第45話 叱る

 あの日を境に、自分もまた狂ったのだ。

 しかし――結果としては、それでよかったとさえ想う。

 ずっと俺の箱庭で、姉さんとともにいられるのだから。



 結界の中へ眠る少女、梓を象る依代アバターが顕現する。

 結界にまつわるものであるなら、召喚さえお手の物とは、金紅が見ても技巧に感心するだろう。

 いや――アイオライトもちょうど戻ってきた。

 ニードルスピアの先端には、拭いきれずに異形の血痕がわずかばかり遺っている。


『水瀬、悪いが仕掛ける』


 水瀬も止めなかった。

 スピアの先端に、金紅の異能が強化された刺突だ。

 直後、阻まれる。


『加減したと言え、人形で出力した異能に匹敵している!?

 興味深いな?』

「やはりか……金紅、彼は本気だ」


 水瀬はつまらなそうな顔を作る。

 状況は長引いていた。

 アイオライトがスピアを待機させるが、今以上の出力で攻撃したら、結界を貫通できようと、方丈を殺してしまう。


(人形の出力では、彼などひとたまりもないけど――殺しては行き過ぎだ)


 なんとか言葉で説得せねばなるまい。

 あるいは……彼がこれ以上、周辺へ被害を齎すならば、


「彼の無力化は俺でやる。

 人形は下げてくれ」

『任せたよ、

「……――」

「ッ」


 水瀬を軽く茶化す、拡声器の声。

 水瀬自身はまったくスルーしたが、目の前の少年が沈痛な面持ちになるのである。

 少年は姉の姿をした器を抱いて、水瀬へ依然として殺意の念動を送り続け――水瀬も自動的に払い続け、周囲にはふたりの破壊の余波が徐々に拡大していく。


「これ以上、他人を巻き込むな。

 なぜそうまで壊したがる、シンギュラリティ・コモンズにしてもそうだ、騒ぎを起こし、そのなかで人が傷つく――容易に想定できたはずなのに」

「俺は姉さんをお前なんかに渡すわけがない!

 姉さんを傷つける世界なんて敵だ!

 ……白黒はっきり付ければいいじゃないか!

 あんたの力なら、俺を一掃して叩きのめすなんて簡単だろう!?

 なぜ本気を出さないッ!」

「いいやお前は、姉を自ら手放すんだ」


 支離滅裂である。

 少年は自身の情動と正しいことの分別などついているのだ、水瀬がしなければならないのは――彼の分別を尊重することだ。

 力づくでやってもいいが、彼はここまでをやらかした責任を、せめて自覚していてもらおう。

 それが水瀬の考えだった。


「異能は人を呪うものだ、異能は人を救わない」


 だからこの事態に決着をつけるのは、異能でなく彼自身の決意であるべき――とは、水瀬個人の理想論に過ぎないかもしれないが。

 せめて最善は尽くそう。それさえできないなら……、


(梓、悪いけど俺にこいつを助けることはできない)


 今度こそ、殺すしかなくなる。

 身内を殺すことはさほど、問題としない――ただ梓からの願いを、叶えてやれないのは、それが他人の言葉だとしても、心苦しいものはあるとも。

 だが現状――周囲には、十分以上の被害が出ている。

 民間人や学生に怪我人が出れば、それは彼を招来してしまった水瀬のせいだ。


「お前――いい加減にしろよッ」


 現場を俯瞰していた、樹少年が憤った声をあげる。


「あの毛むくじゃらな化物デカブツも、お前の差し金だってなら!

 他人まで巻き込むことはないだろ!」

「……あるんだよ」


 樹の啖呵に、彼も静かに切り返す。


「その男の人生を壊すなら、――そうしたらあんたらも、その男の首を差し出すしかなくなる!」

「お前、そこな兄貴より狂ってるよ……」

「ッ」


 舌打ちが聞こえ、直後樹へ飛んだ結界の衝撃を、水瀬がまたしても相殺する。


「無事か?」


 正直、個人的には最高の啖呵だった。

 これが説得の場でなければ、水瀬は手放しで彼を褒め称えただろう。


「異能も持たない一般人に、よくも手を出したな」


 こうなっては、――彼を傷つけない理由はない。


「本当にやる気か!?」


 由良が悲痛な面持ちで叫ぶ。


「止めないでください、そいつはとうに一線を越えている!

