非観測少女Q

 事件解決から一週間が経った。

 世界は何事も無かったかのようにすっかり元に戻り、クリカも日常の暮らしへと戻っている。

 悠の方はというとそうでもなく、事件前と違って来客が頻繁に彼の部屋を訪れる様になっていた。


「……で、君はなんで毎日の様にここに来るんだい?」


 自分の隣でテレビを見ている彼方に、悠は訊ねた。彼女はどういうわけか、ほぼ連日の様にやってきてはここで何をするでもなくくつろいでいる。


「ここにテレビがあるからです」


 さも当然とばかりに、画面から視線を外すことなく彼方は答えた。


「それは知ってる。なんでテレビを見るためにわざわざうちに来るんだ?」


「だってこれ、私のテレビですし」


「持って帰ってくれていいんだぞ」


「そうつれない事言わないでくださいよ」


「てか、君はなんで俺の隣にいつも座るんだ?」


「ここがテレビの正面だからです」


 やはり当然の様に答えた。

 悠がテレビを見ていると、いつもふらりとやって来て、無理やり彼の隣に座るのだ。


「……」


 あとから来た奴に追い出されるのも少し癪だったが、悠は座る場所を移す。これもいつもの事だった。

 一応彼方が少女の格好をしているせいで、悠としても気を使わざるを得ないのだ。


「そういえば、私にも結局分からない事があるんですよね」


 唐突に彼方が言った。


「貴方の記憶喪失って、何が原因だったんです?」


「ああ、それか。それは単純な話、俺が改変に巻き込まれたせいだよ。改変に巻き込まれた人間は、それより以前の記憶を当然いじられる。矛盾が発生しないようにね。

 守護者にはそれを跳ね返す免疫が存在するけれど、俺はそれを半端に手放した。だから改変後の記憶が刷り込まれないまま、『改変に巻き込まれて元の記憶だけが消された』という事実だけが残ったというわけさ」


「なるほど。では、倶利伽羅さんの認識が改変後のものになっていたのは―――」


「そう。察しの通り、彼女は改変の影響を受けた後で、守護者の免疫を手に入れたからだ。彼女の存在を誰も認知できなくなったのもそのせいだ。世界から居ない者として規定された後に、無理やり存在を確立させたから、妙な事になったんだ」


「良かったですね。彼女、消えなくて」


 彼方は相変わらずの平坦な口調で、脅す様な事を言う。


「一度消えているという事は、領域の消滅後に残れるかは賭けだったのでは?」


「その心配は無かったよ。彼女は守護者になったからね。それはこの世界が彼女の存在を認識していなかったら成立しない」


「なるほど。そういうものですか」


「俺としてもそれは予想外だったよ。守護者の力を貸し与えれば、俺の力がそのまま彼女に移るんだと思っていた。だけどそうはならず、彼女は守護者の因子から自分独自の能力を身に着けた。力が弱かったのは、因子だけが借り物だったからさ。彼女には才能があったって事なんだろう。もしそうじゃなかったら、何も発現せずに最悪消えていたかもしれないな」


「ほう。貴方、別に彼女がそうなると知ったうえで力を渡した訳ではなかったんですね」


「ああ。それは全くの偶然さ」


「彼女を助けたのは、見込みがあるからだと思っていました」


「いいや。あの時はただ、何も考えてなかったよ。必死だった。白金麗子とディクタトールの計画を知った時、目の前にいた彼女を助けなければと思ったんだ。ディクタトールは俺が彼女を優先すると分かっていたから、わざわざその事を明かしたんだろう」


