第52話 再びの殻

 結が梛木と合流したとの報告を彼女から受け、水瀬はまず言うのだ。


「ありがとう。約束を守ってくれて」


 今朝の水瀬が言ったことを、実行してくれた。

 それだけで水瀬は、結に感謝するほかないのだ。


「梛木ちゃんの家族でいようとしてくれた……終わったら、また話そう。

 あぁ、シンギュラリティ・コモンズだ、すぐに対処して戻るから」


 電話口の彼女の嗚咽は聞こえていた。

 簾の一件はほぼ片付いているが、こちらも手を抜けない。

 足元に転がっているのはその間、一切騒がなかった。


「どうして」

「?」

「血の繋がりもないくせに、家族のふりなんてできんのよ」

「まぁ色々あったから」


 最近、結の姿勢が伝染ったのかもしれない。

 梛木の家族になることを、今は自ら選びたいと想えている。

 そのことに気づいて水瀬はほくそ笑む。


「気持ち悪」

「他人様の気分に水を差すのが趣味か?

 感心しないな――っと」

「?」


 キャンサーシステムが新たなデータを示す。


「新たに交感ネットワークの反応、いや待て、これは――またうちの機体識別コードか!」

「どういうこと?

 あの自称天才が来たんじゃなくて?」

「ちょっと黙ってて」「っ」


 緋々絲は後退を始める。


「トリム――これってか?」

『反応はそのように出ている』

「例のアレってなによ!?」

「決まってる、あれしかない」


 そして土塊の機影が、緋々絲の前方照明にほんの一瞬照らされ、水瀬らは身構える。

 何も分かっていないのは、簾だけだ。


「舌を噛むなよ!」

「!?」


 クロスカッターの模造刀身がマンティスカリバーに交錯したとき、水瀬は交感存在のあまりのワンパターンさに、呆れさえ通り越した落胆の息を漏らす。


「殻人形、こんなところで出してくるのか――」

「殻?」

「ガワだけで、中身がない!」


 ゆえにひとつを叩き潰しても、中には手応えさえない……それはあちらが送ってくる端末に過ぎず、倒したところで、どうせ大した損耗にもならないのだ。

 けれどどうして今、富士の麓、県境に?

 ソラノキや東京湾は、繭や交感ネットワークの持つ、情報を集めるという特性において、都市間近という点では少なくとも合理的であった。

 しかしここは……ある種のシンボル性は高いが、交感存在がわざわざそれを選んだとして、その理由に見当がつかない。


「人間じゃないものの思考なんて、読もうとするだけ無駄なんだろうけど――」

『どうしてここを、交感存在が選んだか?』

「既に事は起こってる、シンギュラリティ・コモンズとこれは関係があると想う?」

『ニホンオオカミなどと突拍子のないものを出された後だ』

「あぁ――つまり、か」


 シンギュラリティ・コモンズの大元は交感ネットワークを地上の動植物にばらまいてる交感存在のせいに違いないが、いよいよ主体的な行動の増えてきたように想う。


「もし……ソラノキの繭に空いた穴を塞がなかったら、その後どうなったんだろう?

