第11話 王の孤独
そのビルは,全くの奇跡だった。
あの大地震で崩れないどころか、窓1つ割れなかったこと。そのあとの津波にも耐え切らなければ、こうはならない。
氷の下にビル1棟分の空間が広がっていたのだ。
最上階…
現状に合わせて表現するなら地(氷)下1階はレストラン街のようだ。
「おーいっ‼誰かいないかぁ‼」
早朝の災害だったことも考えるに、おそらく無人だろう空間に大声を出す。
もちろん返事はなくて、無意識に頭を掻いた大樹である。
ただ、これで当面の食糧が手に入るなとは、思った。
今も息が白い。春から夏へと向かっていた季節が大きく後退した。真冬かそれ以下の寒さとなり、天然の冷蔵庫だ。レストランに電気はもちろん通っていないが、これなら食材は痛まないだろう。
生存者はパッと見、100人程度。
しばらく食いつなげるし、何よりこのビルは天然の要塞となる。
氷上にそびえるサンシャイン60より、地(氷)下のほうが風も防ぐ。換気さえ気を付ければねぐらにするには申し分なかった。
構造から想像するに、ここはおそらく商業ビルだ。
「さて、下には何があるかな?」
敢えてテンションを上げながら、大樹はビルを降りてゆく。窓は割れていないものの、地震の揺れで足元はめちゃくちゃだ。
気を付けて進む。
地下2階はインテリアのコーナーだ。
布団や毛布などもあり、
「いいぞいいぞ」と、さらにテンションを上げる。
そう、大樹はごまかしていた。
歩を進めるうち、割れなかった窓から厚い氷を通して日が差し込む。
そう言えば、今は昼過ぎぐらいなのだろうか?水族館にいるような、ゆらゆら揺れる陽光が幻想的だった。
大樹は心の中でシャッターを切る。
東京を飲み込んだ氷は、幸いにも透明度がかなり低い。すりガラス以下でほぼ白色。中に確実に飲み込んでいるだろう、車その他の文明の痕跡、もっと言えば人間の肉体そのものは見えなかった。
それだけが唯一の救いで…
まったく不意に。
我慢に我慢を重ねた、耐えに耐えた涙が、大きな粒となって床に落ちた。
「うっ…」
やっと1人になれた今、出来るだけ考えないようにしていた、『王』である以上私事にとらわれるわけにはいかないと、心の奥に沈めておいた自身の悲しみが押し寄せる。
初めて会った時、一郎がくどいほど『申し訳ない』と言った、その意味がのしかかった。
人が『生きる意味』の象徴になる以上、大樹は自分のために悲しむ事が出来ない。
一方で、ただ当たり前の青年である彼には家族がいて、友人がいて…
どう想像しても『助かった未来』が見えないのに、ここまで常に誰かがいて『悲しみ』をおくびにも出せなかった歪さが苦しくて。
「くそう…くそう…」
止められない涙にしゃがみ込む大樹は、それでも5分くらいで立ち上がる。
誰かが来てしまう恐怖、弱い自分を見せる恐怖もあったが、何よりもこれ以上悲しんでしまうと、強がれなくなる自分が怖かった。
父さん…母さん…
さよなら…
胸の中で挨拶して、
「よし‼じゃ、探検の続きだぁっ‼」と、テンションを上げた。
大樹は下へと進んでいく。
「ここ、駅ビルだったんだな」と、呟いていた。
氷の下のビルを下りきった先に、『〇〇駅』の看板を見つけた。
食料品売り場も見つけ、物資のさらなる確保にテンションを上げたが、残念ながら生存者はいない。
いや、遺体まで含め何者もないままに、大樹はさらに下へと向かう。
そこは駅のスペースだ。始発は動いていたと思う。駅員がいるはずだ。
「おーいっ‼誰かぁっ‼」
叫んで、返事がない。
それを数回繰り返して、宿直室を見つける。
そこで…
崩れた天井ボードの下敷きとなり、そのままこと切れている駅員2名を発見した。
初めての遺体だった。水の入らなかった奇跡のビル。その中でも人は死ぬ。当たり前に死んでしまう。
「……」
大樹はしばし言葉をなくし、立ち尽くし、心の中でシャッターを切って振り払う。
この下にはホームがある。
予感があったわけじゃない、ただの義務感だったが。
「あっ‼」
思わず声が出る。
青年はホームにぐったりと横たわる、長い髪の女性を見つけた。
「おいっ‼ダイジョブか、あんた‼」
駅員の時のように、また死んでいるかもしれない。
けど、なんだろう?生きている気がして。
「おいっ‼しっかり‼」
『しろ‼』と抱き起そうとした時、
「待った‼王様‼」と鋭い声。
秋月秋桜が、人手を連れて戻ってきたのだ。
「秋桜さん?」
戸惑う大樹に、
「頭を打っているかもしれないから、動かさないで」と指示しながら、秋桜は大樹の脇に座る。
誰にも聞こえないよう小声で、
「『さん』付けはなしね、王様。あと、私、看護師」と、困ったような笑顔で言った。
秋桜は女性の脈を確かめ、微かに上下する胸の動きも見て、
「大丈夫。低体温症エグいけど、生きてるから」と、後は手早く指示を出す。
人々から、
「女王だ。」
「女王様だ」の、声が上がり始める。
「女王?」
「王様が助けた女の人だからじゃない?」
苦笑いする秋桜。
やがて、一郎も数人を連れて駆け付けた。
氷原の王と女王の運命が、ついに現実で交錯する。
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