4章
第12話 夏
なんだか頭がはっきりしない。
モヤで霞んだような意識に、寒かったことも手伝って、『氷の中みたいだ』と思う、夏目夏希だった。
もし氷の中に入れば、こんな感じだと思う。すりガラスみたいで周囲は見えない。何も出来ない。わからなくて…
ただ胸の内に、急いでいた、その感情だけが残っている。
寒い…寒い…
暖かい…?
「‼」
ガバッと跳ね起きる体力はなかった。
驚いたように、ハッとして目を開けた夏希の視界に移るのは、
「あ、起きた、起きた。」
あっけらかんと言った若い女性と、不安そうに見下ろしていた青年だ。
首元まで布団をかけられて、寝かされていた自分にも遅れて気付く。
「あの…」
「あ、ちょい待って。」
状況を確認しようとした夏希を制し、若い女性…看護師だった秋月秋桜がその四肢を確かめた。
凍傷を心配したのだ。手足の指先を確認し、
「ま、医者じゃないし適当だけど、ダイジョブでしょ。後でめちゃくちゃ痒くなりそうだけど。」
「ノリ軽いな、秋桜…」
「ま、平気平気」と、太鼓判を押した。
大木大樹と秋月秋桜。いつの間にか呼び捨てになるくらい、その距離が近付いている。
男女間のそれと言うより、同じ秘密を共有した戦友みたいな感覚だ。
そんな2人を眩しいものでも見るかのように見つめていた夏希だが、我慢できずに口にする。
「あの…?」
「ん?」
「私は何でこんな場所に?」
「ああ…」
「あと、私は誰でしょうかね?」
「え…」
心底困った顔でのテンプレな質問に、大樹と秋桜はしばし絶句。
「やばっ、記憶障害だわ、これ。」
「記憶障害?」
「うん、いわゆる記憶喪失。頭打ってそうだもんね、女王様。」
「は?女王?」
さらに予想外のセリフが重なって呆気にとられる夏希と、基本要領が悪いのかもしれない、オロオロと言葉に詰まる大樹を置いて、
「じゃ、私、女王様が目覚めたって、みんなのところに言ってくるわ」と、席を立つ秋桜。
「は?ずるいぞ、秋桜!」
「いやいや、2人いたって意味ないって。ちゃんと説明しといてよ、王様。大事な女王様のことなんだから。」
「あ、おい‼」
迷いを一切見せずに立ち去った秋桜と、
「王様?」
更なる疑問点に固まる夏希。
しかたがない…
大樹は『説明責任』に向き合う覚悟を決めた。
夏希の…今は勿論自分の名前すらわからない彼女の記憶喪失は、自分に関することのみ、徹底的に無くなるというものだった。
彼女は『東京』を知っていた。どんな町か、過去バイオテロにあったことさえ知っていた。
しかし、発見された場所からして恐らくは住んでいただろう、自分の住所は覚えていない。
名前も年もわからない。家族がいたかもわからない。
人々はそれぞれ仕事をし、または学業に精を出していたと知っているのに、自分の職業はわからない、と言う具合だ。
ちなみに、今2人がいるのは夏希が助け出された駅ビルの、地下3階である。
地上に出ているビルよりも、氷の下で密閉された空間の方が温かい。換気にさえ気を付ければ快適な住処になりそうだと、生存者一同ここに移動してきた。
地下1階は元がレストラン街で食料調達が容易だったため、食事をとったりするスペースで、夜間は男性の寝室にもなる。
地下2階は女性と子供の寝室で、さらに下に王家の部屋を設けてくれた。
完全に悪乗りにしか思えない…
大樹は頭を掻くが、それが生きる意味になるならと彼らの好きにさせていた。
取り合えず、大災害で氷の下に沈んだ東京のこと、偶然水が入らなかったビルの地下で夏希を見つけたことを説明した。
「はあ…そうだったんですね…」
記憶があいまいゆえだろうか?深く悲しんだり驚いたりせずに、夏希は全てを受け入れる。
「でも、なら、王とか女王とかって?」
「ああ、それは…」
自分でも納得しているわけではない。理解しているわけではないから、うまく説明できるか怪しいところだ。
それでも大樹は、一郎から聞いた『聖人待望』の思想を、その結果偶然にも自分と彼女が王と女王と言う役割を得たことを説明した。
そして頭を下げる。
「理不尽だし、わけのわからない話だと思ってるけど。
俺が王の役をすることでみんなの気持ちが和らぐなら、俺は協力していきたい。
さっきの人…秋桜って言うんだけど、彼女ともう1人、全部分かった上で話を合わせてくれている人もいる。
俺はこの平和を守りたい、だから!
あなたにも協力して欲しい!」
一気に話すと、驚いたように目を見開いていた彼女が、少し笑った。
「わかりました」と、彼女は言った。
「でも、形だけでも女王様をしていくのなら、私に名前を付けてください。」
「名前?」
「はい。名無しだとおかしいですし。」
確かにそうだ。
求められ、大樹がつけた名前は?
「ナツキ、でどうだ?」
「ナツキ?」
「うん。夏に向かっていたはずなのに、いきなり真冬以上に寒くなった。夏に来てほしい、から、夏来で。」
偶然にも本名と同じ発音で。
その後仲間の前で紹介された夏来が、ばっちりカテーシーを決めて見せた。
一郎が驚き、秋桜が吹き出すのをこらえていた。
なかなかの舞台度胸だった。
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