第51話 磁鉄鉱
――森の中に倒れ伏す異形を前に佇む緋々絲へ、アイオライトが追いつく。
『全長八メートルほどか、普通より大きいな。
結果は?』
「データはそっちに送った……さて、この結果をどう取るよ天才」
『ニホンオオカミ。
絶滅したと言われているアレか?』
水瀬は俯いた。考えることが多い。
バイク乗ってるうち、夜風で身体を冷やしたかもしれない。
加えて簾の異能が及ぼした負荷にも対応している――無自覚な疲弊が溜まりつつあるとして、途中で放り出すにもいかず。
「切り祓え」
「!」
水瀬の言葉と共に、簾尊は身体に浮遊感と解放感を憶える――そしてぞっとなった。
「やめ――やめろ!?」
「もう遅い。
お前は自分で選ばなかった、そのための最期の機会を棒に振ったんだ」
「絶対に殺してやる……お前ッ!!!」
操縦席の手前、足元のスペースに、後ろ手足を縛られ、転がされている。
そうして――それまで他者から奪ってきた全てを剥奪され、転がっていたのは、ひ弱そうな少女の姿をしていた。
中学生ほど……すると切原梓と年は同じくらいか。
手足の凍結も解けると、しきりに咳き込んでいる。
水瀬は口に出さなかったが、芋っぽいという第一印象を受けた。
「ごろじでやる……」
「くたばり損ないがよく吠える」
水瀬は悪態をつく彼女を、哀れみの視線で見下ろしている。
「金紅、オオカミ型の対処はお前に任せる。
補助脳に同期していない彼女は、このまま動かすと圧死しかねないからな」
『了解した――彼女?』
「気にするな」
本人は性別を乗り換えてまで、それを捨てることにこだわったほどだ。
「……死者から置換したものは、返還されないんだな」
「!」
「戻ってきてもあるいは火葬後の灰になってるだろうから、グロいだけか」
*
夜中に観測所へ向かうとなれば、樹もついていくと言い出し、夜道は危ないからと、母からも男手を付いていかせるよう促された。
やがて移動するうち、――ふたりは想いだしていく。
「なぁ姉さん、今日色々、おかしかったよな?
テレビに切原じゃないのの顔とか映ってたし」
「そうなの?
ていうか私、またみーくんに酷いことしちゃったし……梛木ちゃんのことまで、忘れてた――」
認識の改編はいつの間にか周囲へ浸透しており、それが誰かの異能のせいであったろうことに、私たちはすぐ思い至るが、震えが止まらなかった。
駅に着くと結は、おもむろに携帯端末を取り出し、由良へ通話する。
「夜分遅くにすいません、由良さん」
『藍野さんか、用件は……切原くんのことかい』
「えぇ、色々確認していて。
もし彼から連絡が入るようなら、教えていただけますか?」
『きみのほうへ先に行きそうな気がするけどな。
わかった、心がけておこう』
「ありがとうございます」
妙に恐ろしいことになった。
認識の改変は解かれつつあるらしいが、おおかた水瀬が術者を突き止めたということか――いやそれより。
「やっとみーくんの役に立てるかもしれないって想ってた。
家族になるって、約束したのに……。
私がそれを忘れて、どうすんの――!」
歯軋りした。
*
「異能使いなんて、大概碌でもない」
少女は言う。水瀬は黙って続きを聞く。
「自分の都合で社会を、世界を捻じ曲げる。
あんただって多かれ少なかれ、そうしてきたんじゃないの?」
「否定はしない。うちの妹の話をしようか。
本人は『愛される』異能と呼んでる。
周囲の人間は、彼女を放っておけないわけさ――彼女を嫌うことができない力だ、当人らの意思をまったく捻じ曲げて」
「……――、やっぱり」
「異能をどう使うかは、本人次第だ。
正直それを聞いたときは、まったく恐ろしいものだと想ったよ。
ただ……できるものはしょうがない、俺たちが異能を行使するのを歯止められない社会も、大概クソだよねぇ。
異能持ちの自制なんぞに頼らなければならない段階で、この社会は詰んでいる」
「!」
「という、見方もあると言うことさ。
ある意味じゃ、妖術の類かもしれない。
俺もあの子も、あるいはお前も、異能に縋らなければ、アイデンティティを保てないかもな。
かたや――異能の中に、道をつけるやつもいる。
それは本当のごくごくの
水瀬は自嘲気味に嗤うのだ。
それから真顔になる。
「センサーの感度がよくない。
磁鉄鉱のせいか」
「ジテッコウ?」
「結果、コンパスが狂う。
本来方角がわからなくなるほどじゃないが、昔はまことしやかに遭難とか言われてたな、そういう名所ゆえに――、?」
「なに」
「いや――トリム、周辺の磁場を観測してくれ。
それから金紅に繋いで」
トリムが返すより先、金紅から着信の入った。
『その磁鉄鉱だが、従来の
「――なぁ金紅、ひとついいか」
『なんだ』
「とても嫌な予感がする」
『ここでか。
……迷信的なことを言い出すなよ、こんな場所で』
「いや、それはないんだけど。
俗説や伝承を想いだしたんだ」
『それ、夜中に聞いても大丈夫なやつ?』
水瀬は足元の少女が震えているのに気づく。
「やめてよね」
お前さんに構ってやるつもりはないけど……、
「健全な内容だと想うよ、一応は?
