第9話 繭人形
搭乗席の裏側に写真は落ちていた。
拾い上げようとして、指が滑る。
「なにを執着してるんだ……馬鹿が」
話しかけることもしない、日々に忙殺されるふりをして、写真だけ眺めて――満たされているつもりでいた。
それが自分には、おあつらえ向きだと。
「浮かれてたのか?
違う――けど」
過去を――異能を忘れられる、たったひとつの時間。俺には眺めるあの人だけが、そうだったのに。
世界は狭い、過去は俺を追ってきた。
このまま俺は、自分を喪うのか。
あの人を好きだった自分を、諦めて――なかったことにする。
「……自分なんてとっくになかったじゃないか」
人を殺してきた。
ただやけになって、自分が誰からも認められないことを認められずに、壊して、壊されて――そんな暴力しか表現を知らないやつが、人を求めるからまた傷つける。
ハッチを開き、白色灯のもとに、ゆっくりと身をさらす。
見上げると、デッキに人影があった。
金紅が呼んだのだろう、目が合ってしまう。
*
無視して立ち去る、をとらせてもらえない。
「ご氏名だぞ――どうせやることないなら案内ぐらい引き受けたらどうだ、クラスメイトなんだろう?」
「やることって、俺だって別に好きで暇してるわけじゃ」
「ともかく頼むよ、こっちも忙しい」「――」
職員を介して、デッキの彼女に呼ばれた。
……水瀬がうろうろしているのは、ひさめが彼から仕事を奪ったせいでもあるのだが、そういう諸々、考慮してくれるでもない。
単に彼らは業務中で無愛想なわけじゃないのはわかってる、だが水瀬は文句のひとつも言わせてほしかった。
「あの赤い人形に、きみや金紅くんが乗ってるの?」
「触れられないものに、触れるための人形だ」
「触れられないものに、触れる?
どういうこと――」
コンプライアンスのことは頭にある、ここで求められるのは、第三者へ可能にして簡潔な説明だ。
「ここの名称にもかかる、表の看板にもある『繭状不定形体観測所』だ。
交感ネットワークという言葉を見たことがあるだろう」
「ニュースとかによく出てくるやつ、ソラノキとかの繭がカメラに映らないのとか、それのせいだって」
水瀬は頷いた。
「その印象でだいたいあってる。
平坂は研究の第一人者だった。
単なる仮説どまりじゃないから、ここに人形がある」
「あのひとの、研究」
「もっともここにあるものほど、当時は極まっていなかったよ。
たとえばヒヒイロノイト、あの人形の装甲なんかは、平坂の頃では到底考えられなかっただろうな」
「装甲?」
「
機体の構想は平坂の生きているころからすでにあったけど、実動段階では暗礁に乗り上げていた。
緋々絲以外のここにある旧型はすべて、フネアミと呼ばれる、繭の表層繊維質の模造材を使っている。
あくまで作用をまねただけ、それで本物に触れると、装甲だけが同化してしまい、必要なスペックを満たせなかった。
繭に触れながら、人形の姿かたちが保たれなければ、意味がない」
「じゃあ、どうしたの?」
「平坂の死後、ひさめさん――って、俺は呼んでる、技術開発部の主任がいるんだけど、そのひとが『交感ネットワークへの抗性』を有した、新しい装甲を考案したんだ。ここまで言えば、もうわかるだろう」
水瀬は説明をめんどくさがっている。
開示できるぎりぎりの内容だった。
「あれが集大成ってこと」
水瀬は無言で頷く。
「でもそれと超能力とに、どう関係が?」
「べつに異能である必要はないよ。
人形を扱うには人並みよりすぐれた、空間把握能力が要る」
「空間把握?」
彼はふたたび頷いて、語り続ける。
「空間認識ともいうね、それは動物ならみんな当たり前に持っているんだけど。両目で見るものなら光を通じて、どこになにがあるのか、距離もわかるだろう」
「それを立体的に捉えてる――」
「そうだ。
人形を扱うには、その感覚が優れている人間を席に据えればいい。
極端な話、劣っていてもある程度まではシステムが自律的な補助をするよ。誰でも乗れる。
乗れればいいってものでもないんだけどね」
「どうして?」
「交感ネットワークに、ただ触れて終わりじゃないからだ。
触れれば相手も、かならず何らかの反応を返してくる。
そのとき、こっちがどう対処するかだ。
火器の搭載には制限がある。
観測所の繭人形は、観測機であって兵器じゃない。
でもちょうどいい塩梅はないんだ、火が使えないなら、おのずと手数が限られる。
ただでさえ、触れられない相手なんだぞ」
「それって物理もダメってこと?
だったらあの剣とか、届かないんじゃ」
「交感ネットワークで特殊なコーティングを施さない限りはな。
……異能の定義は、いろいろ言われるが、なかには『極度に発達した空間認識能力、そこから派生した超常的な現象を行使する』というのがある。
人形の補助脳と同期して、拡大した空間認識のなかで使用する異能は、そのぶん強力なものになる。
――そういう特質があったなら、みんな使わない手はなかったよ。
補助脳自体、交感ネットワークの産物だ。
どういうわけか、そこから出力した異能は、届いたわけだし」
「繭に触れるため、だけじゃないんでしょう」
彼女はすでに、人形の別の仕事に気づいているようだ。
「気づいたのか。まぁ、そうだよな」
「交感ネットワークの作用で動物とかが大きくなっちゃうんだって、ニュースでやってた。駆除するんでしょう、害獣っていうか」
「それもだいぶ、表現をオブラートに包んでるほうだな」
「そうなの?」
「一般的な言葉ではないけど、俺たちは『シンギュラリティ・コモンズ』と呼んでいる」
「シンギュラリティ・コモンズ」
水瀬は異形の核心を語る。
「知性があるんだ。もしくは、霊長に至る可能性。
本来は脳のしわの数や大きさで、頭の良さが決まるわけじゃない、昔はそういう説がまことしやかに囁かれてたそうだけど――でもあれに限っては、脳の容量を含めた物理的な肥大化で、従来の習性を上回る、突拍子もない行動を起こせる」
そんな彼らの頭上へ、警報が鳴り響いた。
水瀬は眉を顰める。
「噂をすれば、なんとやらですか」
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