決別
二人が地上へ戻ると、アムリが出迎えた。
「ずいぶんと無茶をなさいましたね」
クリカに抱えられて歩く悠の姿に、アムリはそんな感想を向ける。
「お互いボロボロだ」
悠は疲れた表情で笑った。彼は片腕を失い、脚には穴が開いている。
一方のアムリはケガこそしていないようだが、全身ホコリで真っ黒だった。
「そういえば、空虚さんは?」
悠が訊ねると、アムリが両手を差し出す。その中でタコ彼方が眠っていた。
「えっ! ウソ! これアイツなの?」
彼方のこの姿を初めて見るクリカは、今さらながらに驚く。
「休眠状態に入ったようです。おそらく、貴方様の傷を塞ぐためにエネルギーを節約しているのでしょう」
アムリの言うとおり、悠の腕の傷からは未だに出血が無い。これのおかげで、悠は失血死せずに済んでいる。
「彼女にも礼を言わなきゃな」
悠はそう言って眼前にそびえる巨大な構造物へと視線を上げる。
『天変の楔』と異次元人たちが呼ぶこの兵器の影響か、ディクタトールが死んだ今も彼の領域は機能し続けていた。
完全に領域を取り除くには、これを破壊しなければならないのだろう。
「クリカさん、お願いできる?」
「うん。やってみる」
クリカは力強く頷いた。
これだけ巨大な物をどのように破壊すればいいのか、悠には見当もつかない。ただ、現状それができるとすればクリカの分解能力だけだろうと誰もが思っていた。
悠とアムリはカロンに乗せてもらい、天変の楔まで移動する。その根元は唐突に表れた。街の中を横断する様に壁が広がっており、道路を塞いでビル群に食い込んでいる。元の地形など無視して無理やりそこに建てられたようだ。
否。彼方曰く、これは地球に刺さっているのだと、悠は思い出す。
「これは……」
クリカも絶句していた。これまでここにこんな物があったという事実に、誰一人気がつかなかったことが、信じられないのだ。
領域内であれば異常も正常となる。人々の認識は都合よく改変される。それを考慮しても、この異常は大きすぎた。
「それもまた、この壁の力なんだろうな……」
悠は空を見上げ、ある事に気がついた。雲が壁に吸い込まれている。
まさかと思い、悠は壁に近づいて手を突いた。途端、その手がすり抜ける。
「なんだと!」
悠は驚くが、納得もする。これだけ巨大な物が誰にも気づかれなかったのは、物理的な干渉が不可能だからだ。
おそらくビルに食い込んで見えるのも本当にその通りで、周囲のものに一切干渉していないのだろう。この場所に住んでいる人々は、この壁に接触しても気づいていないのだ。
「触れられないのでは、破壊は不可能なのでは?」
アムリもこの状況を危惧する。
「クリカさん、どうだ?」
祈るような気持ちで、クリカにやれるかと問う。クリカは悠に頷いた。
「大丈夫だと思う。私の能力は、
クリカは壁に近づいて、
「何をしてるのあなたたちっ!」
女の声が響いた。全員が振り返る。そこに、白金麗子がいた。
「お母さん……どうして?」
「その様子だと、ディクタトールを倒した様ね。貴方たち、それをどうする気?」
「壊すんだよ。こんな物、あっちゃダメなんだ」
「答えなさいっ!」
麗子が悠に怒鳴る。まるでクリカの声も姿も見えていないように。
「そうか、貴女は……」
悠には察しがなんとなくついた。
庁舎で対面した時、彼女がクリカを認識できたのは、麗子がディクタトール側の人間だったからだ。だが、ディクタトールによって捨てられた今、彼女は改変の中に居るただの一人となり始めているのだ。
悠はクリカを見る。クリカも状況を理解したのか、悠を見て頷いた。
「俺たちはこれを破壊します。世界を元に戻すために」
クリカに代わって、悠が言葉を伝える。
麗子は怒りに顔を歪ませた。