オオカミってのは日本では地域に寄ったら、畏怖や崇拝の対象だったりした」
『ふむ、すると』
「それを神様として祀っているところもある。
それって、要は――あんまり端折った言い方すると詳しいひとに怒られそうで怖いんだけど――、『超自然的な存在』としての側面が含まれてもおかしくないと想うんだよ」
『それが今度のシンギュラリティ・コモンズと、なんらか関連しているんじゃないかと、水瀬はそう言いたいのかな』
「まぁ、自分の中で言うほど秩序や筋道が立っているじゃないんだけど。
……、聞き流してくれ」
『いや、案外興味深い話だぞ、いまのは。
すると
「すごい、すっかりお見通しだね。
安直だったか、俺の考えなんぞ」
『だが水瀬、そのオオカミ信仰と磁鉄鉱に、なにを見出したんだ?』
「磁鉄鉱というより、まずはシンギュラリティ・コモンズの大きさだよ。
小型の動物や虫が異形として肥大した際、全長三~五メートル大の肥大で終始するサンプルが、過去の事例では非常に多い。
例外がないわけじゃないが、今回のがまさしくその例外だとして、全長八メートル大、殆ど人形と張り合うサイズなのは、それこそ個体が特別なんじゃないかと。
以前の蝙蝠型統制個体も、規格外だったし」
『大きさか、まだほかの個体と遭遇していない。
キャンサーシステムは
相まみえてからが本番か』
「――」
『水瀬、まだ懸念があるようだな』
「あ、いや。今度のは単なる妄想というか……大丈夫、ほっといて」
『水瀬の勘はばかにならないから。
ま、それならそれでいいさ。自分で探す楽しみもある』
ふと昔見たSFドラマなんかを想いだした水瀬である。
磁場の不安定な場所に、過去や未来と現在を繋ぐタイムホールが――なんて妄想。どうせ杞憂に決まっている。最近オカルト方面に流され過ぎだ。
仮に現在まで、ニホンオオカミの血統が生き残っていたとして、確認されないほどの、絶滅危惧種扱いだろう。
というか、水瀬自身は21世紀にニホンオオカミなんていない……いるという風説自体がすでに信仰じみた領域のものとさえ想う。
いれば、どっかしらで野生動物の学者とかが探索していない方がおかしいはずだ。ツチノコくんだりと違い、こちとら一応はその昔に実在した獣なのだし――でももし仮に、磁鉄鉱や交感ネットワークが、時間を歪めるとか、そのような因果を引き起こしうるとしたら?
そして水瀬が言いよどむのは当然だった。
単に磁場がおかしいだけなら、そんなことで時間が歪むとは考えない。
時間を歪めるほどのエネルギーでも、どこかから生じたり、流入するならあるいは――でも、そもそもが妄想だ。
キャンサーシステムには、もう二体の異形が、樹海から西湖の端をうろうろしている様子が映る。
どうにもそれ以上発展した動きがないため、周辺に人の立ち入らないよう、最低限の封鎖はかけてあるが……。
「いずれにせよ、このままってわけにはいかない」
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