「彼女がその場に? どうしてです?」


「さあ? それは俺にも分からない。だが、あの日彼女は庁舎にいた」


「単純に授業であそこに行っただけで、特別何かあったってわけじゃないよ。巻き込まれたのも偶然。てか、真阿連くんもそこにいたでしょう」


 そんな事を言いながら、クリカが台所からやって来る。二人の前に皿を並べた。漆黒の物体が積み重なった、危険な香りのする皿を。


「なんですか、この炭素の塊は? バーベキュー用の練炭か何かですか? 少々平べったいですね」


「ひどいっ! ホットケーキなんですけど!」


 辛辣な彼方に抗議するクリカ。

 悠はとりあえず一つをとって口に入れた。


「なんか、シャリシャリする……」


 中は無事だが、外側は完全に炭と化していた。さすがに体に悪いなと、そっと戻す。


「ごめん、やっぱ私こういうのは向いてないや……」


 さすがに自分でもやらかしたと思っているのか、クリカは気まずそうにしていた。


「できないと分かっているなら、どうしてやるんです? 今回の件でエネルギーリソースがどれほど大事な物か分かったでしょうに」


 資源の無駄を理由にあんまりな事を言う彼方。


「だってぇ! 居候のあいだずっと真阿連くんに食べさせてもらってたし、さすがになんか返さなきゃなって思って……」


 彼方から痛い指摘を食らい、クリカはしょんぼりする。


「まあまあ。その気持ちだけでもうれしいよ。初めてなんだし、うまくできなくても仕方ないって」


 さすがにちょっとクリカが不憫に思い、悠は助け舟を出す。


「貴女、ふだんから一人暮らしも同然なのに何食べて生きてるんです?」


「いや、なんでアンタが知ってんのよ! また覗いてるのかー!」


 彼方とクリカがじゃれ合っている姿を見て、悠としては少し安心する。最初こそかなり険悪な雰囲気で対立する事となったが、最終的に落ち着いてくれてよかったと。

 ほかの異次元人ともこのくらい平和的に接する事ができればいいのにと、そんな事を考えてしまう。


「二人とも、仲良いよね」


 悠の一言で、二人の口論がピタリと止まる。


「いや、ないけど」


「ありえませんね」


 冷めた目つきで、同時に二人から否定されてしまう。

 息ぴったりだと思うんだけどなぁ、などと思いつつ、巻き込まれそうなので悠は口に出さない。


「あっ! ヤバっ! さすがにもう帰らないと」


 クリカが時計を見て立ち上がる。時刻は十九時を過ぎていた。


「夕飯食べていけば?」


「ううん。今日はちょっとね」


 そう言ってクリカはそそくさと荷物をまとめはじめる。


「せいぜい気をつけて帰ってください」


「アンタも、とっとと帰んなさいよ」


 最後まで彼方と火花を散らして、クリカは帰っていった。

 クリカがいなくなった後で、炭もといホットケーキをむしゃむしゃと食べ始める彼方。

 その様子に、悠は思わず微笑んでしまう。


「君っていいやつだよね」


「まあ、倶利伽羅さんにも恩はありますからね。あの人がいなければ、私の生存はあり得ませんでしたから」


「そうだな。結局最後は彼女に頼り切りだったもんな」


 ディクタトールとの戦いを思い返して、悠も頷いた。

 敵に対する決定打を持っていたのは、結局クリカだけだったのだ。策を講じ、必死に時間稼ぎをしたのは、ひとえにクリカが帰還するまでの繋ぎだった。

 クリカが息を吹き返し、なおかつ戦場に戻ってくるという賭け。悠は彼女が戻ると信じていたが、それでもやはり危うい賭けだったのは変わらない。

 あと少しタイミングがずれていたら、悠は死んでいただろう。そういう意味では、悠もクリカに足を向けて寝られない。


「ディクタトールの思想は、この星にはふさわしくなかった。この星の多様性は稀にみる例ですからね。それを危険視するなど愚の骨頂。侵略者としては二流です。統一できない意思を無理やり統一してまで成す侵略など、美学に欠ける。彼は敗れるべくして敗れた存在なのでしょう」


