第49話 奪還

 自分の信じるすべてを奪われたに等しいだろう。

 それを堪えながら、必死で巻き返しを図ろう彼の背中に、金紅は言い知れぬ懐かしさを憶えるのだ。

 なぜ、という問いに答え合わせなど必要ない、彼は常に背中で示そうとするのだから。

 では彼の異能を奪い、彼に成り代わったと言う簾尊すだれみこととは、何者か。


「おそらくそれこそが、彼の異能だ。

 異能をコピペするとか、そんなものは交感存在ぐらいで勘弁してほしいところだけど……今回はもろにられた」

「交感存在と言ったな、なぜそれを知っている?

 いや――それこそきみがか」

「答え合わせはこの件が片付かなきゃ意味を持たない。

 ファーストコンタクトの一次記録は、緋々絲の中にしか残されていない――だから彼は人形と記録を独占し、俺たちを殺そうとする。

 観測所の記録バックアップまでは、頭が回らなかったようだが……おそかれ気付けば、改竄に走る。やつの力なら、おそらくそれができてしまう」


 金紅は連絡用の専用端末をスクロールしている。


「――、義母さんにただいま確認したところだ。

 ハッキングの痕跡こそないが、今日のメンテナンスで、ログの照合には不自然なエラーが出ている。

 俺たちは君を信じるしかなくなった、きみは観測所のなかへ今日は入っていない、そうだな?」


 水瀬はパイロット用のカードキーをひらひらと示す。


「いまやこいつは形骸だよ」

「緋々絲を取り戻し、同時に樹海に現れたシンギュラリティ・コモンズに対処する――なんと難儀な」

「昂るだろう? お前さんにお誂え向きの試練だ」

「!」


 水瀬は冷ややかに言った。金紅はどうせ、すぐその気になる。

 長い付き合いだからわかるとも。

 さすれば……、


「どっちからやろう?

 今度のシンギュラリティ・コモンズについて、俺は何も知らされていない」

「それで緋々絲を追ってきたのか、静岡山梨の県境ってのに」

「そういえばお前の原付の鍵、借りっぱなしだった。

 好きな時に返すって約束だったが、今にしようか?」

「……、そういう辻褄合わせはそろそろ世知辛くなってくるぞ。

 いい、また万事終わってからにしよう。

 思い出さずとも忘れていた気がする」


 アパート暮らしだったころ、移動の多くて借りていたままのがあった。

 金紅のほうでは買ったくせ、観測所に住まってからはまるで使わなくないのもあり、互いに忘れかかっていたぐらいだ。


「切原水瀬、きみにも頭を搾ってもらう。

 樹海で確認されたシンギュラリティ・コモンズは、オオカミ型の変異種だ」

「外来種か?」

「体組織でもサンプリングしないことにはわからないが」

「トリムが人形ごとパクられてなきゃ、今頃はすぐだったよなぁ。

 それで、軍に協力でも依頼する?

 こっちの尻ぬぐいしてくださいって」

「嫌な言い方だ、しかし最終手段だよそれは。

 ……この前、切原方丈――きみの身内か?――の騒動があって、軍の面子をうちはすっかり潰している」

「でしたわー」


 おかげで人形不要論者はなりを潜めたものの、今度は観測所の内部で失態が起きたなら――ただでさえ危惧される、異能使いへの緊張はさらにいや増してしまう。


繭人形コクゥーノイドに、俺やお前が乗ること自体が、下手すれば危ぶまれてしまう。するとこれまで通りにはいかないな。

 にしても……簾は起動早々、あっさり補助脳に同期してのけたぞ?

 単に空間把握ができても、あれの同期には時間がかかるはずだ」

「単に順応したとも考えられるし、あるいは?

 彼は異能に限らず、きみの実績や能力をいくらか拝借しているんだろう」

「全部異能で補填できるって?

 なんだそのチート……いや本人に聞かないと実際はまったく掴めないが」

「静かに、どうやらまた追いついてきたようだ」


 緋々絲の足音がする。

 息を潜めるふたり、ところで金紅は言うのだ。


「人形を取り返すのは容易だ」


 そして端末から、緋々絲に直通させた。


「まんまと居場所を露呈させた。

 きみはそう想っているようだが――」

「なにやってる、戻れ!?」


 飛び出した金紅に、水瀬は叫ぶ。

 しかし彼は、余裕の笑みを浮かべている。


「トリム、僕の声紋なら認証しているだろう!

 緊急条項502に基づく、開発者権限に基づいて発令する!」

『――、!?』


 人形は歩みを止め、直後コクピット内部でなにかが噴出する音のした。

 しかし――今度は水瀬が蹲る。


「ぁ――待てッ」

「どういうことだ!?

 まさか」

「奴の異能だ!

 奴にかかるはずの凍傷が、こっちに押し付けられている」

「なんてものをしていやがるんだあいつ!

 トリム!」


 金紅は水瀬の四肢が文字通り凍結・壊死する前にと、次の指示を入れようとするが、それに待ったをかけるのは、水瀬自身だった。


「いや――どうせならこのまま、ッ!」


 常人なら、目を疑う変化の連続……水瀬の足や指先にまとっていた冷気が、彼の言葉とともに振り払われる。


「……異能は使えないんじゃなかったのか?」

「悪い、まだちょっと黙ってた。

 使いどころが肝心だったから」

「――」

「奴が人形を奪うのを、最初想定してなかった。

 危険を冒してまで、シンギュラリティ・コモンズに立ち向かう理由がないだろう、普通に考えて……さぁ元凶のお出ましだ」


 ハッチが展開し、ドライアイスのような冷気が、森のなかに立つふたりの足元にも及ぶ。


「出てこないな」

「うん」


 水瀬と金紅は、装甲の表面をよじ登ると、中で凍り付いて気絶した青年の顔を拝む。

 金紅は徐々に、苦々しい顔を始めた。


「あぁ……、やっと想いだしてきた。

 とんだ災難というか――こいつはいったい、何者だ?」

『マスター!』

「トリム、お前も復帰したのか。

 結局こんなことで済むとは、あっけない」



「にしてもさ――あんな物騒なもの、搭乗者には言わず乗っけてたの!?」

「人形を投入するのがどういう場所か、わかっているだろう。

 パイロットが正気を失い、人形を回収できる可能性だけが残った時、そういう想定もあった」

「あぁ……俺もはなから承諾していると、そういう契約だったっけ」

「知れば昔のお前は、自ら死にに行ったんじゃないか。

 俺はお前のそういうの、認めてたわけじゃない」

「――」


 結と話す前の自分なら、あるいはあり得る話か。

 そこまでこの天才に見透かされていたのは、まぁこいつならそうだろうとも想うし、かたや見透かされる程度の過去の自分の単調さに、少々嫌気のさすのもある。

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