 これ以上の我儘は、見過ごせば人が死にます」


 次に水瀬の斬撃が結界へ届けば、それはまた霧散させ、彼の敵意を強制的に奪い、ほぼ間違いなく、彼を廃人にするだろう。


「みーくん待って!」


 結が水瀬の前へ飛び出し、背中を向ける。

 水瀬は唖然と叫ぶ。


「よせ、危険だ! 迂闊に前に出て――」

「私に説得させて!

 梓さんとは、私も話してる!」


 それはまぎれもなく軽率だが、そういえばさっきも樹が彼女を呼んだ時、少年の様子は妙だった。

 結もそれに気づいたなら、なんらか、勝算があるかもしれない。

 だがこのような場で、素人の彼女に?


「まだあいつを、説得しようってのか」


 水瀬にたったそれだけで、納得いくわけがない。


「君を差し出せるわけがないだろ!」

「だから委ねて」

「っ……」


 決意は固い、らしい。

 なにかあったら――そう想わずにいられない水瀬は、


「きみに何かあったら、俺はそいつを間違いなく殺すよ」

「そうならないために今行くんだ、だから」

「――、方丈を……弟を、頼む」


 忸怩として俯きながら、彼女を最早止めなかった。



 少年はなおも、切原水瀬を貶す言葉を吐く。


「あの男は、あんたを見放したんだ。

 何の役に立つとも思っちゃいない、はなから期待なんてしていない、すべて壊したくてしょうがない、薄情なやつだよまったく……」


 その言い分は対峙する結からして、本当は憤りたいのが山々だったが――水瀬は梓の意思を汲もうと、彼なりに抗っている。そうして今を、私に繋いでくれた。

 彼に届かないことを、私が果たせれば……委ねてくれた彼に、報いたことになる。だから少年の刹那的で矮小な口上に、いちいちむきになるまでもない。


「君は強い、自分の守りたいものに真剣だ。

 だから――長く抱えてきたもの、嫌でも手放さなきゃいけないよ」

「嫌だ……俺が姉さんを守らないと……この人はまた壊れてしまうかもしれない……そうなってからでは遅いんだ……」


 彼の声には、困憊と迷いが見て取れる。


「梓さんが目覚めて、きみになにを想うかは知らない。

 でもそれがどんな態度だったとしても、きみは必ず受け止める」

「なんでそんなこと、他人のあんたにわかるんだ」

「弟の手を引くのも、叱るのも、お姉さんの役だから」

「――」


 樹とともに、この場に来て、彼に直面したならば――自分はこの場で、切原水瀬のために何ができるか、ひとつの核心に至った。

 ただ彼を支えるだけじゃなく、彼の手が届かない結果を、今の私なら手繰り寄せられる。



 すべてが終わり、一帯から結界の異能の作用が消える。

 少年はどこへともなく立ち去ろうとして――、水瀬は由良に言った。


「もういいでしょう、彼を追ってもらえますか。

 俺は授業が終わるなら、しばらく隠れてます」

「……こうなっては、彼を拘束しない方が難しいか」


 由良も水瀬のボディガードから、本日はいったん外れることにする。

 曲がり角へ駆けていった。

 水瀬は結衣に振り返り、静かに言う。


「君は、案外手厳しいな。

 もっと優しい言葉だって、あっただろう?」

「気休めや励ましで、あの子は納得しないと想った。

 彼、きっと叱ってほしかったんだ」

「まぁ……事実、俺にはほかの手なんてなかったけどな。

 叱る――には、程遠い役柄だったし。

 きみはきみにしかできないことを、やってくれた」


 語るごと、彼は胸を詰まらすような口調になっていく。


「ありがとう、でも」


 直後彼女の肩に手をかけ、静かに抱きしめる。


「……めっちゃ心配した。

 ひやひやした、もうこんなこと、起きないでほしい」

「しないでほしい、じゃないんだ」

「こうなったのは、全部俺のせいだから――また、大変になるな」


 ふたりの背後から、わざとらしくせき込む音がした。

 もう一人の弟である。


「まぁ、丸く収まったんでお小言言うのも野暮ですが、校舎前ですから。

 そろそろみんな出てきますよ」


 水瀬は彼の親切に苦笑しながら、結から離れようとする――が、強くその腕を引かれる。


「だめ、もうちょっとだけ!」

「ちょ――」


 彼女の豊満な胸に首を抱かれた。


「怪我しないでよかった……みーくん」

「oh……」


 案の定、敷地から戻ってくる茉莉緒にも見られる。

 なんだその欧米風のリアクションは。

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