第8話 物騒
翌日も水瀬は学校に姿を見せなかった。
結は隣席の親友、芳川美紀乃にそれとなく話を振ってみる。
「切原くん、今日も休みだね」
「なにかされた?」
「え――なんで」
美紀乃は彼の名が出たことを、結の想う以上に警戒していた。
「昨日まで全く気にしてなかった」
「ふとってこと、あるでしょうよ」
「いなくなっても、誰も気にしない。
あんな奴、関わり合いになっちゃダメだよ、絶対に」
「……それって、言うだけの何かあったの」
「中学の時は他校の生徒と暴力沙汰、とか。
結局デマだったらしいけど、ま、火のない所になんとやらだし。
結だって、物騒なのはやでしょ」
「それは――」
昨日のアレに触れて、それでいて否定できるわけもない。
「それは……」
認めたくないとして、私は何を認められないのだろう。
あの力は生来彼の一部だ、それだけ切り離すことはできない。
昨日と同じことが、起こらない保証はない――としても、歯痒い。
もう自分や身の回りの誰かが、あの力で傷つく心配などしていなかった。
「ユイがなにを見たかは知らない。
でもそういう奴には、興味を持つことが間違いだよ」
「――」
この親友が、このような強硬を述べたことに、結は大いに驚いている。昨日、異能を突き付けられた時以上、……だが同時に想う。
試合でもない多くの暴力は、この国では一度触れたら社会的な『終い』だと。
それが振るわれる切っ掛けを、引き金を、牙を排斥し、そんなものを必要とさせなくなったなら、暴力を想像する余地さえ奪う。
危ないものは、恐怖で糾弾し、排斥する。
法治の理屈として正しいかは問題でない――だがもし、異能が明るみに出れば、今度は水瀬のようなものが排斥され、すでにそうなりかかっていた。
「彼、家族もいなくて、一人で暮らしてて」
「そんなのよくある話じゃん。
食い詰めてるとして、人とうまくいかなかったからかもしれない。
ひとりだからかわいそうとか? それはほだされすぎ」
「それでも自分がお世話になった人に、感謝してるって。
あれはきっと、虚勢でもなんでもなかった」
「――」
美紀乃はそれ以上なにも言わず、かと言って渋い顔が晴れるでもない。
結は口を噤んだ。今はこれ以上、無理だ。
(もし――)
美紀乃は嘆息とともに、ひとつの決意を固めた。
(切原水瀬が、ユイを傷つける男なら、私が絶対に引き離さなきゃならない)
*
金紅は、ひさめに水瀬の検査結果を手渡しながら問う。
「義母さんは、なぜ水瀬を養子にしないの」
「え」
それまでまったく思いもよらなかったという顔をする彼女を見て、金紅は俯く。これは重症だ。
「まずは彼の意思がどう、なんて野暮が出てくるでもない。
制度上そうしてしまえば、あいつの就職についてだって、もっと融通は利いたはずだろ。それがまた強引なやり方でもよかったはずだ、責任を持って手綱を引いていれば。
……なにか、理由があるの」
「えと……」
「それは個人的な事情か?」
最初はまごついたひさめが、おそるおそる頷く頃には、金紅はこの養い親がなにを考えているのかにおおよその見当がついている。
「正直、あの子を傍に置いていて、私が仕事に集中できる自信がない」
「ひとつ、確認してもいいかな、義母さん」
「えぇ」
「水瀬のこと、嫌いなの?」
「そんなこと!」
何度も繰り返し、首を横に振っていた。
「……観測所の敷地に、あいつを閉じ込めておかなきゃならないのは、俺たちの責任だ。
金もそうだけど、衣食住まわりとか、もっと関心持っといてやってよ。
自分のことに頓着してないから、そうなる。
まぁ義兄弟やとかく、あいつが義理の父親になるとかなら、先に相談してね、ひとまず覚悟はしておきたいから」
「なんでそうなる!?」
観測所に切原水瀬が来てから、ひさめは彼に過剰に気を使いすぎるきらいがあった。年の差はあるが、案の定――わが母は、あの少年にぞっこんだ。ここまで見事、空回りを続けている。
「つかあの子、学校に気になるコレいるって、あんたが言ってたんじゃなかった?」
ひさめは小指を立てながら、空いた手でマグカップを啜った。
金紅は懐から、生徒手帳から抜き取った結のブロマイドを渡す。
「今回の被害者だ」
「――」
彼女のマグカップを傾ける手が止まる。
「それは……、運がなかったわね」
「挙句、彼女の周りで、不審者がうろついていた節がある。
ま、母さんや水瀬より融通の利きそうな子だから、あいつがきちんと向き合えば、あるいは許してもらえるかもしれない。
「先生の娘さんか!