「ダメよ! 絶対にダメ! 貴方たちには分からないの? ディクタトールがいなくなった今、この領域の所有権は私たち人類に戻ったのよ。それを利用すれば、今度こそきっとうまくいく。この街だけじゃない。国も、世界もより良くできる」
悠は眉をひそめた。
「貴女の言葉は嘘だらけだ。この街を見ていれば分かる。貴女は自分の我儘を通したいだけだろう。誰かのためになんて微塵も思っていない。貴女は自分がすべてなんだ!」
「知ったような口を叩くんじゃないわよ。アンタに何が分かるっていうの?」
「少なくとも、思い通りにならないからって自分の娘をゴミの様に扱う人間が、真っ当じゃないって事は分かる」
「星来? フンッ、そう。アンタあの子とそういう……いい? 人間には二種類しかないの。優秀な人間と、そうでない者。脳みその作りっていうのはね、生まれつき決まってるのよ。神様が決めるの。学もあって、裕福で、生まれながらに全てがある。そういう人間は必然的に有能になるわ。良い大学へ行って、ちゃんとした仕事について、出世コースに乗れば権力は自然と手に入る。当然金もね。富める者はますます富なんて言うけど、それって当然でしょう? だって私たちは選ばれた優良人種なんですもの。無能な人間は私たちを非難するのではなく、尊敬し、従うべきなのよ。人類は群れで成立する生き物なのだから」
「あんたは人間じゃないよ」
悠には全く理解できない。そんな事を嬉々として大真面目に語る人間がいるという事に。
「ふっ、あの娘に何を感化されているのか知らないけれど、あの子は無能側。エラーコインみたいな物よ。正確な機械だって、気まぐれに失敗作を生むでしょう。運命のいたずらね」
「それ以上、口を開くなっ!」
悠が怒鳴った。見ていたクリカの方が、驚きでビクリと飛び上がる。戦いの最中でさえ聞いたことが無いような怒号だった。
麗子はただ、冷めた目つきでそんな悠を見る。
「アンタは何も分かってない。優秀だとか無能だとか、そんなのは他人が決める物差しなんだ。人の本質はそこじゃない」
「じゃあ、何だっていうの? 人の価値基準はすべて何を成せるかでしょう?」
「違う。何を成したかだ。結果だけが真実として残る。アンタは自分の理屈をこの世界で展開し、失敗を見た。それが結果だ」
「それこそ間違いよ! ディクタトールが仕組んだ罠に決まってる! アイツが回復するまでの三週間の間は何事も無かったんだから!」
麗子がわずかに焦りだす。
「たった三週間しか持たなかったんだろ、アンタの王国は。優秀な人間だってきっと間違える。自分の失態や失敗を認められないアンタは、ただの愚か者だ」
麗子は悠を睨んだ。何を思うのか、彼女は沈黙する。
「アンタは自分の我儘のために、人類を侵略者に差し出したんだ。そのせいで多くの人が傷ついた。死んだ人だっている。なのに世界が元に戻れば、この三週間は誰の記憶からも消えて空白になる。三週間という時間を、アンタはみんなから奪った。それが真っ当だって、アンタは本気で思うのか!」
「お前がこの世界を否定しない限り、それは永遠になる。世界を壊そうとしているのはお前でしょう!」
「まだ言うか! アンタが否定した娘は、クリ―――星来さんは、アンタの過ちのせいでに戦う事になったんだぞ! よく知りもしない赤の他人のために、彼女は命がけで戦ったんだ! ディクタトールに殺されかけたアンタなら、相手がどんな連中か分かるだろう。あんな怪物に、彼女は何度も何度も立ち向かったんだ。それがどれほど辛くて、勇気のある事かアンタに分かるか? 自分の為に誰かを利用したアンタと、誰かのために自分を捧げた彼女、結果がすべてだ。アンタの方が正しいなんて言う人は、きっと地球のどこにもいやしない!」
クリカが悠の肩を叩いた。
