柔らかな宿痾
柚木呂高
トランシエント
深夜三時に鳴る電話は受信者にとってなにも良いものなど運んで来たりはしない。見ていた夢がまだ現実での出来事のように残響する中で、断続的に震える電話は夢現の体に不快感を与え、ゆっくりとわたしの覚醒を促す。水面を仰向けに遊泳していたところに無理矢理に鼻から空気を入れたれたような息苦しく鬱陶しい目覚め。部屋には寝る前に焚いた香の匂いが残っている。わたしは半分も開けることのできない目でまばゆい光を睨み、重い体を沼の中から引き出すような努力でやっとのこと電話へ手を伸ばした。闇の中で目覚めたての目にはその画面にどんな名前が表示されているのか判然としない。「はい」と、なるべく相手に不機嫌が伝わらないようにと心を砕いて絞り出すように発した一声に対して、すぐさまの返事はなく、ただマイクの近くで指や紙がこすれるような雑音が鳴り、その音の向こう側、遠くの方で、複数の男と女がはしゃぐような笑い声を響かせているのが聞こえている。辛抱強く待ってから改めて「もしもし」と言うと「あ、寝てた?」などと浮かれた声がする。声の主が誰なのか、寝ぼけて苛ついた頭で理解するのにしばし間があったが、酒と花の香りのする声音にわたしは恋人の千葉の姿を見た。「なに、どうしたの、なにかあった?」相手が恋人とわかると、わたしは声をなるべく柔らかい布のように扱って、丸い氷の玉が傷ついたり、溶けたりしてしまわないように注意しながら話しかける。機嫌の良さそうな声が、何かをしながらなのだろうか、雑音混じりに返ってくる。
「今ね、写真家のコウくんの家でみんなで集まってて、マジック・マッシュルームを試してたんだけど、キマってない人を一人残さなきゃねって話になって、コウくんは食べないって言ってたのに、食べちゃって、もうめちゃくちゃなの。みんな服脱いじゃってね、裸で性器を見せ合ったりしてて、あ、ちょっとダメでしょそれは、アハハくうすぐったい、舐めないでよ。それで~、困って電話したの」
鈍った頭で状況を読んだところで、それが深みのあるものではないとすぐに分かる。高校生だか大学生くらいの年の人間がはしゃいで行うようなくだらない軽犯罪にまるで逆上せ上がったように話す恋人とその仲間に吐き気がしたし、彼女を取り囲む男どもがその肌を舐めている姿を想像して、単純に怒りと嫉妬で狂いそうだった。しかしそういった感情を表に出すだけで、恋人というものは、自分が悪者にされていることに対して不快感を表し、如何にわたしに非がなくとも、最終的にはこちらの方との縁を切るという選択をすることをこれまでの人生で学んでいた。よってわたしはくらくらする頭を抑えながら、努めてなんでもないような態度で応答することにする。
「寝ていたけど大丈夫。覚醒剤とかじゃなくて良かった。楽しんでいるなら、嬉しいよ」
「何が良かったって? あたしは困ってるって言ってるんだけど。全員幻覚見たら誰が冷静に場を収めるのよ」
なんて言えば正解なのか、寝ぼけた頭で考えてもなかなか判然としない。わたしは慎重に「マジック・マッシュルームくらいならなにか間違ったことがおきたり、人が狂ったりしないから大丈夫だよ」と言ったが、それは別に正解でも不正解でもなかったようで、それどころか彼女は特にこちらの話を聞いておらず、仲間との会話に忙しいようだった。わたしは千葉の機嫌を損なわなかったことにホッとしながら、自分がこんなことに気配りをしていることに腹が立ってきた。彼女がこちらを観客としての役回りをあてがい、ただ単に自分が如何に楽しく、人の心に無頓着であるかを表すような態度に、わたしの脳は鉄棒をねじ込まれたように鈍く傷んだ。試すような不快感、彼女がささやかな毒婦として振る舞えるようにある舞台装置。然るに、そもそも下らないキノコが効いているかもわからない状態で雰囲気に酔って乱痴気騒ぎをしているのだからおめでたい連中である。そんな連中と一緒に喜んでいる千葉という人間の底が知れるものだとは思うが、三〇歳を超えたわたしたちは容易に別れるわけにはいかない。もし別れてしまっては、これ以降、新しい出会いや恋愛などをする体力などなくなってしまい、多くの場合は新たな恋人を得ることもできず孤独に過ごすことになるだろう。わたしとしてはここまでの年齢まで来たら、どうあってもこの女を自分のもとに置き続けて、将来的には孤独な死を免れるよう環境を維持しなくてはならないと考える。電話口で千葉は未だに何かしらを言っているが、相手には会話をしようと言う気もなく、ただ言葉を投げかけることだけしか関心がないことに気が付いていたから、わたしのほうももうあまり内容も聞かずに「うん」とか「そうか」とか相槌を打つのみである。彼女の会話の中にわたしはいない、あるのは彼女が如何に自分は悪どく輝けるか、如何にそうやって人の心踏みにじれるかという悪戯な演舞でしかないのだ。そのうちに話も終わったかわからないうちに、わたしが「愛しているよ」と言うと返事の代わりに遠い会話と笑い声とともに電話がプッツリと切れた。ため息をついて布団から出ると、サイドテーブルに置いてあるミネラルウォーターを二口程飲む。暗闇の中で自分が眠気から覚醒したのを感じる。一度目が覚めると再び眠ることが難しいのでこのまま朝まで起きていることになるだろう。彼女はあの子供の遊びのような宴会のあと、男どもと乱交をするだろうと考えた。わたしを傷つける為というよりは、自分が如何にわたしに許容されているかを確かめるために。体がタールに沈んだように重く、心にわだかまる感情が渦を巻いて、粘土の高い液体が喉の辺りまでせり上がってくるかと思われる。まだ中身の残っているペットボトルをつかむと力いっぱい壁に投げつけた。それは暗闇の中で溶けて消えて、ただ音だけがその存在を主張していた。
会社に出勤するまでには随分時間がある。寝室を出て居間に向かうと寒さに肩を震わせながらPCを起ち上げ、デスクの上に置きっぱなしのグラスにアブサンを入れる。始業時間までには体のアルコールも抜けるだろう。ディスプレイの灯りを頼りに部屋に点在している間接照明のスイッチを入れていく。彼女を許す。わたしは部屋の隅に立てかけてあるホルスト・ヤンセンがカラスの死骸を描いた複製画に目をやって、その死のイメージを心のなかで反芻する。「わたしは彼女を許すだろう」と口に出して言ってみて、その言葉が如何に自分の中で反響するかを確認して、その心の凹凸が波紋にぶつかって浮き彫りになるように、心静かに動向を伺ってみる。さざなみ。アブサンの甘みとアルコールが口の中で煙のように広がる。適当な動画サブスクリプションサイトを開いて、トップページにピックアップされているバナーを選びもせずにクリックし映画を再生した。最初の一五分ほど観てから、関心をなくして読みかけの本を手に取り捲っていく。文字の上を目が滑って、何度も同じ文章を読み返し、自分が何にも集中できておらず、さざなみに気を取られ続けているのを自覚した。ただ孤独でないための装飾品として彼女をそばに置いているだけならば、こういった出来事に拘泥する必要もないのに、わたしの何処かはあの女を愛していて、それが心にわだかまりを生じさせ、感情を乱し、さざなみを惹起するのだ。何度も同じ文章を繰り返し読んで、やっとのことで次のセンテンスへ向かったところで、またさざなみが文章を上から塗りつぶすので、何度も何度も繰り返し読み直す羽目になった。あたかも黒い霧ベールの隙間から見える文字を、角度を変えながらやっとその整合性を手に入れようと躍起になるように、繰り返し繰り返し文をなぞった。やがて疲れ果て、夜は明けて、その疲労の先に呻吟の時間が過ぎたように思われた。
伊勢丹で買った肌着を下に着て、細身のシルエットシャツとゆったりとしたカーディガン、ジョッパーズのパンツを穿き、チェスターコートを羽織る。どれもハイブランドのプレタポルテ。髪を後ろに撫で付けて、ムスタッシュワックスでひげを整えると、磨いておいたピカピカのイタリア製サイドゴアブーツを履いて出かける。服装は自分自身の精神の有り様を変化させる手段の一つであり、また、人からの様々な角度からの視線を受け流す盾のようなものである。服装にこだわることは、わたしにとっては処世術の一つであり、世界の中で自分自身の存在が、世のいきれに蒸されて小さく縮こまってしまうのを防ぐための手段であった。電車を降りて、新宿の東口を出る。腕時計を見ると会社に向かうにはまだ時間が早い、わたしはいつもの喫茶店に入り生ハムとチーズのサンドとコーヒーが一緒になったモーニングセットを注文する。すると同じ会社の他部署に所属する近藤があとから入ってきて当然のように同席をする、いつもの朝の風景である。
