第13話 氷原の日常

 どんなに悲しくても、どんなに失っても、どんなに全てが変わっても、人は生きていかねばならない。

 翌日から氷原の日常が始まった。

 100人程度の生存者だったが、実は男性…それも現役世代が多かった。

 大地震による町の倒壊、その後の大津波を生き残るには、数々の偶然が必要だ。それなりの高所にいたこと、地震の揺れで命を落とさなかったこと、そして波をかぶらずその後の寒冷化をやり過ごせたこと。

 あの大津波は、大樹は体感的にサンシャイン60が飲み込まれるかと思ったが、瞬間的な高さではビルの数10階に相当していたはずだ。少しでも水を被っていれば寒冷化に耐えられない。びしょ濡れで冷凍庫に放り込まれればほどなく命を失う、当たり前だった。

 ゆえに、この条件を満たした数少ない生き残り達は、多くがあの早朝に物好きにも働いていた世代となる。

 老人、子供も極端に少ない。

 男性70人くらい、女性30人くらい。

 100人のうち10人程度が老人または子供(小学生以下)である。

 今更ジェンダー云々言っても仕方がない。

 大樹は女性達に生活を任せた。食事を作ったりの家事全般、駅ビル内の物資の管理などだ。

 天然の冷蔵庫で生活しているようなもので、生鮮食品から徐々に使えば、食に関してはかなりの時間耐え抜ける。

 ここに老人と子供を加えた。

 女性たちの生活で、イニシアチブを握るのはやはり秋桜中心の春夏秋冬カルテットだ。

 早々に看護師であることを認めた秋桜は頼られているし(残念ながら医師はいなかった)、夏来も物怖じしない気さくな性格で愛されている。

 ただ、この2人はそっち方面は不器用で、調理などでは役に立たない。現役看護師だった秋桜は忙しすぎる毎日の中外食メインの生活だったし、本人は覚えていないが、研究者だった夏来も同じ。

 今も2人、危なっかしい手つきでジャガイモの皮をむいている。

 「アハハ。上手上手、秋桜さんも、女王様も」と、笑ったのが冬木美冬(フユキミフユ)、24歳。

 主婦だった彼女が、調理の指揮をとっている。

 美冬は…

 この氷原の王国唯一の妊婦である。しかも、あと1月ほどで臨月だ。

 はじめ彼女を見たとき、

 「ああ…」と天を仰いだ秋桜が、

 「2人だよね、これ」と呻いた。

 双生児の出産を帝王切開など出来ない、医師もいない中行うなど正気の沙汰とも思えないが、やるしかない。

 「最悪覚悟してよ。」

 亡くなるかもしれない、救えないかもしれないと言外に伝えても、

 「わかってるよ」としか言わない。

 絶対助けてでもなく、期待しているとも言わない、運命ごと呑み込める強さを持った女性だった。

 その運命を見届けなければならない秋桜のためにも、勿論彼女自身のためにも無事であって欲しいと願う大樹だが、祈る以外できないのが現実だった。

 ここに、何故か彼女らにやたらなついている中学生の春日小春(カスガコハル)を加え、4人が後方支援部隊の中心だった。

 今も出かけようとする探索班に、

 「あ、王様‼皆さん‼今晩はカレーですよ‼」と、明るく声をかける夏来。

 自分自身の記憶がまるでない状態で、あっけらかんと役割を果たす度胸に頭が下がる。

 後ろで、彼女はニンジン担当らしい、小春が小さく手を振っている。

 女性陣に見送られる男性陣は、多分もう無理とは思うが、生存者探索、物資の調達のために外に出る。

 駅ビルには100人で数か月は暮らせるだろう物資があったが、急激な寒冷化、夏に向かっていたはずなのに日増しに昼間が短くなる異常事態だ。少しでも物を確保しようと、毎日探索に出かけていた。

 ただ、近場はあらかた探しつくしたし、遠征するには日が短い。明るい内に戻らないと拠点を見失うくらい、氷原の世界は特徴がなかった。

 時々日本ではありえない、ブリザードが吹き荒れる。

 誰にも、自分達に何が起こっているのか見当すらつかない日々だ。

 ただ、夏来を発見した駅ビルの存在は、未知の環境を過ごす一行にとって大きな武器となった。

 物資の面でも、生活する場所としても。

 地(氷)下生活は吹きすさぶ風を防ぎ、住環境として最適だ。

 1日に数回空気の入れ替えは必要だが、おおむね暖かく過ごせている。

 この空気の入れ替えの、深夜の当番を毎日大樹が請け負っていた。

 生き残り達は恐縮したが、王は決して譲らない。

 本当は1日1回でいい、1人なる時間が欲しかったのだ。

 夜間屋上への通用口を開くと、温度差から勝手に対流が起こる。冷たい空気が入り込むが、全員に寝具がいきわたっている環境なら体調を悪くすることもない。

 この奇妙な共同生活も10日目だ。

 その夜は風もやんでいて、冷え切った空気が空の青を冴えわたらせる。 

 月が見える。

 満月に近い月齢で、町の明かりがない氷原ではひどく明るい。

 それが氷に映り込み、星々も映り、上下に空があるような幻想的な光景だ。

 そんな場合でもないのに…

 きれいだなと思い、大樹は心のシャッターを切る。

 泣きたいほどに美しい。

 カメラマンとして求めていた、心が震える、その瞬間だ。

 変わってしまった、終わってしまった町をただ見つめ続けている青年に、

 「きれいですね」と、声がかかる。

 夏来だった。

 「寝ててよかったのに。」

 「いや、仮初でも旦那様がお仕事中ですからね。」

 毛布で全身ぐるぐる巻きで現れた彼女は、やはり黙って町を見ていた。

 自分とのつながりは全て忘れている。

 けれど、そこにあったはずの東京を記憶している彼女には、この光景はどんな風に見えるのだろう?

 今1度、大樹は心のシャッターを切った。

 「もういいだろう。帰ろう。」

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