第45話 叱る
あの日を境に、自分もまた狂ったのだ。
しかし――結果としては、それでよかったとさえ想う。
ずっと俺の箱庭で、姉さんとともにいられるのだから。
*
結界の中へ眠る少女、梓を象る
結界にまつわるものであるなら、召喚さえお手の物とは、金紅が見ても技巧に感心するだろう。
いや――アイオライトもちょうど戻ってきた。
ニードルスピアの先端には、拭いきれずに異形の血痕がわずかばかり遺っている。
『水瀬、悪いが仕掛ける』
水瀬も止めなかった。
スピアの先端に、金紅の異能が強化された刺突だ。
直後、阻まれる。
『加減したと言え、人形で出力した異能に匹敵している!?
興味深いな?』
「やはりか……金紅、彼は本気だ」
水瀬はつまらなそうな顔を作る。
状況は長引いていた。
アイオライトがスピアを待機させるが、今以上の出力で攻撃したら、結界を貫通できようと、方丈を殺してしまう。
(人形の出力では、彼などひとたまりもないけど――殺しては行き過ぎだ)
なんとか言葉で説得せねばなるまい。
あるいは……彼がこれ以上、周辺へ被害を齎すならば、
「彼の無力化は俺でやる。
人形は下げてくれ」
『任せたよ、お兄さん』
「……――」
「ッ」
水瀬を軽く茶化す、拡声器の声。
水瀬自身はまったくスルーしたが、目の前の少年が沈痛な面持ちになるのである。
少年は姉の姿をした器を抱いて、水瀬へ依然として殺意の念動を送り続け――水瀬も自動的に払い続け、周囲にはふたりの破壊の余波が徐々に拡大していく。
「これ以上、他人を巻き込むな。
なぜそうまで壊したがる、シンギュラリティ・コモンズにしてもそうだ、騒ぎを起こし、そのなかで人が傷つく――容易に想定できたはずなのに」
「俺は姉さんをお前なんかに渡すわけがない!
姉さんを傷つける世界なんて敵だ!
……白黒はっきり付ければいいじゃないか!
あんたの力なら、俺を一掃して叩きのめすなんて簡単だろう!?
なぜ本気を出さないッ!」
「いいやお前は、姉を自ら手放すんだ」
支離滅裂である。
少年は自身の情動と正しいことの分別などついているのだ、水瀬がしなければならないのは――彼の分別を尊重することだ。
力づくでやってもいいが、彼はここまでをやらかした責任を、せめて自覚していてもらおう。
それが水瀬の考えだった。
「異能は人を呪うものだ、異能は人を救わない」
だからこの事態に決着をつけるのは、異能でなく彼自身の決意であるべき――とは、水瀬個人の理想論に過ぎないかもしれないが。
せめて最善は尽くそう。それさえできないなら……、
(梓、悪いけど俺にこいつを助けることはできない)
今度こそ、殺すしかなくなる。
身内を殺すことはさほど、問題としない――ただ梓からの願いを、叶えてやれないのは、それが他人の言葉だとしても、心苦しいものはあるとも。
だが現状――周囲には、十分以上の被害が出ている。
民間人や学生に怪我人が出れば、それは彼を招来してしまった水瀬のせいだ。
「お前――いい加減にしろよッ」
現場を俯瞰していた、樹少年が憤った声をあげる。
「あの毛むくじゃらな
他人まで巻き込むことはないだろ!」
「……あるんだよ」
樹の啖呵に、彼も静かに切り返す。
「その男の人生を壊すなら、そいつがいるだけで有害だと周囲に突きつける――そうしたらあんたらも、その男の首を差し出すしかなくなる!」
「お前、そこな兄貴より狂ってるよ……」
「ッ」
舌打ちが聞こえ、直後樹へ飛んだ結界の衝撃を、水瀬がまたしても相殺する。
「無事か?」
正直、個人的には最高の啖呵だった。
これが説得の場でなければ、水瀬は手放しで彼を褒め称えただろう。
「異能も持たない一般人に、よくも手を出したな」
こうなっては、――彼を傷つけない理由はない。
「本当にやる気か!?」
由良が悲痛な面持ちで叫ぶ。
「止めないでください、そいつはとうに一線を越えている!