「おはようございます。くま、できていますよ」
「ああ、ちょっと、あんまり眠れなかったんです」
彼女もモーニングセットを注文すると、先に運ばれてきたコーヒーを飲みながら、資格勉強の問題集をテーブルに広げて真剣な表情でそれに取り組み始める。わたしは邪魔をしては悪いと思い、黙って文庫本を取り出すが、近藤はこちらを見ずに話しかけてきた。
「この前おすすめしてくれた映画、観ましたよ、あのなんとかスキーって人の映画」
「ホドロフスキー。何観たんです?」
「ホーリー・マウンテン?」
「合っていますよ。どうでした?」
「なんか、分かんなかったです。シュールだなって思いました」
「そっか、まあ、好みは別れるかもしれないですね」
社会人になって暫く経つと、人の好みというのは固着化され、新たな価値観に目覚めることはないという確信がわたしの中で形をなすような気がしてくるように感ぜられる。皆歳をとると新たな楽しみや視点を得るための受け皿を作り出すという一連の努力や勉強を嫌い、今まで好んで親しんだもの以外をはなから受け付けなくなるようだ。わたしは自分の好きなものや人の好きなものをどんどん吸収して世界を広げたいと考えているが、全ての人間がそのように考えているわけではないことを痛感させられるし、それどころか、自分自身もまたその桎梏にハマって身動きが鈍くなっていることを自覚できずにいるのではないかと考えることもある。相手は特に頓着していない様子ではあるが、紹介したものが相手の気に入らなかったことに少し気まずい気持ちになり、話を逸らそうと思って別の話題を振る。
「しかし偉いですね、資格の勉強。おれの部署は資格とかあまり関係がないようなところだから、つい目をそらしがちになっちゃって」
「夛田さんは自己評価書くのって得意ですか?」
「書類とかでですか? いや、あんまり得意じゃないですね」
「自分が劣っている人間であるとか、ダメな人間であるとか考えると、自己評価
に書くものって何も思いつかないんですよ。なにか良いことを書こうと思ってもそれが全部嘘のように感じてしまう。でも資格はこういう能力があると然るべき機関からの保証が手に入るんですね。本当のことしかないから、嘘がどうとか気にせず書ける。資格はわたしのこういう卑しい部分を補うための手段なんです。まあお仕事のお給料が上がるというのもあるんですけれどね」
「近藤さんは学歴も高いのに、そういう風に感じることがあるんですね」
これは失点のコミュニケーションである。
「こういう気持ちは学歴と関係なく発生するものですよ。友人にはインポスター症候群って言われたこともありますが、そんなに大層なものではないと自分では思ってます。ただ自信が持てないだけです、いくら上手くいっても、それは時の運で自分の実力と結びつかない。でもまあ、資格はそういうの客観的に保証してくれるので良いって話です」
「なるほど、そう言われると納得ができるものがあります。おれもどちらかというと自分の欠点にばかり目が行くたちなので。資格か、なにか考えてみようかな」
言葉を探して、口をついて出るのは当たり障りのない音だけだ。すると近藤は「フフ」と笑った。なにか下手なことを言ってしまったかと不安になっていると、彼女は顔を上げてこちらを見ながらコーヒーを啜る。控えめな湿った音。
「これくらいの距離感の人だと、ついつい本音で喋ってしまいますね。こんなこと、恋人や上司には言わないですよ。自分を磨くための資格だって言い張るでしょうね」
近藤はわたしとのこの距離感にリラックスした雰囲気を感じている。対してわたしは結局言葉を選び、相手に好かれようとして、正解を探しては舌先で石ころのように味のしない言葉をころころと転がしている。とはいえ彼女との友人のようでいながらそこまで近くなく、同じ職場の人間というだけの接点にしては距離が近いこの関係は、わたしも心地が良いと感じている。一応気は使うものの、いつ関係が破綻しても痛みのない、切り離し可能な外部接続品という感じの人間関係。これが我々に共通する心地よさの正体であろう。
「そろそろ私の部署、始業時間なので」
「ああ、じゃあ一緒に出ますよ」
近藤は手のひらをくるくると振ってお気になさらずともご自由にとも取れる曖昧な身振りをしたが、わたしも早めに仕事に手を付けておきたかったらちょうどよい頃合いであった。閉じた文庫本はほとんど進んでいないが、結局は昼休みを一人で過ごすときや、帰りの電車などで読むことが本命であるため、あまり気にはならなかった。
職場に着くと、まだコアタイムまで一時間以上も猶予があるのに長谷見がすでに出社していて、L字型のゆったりとしたスペースのデスクをきれいに整えながら、社内コラムのページを眺めている。わたしが「おはよう」と挨拶をすると、彼女はゆったりとした口調で「おはようございますぅ」と返してくる。PCにログインすると社内のお知らせに軽く目を通してから、各種情報サイトで仕事に関係があるか興味を引く記事を片端から読んでいく。知識や情報が幸福をもたらすとは限らないが、それを持つことは論理的かつ多角的に物事を省察するのを助け、自分の言葉に説得力を持たせ、新しいアイディアを発展させる為の手助けになり、仕事においてアドバンテージとなる可能性がある。業務が始まるまでのこの時間は業務そのものと同等の価値があるとわたしは思っている。
仕事を始めてから暫くすると、徐々に人が出勤してくる。私は音楽を聴いていたイヤホンを外してそれぞれに挨拶をする。誰もが自分は真面目に仕事に来ているというのを顔の筋肉や身振りを使って主張しているような格好だ。そういう空気がこの職場には漂っていて、同じポーズを取れない人間は排斥されるのではないかといった気合がこの場には漲っている。正直居心地の良い場所でないのは確かだが、課長はこの状況に満足している様子だった。というのも彼はマメに我々をそれぞれ一人ずつ誘って、飲みに連れていき、そこで職場では言えないようなことを引き出して、人間関係を潤滑にする為の努力ができていると思いこんでいるのだった。飲みの席でアルコールが入ったとは言え、自分の上司に本音など言うわけもなく、ただただ気を使うだけで仕事の残業をさせられている感覚を覚えているということなど、本人は気付きもしない。おめでたいことに、ただいい上司を演じられている自分に酔って、それが何かしらポジティブな効果を齎していると信じて疑わないのだろう。とは言え部署の空気感を気にしているのはわたしもそうであった。同じチームの人間とはそりが合わずに対立し、なんとなればお互いにしか聞こえないような小さな舌打ちをしたり「クソ野郎」などと言い合う始末である。それでも外見上は互いに無言の了解として上手くいっているように見せるため振る舞っており、はたから見るとなんの問題もないように映るといった次第。したがって課長はこのチームが根本的に険悪であることに気付いている様子もないし、他部署の人間もあそこのチームは問題もなくよくやっていると映っているようであった。わたしだって険悪な雰囲気には常に紙やすりで肌を削られているような不快感と痛みを感じているため、どうにかしたいと常々考えている。だから努めてなんにも気付いていない馬鹿のふりをして同じチームの人間に社内チャットを使って昼食へ誘うなど試みたりする。
「今日昼どう? うまいネパール料理屋見つけたんですけど」
「印刷会社から電話来る予定なのでやめておきます。お昼は先に出てくれて構わないですよ」
「わたしも一五時までに片付けなきゃいけない案件あるので~」
「おれ、他部署からの連絡待ちっす」
