第7話 異能使い
安アパートの階段を上がりながら、金紅は周囲を気にしている様子だった。
「水瀬は忘れていたようだが、俺が君に気づいたのはこれのおかげだ」
「生徒手帳、切原くんの?」
「中が気になるか。あいつの忘れ物だ。
まぁ、そっとしてやったらいいと想うがな」
「はぁ……」
中に入っていたのは、一年次の学祭のときの、結の写真だ。ブロマイド状に大きさを調整されたが、確かにクラスTシャツとこのポーズには、撮られた記憶がある。
正直、困った。水瀬が撮ったはずはないので、その筋で流通したのか。SNSの時代に、わざわざブロマイドを工面するだけでも物好きだが、うちの肖像権どうなってるんだろう?
「切原くんが、これを……父さんの娘だって、私のこと気づかなかったのに?」
自意識過剰でもなければ、なんとなく、彼が私に抱いていた関心が、うっすら透けて見える気がするが……それをこんなときに知らされても、本当に困る。
彼は父の関係者で、今回初めてそれが浮き彫りになったものの、結個人はちっとも親しくない。
「平坂の死んだ時から、彼は完全な抜け殻だ。
『異能を消してくれる』から、あの男に従ったと言っていた。
騙したわけじゃなかろうが、約束はけして果たされない。
その仮説には、欠陥があった。
水瀬の神経失調は、当時の過剰気味な投薬と副作用によるところも大きくてね。本来なら、到底一人で暮らせるような身体じゃないんだ。
異能の不調のいくらかは、そこに起因している。
……こうなったのは、大目に見てきた、俺たちのツケだな。
きみを巻き込んでしまった」
「――、そんな」
金紅の言い分が本当とすれば、水瀬は平坂に、到底いい感情は覚えないだろう。そんな相手と知っていれば――、
「水瀬が平坂をどう想っていたか知らないが、けして良好な風ではなかった。
平坂は異能使いに対する私怨があったようで、日ごろあれにきつくあたっていたとも聞くし」
「――」
「水瀬はきみに、それを話したくなかったんじゃないか」
「わりに金紅くんは、容赦ないんですね」
金紅は平坦な口調で次いだ。
「故人に何を考えるかは、水瀬自身の問題だ。
それにきみは半端な答えで納得しないとみた。
……このまま、なにも知らず水瀬に付きまとわれても、困るんだよ」
「さっき言ってた、切原君にやってほしいことです?」
「いいや。単に、身の危険だ。
これ以上深入りすれば、いよいよ戻れなくなるぞ――さて」
彼の部屋、玄関脇に箱があり、埃をはらったばかりのところに、結の鞄が置かれていた。
「まだ中にいる。
覚悟は決まったか?」
結は、静かに頷く。
*
ブザーを連打され、当初は居留守を決め込もうと思っていた水瀬はドアノブを握って、いよいよ身構える。
ドアノブから手が離れない――物理的に――異能によるものだと直感し、外へ向けて木製の扉を破った。
手前にいた金紅は、ふざけたものだ。
「金紅やっぱりお前か……」
「やぁねぇドアノブごとぶち破るとか、脳筋なん?」
「これ、外れない」
「それより、この子になにか言うことあるんじゃないの」
結がその場にいると知っていても、当初の彼は彼女をいないものとして扱おうとしたが、そうはさせてもらえない。
あんな目に遭って、またのこのこ現れるなんて腑抜けてるのか――呆れかかっているが、金紅の前だ。
俺はこれ以上、こいつの前でみっともないところを晒すわけにいかないのだった。
「平坂は異能で、俺が殺した」
「知ってる。きみを下手に庇ったって」
「――」
水瀬は金紅へ目配せた。彼は話してしまったらしい。
「どのみち、俺は人殺しだ。
そんな奴が身近に潜んでいて怖いか、それとも呆れたかな……いや、答えは聞いてない。
鞄だけ取って、さっさと帰ればよかったのに、そうすれば」
そうすれば、俺はこんな無駄口を叩かなくて済んだはずだ。
「わけも分からないものに怯えて、明日からは忘れるようにそう努めたんじゃないか。
――手が震えてる」
「水瀬」
金紅が渋り、水瀬も一旦言葉を切った。
違うだろう、この人を今更萎縮させようたってしょうがない。
「ばつが悪いのはわかってる。
だが人として、最初にしなきゃならないことはわかるよな?
