第7話 大

 親友の葬儀を終えて数日、その日大木大樹はサンシャイン60の屋上にいた。

 特別に許可をもらっての撮影だ。

 なんで今更サンシャインだよ、と内心文句を言いながら。

 春先とは言え朝は冷える。着ていたジャンバーの前を閉めた。

 昨日編集長に言われた。

 「東京の朝を撮って来い‼サンシャイン60の使用許可は取ってある‼」

 いや、なんで今更?

 サンシャイン60が日本1高かったのは昔の話だ。そのコンセプトならスカイツリーの上とかの方がいい。

 百歩譲ってレトロ感を出すのなら、いっそ東京タワーとかの方が…

 50代の編集長にとって、やはり日本のビルの代表がサンシャイン60なのかとも思ったが、結局大樹は文句を返すことのなく、そのままここに来ている。

 彼は未だ悩みの中だ。

 誰かの、そして自分自身の心が震えるような、そう言う1枚を撮りたいと願っている。

 それは今も昔も変わらないが…

 著名な写真家には至れない、カメラ1つで食っていくなどお呼びでもない、ただのサラリーマンとしてのカメラマンである大樹は、暗中模索のままである。

 迷いが作品に現れる。

 ただのグラビア、ただの風景さえ上手く撮れない。

 「はは。もう契約切られるかもな。」

 自嘲的な独り言。

 ファインダー越しの薄明るくなる空を見つめる。

 初日の出ですらない、春霞の夜明けだ。

 東京の街並みが見える。当たり前のビル群に、ごちゃごちゃの下町。

 何の変哲もない日常。

 でも…

 それでも…

 中が、親友が死を賭してまで守り切った町だ。

 父と母が住んでいる、個人的なつながりはなくとも多くの人々が住み、働いている町だ。

 どうすればいいかわからない。

 それでも、責めて気持ちだけは込めようと、昇ろうとする朝日にシャッターを切ろうと構えた瞬間‼

 グニャッと地平線が歪んだ。

 「えっ?」

 息をのむ…


 同じ頃、夏目夏希(ナツメナツキ)は急いでいた。

 彼女は白衣姿にコートを着込み、始発の地下鉄で大学の最寄り駅まで向かっている。

 長い髪だが…

 伸ばしたというより、面倒で伸ばしっぱなしにした感じ。髪色はこげ茶だが、これも脱色や染色したわけもなく、生来の髪色だ。度の強い眼鏡に隠されているが、整った顔立ちで二重瞼の大きな目だ。

 彼女は学生ではない。29歳の助教。

 専攻は地球科学だ。

 「極ジャンプを信じるかい?」

 いつのフィールドワークの時だったか、師事している初老の教授に聞かれた。

 極ジャンプとは、プレートテクトニクス(大陸移動説)でその根拠が否定された、地球科学上の一説だ。満杯の手桶が水に浮かんでいる。限界を超えてひっくり返るように、地球がぐるりと回転する。

 地軸の位置はそのままに、地球自身が回転して新しい北極・南極が生まれる。

 世界各地に今とは違う向きの磁気が存在することからの説だったが、大陸移動説ならこの根拠に対応できるため下火となった…

 なぜ急に質問されたかわからずに、答えに詰まる夏希に、

 「はは、年寄りのたわ言だよ」と、教授は笑った。

 「ただ、ノアの洪水をはじめとして、世界各地に大地震、大洪水の伝承がある。極ジャンプで起こるとされる大災害と酷似する。

 そう馬鹿に出来るものでもないがね。」

 だから夏希も、万に一以下の可能性に備え世界各地の観測機器にアクセス、起こらないはずの異変に備えてきたわけだが…

 その日の明け方、異常を知らせるアラーム音が鳴り響く。

 極ジャンプが始まる。

 しかも夏希の計算によれば、新しい地球儀での日本の位置が‼

 少しでも早く教授に知らせるつもりだった。

 ただの助教である自分からの発信では説得力がない。

 地下鉄を降りた。

 始発で、同じ駅で降りた人はいない。

 時間が惜しい。長いエスカレーターを駆け上がる。

 あと1歩でフロアにつく寸前‼

 「えっ?」

 突き上げるような揺れに跳ね上げられる。

 ありえない。

 天井に叩きつけられるかと思った縦揺れで、夏希の体は夢のように落ちる。

 無機質な、地下鉄駅の配管が見える天井が映っていた。

 ああ、間に合わなかった。

 ギリギリまで駆け上がっていたのが仇となる。夏希はホームまでの長い距離を落下し、途中何度かバウンドしたおかげで骨折などの怪我は負わなかったものの、頭を打って意識を失う。

 最後に聞こえていたのは、非常用のシャッターが下りるガラガラと緊迫感のある音で。

 

 夏希は知らないままだったが…

 少し前、師事していた教授は亡くなっている。

 服毒自殺だ。

 すべてに絶望して。

 

 


 


 

 



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