 彼方はそんな風にディクタトールを評価する。


「まるで侵略者みたいな言い分だね」


 悠の言葉に、彼方はにっこりと笑い返した。


「さて、私もお暇しましょう」


 ホットケーキをすべて平らげて、彼方は立ち上がった。


「それではまた、学校で」


「うん。お休み」


 パチンッと指を鳴らすと、彼方の姿が消える。

 便利だなぁと、ちょっとだけうらやましく思いながら悠は見送った。


『続いては、現職都議の不祥事です。■区で起きた未成年者への暴行事件の―――』


 そんなアナウンサーの読み上げに反応し、悠は画面を見て驚愕する。


「あっ―――!」


 自ら未成年者を補導しようとして、白金麗子が逮捕されていた。

 現実と夢幻の区別もつかないほどに、世界改変の野望から最後まで抜け出す事のできなかった頑なな彼女の末路だった。


    ◇


 珍しく、家に明かりがついていた。

 クリカは持っていた鍵をしまい、家に入る。鍵を使わないのは久しぶりだった。

 リビングに行くと、そこに父親の姿がある。

 仕事で何かと外泊しがちな彼は、めったに帰らない。そのせいで、クリカも距離を置いていた。自分を捨てて、仕事を選んだのだと、そう考えていたから。

 実際、そういった節があったのかもしれない。なぜなら、クリカは自分がつらく当たってきた自覚がある。父もまた、自分を恨んでいるのだろうと考えていたから。

 しかし、本人に直接そう言われたわけではない。クリカの誇大妄想がそう思わせただけだったのかもしれないと、今なら思う。

 麗子と過去に決別した今だから、クリカは話せる気がした。


「おかえり」


 いつもなら無視するその言葉に、クリカは少し気恥ずかしさを感じながら返した。


「……ただいま」


 父親は少しだけ驚いたような顔をして、それから嬉しそうにほほ笑んだ気がした。

 それでなんとなくあった緊張が解けて、クリカは体が軽くなるのを感じる。


「あのね、お父さん。話があるんだ」


「うん。どうしたんだい?」


 珍しく娘から持ち掛けられた話に、真剣な顔をする。そんな父親が、クリカは少し可愛らしく感じた。


「違うって。そんな真剣な奴じゃなくてさ。もっとこう、普通の話。いろいろ、話したいことがあるんだ」


 そう言ってクリカは父の前に座った。たわいもない話なのだと知って、父親の顔が少し和らいだ。そんな彼に、クリカは不意打ちをかます。


「まずはそうだなー、好きな人ができた」


 冗談めかしたクリカの発言に、口に含んだコーヒーを飲み違えて、父親が盛大にむせる。

 なんとなく日々の報告をしたかっただけのクリカに対し、父親はもう落ち着かない。そいつはいったい、どこの馬の骨なのかと。


「わわっ! 大丈夫?」


 心配するクリカに、大丈夫だとしぐさで告げて父は問う。


「そ、それは本当かい?」


「うん。大マジ!」


 何の含みも無さそうな屈託のない笑顔を向けられて、父親もほほ笑むしかなくなった。

 それからクリカは話をした。日々の生活の事。学校の事。友人の事。特にオチも無いような、たわいのない話を。

 自ら拒絶し続けてきた家族の時間を、今から取り戻す様に。



    ◆



 夜の街を二つの影が往く。

 事件の後遺症が、いまだに都市に混乱を招いていた。

 彼方が呼び込んでしまった異次元人は、数多く都市の中に残っている。

 移住する者。観光気分の者。平和に過ごす者たちがいる一方で、それを壊す者たちもいる。

 侵略者。捕食者。研究者。そんな存在から、影ながら人々を守る怪人。そんな風に都市伝説として祭り上げられた、二つの偶像。


「ねえ、この話知ってる?」


 帰りのバスの中で、いけっちこと池上がスマホを掲げた。両隣に座る田畑とクリカはそれに注目する。


「なになに? また都市伝説? いけっちも好きだよねぇ」


 やや呆れながら、田畑が言う。


「何の話?」


 事情を知らないクリカが首をひねる。そんな彼女に田畑が説明してくれた。


「ああ、クリカ。いやさぁ、いけっちが最近都市伝説ハマってんだよ」


「都市伝説? 信じるか信じないかは――みたいなヤツ?」


