第48話 剝奪
マンティスカリバーの刃先が振り下ろされ、水瀬はそれをかいくぐって木陰を巡っている。
加えて、直後自分の生成するのとまったく同じ斬撃――前の殻人形相手とは違う、紛れもない本物――が飛ぶ。
先ほどからそれの繰り返しを執拗に受け、いい加減に息切れの上限を越しつつあった。
樹海で、緋々絲に襲われている。
生身で対峙すれば、分が悪いのは当然だ。
水瀬は追ってくる人形から、一人逃げている。
「こんなところで夜を過ごすのは勘弁だが!
……そも逃げ切れるのか、これ?」
直後またしても背後に機影が迫り――水瀬を踏みつぶそうとした途端、人形の上から木や蔦が降ってくる。
仕掛けたのは、
「金紅っ!?」
「きみ、こっちだ!」
この機に乗じて、逃げ延びるしかない。
「さて――名前も存在も奪われた、だったか。
あの異能もまた、きみの持ち物だと」
「――、信じろとは言わない」
いまの自分は、ある事情から異能が使えなくなっていた。
「彼の斬撃は僕が見込んだ」
「そうだな。そしてお前はこうも約束したはずだ」
「?」
水瀬は恨めし気に吐き捨てる。
「『異能だけでも、人形だけでも辿りつけない』――そこへ俺を連れていく。お前にはかくもちっぽけな扱いだったとはな、忘れないでいた俺が馬鹿らしくなる」
「――本当だとしたら、すまん。
今の俺にはそれしか言えない」
気落ちする天才など、珍しいものを見た。
「しかし……俺の知らない約束、きみが知っていると言うのは、実に興味深い」
「矛盾、痕跡の粗についてなら、ほかにいくつでも提示できる、多少なり時間があればだけど。
たとえば茉莉緒くんだ。きみは彼に出会って打ち負かした具体的な経緯を思い出せるか?」
「そりゃもちろん!
確かアヌンナキの拠点で――て、あれ」
「そもそも観測所の異能使いであるきみは、なぜアヌンナキの拠点へ行かなきゃならなかった?」
アヌンナキに積極的に関与するには、最初に揺るぎ難い水瀬の功績である、時雨梛木の救出という過程がありきだ。
「む――、言われてみると妙だな。
相応の動機はあろうはずだが、今一つ思い浮かばない。
これがきみの言う、記憶の齟齬というやつか」
さっきからずっときみきみ呼ばれてるけど、初対面を思い出すし、言われるたびこちとら徒労を覚えてる。
これまでしてきた努力を、無碍にされたようで。
「水瀬だ。切原水瀬」
すべてを白紙に――この騒動が終わるまでは、やってのけねばならない。
「それで、緋々絲に乗ってる彼の異能は、少なくとも斬撃ではない――というのが、切原くんの言い分か」
「金紅、お前の頭脳が必要だ。
あれの正体を見極めないことには……お前とひさめさんの夢を、潰されかねないぞ」
すると金紅は、きょとんとしてから苦笑するのだ。
「いやすまん、自分が一番大変だろうに、肝心で出てくるのは人の心配とはなるほどなるほど……きみはそういう奴なんだな、だんだんわかってきた」
「笑い事じゃない。
時雨梛木という名前に、心当たりは?」
「新しい単語が飛び出してきたな、きみの恋人か何かか?」
「――、お前には他人事か」
彼女を知るのは、いずれかと言えば、茉莉緒のほうだ。
いまの金紅は、茉莉緒が観測所に居候した経緯に絡んでいたはずの彼女の記憶が欠落している。
やはり――すると結のことが、依然としてマンションにいた梛木の記憶から欠落しているのは……水瀬のこと諸共、この三か月ほどであったことを忘れているということだ。
おそらく結も同じ状態にある。
*
「あれ、今日はまたお友達の家に泊まるんじゃないの?」
「え?」
夕方に帰宅したら、母が珍しく早い時間に帰ってきている。加えて、樹もいた。
家族三人、水入らずとは、随分久々な気がするが――、
「友達の? 私がそう言った?」
「そう? 家にはしばらく樹しかいなかったじゃない」
「あれ、そうだったっけ……」
記憶に靄がかかる。とても大切なことを忘れている――ような?