これ以上の我儘は、見過ごせば人が死にます」
次に水瀬の斬撃が結界へ届けば、それはまた霧散させ、彼の敵意を強制的に奪い、ほぼ間違いなく、彼を廃人にするだろう。
「みーくん待って!」
結が水瀬の前へ飛び出し、背中を向ける。
水瀬は唖然と叫ぶ。
「よせ、危険だ! 迂闊に前に出て――」
「私に説得させて!
梓さんとは、私も話してる!」
それはまぎれもなく軽率だが、そういえばさっきも樹が彼女を呼んだ時、少年の様子は妙だった。
結もそれに気づいたなら、なんらか、勝算があるかもしれない。
だがこのような場で、素人の彼女に?
「まだあいつを、説得しようってのか」
水瀬にたったそれだけで、納得いくわけがない。
「君を差し出せるわけがないだろ!」
「だから委ねて」
「っ……」
決意は固い、らしい。
なにかあったら――そう想わずにいられない水瀬は、
「きみに何かあったら、俺はそいつを間違いなく殺すよ」
「そうならないために今行くんだ、だから」
「――、方丈を……弟を、頼む」
忸怩として俯きながら、彼女を最早止めなかった。
*
少年はなおも、切原水瀬を貶す言葉を吐く。
「あの男は、あんたを見放したんだ。
何の役に立つとも思っちゃいない、はなから期待なんてしていない、すべて壊したくてしょうがない、薄情なやつだよまったく……」
その言い分は対峙する結からして、本当は憤りたいのが山々だったが――水瀬は梓の意思を汲もうと、彼なりに抗っている。そうして今を、私に繋いでくれた。
彼に届かないことを、私が果たせれば……委ねてくれた彼に、報いたことになる。だから少年の刹那的で矮小な口上に、いちいちむきになるまでもない。
「君は強い、自分の守りたいものに真剣だ。
だから――長く抱えてきたもの、嫌でも手放さなきゃいけないよ」
「嫌だ……俺が姉さんを守らないと……この人はまた壊れてしまうかもしれない……そうなってからでは遅いんだ……」
彼の声には、困憊と迷いが見て取れる。
「梓さんが目覚めて、きみになにを想うかは知らない。
でもそれがどんな態度だったとしても、きみは必ず受け止める」
「なんでそんなこと、他人のあんたにわかるんだ」
「弟の手を引くのも、叱るのも、お姉さんの役だから」
「――」
樹とともに、この場に来て、彼に直面したならば――自分はこの場で、切原水瀬のために何ができるか、ひとつの核心に至った。
ただ彼を支えるだけじゃなく、彼の手が届かない結果を、今の私なら手繰り寄せられる。
*
すべてが終わり、一帯から結界の異能の作用が消える。
少年はどこへともなく立ち去ろうとして――、水瀬は由良に言った。
「もういいでしょう、彼を追ってもらえますか。
俺は授業が終わるなら、しばらく隠れてます」
「……こうなっては、彼を拘束しない方が難しいか」
由良も水瀬のボディガードから、本日はいったん外れることにする。
曲がり角へ駆けていった。
水瀬は結衣に振り返り、静かに言う。
「君は、案外手厳しいな。
もっと優しい言葉だって、あっただろう?」
「気休めや励ましで、あの子は納得しないと想った。
彼、きっと叱ってほしかったんだ」
「まぁ……事実、俺にはほかの手なんてなかったけどな。
叱る――には、程遠い役柄だったし。
きみはきみにしかできないことを、やってくれた」
語るごと、彼は胸を詰まらすような口調になっていく。
「ありがとう、でも」
直後彼女の肩に手をかけ、静かに抱きしめる。
「……めっちゃ心配した。
ひやひやした、もうこんなこと、起きないでほしい」
「しないでほしい、じゃないんだ」
「こうなったのは、全部俺のせいだから――また、大変になるな」
ふたりの背後から、わざとらしくせき込む音がした。
もう一人の弟である。
「まぁ、丸く収まったんでお小言言うのも野暮ですが、校舎前ですから。
そろそろみんな出てきますよ」
水瀬は彼の親切に苦笑しながら、結から離れようとする――が、強くその腕を引かれる。
「だめ、もうちょっとだけ!」
「ちょ――」
彼女の豊満な胸に首を抱かれた。
「怪我しないでよかった……みーくん」
「oh……」
案の定、敷地から戻ってくる茉莉緒にも見られる。
なんだその欧米風のリアクションは。
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