そんな当たり障りのない理由を立てられて断られるはもともと自明であった、今日もまたわたしは一人で食事に出るというわけである。わたしはそのネパール料理屋に行くと、如何にも手作りであるのがわかるメニュー表を見ながら、一番安いダルバートを注文する。朝に少ししか進まなかった文庫本を開いて読むが、職場のことを考えると文字が頭に入ってこないのが自覚される。気にすると際限がないので、なるべく運ばれてきた食事の味に集中するように努めた。アチャールの素朴な酸味が少し気を紛らわせてくれるようだった。しかし休んでいても時間が緩慢に流れるのがなんとも落ち着かないので、進まない文庫本を閉じて早めに帰ってくると、皆相変わらず仕事を続けていた。ところがしばらく様子を伺っているとチームの他のメンバーはわたしを除いて一斉に立ち上がり、昼食に出て行く。どうもわたしの入っていないチャットルームが作られ、その中で会話がなされ、示し合わせて行動しているように見える。もしかして険悪なのはチーム全体ではなく、ただわたしだけが避けられており、わたしだけがチームの和を乱しているのであって、他の人間は互いに上手く付き合っているのではないかという疑念が湧いてくる。そうなると自分の立場の悪さや、他者からの無言の叱責を意識して、自意識が針のように尖って内臓の間をゴロゴロと転げ回るようであった。近藤にチャットで「こんなことがあった、おれは避けられていますか」と相談をしたが、「たまたまじゃないですか。万が一そうだとしても気にして病むほうが相手の思うつぼですよ」と言う。確かにその通りなのだが、わたしはその疑念の置き場に困って、鼻を刺す悪臭を放つそれを心の何処かからどかすことができずにいた。
「お前のプロジェクト感触良さそうだったよ、海外との連携を取っているところを逆に利用して、海外の作品をこっちに入れグローバル化を意識するのは面白そうだった。アングレーム国際漫画祭とかもやっぱりそれなりの影響力を持っているし、視野に入れるのは良いと思う。ただ海外とのやりとりだから編集コストとかがどうなるかなんかもわからないし、そのあたりはしっかりリサーチと対策を事前に練る必要がある」
わたしが顔を顰めながら画面と向き合っていると上司が休憩で出ている長谷見の席に躊躇もなく座って話しかけてくる。国内外の漫画のあり方をミクスチャーする、というアイディアは常に頭の中にあって、それは国境を越えた新しい文脈を生むかもしれず、そういった新たな価値の誕生を自分の手で育てることができればなんて面白いのだろう、と思っていた。だからこの上司の報告にわたしの心は舞い上がった。まだプロジェクトとしては始動することはできないが、最初の取っ掛かりを得ることができたのだから喜ばないわけにはいかない。人間関係に多少軋轢があったとしても、目的がある限りはそれに向かって前進することができる。わたしの頭の中はプロジェクトのことで頭が一杯になって、先程までの中っ腹もすっかり追い出されてしまった恰好であった。実に単純だが、幸福とはこうしたやりがいとともに膨らんでいくものだろう。そしてそれは些末な問題を押しのけて前へ進む力を与えるのだ。
仕事のあとは全員の住処からの距離の中間あたりにあたる下北沢で降りて、いつもつるんでいる連中と合流して常連になっている安居酒屋に入る。駅で待ち合わせなかった者たちは既に店に入っていたと見えて、テーブルには様々なつまみと酒の入ったジョッキが並んでいる。店内は薄暗いが広く、年季の入った木のテーブルや椅子は傷だらけで仄かな親しみを覚える。客層は男女入り交じり、年齢層も若い学生のようなものから、なんの仕事をしているのか判然のつかない派手なヒッピー風の風貌おじさんまで種々様々である。幼馴染の藤堂は先に席に付いていて、ハイボールを煽っていた、ちょうど後続組の注文に合わせるようなペース配分である。この会は大体において新参者が一人くらい加わることが多く、同じ面子が集まることによる会話のマンネリ化を防ぐための装置として使われていた。また、面白い趣味や仕事の発展のようなものは、人間との疲労感を伴う遊びの中で繋がりを持って広がっていくことが多いという理念のもと、新たな人をどんどん招いていく、という側面もあった。今日は新しい人を含めて八人の面子になっている。
「I am not Burial」
「言ってたなぁ、フォー・テット。夏前くらいだっけ、笑っちゃった」
「おす、もうやってたか」
「トム・ヨークもそのあと似たようなこと言ってたよね」
「今日は遠野いないの?」
「あいつはいないときのほうが面白いからな」
「いなくても酒の肴になる男、遠野。ひでえな」
「こいつうちの会社に入ってきた高田。ハーディーガーディー奏者」
「ねえ夛田、あたしのバッグも一緒のかごに入れておいて」
「千葉ちゃん今日もかわいいねぇ」
集まる友人らは昔からの付き合いの者が多く、結局はそれぞれにそれぞれの職を得て、写真家や作曲家、美術学校の助教やグッドデザイン賞を持つwebデザイナー、大きな会社の社員もいれば、小さな会社の土方プログラマー、やっと売れ始めたイラストレーターなど大小様々な何かしらの自分を立証する立場を持つようになっていた。誰もが昔は何者でもなく、全員ふらふらしていて、マリファナをくゆらせては音楽に興じたり、女と寝るために絵を描いたりしていたような連中だが、なんの実績もなく、ただ若さゆえの可能性という何処に繋がっているとも知れぬ腰に付けた縄を頼りに、浮いた両足をバタつかせ生きてきた仲間たちである。地に足を付けたと言えば聞こえが良いが、一部の人間を除いた多くの場合は、夢を見るのをやめて何者にもなれなかった者たちと言えるのかもしれない。その他大勢の大人たちの仲間入りをして、そこに居場所を見出している。藤堂は自分の立場を振り返って言う。
「おれは学校とか、音楽とか、それぞれで生きてきたけど、結局今の状況を楽しむってことには変わりはなくてさ、仕事もその勉強も今までの延長で楽しいんだよな」
それはみんなの想いを代弁していたのか、それとも認知不協和を和らげるための方便なのかわたしには判然としなかった。というのもわたし自身が自分の夢が破れて、今こうして仕事をしていることに仄かな満足感とともにひんやりとした心残りのようなものを抱えているからだ。だが誰もが当時のように、何かを作り続けていないと激しい焦燥感に襲われて臭い内臓を必死に咥えているような苦い顔をしていないのはわかる。仄かな満足感がこの空間には漂っていて、確かにわたしもその一部だった。
「結局電子書籍の現場は、編集と電書部署との無理解によるすれ違いが多いよ、誰もが紙の本のほうが優れていると思っている。何れ電子書籍書店のコンテンツ容量の問題さえクリアできれば、紙の書籍のDPIを超えた解像度で閲覧できるようになる。それがいつなのかはわからないけれど、漫画家が原稿に書いた絵の熱量が紙に印刷されたときよりも高い純度で提供できるようになるはずだ」
「音楽も二極化してるな、最近ではカセットテープという不安定な媒体をその劣化の過程や音質の悪いラジカセから出る音を楽しむというメタ的な価値観もあれば、FLACのような高音質の可逆圧縮方式はもはやCDよりも高い音質で聞ける環境にもなってきて、何れ音楽も所持して楽しいフィジカルフォーマットじゃない限り、デジタルで扱われるようになるんじゃねえかな」
「ストリーミングサービスも徐々に増え始めた」
「おれは物で所持していたいけどな、本も音楽も映画も」
「あたしたちより下の世代はきっとそういうのを定額や無料で楽しむようになるよ、で、あたしたちとは価値観が断絶していく。あたしたちは取り残されて、古びたレコードを抱いて眠る」
タバコの煙が汗のかいたジョッキの横を通り過ぎて、人々の隙間を縫って溶けていく。
「でっかい鯨をさ、倒したかったんだよな」
「何の話だよ」
「海に出てクソでかい音で音楽を流しながら、激しい波にゆられて捕鯨砲で狙いを定めて。そんなんできないから絵に描いたりしたけど」
「今の生活はいいよ。友人たちが結婚していって、家庭を築いて。ここに集まれるやつも減ってきているけど、おれたちは多分ラッキーだった。社会の歯車最高」
「おれは安定したいから今の生活で満足だよ」
「夛田はメンヘラだから安定した生活に憧れがあるんだよ。変化のない生活と、ルーティンの中で生きていく規則。今までクソ適当だったからな」
「おれがメンヘラ?」
「メンヘラでしょ、よく夜中に電話かかってきて、分かんねえ話題で無限に付き合ってこっちは寝不足ってなこと頻繁にあった」
「あたしにはあんまり連絡くれないんだけど」
「それは千葉が既読無視するから」
「今日の仕事がつかれたとか、買いたい物を買おうか迷ってるかみたいな話に興味なんて持てると思う? 適当に流すのも面倒くさいから無視するでしょ」
「そういうのマメだと相手は喜ぶもんじゃない?」
「っていうか昨日? 今日? あたしがマジック・マッシュルームやってるときに、覚醒剤じゃないのとか言ってて」
「ああ、それは夛田の昔の女が」と言って藤堂は両手を首にやって苦しんでいるようなポーズを取る。