 湾内の異空間は出てくることは、果たしてなかったと思うか?」

『彼らが答えてくれるならいいが、どのみちろくな答えが帰ってこなさそうだ』

「うん」

『過去の事例から言って、交感ネットワークによるアプローチを積極的に用いて、とある内陸国では国土が滅びた例もある――我々の扱う技術は、常に諸刃の剣ということだ』

「けどそこにあるからって、繭はいたずらに膨れ上がっていいわけじゃない。

 それは常に人の文明を脅かしてる」

『観測所の仕事は、繭や交感存在の不用意な台頭を牽制する意味を持ち始めている。

 で、アイオライトも来たが、殻はこちらばかり執拗に狙ってくるぞ?』

「不味いな、彼女を放り出すぞ」

「え?」

「死にたくなければ、アイオライトのほうに走れ。

 その間に殻人形は押さえ込む」

「――」

「トリム、後部ハッチを展開」


 双剣同士が交錯し、押される間に彼女の拘束を解いてその背中から森へたたき落とす。


「……さて、ちょっとだけ静かになった」


 トリムは指摘しないが、この時の水瀬は、本当にいつになく安らいだ顔でいた。

 彼女がなぜ人形に乗ろうと想ったか、水瀬にはそろそろ読めている。


「人形で死のうとしてたな。

 よりにも使い手が異能を持っていて、それまでのすべてを失うとは思わなかったようだけど」

『――、マスターと会ったのが運の尽きか。

 異能にも程度に上下があるのだな』

「心因的なものは言わずもがなだけど、そのおおくを生来の資質に左右される」

『それでイニシアチブが左右されるのは、やや理不尽にもおもうな』

「はなから不平等なんだよ、異能ってのは。

 それでも彼女は俺の存在を塗り替え、異能の一部を奪ってのけれた……大したものだよ、いやまったく。

 そんな力じゃ、そもまともな運用を考える方が難しかっただろう。

 異能は天啓ギフトじゃない――人からまろび出る、尖りきったおまけだ。

 それが人から奪うことで初めて確立するものだったってのは、正直俺より遥かに運が悪いね、あの子」

『しかし天縫女史は、言うではないか』


 トリムの抗弁さえ、水瀬は頷いた。


「あぁ、あの人は術者の本当の願いを叶える力とかいうね、あれも小なり語弊だな。

 異能ってのは本能の発露する、だよ。

 それは手段というより、願う衝動がカタチを取ってしまったという点で、ある意味じゃ事故だ。

 だから中途半端な結果ばかり、出力されてしまう。

 異能を持ってる人間がすべからく満たされるなら、まだ救いもあるけど、そうじゃない……異能は人へ向ければ、人を呪う――いやごちゃごちゃ喋ってる場合じゃないんだがなッ!?」


 剣戟は続く。息切れしながら走る簾を背中で庇いながら、異能を発して押し返す。

 クロスカッターの形状が、ぐらっと揺らぎ、マンティスカリバーのそれに変質する。


『形状が変質した!』

「やはり模倣されている、これ以上の接触を避けられたい!」

『異能で対象を選択して切除できないか?』

「やってるさ、だが時間差で――別のが、どこから来て!」

『マスター、横だ!』

「!?」


 なにかが飛び入り、衝突する。

 異形――オオカミだ。


「金紅に追わせていたのとは違う?

 こっちも、新しい個体か!

 どこから呼び寄せられているッ!!?」

『水瀬ッ』


 背後から血を浴びた藍が現れる。

 緋比絲から洩れた明かりが、異形の鮮血を引き立たせるが――、


「金紅は簾を収容しろ!

 異形も人形も、こっちに引き寄せられてる、なぜだ!?」

『新たな反応は、殻の人形――これがお前の言っていたやつか!

 水瀬、異形を掃討していったん国道まで退却、体勢を立て直そう』

「追ってこないと言い切れるの?

 これが民家や人里に来ないと?」

『お前は今日だけで疲弊してる!

 これは命令だッ、俺をマークされないなら、しんがりはこっちで引き受けようか?』

「御冗談を!」


 異能の斬撃で次段を払い、二機は国道へ向けて夜を駆けた。

 アイオライトを連れてきたトレーラーが見える。


「……、ふたりとも、今のうちに補給しておけ」


 ゼリー飲料のパックを、金紅からそれぞれに受け取ると、三人でトレーラーの荷台へ腰かける。


「助かる。今日はちっとも食欲が湧かないんだ」

「――」

「成り行き上、きみにもここにいてもらう。

 自分で帰れるなら、それでもいいが」

「あるわけないでしょ、私に帰れる場所なんて」

「開き直るなよ……」


 彼女は金紅に対しても、露骨に牙を向く。

 水瀬は何度目かのあきれ顔を作るのだった。

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