「そうそう。そんなの」


 小ばかにしたような田畑に、池上は弁明する。


「いや、なんか本当の話っぽくて最近のおもろいんだよね」


「へぇ、どんなの?」


「おっ、クリカも気になる?」


 クリカが興味を示したことが池上は嬉しい。

 その間に、田畑は池上のスマホをのぞき込んで読み上げる。


「えーっと、怪人Q? うわぁ、何それダサッ! キューってなんだよ。キューって。オバケか!」


「オバケ? そうなの?」


 ピンと来ていないクリカに、田畑が顔を覆う。


「うわー、知らない世代かぁー」


「いや、アンタ同世代でしょ」


 池上が田畑の疑問を調べて告げる。


「なんか、クエスチョンのQだってさ。正体不明って意味らしいぞ」


「ふーん。で、それなんなの?」


「なんか、悪い宇宙人から守ってくれるらしい」


「はぁ? なにそれ。漫画か!」


 再び呆れた田畑に、池上はSNSの検索結果を見せる。そこには宇宙人との遭遇話が並んでいた。


「いやいや。なんか、最近宇宙人に会ったとか、襲われたみたいな話ネットで増えてるんだよね。それがちょっとホントっぽいっていうかさ」


「あー、そういえばこの前トレンドにも入ってたなぁ、そんなの」


 本気にはしていないが、田畑もそれには同意する。


「は、流行ってるのかな?」


 動揺するクリカに、二人は気が付かない。


「そうなのかもね」


「いやいや、ないない。宇宙人とか今時」


「だ、だよねー」


 否定する田畑の言に、クリカはほっと胸をなでおろす。


「でも写真があるぞ」


 池上が証拠だとばかりに表示したのは、ぼやけた写真だった。確かに宇宙人にも見えなくはない影が映っているが、断定は不可能だ。


「うわぁ、ピンボケしてんじゃん。スマホで写真撮ってこんなんなる?」


 写真の出来に驚く田畑と、宇宙人に驚くクリカ。


「げっ!」


「どしたー、クリカ?」


 明らかな動揺の気配を感じ、池上が訊ねる。クリカはすぐに否定した。


「いや。何でもない。それよりこれが怪人なの?」


「そうじゃなくて、こっちの人間ぽい影の方」


 ピンボケ宇宙人の前に立つ二つの人影を指さす池上。


「二人いるじゃん」


 田畑の言に頷く池上。


「そ。Qって二人組なんだって」


「なんか写真ボケてんのが如何にも偽物ーって感じだな」


「いや、逆に本物っぽくね? 慌てて撮ったみたいな」


「いけっちは純粋でいい子だなぁ」


「へへっ、そうだろー」


 田畑と池上の二人がじゃれていると、バスが止まった。

 何かに気づいたように、クリカが突然立ち上がる。


「あっ! ちょっと私、ここで降りるね」


「おう。クリカまたねー」


「ばぁーい」


 クリカに手を振って見送る二人。ふと、顔を見合わせた。


「……クリカん、ここだっけ?」


「いや、違うだろ」


 バスと並走するカロンに気づいて、下車したクリカ。停車場から少し離れた人気のない暗がりに、悠の姿を見つけた。黒いフードで頭を覆い、仮面で顔を隠している。クリカでなければ、悠と気づかない出で立ちだった。


「クリカさん、ごめん」


「いいよ。それより、出たの?」


「ああ。昨日取り逃がした奴だ」


「なんか、ネットに写真あがってたよ」


「やっぱり仮面はして正解だったな」


 そう言って、悠はクリカに仮面を手渡す。クリカはすぐにそれを身に着けた。

 荷物を深界に放り投げて、準備万端。クリカがやる気を見せる。


「さあ、いっちょやりますか!」


「うん。行こう!」


 二人の守護者は今夜も宇宙人への対処に出かける。人知れず人々を守る地球の守り人、噂の怪人として。

 二人はカロンの背に乗って、夜の街へと消えていった。

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非観測少女Q あの子が侵略宇宙人からこの星を守っている事を僕だけが知っている 洋傘れお @koumori00

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