「え、嘘でしょ?」
「やめろよ、勘違いするだろ。死んでないし誇張だよ、元カノが知らない男とLSD食って首絞めセックスしたときにそのまま病院送りになっただけ」
「なにその話、聞いたことないんだけど!」
「普通に考えてそんな目にあったら彼女の心配とかせずにショックで別れるわ」
「いや、この話やめようよ。おれも思い出して辛いだけだし」わたしはそう言ってハイボールをもう一杯頼んだ。今日初めて参加してくれた高田が別の話題を振って会話の流れを変えてくれた。わたしはホッとしつつも頭を手で拭うと、冬だというのに自分がうっすらと汗をかいているのを知った。藤堂は既に酩酊している様子で、テーブルに両肘をついて大げさに両手をふらふらと踊らせた。その反動でグラスが倒れ、少し残っていたビールがガーリックポテトフライを湿らせる。わたしはもったいないように思って軽く胸を痛めたが、しかしそれに頓着するものは誰一人いないように見えた。ふらふらの頭が重力に抗えずぶらりと垂れ下がっているような状態で、まるで自分の胸に息を吹きかけるように藤堂は喋り始めた。
「夛田はさぁ、創作をやってたときは、なんだろうアウトサイダーであることを美徳とするような態度取ってたけどさ、結局本当はこういう風に仕事に従事して、そのルーティンの中で如何にそれを効率化していくかみたいな地味でちょっと社会の役に立てる立場のほうが向いてるのかもなって、ずっと思ってたんだ。サラリーマンが向いてるんだよな。おれは相変わらず社会性がないからフリーランスやってて、創作もやめられなくて苦しんでるんだけどさ」
わたしは彼特有の人のあり方を勝手に決めつけてそれを前提に話を進めていくやり方が非常に嫌いだった。そればかりではなく、彼はわたしとの会話の中で、自分の優位性を必ず取ろうとする。常に自分はわたしより繊細で優れていて傷つきやすい芸術肌で少し変わった人間であることを主張し、何処かで聞いたようなステレオタイプな天邪鬼といった姿勢を組んでいる。独自の価値観があると言えば角が立たないが、実際に感じるのは、根拠のない前提から始まる言説か、自己啓発本か何かから借りてきたマニュアルから発生する当たり障りのない言葉だ。わたしは彼のことを好きではあったが、根本的な何処かで彼に宿痾のような負の感情のしこりを抱き続けていた。藤堂は芸術家? わたしがサラリーマンに向いている? 会社の中でまるでゴキブリのように嫌われているかも知れず、孤独が浮き彫りになってくるような環境の中で、なんとか安定した精神と生活を得るために様々なストレスを体の奥のクローゼットに見えないように押し込んでいるだけの日々で。だけれどそれをここで言うのは憚られた。ここには今の自分を楽しみ、本気で明日からの新しい発展に心を踊らせた連中しかいなかったからだ。彼らは三〇歳を超えても自分の可能性を信じて疑わず、知見を広げたことでより多くの選択が目の前に拓けていると思いこんでいる。いや、こんなところで不満を言ってどうなる、面倒な顔をされるのがオチではないか。プロジェクトのこともある、未来はある。昔、今よりも無知のまま、夜通し馬鹿をしていたときはあんなにも楽しかったのに、今わたしはここにいることに苦痛を感じ始めていて、そんな自分の収まりの悪さに、彼らとの感じ方の相違に、居場所の喪失におびえてそれを認めるのが怖かった。しかし恋愛と創作の情緒不安定に振り回され続けた日々の苦痛と疲労感を思い出すと、どうしても今ある安定した生活というものを守りたいと心の底から思っているのは間違いあるまい。創作を離れたのは断腸の思いだったが、それでも安定した生活は手放したくなかったのだ。それどころか、焦燥感から逃れられてよかったと考えている自分がいることに気付いていた。そしてたとえ恋愛が、相手の我儘を噛み潰して感情が起こる前に忘却するという手段を講じているとしても。
それから数ヶ月が経った。わたしの感じる違和感、居心地の悪さは体から臭気のようににじみ出て、それは友人関係と仕事に於いて徐々に歯車の噛み合わせを狂わせていくように、ズレを発生させていった。空気は相変わらず棘を含んだ粒子が漂っていて、呼吸するたびに胸が痛むようであった。安定した生活と恋人と今後も付き合っていくための地盤、友人たちに遅れを取らないように社会人として振る舞うこと、これらの為に今の苦痛を耐えねばならない。しかしパラノイアは加速して行き、仕事の効率が恐ろしく下がっていく。論理的に考えようとするにも頭に湿ったスポンジでも詰まっているかのように重く曖昧な霧がかかり、判断も鈍くなり、いよいよ孤立していく自分を意識して、ますます仕事が手につかなくなっていくのであった。今日もチームのメンバーはわたしの誘いを適当な言い訳で断って、わたし以外の全員と昼に出ていく。何を言われているのか知れたものではないが、或いは知らぬところで讒言が蔓延り徐々に追い詰められているのではないかと思われる。わたしはそうしてあるかもわからないことを邪推しては、仕事をする能力が著しく低下し、物忘れをし、小さなミスを繰り返すようになった。会社のメンタルテストでは最悪の得点を叩き出して産業医に呼び出されて診察を受けることになった。誰もがわたしを後ろ指刺してくる、無能、ポーズだけは得意な木偶の坊、そういった声が聞こえるような気がしていた。産業医は休職も視野に判断することを勧めてきた。だが、わたしは自分のメンタル状態が、病気であると言われるのがひどく怖かった。決められてしまった瞬間、わたしの姿勢は固定されて、そう振る舞うことを約束させるようで嫌だったのだ。何かしらの理由を付けて、病院に行くのを先延ばしし続けていた。それに、他の部署の先輩などの話を聞いていると「あんなものは、正直に答えたらアウトになるに決まっているのだから、適当に減点されなそうな選択をするのが正解なんだ」などという話も出てくる。誰もが何かしらの問題を抱えていて、それらを誤魔化して生きることが全ての前提になっている。わたしだけが病んでいるのではない、誰もが等しく病んでいて、特別なことはない。特別なことがないならば、わたしは相対的に病んでなどいないのだ。ある日の朝、近藤とモーニングを一緒にしているときに、彼女は珍しく視線を上げてわたしに言った。
「顔ひどいですよ。遠慮とかせずに休職すれば良いのに。病んでいるか病んでいないかではなく、程度や種類の問題なんですよ。誰かが自分も診断テストで同じように赤点になったからって、同じ苦しみを味わっているとは限らない。どっちがどっちとも言いませんが、自分が辛いならそれを他の人の、それも専門でもなんでもない他人の尺度に委ねる必要なんかないと思いますよ。守って下さいよ自分のことを」
「でも仕事が終わってないのに休むわけにはいかないですよ」
「それは自分に言い聞かせるための言い訳。会社の人間ていうのは大なり小なり取り替え可能なんです、上司だって例外ではないです。だから夛田さん一人がいなくなったからって回らなくなるほどうちがブラックじゃないのはわかっているでしょ」
全くその通りで、わたしが病気を認めることは安定した生活に殃咎をもたらす可能性を恐れていた。だから先延ばしにしていた。そうすれば、波が去って、歯車が再びカチっとハマって、何事もなくもとに戻る可能性がきっとあるはずなのだ。深謀遠慮とは言いがたいかもしれないが、わたしにも人生の計画があって、その道筋は安定した生活の上に敷かれるものである。ここでその道が遠のくような選択をするべきではないと考えたのだ。近藤なら「そんな計画は休職したくらいじゃ少し先延ばしになるだけで、大きな障害にはならないですよ」とか言いそうなものだが、今ですら精神的な弱さを笑われているような人間関係の中で休職するのは、それを認めているようなものでとても嫌だった、はみ出したくない、その方が心が耐えきれないと思ったのだ。会社はあくまで手段であって、居場所はあの交友関係の中にあると思っているから。今を耐えればいいのだ、あと少し、きっとあと少しで私は良くなって、仕事も元通り滞りなく、ミスもなくこなせるようになるはずだ。脳みその皺という皺に粘ついた煙のようなものがこびりついている。自分だけが排斥され、なにか知らない間に何者かが仕掛けた陥穽にハマってしまったというパラノイア。あと少し、あと少し経てば私は良くなる、きっと、元通りになる。あの連中とは別にマイペースを貫く長谷見だけがわたしに普通に接してくれる。大丈夫、まだ大丈夫。あとちょっとだけ。
