どこかひどく
俺が置かれているだろう状況をこの短時間で限られた情報だけで導き出した
しかし彼女の言葉を整理して使うならもっともらしい理由が抜けている気がした。
「神の関係者だという考えはしないのか」
「……我が家は神に嫌われていますから」
悲しそうな顔だ。
初めてアカシアが視線を逸らした様子になにか引っかかりを覚えたが、アカシア個人にそれほど入れ込む気はない。
俺はどんなことをしてでも元の世界に帰らなければならない。
「取引をしよう、アカシア・シルバーリーフ
俺の持ちうる全ての知識を使ってお前を助けよう、そのかわり俺の示す未来を歩んでくれ」
「取引?」
「お前の領地で起きはじめている天災を凌ぐ方法を俺は知っている」
「……それを聞いて
答えるまで間があった。
「少なくともお前の持っている知識では行き詰まっている筈だ」
沈黙が流れる。
こちらの提案を飲むかどうか判断しているのかもしれない。
アカシアはしばらく沈黙したあと、言葉を選ぶように口を開く。
「貴方の知識に有用性を見出せません」
そうだろうな、見ず知らずの人間のいうことを信じようとする奴はいない。
「ですが、取れる選択肢が行き詰まっているのも事実です」
姿勢を正すアカシアに釣られてこちらも姿勢を正す。
「民の生活がかかっています
貴方の言葉に耳を傾ける理由が私にはありません。 なので、証明してください」
「証明、っていたって俺は人には干渉できないんだぞ」
「できるじゃないですか、
「おたがいに欲しい結果に至るためにお話ししましょう、不思議な貴方」
ここで名前を名乗っていなかったのを思い出した。
「……貴方じゃない、俺は
どうも、手玉に取ってやろうと思っていたのにそうはいかせてくれない悪役令嬢を陥れて元の世界に帰ることは一筋縄ではいかないようだ。
「では
悪役令嬢が『人のため』と口にする歪さに思わず口角が上がる。
物語なら最初が違っても結末さえ同じであれば神の言う『物語の終点』に辿り着けるだろう。
「ああ、
―― 俺のために
アカシアの恋 フジオリ。 @huziori
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