骨身

尾八原ジュージ

だい兄さんとわたし

 だい兄さんのことがずっとずっと大すきでした。かっこよくて、頭がよくて、やさしくて、スポーツでも楽器でもなんでもできるだい兄さんは、ずっとずっとわたしの自慢でした。

 だい兄さんが自動車事故にまきこまれて、両目が見えなくなり、顔の半分は火傷でひどくひきつれ、左脚の太腿から下を切断することになって、ベッドから起き上がることができなくなっても、ずっとずっと大すきでした。事故のあとで、父さんと母さんが、あんなにかわいがっていただい兄さんをほったらかすようになり、今までないがしろにしていたちい兄さんをちやほやするようになっても、わたしはだい兄さんのことが前と変わらず、それどころかもっともっと大すきになったほどでした。

 だい兄さんが退院すると、だい兄さんのお世話はわたしの役目になりました。だい兄さんはしきりにすまないと言うのですが、とんでもない、わたしはとてもうれしかったのです。だい兄さんにお給仕して、お着替えをさせ、おトイレのお手伝いまでさせてもらえるようになって、わたしはようやく自分の人生が始まったような気がしました。

 わたしがこっそりきらっていただい兄さんの恋人も、だい兄さんが前のようなだい兄さんでなくなったと知ると、逃げるように身を引いてしまいました。そのこともうれしく思いました。

 もしもわたしのようなふつうの人が、だい兄さんと同じような目にあったら、突然の不幸にとても傷ついて、いじわるな心になってしまうのではないでしょうか。けれどだい兄さんは、両手が残っているのが幸いだといって点字の勉強をしたり、杖を使って歩く練習などを始めていました。わたしにもいつもお礼を言って、やさしくしてくれました。わたしはだい兄さんをもっともっと大すきになりました。神さまのように尊いひとだと思うようになりました。

 だい兄さんの切断された足は、火葬されて小さな骨壷に入っていました。だれもそれを気にとめませんので、わたしはだい兄さんの部屋におきっぱなしになっていた骨壷を、だい兄さんが目が見えないのをいいことに、だまって自分の部屋に持っていってしまいました。

 はじめは骨壷をながめたり、なでたりしていたのですが、だんだんそれだけではがまんができなくなりました。中を見たくてふたを開けると、白い粉になっただい兄さんの左脚が入っていました。すらっと長くて形がよくて、はつらつと動き回り、陸上の大会で新記録を出したあの脚です。わたしは愛おしくてたまらなくなって、つい指先にお骨の粉をつけて、ぺろっとなめてしまいました。大すきなだい兄さんが、わたしの体にまざってしまいました。

 こんなにうれしいことがあるでしょうか。わたしはスープに入れたりお茶に入れたりあるいはただ指先につけたりして、だい兄さんのお骨をだんだん食べてしまいました。骨壷が空っぽになってしまったので、代わりに庭で拾った白い砂を入れておきました。

 わたしはこっそりだい兄さんを食べてしまって、だんだんすまないような気分になりました。それといっしょに、だい兄さんがそうなってくれたように、わたしも兄さんの一部になりたくなってきました。

 とうとうその気持ちがおさえられなくなって、わたしは自分の髪を切って、燃やして灰にしてから、だい兄さんの食事にまぜました。だい兄さんはわたしの作ったごはんを、なんでもおいしいと言って食べてくれます。その姿を見ていると、わたしはなんとも言えないしあわせな気持ちになりました。

 わたしは毎日、だい兄さんに自分の髪や爪を食べさせながら、脚を食べてしまったことを思い出すのでした。そしてそのことを誇りに思ったり、別の日にははずかしく思ったり、あるいはああするしかなかった、あれが運命だったのだと思ったりするのでした。そしていずれの日にも、やはり髪のような代わりのきくものではなくて、わたしの肉の一部をだい兄さんに与えねばならないと思うのでした。

 そこでわたしはとうとう、左手の小指を園芸用の大鋏で切り落としました。とても痛かったのですが、これでわたしの夢がかなうのだと思うとしあわせな気持ちでした。

 骨がついたままの小指を焼いて甘辛く味をつけ、夕食といっしょにだい兄さんのところに運びました。痛いのをこらえて、「これ、めずらしいお肉なのよ。骨がついてるから気をつけて」と言いました。

 目の見えないだい兄さんは「どれどれ」と言いながら、わたしの指をつまんで、ぱくりと食べました。口の中でもごもごと肉を骨から外しながら、「おいしいね、何の肉だろう」と言いました。

 だい兄さんには、自分が口の中に入れたものの見てくれも、わたしの左手に小指がないこともわかりません。そのことがわたしにはこの上ない幸運なのでした。「仔羊なんですって」というと、だい兄さんは「へぇ、はじめて食べたよ」とうれしそうに言い、口の中から骨をよって取り出すと、残ったものを飲み込みました。

 のどが動いて、わたしの指がだい兄さんの体に入っていくのがわかりました。しあわせで胸が張り裂けそうでした。わたしは声を出さないように気をつけながら、だい兄さんが見えないのをいいことに、だい兄さんの目の前で、大粒の涙をぽろぽろとこぼして泣きました。声がふるえないように気をつけながら「明日も同じお肉を持ってきましょうか」と言うと、だい兄さんは「それは楽しみだなぁ」と言って笑いました。

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