あとちょっとの終焉は思っていたよりも早く来た。上司が私の椅子をポンポンと叩いて、会議室に連れていく。プロジェクトの話ではなさそうだった。遂に上司から直々に休職を言い渡されるのではないかと不安になっていると、彼はリラックスするように言って、着席を促した。二人で入るには些か広い会議室で、互いに向い合せで座る。自分のデスクに設えられたオフィスチェアよりは安そうだが、それでもそれなりの値段がしそうな椅子に我々は座って、見つめ合う。明るい照明の中で二人の影が薄く複数に分裂して伸びている。
「まあなんで呼び出されたかわかっているかもしれないけど」
何もわからない。わたしは休職をせずに頑張っていただけだ。
「最近ミスも仕事の抜けも多い、はっきり言って集中力に欠けている。うちの部署はまだ発展途上にあるが、夛田くんは向上心どころか日々のルーティンにすら忘れることがままある。早めに出勤して点数を稼いでいるつもりだろうけれど、それだけの時間を要してこのクオリティは自分自身の評価を下げる結果になっている」
「確かに最近仕事に集中できていないのは承知です、頭の中が靄がかっていて上手く行動できないのです。要点をお話下さい。改善点があれば善処します」
「いや、改善はしなくていいよ。人員を入れ替えようと思っていた良い時期だ。キミは今月いっぱいで来なくて良い」
その言葉を受けてわたしは唖然とした。会社に迷惑をかけないため、と言ってはおためごかしになるかもしれないが、それでもそういった側面があったはずだった。こういう事態を避けるために苦心惨憺たる思いで心の状態を隠し、仕事に従事しているつもりだったのに、上司はわたしのここ数ヶ月の行動に無能の烙印を押した。
「それは、心の病が原因かもしれず、上手くいかなかったこともあったかも知れませんが、それを考慮していただき譲歩してもらうことはできないのでしょうか」
「産業医からキミの状況は軽く聞いてはいるけれど、メンタルチェックに引っかかったのはキミだけではないし、それでもみんなシッカリと働いているぞ。それに休職届も出していないのはキミの意思だろう、キミはその判断に責任を持って働く義務があるし、給料を払っているこちらとしては、数ヶ月観察したキミのパフォーマンスの低下には目をつぶることはできない」
わたしが職場で他のチームメンバ―から排斥されているということは知っているのだろうか、そういった状況へのケアや情状酌量のような余地は残されていないのだろうか。
「メンタルが落ち着いたらもとのように仕事に集中することができます」
「事実として仕事ができていない。致命的なことにルーティンの仕事すらこなせていないこと。言いづらいけどキミをこれ以上置いておくわけにはいかない」
「そうですか」やっとの事で振り絞るように声にするが、相手には曖昧なうめき声のようにしか聞こえなかったかもしれない。
「まあ、キミは責任感が強いから信用しているけれど、新人への引き継ぎ期間はシッカリと出社してくれると思っている。メンタルが弱っているとか、そういう状態があるのも理解はするけれど、与えられた責務は果たしてくれると信じているよ。話は以上、質問は?」
「健康になったらもう一度戻ってくるチャンスはありますか」
「ない」
そうして上司は両肘をデスクに付けたまま両手を開いて見せて、「これ以上は交渉しても無駄だ、解散する」という態度を示して、立ち上がりわたしを残して会議室を出ていった。わたしがクビ? 自分の安定した生活の為に苦痛を我慢して、産業医の意見を無視してまで一生懸命に今日まで生きてきたわたしが、それが原因でクビ? 広く明るいはずの会議室が酷く狭まって、視界を奪っていくようだった。膝に乗せていた両手が震えながらデスクの下から現れて、手のひらをこちら側に向けて何かを訴えてくるようだ。指の指紋が奇妙に渦巻いて、粒子のような汗が蛍光灯の光を浴びて煌めいている。しばらくそうしているうちに、会議室の次の使用者が現れて、入り口を開けてコンコンと音を鳴らす。わたしは会釈をして部屋を出て歩く。廊下ですれ違う他部署の人に挨拶をされても、「どうも」と愛想のない返事をするのが精一杯であった。足元が崩れていて、バランスを崩さないように足の角度に気をつけて一歩ずつ歩いて行く、浮島のようになった廊下は少しの体重移動で裏返ってわたしを地の底へと落としてしまうのではないかと気が気でなかった。席に戻ると長谷見が陽気そうに「昇給の話でした?」などと言う。わたしは曖昧な返事とも取れない「ああ」とも「いや」とも取れない音を喉で鳴らして自分のディスプレイに向かった。もはやなんの為に働くのかさっぱりわからなかった。こういったとき、責任を最後まで果たすのが大人の態度であるのはわかってはいるが、頭のスポンジはより一層粘土の高い液体を吸ったように重く、ますます思考力を奪っていくのだった。確かにここ数ヶ月間、仕事のミスは多かったが、果たしてそれだけでクビにされるものだろうか、もっと仕事のできないやつはいくらでもいるではないか。それとも同じチームの人間がわたしの知らないところで結託して、わたしの存在がチームのストレスになり仕事の効率を落としているなどと讒言したのだろうか。讒言と言えるのか、もしかしてわたしは本当にずっと無能だったのではなかったか。パラノイアが止まらない。わたしは定時になると仕事を切り上げて、誰もがまだ残っている職場を後に、さっさと帰路に着いた。
夜、横になっているときに心が決壊する音を聞いた。キッチンに吊るしてあるワイングラスが一つ残らず落下して割れるような気分の悪い音だった。わたしは明日から出勤することができないであろうことを自覚した。せめて無断欠勤になってしまわないように、残りの一ヶ月間は休職をすることに決めた。我が社の産業医には休職届けの為の診断書を書くことはできないと言うので、何処か適当なメンタルクリニックに行って、診断書を入手する必要がある。とは言っても何処の病院が良いのか皆目見当がつかないものだから、わたしは昔から精神病で苦しんでいる友人の浜本という男に連絡を取って、今の住処からなるべく近くのところを紹介してもらった。浜本は入院をしていたから、今はそこのクリニックに通ってはいないようだったが、彼の曖昧な記憶によると悪くない医者だったと言っていた。
「死にたい気持ちはある?」
「あるよ、でもまだ彼女もいるし、支えてもらえれば、なんとか再出発できるかもしれないし、まだもうちょっともうちょっとだけ、踏ん張れそうではある」
「それは良かった。ぼくは希死念慮をもう抑えられないからこういうところに入れられている。そうすると意外と居心地が良くて、思ったよりも生きていられる。それに死ぬのは残る人に何か悪い気がしてくる」
「おれは、死ぬことは自由の一つだと思っている。今は選択肢にはないけれど、自ら選んで死ぬことは肯定されるべきだ。それが唯一の救いなら、残った人は祝福するべきだと」
「そう言ってもらえると気が楽だけど。まだ死ぬわけにはいかなそう。面白いこともまだ見たいって気持ちもあるから」
「希死念慮とは別のところで、何かの楽しみを享受する喜びと言うのは存在すると思う」
「ぼくもそう思うよ。でも今それを肯定するのは個人的には難しいかな。人によっては楽しみも悲しみも感じなくなったら、もう死とかどうでも良くなるかもしれないね。ぼくは、そうは思わないけれど。そろそろ消灯時間だから切るよ。電話ありがとう」
「こちらこそ、メンタルクリニック行ってみる」
電話を切って部屋が真っ暗なことに気が付いた。PCをつけて音楽をかける。音は耳を通り抜けてベランダの向こう側に消えてしまった。明日は病院に行ってみよう。友人の耳に入らないことを祈る。浜本は余計なことを言うようなやつでもないし、わたしが漏らさなければ誰にも知られずに済むかもしれない。
下北沢に自転車で出て、マップアプリで位置を確認しながら病院にたどり着いた。職場には適当な理由で休みの連絡を入れたが、上司は如何にも不機嫌そうであった。待合室に入ると、小綺麗だが一本の長いソファがあるだけのシンプルな作りだった。初診察前のアンケートのようなものに記入していくが、集中力の欠如、倦怠感、不眠、アレルギー、様々な項目にチェックを入れてゆき、やっとのことで提出した。暫く待たされた後に診察室に案内されると、メガネをかけて無精髭を蓄えた気難しそうな男が様々な専門書を背に高そうなラウンジチェアのような椅子に腰掛けると、わたしに着席するように促した。患者用の椅子は木製のイージーチェアで、クッションもないので座り心地が硬く、長くは座っていたくないような類のものであった。