*
金紅は通話を終えると、携帯端末を下した。
「――というわけで、茉莉緒か義母さんをそっちには向かわせる、でいいんだな?」
「あぁ。いまの彼女を憶えているのは、同じ教団にいた彼ぐらいなものだ……片時だって、ひとりにさせてたまるかよ、あんな小さな子を」
水瀬は歯ぎしりする。
「約束したんだ、家族になるって」
「色々聞きたいことはあるが――思い出す方が、これは早いのかな?」
「そう想うなら、俺に知恵を貸せ、天才」
「やけに強く出たな……悪くないね、うん」
金紅は彼の挑発的な態度にほくそ笑んだ。
「俺の異能で雁字搦めしたといえ、果たして人形を降りてくるか、そのまま追ってくるか」
「追ってくるとしたら前者だな……関節に絡まると、しばらく自由は効かない、それにあれは乗り慣れていない」
「するとはたまた後回しかもしれない。
だが彼には斬撃があり、今の君は無力だ」
「――」
そう言われると、水瀬は面白くない顔をした。
「そしてもうひとつの懸念は、キャンサーシステムが捉えた、この近場を徘徊するシンギュラリティ・コモンズ。
彼が人形使いの本分をわきまえず、人形を明け渡さなければ、俺もきみもここでおしまいだ」
「アイオライトはどうした?」
「あれのことまで知っているのか。
遅れて手配した。現場に向かわせているが、彼にもすぐ気づかれるだろう。
おまけにそろそろ日が沈むぞ」
「すると遅くても次の接触は、俺たちが公道上でアイオライトを受け取ろうとしたとき――必ず立ちはだかってくる」
「あっさり自分を含んだな?」
「認証さえクリアできるなら、俺が乗ってやってもいいんだぞ。
オイリュトミーグラフの
……ただ現状は、彼の方が先行する。
追ってくるなら、ここで返り討ちにしてやるが」
「どうやって?」
「天衣無縫の異能使いがいるのに、そりゃねぇだろ」
「きみは驚くほど、僕の異能を知っているな。
人形にしても」
「そろそろとぼけるのやめてほしいんだけど。
いや意図してないのはわかってるよ、なんとでも」
ひとつひとつ、状況を確かめるたび、言い回しがお互いにくどくなる。
*
朝礼前に徘徊していた彼――うちの学校の制服を着ていた――が私に手渡した紙片には、電話番号が書かれている。
――時雨梛木って子、知ってるかな?
いや思い出せないなら、今は仕方ない。
でも……俺たちの大切な子なんだ。
放課後でいい、あとでこの番号にかけてくれ。
名前を話せば、なんとかなるはず。
自分は名前も告げずに逃げ去った彼、紙片には加えて『平坂の名前を出せば、天縫ひさめは必ず納得する』とも記載されていた。
『うちは託児所じゃないんですけど……まぁ、だったらいっそこっちにお越しいただいた方がいいかしら』
「天縫ひさめさんですか!
父の知り合いだったっていう!?」
彼女はたまらず、身を乗り出す。
今日という一日に、違和感を憶え通していた。
すると――この電話だけが、その疑問に答えをくれる。
『お父さん――ごめんなさい、お嬢さん、そろそろお名前うかがってもよろしくて?』
「藍野結です、平坂拠邊の娘の!」
『!』
後手はとったが、水瀬の巻き返しは徐々に着実な意味をあげていた。
しかし水瀬自身の異能と剝奪された存在はどうしたら取り返せるのか――彼自身、まったく目算のつかないままだ。
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