離婚してから娘さんのほうは母方で引き取ったと聞いたけど、確かそっちの旧姓は藍野さんだったか」
金紅は渋い顔で頷いた。
「水瀬にはもっと、外の世界の女に流れててほしかったな。
個人的には」
「どうして?」
「あいつは繭のことを嫌ってる。
関連の研究は国内では行き詰って久しいし、観測所や大して多くない研究職に係るとき、あいつ、どれだけ鬱陶しい顔作るよ。
少なくともここにいるときのあいつが、課せられた役割以上の研究に興味を持つことはない。
……俺たちの目的が叶った先で、あいつにはいったいなにが残る?
義母さん、治療や金の建前で、俺たちがあいつに重荷を強いているのは事実なんだわかってるよな」
金紅の口調は徐々に棘を帯びていた。
「彼の生徒手帳はどうしたの?
カバーはコクピットにこもった熱で爛れてたでしょ」
「藍野さん経由で昨日のうちに返しておいたが」
「ん?」
ならブロマイドを抜き取られたことはどうなのか?
ひさめはひらひらとそれを揺らす。
金紅は肩を竦めた――彼も、まったくの善人ではない。
*
「切原くん、これ」
表面の焼け爛れた生徒手帳を渡された水瀬の顔が、引き攣っていたのは、言うまでもない。
「金紅くんから渡してくれって」
言われる合間に中身をめくるが、肝心のものがない。
「中、見た?」
「――なにか入ってたの?」
「――……いや、なんでもない」
一年次文化祭のとき、彼女の写真を、有志からブロマイドへ都合してもらいました、などと正直に言えるでもなく。
金紅が抜き取った可能性、大いにありうるが、あの場では糾弾できなかった。
*
「藍野さんに、あれを見せただろ」
「あれって?」
「しらばくれるなッ」
医務室に入ってきた金紅の胸倉を掴み上げる。
「俺はコクピットに残った生徒手帳を拾っただけだ。
もう一度、席をさらってみようか?」
「っ」
今のこいつは、彼女の写真を持っていない。
それはすぐわかった。この件を問い詰めても、はぐらかされるだけ。それよりも、だ。
「いい加減、補助脳のフィードバックの原因がわかったんだろう?」
金紅は解放され、自身の首をさすりながら、語りだした。
「補助脳のそれと同期して人形を動かすだけなら、フィードバックが発生することはなかった。
個人差を考慮しても、結局は緋々絲独自に搭載された機構に行き着く」
「緋々絲だけの――装甲と、キャンサーシステム」
「後者ではなかった」
「なら」
答えはおのずと限られる。水瀬はつぶやく。
「……ヒヒイロノイト、か」
「既存の装甲にも採用されるフネアミは、交感ネットワークに抗性を持たない、ゆえに触れてもそれだけが同化され失われてしまう。
半面、抗性を持つヒヒイロノイトは、ただ触れるだけでなく、折衝とともに得る交感ネットワークの膨大な情報を処理している。
その余剰が熱に変換されたように、それに繭側から積極的な攻勢に出られることを、我々は想定していなかった」
水瀬はさらに言った。
「違うな。最悪の想定を棄却した。
俺が最善を尽くさなかった結果、藍野さんが傷ついた――」
「現場すべての負担がお前に行ったんだ、お前のせいでさえない。
本当にすまん」
詫びる金紅に、水瀬は左手をひらひらさせて、うなだれる。
「いや、金紅の謝ることはないよ。
お前は懸念してたし、最終的に判断するのもケツ持つのも大人だ」
「でも呵責がないなんて言えば、嘘になる」
「変なとこばかり律儀だよ、お前は……」
「これから、どうするつもりだよ」
「どうするって」
「藍野さんのことだよ」
「あぁ」
半日、なるべく考えないようにしていた。
「知られたくなかった……異能があるなんて、あのひとに」
「それは、悪いことなのか?」
「異能は人を呪うものだ、異能は人を救わない。
ま――お前なら有意義な使い方は思いつくよ、そのまま進めばいい。
けど俺は間に合わなかった」
「ふむ。
それじゃ藍野さんは俺がもらっていい?」
「は」
水瀬はそれを聞いて、顔を起こす。
ただただあっけに取られていた。
「……金紅は、なんでも手に入るだろ、なにを今さら」
「それがそれ以上を求めない理由にはならないだろ?」
「お前がそれをやるのは、勝手だ」
「諦めるの?」
「代わりに俺が、ここを出て行ってやる」
水瀬は無表情で吐き捨てると、やがてベッドから起き上がり、廊下へ出ていった。
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