「それで、どうしましたか」
「会社の産業医から休職を勧められて、診断書を書いてもらいたくて来ました」
わたしがそう言うと医者はあからさまに嫌な顔をして言った。
「診断書を書くには通ってもらって診察を続ける必要がある。今すぐかけるものじゃない。というか、産業医に書いてもらえば良いんじゃない?」
相手が急に敬語をやめてわたしは仄かに嫌悪感を抱いた。
「ですが、産業医の方では診断書を書くことができないので、クリニックで書いて貰う必要があると言われました」
「ああ、そう。でも今日診断書を書くことはできないから。というか診断書が目的で通院が目的じゃないなら今日はもういいから」
「診察を受けて書くことになるなら、通院するのも問題はありません」
「っていうか、診断書だけが目的なら産業医に書いて貰えよ」
「書いて貰えないからここに来たんです」
「オーケー、わかった。今日はもういいから気が変わらないんだったら今度改めて来て」
そう言うとわたしの言葉を待たずに扉を開けてにべもなく出て行けといったジェスチャーをした。わたしは医者の相手を選ぶような態度に腹を立てていたが、全ての心療内科やクリニックがそうであるわけではないかもしれないと考えて、別の医者にかかることを考えていた。
「初診の方なので三二四〇円となります」
「初診? 診察すらしてもらえなかったんですけど、その価格なんですか?」
「診察内容について、わたしらはわからないのですが、今回の請求額はこちらになります」
「わかりました。ありがとうございます。もう二度と来ません」
解雇までの期間、休職を取ると人事に連絡を入れると、休職届けに必要な診断書がない現状、今月の給料をまるまる返還しなくてはならないことになった。というのもこの会社はみなし給料で、翌月分の仕事をこなしてくれる前提で給料を付与してくれていたので、働けないのであればその分を返さなくてはならないとのことであった。もともと多い給料ではなかったので貯金はあまりなく、支払ってしまった家賃や水道光熱費などを差し引くと、ギリギリの手持ちになってしまう。このままだと診断書を受け取るための診察の支払いができない状態となる。親は定年退職をしていて、あまりお金に余裕があるわけではないから頼るわけにはいかず、かと言って他に頼れる親族などがいるわけではない。わたしはあらゆることに徐々に無気力になっていった、心が雨をたっぷり吸った泥のように重く、ねっとりとしていて、体をベッドに縛り付けた。思えばわたしにはまだまだやりたい仕事がたくさんあった。そのための展望や仕込みも少しずつ手を付けていた。しかし、急に足場が崩れ去り、生活の安定も、仕事のやりがいも、友人と対等にいるための社会的な立場も一息に吹き消された。あるのは重く膨れ上がって重い瘤のようになった心と頭、その重さで立ち上がれない。もしかしたらお金をかけずに通院するための手段がなにかしらあるのかもしれない。しかし何も調べる気力が起きない。こんな虚脱状態は以前の一時期、職を失ってニートになったときにも感じなかった。あの頃はプルーストの失われた時を求めてを全巻読み切るだけの気力があり、その物語を楽しむ余裕もあった。若さもあったから少しくらい時間を空費しても職を選べた。でも今は読書もできなければ、好きな音楽をかけるのすら煩わしい。めんどくさいというものもここまで巨大化して、抗うこともできないほどの重さになることを初めて知った。食事をしなくてはならないと思って米を研いだが、研ぎ汁の臭いがなにやらどぶを嗅いでいるようで嫌になってしまい途中で放り出した。コーヒーを挽く気力もない。普通の生活をしていた間は手挽きで香りを嗅ぎながら、ゆっくりとお湯を注ぐ時間に幸福を見出していて、そういう時間こそが心の癒やしをもたらすと思っていたのだが、今こうやって自分自身が丸められた紙くずのようになっていると、この時間そのものが煩わしくわざとらしいもののように感じて、行為そのものが馬鹿らしくなってくる。コーヒーカップも美しいものに注ぐことで気分が良くなると思っていた。だから価格の高い良いものを選んで買ったし、そういうものを選ぶことに満足感を得ていた。ところがどうだ、高級なものには何一つ今の自分を前進させる効果を持つものはない。ただ高価なだけに壊してしまうともったいないという神経を使う扱いづらい代物でしかなくなった。それにしてもこういう状態でも物を触るのに値段のことを気にしてしまうとは我ながら実に卑しいと思う。「自嘲する元気はあるのだな」と口に出して言ってもそれは閉じたカーテンの呉須色に溶けてすぐに見分けがつかなくなってしまった。今なら病名を付けられたほうが楽な気がしている。そうすれば私が職を失った理由もその名前のせいにして、心の在処を護れるように思われるからだ。全てが噛み合わなかった、心も、仕事も、生活も、人間関係も、崩れ去ったというよりは、わたし自身という歯車が動作の過程でエラーを起こしてポロリと取れて落ちた。
数日間そうして過ごして、空腹がどうしても誤魔化せなかったので、米を焚いて肉を焼き、塩を振って食べた。それは確かにうまくて、肉の脂が甘く、からだに染みてくるのを感じた。食事を終えてシンクに食器を置いたが、洗う気力は流石に湧いて来なかった。キッチンからダイニングを貫いて、いつもなら壁に掛けてある普段使いのカバンが、居間の床に放り投げられるように置かれているのが見える。病院から帰ってきたあの日からずっとそのままだ。昼だと言うのに遮光性の強いカーテンのおかげで、部屋は夜中のように暗い。あれからいつもの友人たちとの飲み会には参加していない。今日は来ないのかと連絡が来るたびに忙しいからと理由をつけて欠席しているが、実際は金がないだけだ。金がないことを知られたくない、仕事を失ってしまったことを知られたくないという気持ちから彼らを避けているのだ。恋人の千葉にはどう言うべきなのか悩ましい。友人らとは違って、いずれバレることは間違いがない。彼女はわたしを慰めてくれるだろうか。「疲れてしまったのね、かわいそうに」と言って頭を撫でてくれるだろうか、そうして貰えたらどれだけ救われるだろうか、自分の居場所を失いつつあるわたしは、その言葉で、首から吊り下がってぶらつかせた足を床につけて息継ぎをすることができるような気がする。正直に現状を告白して、認めてもらう他ないような気がする。恋人さえいてくれれば、現実はまだ再構築可能なものであるように思われる。そうだ再出発をするのだ。若くない年齢をこれ以上重ねる前に次の仕事を見つけて、安定した生活を取り戻す。数日ぶりの食事の効果だろうか、一人で立ち上がることができない状態でも、肩を貸してくれる者がいればなんとか歩けるような気持ちになってきた。わたしはバッテリーが切れそうなスマートフォンを充電器に繋ぎ、千葉にメッセージを送ろうと試みる。「仕事クビになった」いや、それだけだと自分が無能のように見えてしまう。「職場でメンタルテストがあって」それを言うとまたメンヘラだなんだなどと言われてしまう気がする。「理由があって休職していて、そのまま職を失いそう」事実を少し捻じ曲げているようであとでボロが出そうだ。駄目だ、適切な言葉で相手に伝える術が思いつかない。頭も相変わらず綿が詰まっているかの如くなにものも生まず、ぼやけている。ここは拙くても声で伝えるほうが良いかもしれない。リアルタイムで流動的な方が、言葉が出てくる、いや、出てこざるを得ない状況を作り出せる気がするのだ。まるで首にかかった縄から抜け出そうともがくように両手に力を込めてスマートフォンをつかんだ。コールが鳴るたびに耳と心臓が痛む。やがて、甘い舌足らずの声が聞こえてくる。
「どうしたの? こんな時間に珍しいじゃん」
「いや、ちょっと相談というか、報告というか、あって」
「仕事中に電話かけてくるほどのやつ? 緊張するじゃん」
「その、仕事がなくなったというか、辞めることになっちゃって」
「辞める? なんで? 今の仕事気に入ってなかった?」
「いや、辞めるというか、辞めさせられるというか」
「は? それクビじゃん。辞めるじゃないじゃん。自分の意思介入してないじゃん」
