第9話 繭人形

 搭乗席の裏側に写真は落ちていた。

 拾い上げようとして、指が滑る。


「なにを執着してるんだ……馬鹿が」


 話しかけることもしない、日々に忙殺されるふりをして、写真だけ眺めて――満たされているつもりでいた。

 それが自分には、おあつらえ向きだと。


「浮かれてたのか?

 違う――けど」


 過去を――異能を忘れられる、たったひとつの時間。俺には眺めるあの人だけが、そうだったのに。

 世界は狭い、過去は俺を追ってきた。

 このまま俺は、自分を喪うのか。

 あの人を好きだった自分を、諦めて――なかったことにする。


「……自分なんてとっくになかったじゃないか」


 人を殺してきた。

 ただやけになって、自分が誰からも認められないことを認められずに、壊して、壊されて――そんな暴力しか表現を知らないやつが、人を求めるからまた傷つける。

 ハッチを開き、白色灯のもとに、ゆっくりと身をさらす。

 見上げると、デッキに人影があった。

 金紅が呼んだのだろう、目が合ってしまう。



 無視して立ち去る、をとらせてもらえない。


「ご氏名だぞ――どうせやることないなら案内ぐらい引き受けたらどうだ、クラスメイトなんだろう?」

「やることって、俺だって別に好きで暇してるわけじゃ」

「ともかく頼むよ、こっちも忙しい」「――」


 職員を介して、デッキの彼女に呼ばれた。

 ……水瀬がうろうろしているのは、ひさめが彼から仕事を奪ったせいでもあるのだが、そういう諸々、考慮してくれるでもない。

 単に彼らは業務中で無愛想なわけじゃないのはわかってる、だが水瀬は文句のひとつも言わせてほしかった。


「あの赤い人形に、きみや金紅くんが乗ってるの?」

「触れられないものに、触れるための人形だ」

「触れられないものに、触れる?

 どういうこと――」


 コンプライアンスのことは頭にある、ここで求められるのは、第三者へ可能にして簡潔な説明だ。


「ここの名称にもかかる、表の看板にもある『繭状不定形体観測所』だ。

 交感ネットワークという言葉を見たことがあるだろう」

「ニュースとかによく出てくるやつ、ソラノキとかの繭がカメラに映らないのとか、それのせいだって」


 水瀬は頷いた。


「その印象でだいたいあってる。

 平坂は研究の第一人者だった。

 単なる仮説どまりじゃないから、ここに人形がある」

「あのひとの、研究」

「もっともここにあるものほど、当時は極まっていなかったよ。

 たとえばヒヒイロノイト、あの人形の装甲なんかは、平坂の頃では到底考えられなかっただろうな」

「装甲?」

繭人形コクゥーノイドは、交感ネットワークに作用して、それに触れるための人形だ。

 機体の構想は平坂の生きているころからすでにあったけど、実動段階では暗礁に乗り上げていた。

 緋々絲以外のここにある旧型はすべて、フネアミと呼ばれる、繭の表層繊維質の模造材を使っている。

 あくまで作用をまねただけ、それで本物に触れると、装甲だけが同化してしまい、必要なスペックを満たせなかった。

 繭に触れながら、人形の姿かたちが保たれなければ、意味がない」

「じゃあ、どうしたの?」

「平坂の死後、ひさめさん――って、俺は呼んでる、技術開発部の主任がいるんだけど、そのひとが『交感ネットワークへの抗性』を有した、新しい装甲を考案したんだ。ここまで言えば、もうわかるだろう」


 水瀬は説明をめんどくさがっている。

 開示できるぎりぎりの内容だった。


「あれが集大成ってこと」


 水瀬は無言で頷く。


「でもそれと超能力とに、どう関係が?」

「べつに異能である必要はないよ。

 人形を扱うには人並みよりすぐれた、空間把握能力が要る」

「空間把握?」


 彼はふたたび頷いて、語り続ける。


「空間認識ともいうね、それは動物ならみんな当たり前に持っているんだけど。両目で見るものなら光を通じて、どこになにがあるのか、距離もわかるだろう」

「それを立体的に捉えてる――」

「そうだ。

 人形を扱うには、その感覚が優れている人間を席に据えればいい。

 極端な話、劣っていてもある程度まではシステムが自律的な補助をするよ。誰でも乗れる。

 乗れればいいってものでもないんだけどね」

「どうして?」

「交感ネットワークに、ただ触れて終わりじゃないからだ。

 触れれば相手も、かならず何らかの反応を返してくる。

 そのとき、こっちがどう対処するかだ。

 火器の搭載には制限がある。

 観測所の繭人形は、

 でもちょうどいい塩梅はないんだ、火が使えないなら、おのずと手数が限られる。

 ただでさえ、触れられない相手なんだぞ」

「それって物理もダメってこと?

 だったらあの剣とか、届かないんじゃ」

「交感ネットワークで特殊なコーティングを施さない限りはな。

 ……異能の定義は、いろいろ言われるが、なかには『極度に発達した空間認識能力、そこから派生した超常的な現象を行使する』というのがある。

 人形の補助脳と同期して、拡大した空間認識のなかで使用する異能は、そのぶん強力なものになる。

 ――そういう特質があったなら、みんな使わない手はなかったよ。

 補助脳自体、交感ネットワークの産物だ。

 どういうわけか、そこから出力した異能は、わけだし」

「繭に触れるため、だけじゃないんでしょう」


 彼女はすでに、人形の別の仕事に気づいているようだ。


「気づいたのか。まぁ、そうだよな」

「交感ネットワークの作用で動物とかが大きくなっちゃうんだって、ニュースでやってた。駆除するんでしょう、害獣っていうか」

「それもだいぶ、表現をオブラートに包んでるほうだな」

「そうなの?」

「一般的な言葉ではないけど、俺たちは『シンギュラリティ・コモンズ』と呼んでいる」

「シンギュラリティ・コモンズ」


 水瀬は異形の核心を語る。


「知性があるんだ。もしくは、霊長に至る可能性。

 本来は脳のしわの数や大きさで、頭の良さが決まるわけじゃない、昔はそういう説がまことしやかに囁かれてたそうだけど――でもあれに限っては、脳の容量を含めた物理的な肥大化で、従来の習性を上回る、突拍子もない行動を起こせる」


 そんな彼らの頭上へ、警報が鳴り響いた。

 水瀬は眉を顰める。


「噂をすれば、なんとやらですか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る