「もう良いよ。ありがとう」
クリカはどこか寂しそうに、麗子を見た。彼女は癇癪を起して、悠をなじり始めていた。
「ほんの少しだけ期待してた。あれはディクタトールのせいでおかしくなっていただけで、全部解決したら何か変わるのかもって。けど、あの人は最初から何も変わらない。昔からああだったから。良い事は全部自分のおかげ。悪い事はみんな誰かのせい。自分本位なんだ。私はそれを、一番よく知っていたのにね」
悲しく笑って、クリカは再び壁へと近づいていく。
「でも別にどうでもいい! あの人がどう思おうと、知ったこっちゃない。だって、私の事を分かってくれる人はこんな近くにいるんだもん。でしょ?」
クリカが振り向いて笑う。真っすぐで迷いのない笑顔だった。
「ああ。そうだね」
悠の胸に複雑な思いは残るが、クリカが断ち切ったのならとその選択を肯定する。彼女は偽りのない笑顔を浮かべていたから。
悠に頷き返し、クリカは壁に手を添えた。
「私はもう、自分に迷わないから!」
クリカが壁を攻撃する。彼女が持てる最大出力での分解攻撃。
途端、壁がなくなって視界が一気に開けた。壁に巨大な穴が開いたのだ。穴の大きさは高速で広がり続け、天変の楔はキューブ状の泡と化して消滅していく。
クリカがよろめいた。悠は足の痛みも忘れて彼女に駆け寄る。
「大丈夫?」
「ああ、うん。ちょっと、本気出し過ぎた」
もう立つ力も無いと言った様子で、悠に支えられながらクリカは疲れた顔で笑う。
悠は彼女を抱えて引き返す。
「いやあああああああああっ!」
麗子が絶叫していた。膝から崩れ落ち、消えていく壁を絶望的な表情で見上げている。
その横を二人は通り過ぎた。
「ようやく終わったね」
悠の言葉に、クリカはこくりと頷いた。
「今更だけど、巻き込んでしまってごめん」
クリカが少しだけむくれた。
「もうっ! そういうのは言いっこなしでしょう。私だって、ずいぶん助けてもらった気がするし。気にしてないよ」
「そっか。なら、良かった」
悠は少し安心する。やはりクリカを巻き込んでしまった負い目だけは、ずっと残っていたからだ。
「ずっと傍にいてくれたし。真阿連くんは私を十分守ってくれた。だから、感謝しかない」
「……うん」
「なんだよー、その返事」
「なんか、面と向かって言われると恥ずかしい」
「ははー、照れるなよぉー」
ニシシと笑って、クリカは悠の胸を叩く。
「もう終わりだね」
街の様子を見て、クリカが呟く。
天変の楔が消え始めた事で領域が崩壊し、同時に世界の修正力が働き始めていた。領域内で作られたものは消滅し、消えていたものは元に戻る。本来の姿に、街は戻り始めていた。
やがて人々は完全にここで起きた事を忘れ、壊れた街はいつの間にか自然災害や事故の類として認識が置き換わっていくのだ。
その気配を、守護者である二人は強く感じ取れる。
「ねえ、世界が元に戻ってもさ、仲良くしてくれる?」
クリカが悠に聞く。
「それはもちろん。だって俺は、クリカさんしか友達いないんだから」
「ハハッ、記憶も戻るんだし、もっと友達作れよぉ」
しょーがないな。と言いつつ、クリカは嬉しそうに笑った。
「あらあら。私たちはお友達として認識されていないのでしょうか?」
後ろからついてきていたアムリが、茶化しながらそう言った。
「まったくです。二人だけの世界にすっかり浸って」
アムリの手の中で、目覚めた彼方も不満そうにぼやいた。
そんな言葉で、二人はついお互いの近さを意識してしまう。お互いケガ人なので放り出すわけにもいかず、悠とクリカは一瞬顔を見合わせて、同時にそっぽを向いた。
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