「や、うん、ちょっとわけあってすれ違って辞めさせられることになったと言う感じ」
「曖昧な言い方するなよ。普通にクビでしょ。で、どうするの、次の仕事探してる?」
「いや、探してない。探せない」
「なんか都合悪いことでもあるの?」
どう誤魔化しても自分の心の状態が原因で何の行動もできないことを伝えるしかないという事態に陥る。わたしがメンタルを壊して様々なことに支障をきたしていることを彼女に伝えれば、恐らくいつもの仲間たちの耳にも入ることになるだろう。普段からわたしをメンヘラだなんだと論ってくる連中のことだ、笑うかもしれない。笑われるのは嫌だ。そうなったらきっとわたしは彼らに会いたくないと思うだろう。右目が意思とは関係なくヒクヒクと痙攣するのを感じる。いずれにせよ、千葉に説明するなら、正直に話すしかないのは確かだ。私はつばを飲んでゆっくりと言った。
「会社でメンタルテストに引っかかって、ちょっとメンタルやっちゃってるみたいで、本当に何にも集中できないし、何も行動できなくて、それで暫く職探しもできそうにないんだ」
「は? メンタルテスト? だっさ、ちょっと待って、そんな理由? メンタルなんて心の持ちようでしょ、気持ちがあればなんとでもなるでしょうよ」
違う、そんな言葉が聞きたかったのではない。
「本当に無理なんだ。説明が難しいけれど、行動そのものが難しくて」
「怠惰を肯定してもらおうとする人間の言い訳でしかないでしょ。ちょっと休んだら行動するくらいできるんじゃないの?」
本当に無理なのだ、信じてくれ。もしわたしに病名が付いていたら千葉は信じて心配してくれたのだろうか。
「ごめん、暫くできそうにない」
頼む、わたしを肯定してくれ。「しょうがないなぁ、できるようになるまでゆっくりしてなよ」と言ってくれ。
「病院は行ってるの?」
「休職の条件満たせなくて給料なくなっちゃって、お金がなくて行けてない」
「しょうがないな、別れよ」
「え?」
「だって、お金ない、仕事ない、しかも仕事を探す気もないわけでしょ? あたしとしても協力できるならしてあげたいけど、そもそも仕事も探す気ないけどわかってくれなんて言う人間のこと、そのまま好きでいられる自信ないし、あたしたちももう三〇代も半ばに差し掛かってるわけで、将来のこととか考えたいでしょ? 今の夛田みたいな状態でめんどくさいから行動できないとか言ってる人間のこと肯定できる? できないでしょ。そういうメンタリティの人間だって知ってたら最初から付き合わないよ。いや、まあ片鱗はあったけどさ、ちゃんとした会社で仕事してたし、安定してたから気にしてなかっただけなのかも」
「ちょっと待ってくれよ、別れることはないだろう、キミさえ支えてくれたらおれはもうちょっと頑張れると思うから」
「そういう気の引き方、あたしが一番嫌いなの知ってるでしょ? ごめんだけど無理。病院は親から金借りて行けば良いのにそれすらしない。正直言って幻滅してるんだわ」
「待っててくれれば、いつかはまた安定させるから」
「いつかとかじゃなくて、考え方そのものが合わないって言ってるだけ。だから待つとか待たないとかの問題じゃない。誰かに寄っかかって、それで立ち上がれるって思うのなら、自分の心のあり方次第でなんとかなるでしょう?」
「一緒にいてくれるだけで変わるんだよ」
「依存すんなよ。先ずは自分が甘えてることを自覚しろよ。建設的な提案してみろよ。金がないから病院が行けない? そんなん本気で色々調べたり物売ったりしてなんとかしろよ。それすらできないって言ってるんだろ。無理なものは無理」
ものを売る。確かにその方法はあったかもしれない。みんなに自慢したくて集めたたくさんのレコードや本。こういったものを売ればお金になるのかもしれない。でも少しずつ、自己を形成するように集めていったこの棚に並んでいるものたちを見るとわたしは胸が締め付けられた。自分の肉体と結びついて、まるでわたしの像を結んでいるように感じていた。それがペルソナを形成するために積み上げた幻想なのは何処かで知ってはいるけれど、それらはわたし自身を立たせる両足を助ける補助輪のような役割を持っている。だからそんなことは思いつきすらしなかった。なにがなんでも相手をわたしに縛り付けておきたいという欲求が抑えられない。これは千葉に対しても向いている感情だった。今まさに自分の体の一部が剥がされていくような痛みを感じて、わたしは哀れっぽく懇願するように言うのだった。
「千葉だってこの歳で別れたらこの先困るんじゃないの?」
「まあ、困るかもしれんけど今の夛田と一緒にいるよりはマシだわ。それにあたしは性技が有効な相手ならいくらでも選択肢があるので」
最悪の回答だ。しかし同時にそれは事実であるのを知っていた。彼女の口淫は特別で、全ての本性を肯定されるような至高の許しであった。わたしは常にそれに許され、生きていて良いと保証を受けていた。それでも彼女への愛は即ち性欲であったと言うのは憚られる。彼女との言葉のやり取りや共有した時間は確かに痛みを伴うものではあるが、それは自分の愛に火を焚べていた。その時間を思い出して、それが離れていくのを思って、わたしは自分が死ぬのではないか、ここで死ななければいつ死ぬのであるかを自問した。
「じゃあね、いつか良くなると良いね。いつかっての、自分で決めないと来ないと思うけど」
こちらが声を発するよりも先に音が途切れた。あるのは部屋の中に響く無音だけ。電話の向こう側に耳を澄ませても、欲しい言葉を待っていてもそれが鳴ることはない。その静寂がカーンと頭の中で反響して、両手の力が失われた。なにものかが足を引っ張り、縄は首に深く食い込んで、わたしの人生は一つの終わりを告げたような気がした。
痛みを感じる時間というのは実に粘り気をもってゆっくりと流れる。結局、クビになるまでの間、何もせず、ただ時間だけが流れていくのに甘んじて一ヶ月が経ち、わたしのデスクに置かれていた私物は長谷見がダンボールに纏めてくれて送られてきた。会社のものは見たくなかったので箱は開けずに置いている。結局これ以上ここで家賃を払い続けることができないため、親に事情を正直に話すと、今住んでいる家を父親の名義で買うことになった。わたしは職を失ってしまったからローンを組むことができない為、そこで父親が出てきた。その方が賃貸よりも安く済むのもあったし、いずれ状況を立て直せたらローンをわたしに払わせることもできたからだ。これは親への最後の脛齧りのようなもので、彼らの優しさにわたしは恥ずかしくて矮小な気持ちになった。親はメンタルの問題と言ってもピンと来ないようだった。太宰治のようなものかと問われたが、わたしはそんな上等なものではないと答えることしかできなかった。心の持ちようでどうにでもなるし、甘えのようなものと捉えられているかもしれない。「まあちょっと休んだら仕事を探せばいいよ、それまではゆっくり休んだら」と母は言う。この年齢になって親の金で生活する。昔実家に住んでいた時分、父親はわたしに「金払っているのはおれだからな」と言って、わたしの様々な意見を打ち消してきた。その魔法の言葉が力を帯びて降り掛かってくるのが嫌で家を出たというのに、またその言葉の中で生きていかなくてはならないことに恥を感じた。はたして、普通の人間が死ぬには十分であるような分量の恥を摂取しながらも、今もまだ生きながらえている、恋人が最悪の形で去っていったのにまだ生き続けている、そんな自分が実に情けなかった。何故死なないのだ。何故まだ何か良いことがあるかもしれないと期待しているのか。