今のどこに誠意があった?」
水瀬は、後ずさった。
結を哀しい目で見ながら、やがて顔を歪める。その場で土下座した。
「……許さなくていい。
全部、俺が悪かった。
謝って済むことじゃないけど、でも――ごめん。ごめんなさい。
なにをすれば償いになるのか、俺にはわからないんだ」
それを決める資格は、水瀬以外の他人にある。
「こんなところで頭下げて無様だよねぇ、切原くん、恥ずかしくないの?
私はこんな大袈裟なところ、人に見られるのすごく恥ずかしいし、嫌」
「――」
「金紅くん、部屋入ろう。
玄関先でやることじゃないよ、こんなの」
「ふむ、一理ある」
頭上を通過するふたりの言葉を、水瀬は呆然と聞いていた。
「洗面所とタオル借りるよ。
あーシャツの襟汚れちゃった、あとでこれも洗わなきゃ。
うそシャワーとトイレが一緒って、二十一世紀の物件じゃないのこれ!?」
家電も最小限しかないので洗濯機はコインランドリー頼りだ。
家探しという、物色は続いた。
金紅が台所の端からビニール袋を取り上げる。
「割ったのか、気に入ってたやつだろ。
……見事に上下で分かたれている。
僕なら直せるが」
「ひとのゴミを漁るな。
俺にプライベートはないの?」
「それで、やはり補助脳のフィードバックか」
水瀬は苦い顔で頷く。
「今までで一番ひどい」
「初の実機運用に、それだけ派手に怪我すれば、か。
すまん……こうならないよう、注意しなきゃならなかった」
「いや、金紅やひさめさんのせいじゃない。
どのみち、自立なんて無理だった、俺の我儘で――藍野さんを」
「ねぇ、実機ってなんのこと」
タオルを首にかけた彼女が、顔を拭いて戻ってきた。
水瀬たちは見合わせる。
「金紅、コンプライアンスがあるだろう。
どこまで話すつもり?」
「かいつまんで言うと、水瀬には、特殊なパワードスーツの運用に協力してもらってる」
「パワードスーツ、それって、危険なものなの」
「ただ動かすだけだ」
結は水瀬を睨んだ。
「でも怪我してるじゃん」
「それは――」
「それを使ったからでしょ?」
「――」
水瀬は言い返せない。
「人形は、彼を守るためでもある」
金紅が言う。
「どういうこと?」
「人形と同期することで、脳の処理能力が上がり、身体も物理的に増強される。
彼は観測所との契約に従ったまでだ。
本来は失調した彼の肉体を治療するための――」
それを水瀬が遮った。
「しゃべり過ぎだ!
……どうやら二区画ほど離れた先で、誰かうろついている」
「部屋の中から、そんなことまでわかるの?」
異能を定義する条件のひとつ、『極度に発達した空間把握能力、そこから派生する超常を扱える』。卓越した空間把握能力は、繭人形を扱うにも手ごろだ。
「藍野さんは見逃されるだろうが、俺たちは気付かれずに脱出しないと」
「とまぁ、色々あってね。
ここから先は部外秘だ、うちの相方が堅物ですまない」
「苦労するね、金紅くん」
結は嘆息した。
水瀬はなにか言おうとしたが、不満はあっても言い返せることがなくて、口を噤む。
(まったく初対面のはずの金紅には金紅くんで、クラスメイトの俺には切原くん、か――落差)
無視されているのとも違う、おそらく彼女は意図的に発している扱いの差、そも、細かいところにこだわっている自分は馬鹿なんだろう。
彼は静かに肩を落とした。
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