わたしは主にSNSで知り合った人、友人と呼ぶには互いのことをよく知らない、しかし共通の趣味嗜好があるといった人たちと頻繁にコミュニケーションを取るようになっていた。彼らは親しい友人たちのようにわたしがどういう存在で、どういう人間であるのかを一方的に定義してくるわけではないから気が楽だった。もちろん人というのは少なからず他者の反応や反射の中で輪郭を持つものだが、それが自分の思い描く姿と乖離していると痛みを伴うことがあるのだ。疲労感と痛みを伴うもの、それがわたしの交友関係だったのだと、離れて初めてわかった。彼らとはもう殆ど連絡を取っていない。ときどき気まぐれに一部の人から連絡が来るので返したりはしているが、他の人間はこちらから連絡をしなくなったら、ぱったりと交流が止んだ。千葉はわたしが職を失ったことを彼らに話したろうか。連絡をくれる友人の話の中ではわたしが失業していること、不如意になっていることに関して聞いてくる者はいなかった。わたしの態度に距離を測り直しているのだろう、趣味に関する話くらいで、私生活に関わる話や心のあり方などは話題にならなかった。ともかく、SNSで知り合った人々と、そう言った距離を取り直した友人らとはあくまで自分自身の像が結ばないような、適当な距離感で付き合うことができた為、自分自身の現状の哀れさなどを省察する機会を減らすことができ、逆に少しからだが動くようになったように感ぜられた。ものを少しは考えられるようになってすぐに自分が公共料金や食費などを持っておらず、このままぼうと寝転んでいればいずれ餓死してしまうことに気付いた。先ずは失業保険で糊口を凌ぐつもりで申請を行い、ストレスではあるがハローワークに通いながらなんとかやっていけそうではあった。会社都合の失業ではあったので、贅沢はできないが半年程は生きていける、その間に生活を立て直すために動けば良いのだ。上司が最後の電話で「でもキミは友人もいるしコネもあるでしょう、このまま働くよりもずっと良い職につけるかもしれないよ、これは逆にチャンスだと思うんだ。それにキミのためを思って会社都合での解雇にするわけだから、そこんところは理解してもらわなくちゃ」と言っていたのを思い出した。なんというおためごかしか。わたしはその言葉を聞いて震えるほど怒りを覚えたが、同時に職場での同僚たちの扱いや友人らの押し付けるようなわたしの同一性によって他者のことを極度に恐怖していたから、何も言い返すことができなかった。今、上司が目の前にいても、わたしの拳は握られることはないだろう。なんという臆病者、上司の言葉をありがたく受け取ったというわけだ。
ハローワークに向かう電車の中で揺られながら、恋人を失ったとき、何故わたしは命を絶たなかったのだろう、と考えていた。昔の恋愛はそうではなかった。いつだって殺すだの死ぬだのという話だった。いつだって本気で愛していて、心の全体重を乗せるように相手を抱いていた。子供連れの女性が、大泣きしている子供をあやしながら、周りへ頭を下げている。胸襟を開き、全体重を他者に預ける、千葉に対してそうだったのかと言われると自信はない。いや、わたしは次第に疲弊し、心を預けること、その激しさにうんざりし、相手への適度な距離感を保ったまま関係を持つという方法を取るようになったと思われる。千葉への私の思いは今までの形での愛ではなかった。できの悪い毒婦のように振る舞う彼女と心を乱さずに付き合うことは相手に対して無関心でいることが一番いいのだ。彼女のことを、自分の孤独を埋め、安定した生活と精神を保つための一つの装置のように見ていたと思う。だから彼女を失って狼狽をしても死ぬまでには至らなかったのではないか。心の均整を失い、仕事を失ったこと、そして恋人を失ったこと、これらは同時に訪れて、わたしの生活の何もかもを変えて壊していった。だが、わたしは何故か生きている。自分自身の状態を省察して、抜け出せない陥穽のようなものがちらりと視界の端に見えたと思ったら、わたしは全力で目を瞑ることを覚えた。その穴は見つめていると死を招き寄せるような不吉なものに思えた。だからわたしはそこにそっと蓋をして、視界に映らないように努めた。不幸とは正視することで一層火力を増し、その目に赤々と燃える苦を焼き付ける。目をそらしている間その火は徐々に弱まりいずれ鎮火するのではないか。その希望のためのインターネットの人間関係であったし、彼らとゲームに興じることで他のことをしばしば忘れさせ、時間を水洗便所のように素早く流すのだ。そう、わたしは時間を流していった。働いている間に比べれば好きに使えるお金は少なかったが、生きることはできた。人と酒を飲みに行くほどの金はなかったから自然人間関係は一人、また一人と消えて行った。遊びに行くのを断るようになると、人からの連絡はどんどんなくなっていく。先に述べた一部の当たり障りのない話しかしない友人と、直接会うことが殆どないインターネットの知り合いくらいしか人間関係というものは残ってはいない。近藤はたまに連絡をくれる。私の様子を心配しているという感じではないが、同情もしないというやりかたが彼女らしい。部屋を見回すと部屋の隅や棚の上に埃がうっすらと積もっている。働いていた頃は一日置きくらいには掃除をしていたのに今ではそれすらも億劫で、放って置きっぱなしだ。人を招待することがなくなったのも一因かもしれないが、ともかく徐々にわたしは他者に見えない部分を整えて置こうという気が失せてしまった。化粧品も底がつき、ドラッグストアで安くて量の多いものを買うようになった。SNSの知人らに勧められてソーシャルゲームにも手を出し始めた。それは刹那的な競争心と射幸心を煽って、自責の念に苛まれる時間を忘れさせてくれた。ギャンブル依存症の知り合いのことを思い出した、彼のことをわたしは心の何処かで見下していたが、実際自分がそういうものにのめり込んだときに、その金と時間の使い方が如何に快楽を誘うものであるのかを痛感した。そうしてどうにか目を逸らして生きて半年が経った。希死念慮をどうやって視界の外に置いておくか、それだけに注力した。自己省察をしない、インターネットで他人と意味のない会話をする、ソーシャルゲームで時間を溶かす。とにかく下らない、取るに足らないことに時間を使って、集中力をなくすこと。考える能力を放棄すること。そうしていくうちにわたしは本当にものを考えられない愚劣な人間に成り果てた。何が正しいか、その基準を失っていった。それというのも常識的正しさからも、法的な正しさからも、然るべき論理的権威から保証された正しさも、自分の今の在り方と生活の中からは見出すことができなかったから、わたしは自己防衛のために正しさを外に投げ捨てるしかなかった。そうして、正しさの外にある自分の生を肯定するために、正しさを正視することができなくなった。
失業保険がそろそろ切れようかという頃、あの下北沢の飲み会にいた面子の東海と藤堂から連絡があり、webメディアをやらないかという話を持ちかけられた。わたしは仲間内で一番サブカルチャーに詳しくなりたいという浅ましい理由から、本や音楽を買い漁り、ファッションやアートを調べ、映画を観た。そうやって仲間内での自分のアイデンティティを作り上げるようにして生きてきたのであったが、その偽装されたアイデンティティ、或いはペルソナはわたしが友人の中で生きて行くのに必要な処世術の一環であり、何かしらの能力を持っている彼らと交友を続けるための手段だった。その虚構が通じたのか、わたしの好みや知識を軸に偏愛的なwebメディアをしようという話であった。これからの金銭の困窮は目に見えていたし、このプロジェクトも自分のいつもしている情報収集にアウトプットが付されるだけのことのように見え、精神的にも容易な気がした。セネカの言う通り、「我々は健やかでいられる。集団から離れるだけのことで」ということだろうか、私はこれまでの人を排斥した生活により、少しだけれど生命力を取り戻しているように感じられた。そのため可能ならば再出発をしたいという気持ちが仄かに芽生えている。それに千葉のことを忘れるためにもわたしには前進が必要なように思われた。正直、下北沢の飲み会の面子の中で、特に東海と藤堂の二人はあまり顔を合わせたくない人間だった。ともすれば彼らが一番わたしという人間を外部から強く定義してくる人たちであったからだ。しかし友人の提案したこれが、わたしの再起を促すのであればと考え、話を承諾することにした。
会議は基本的にインターネットで行われた。わたしに金の余裕がないから外で集まることは難しいという判断だ。彼らもわたしと直接会うのはなんだか嫌みたいで、我が家に訪れるということはしなかったし、実際わたしは失業保険の殆どを生活費に費やし、外出などできる余裕はなかった。いつもの部屋の中で、ダイニングキッチンとリビングがひとつづきになった壁に設えたデスクに向かって、キーボードを叩く音が小さく部屋に漂っていた。昔の彼女からわけて貰ったポトスはデスクの脇で枯れかけ、葉は落ちて片手で数えられるくらいしか残っておらず、如何に自分が無精な日々を送っているかを表していた。東海がSEO周りを管理し、藤堂がwebサイトのデザインとコーディングを行い、記事の管理はWordPressを使用することになった。走り始めたばかりのメディアであるから、プレスからの情報など入ってくるわけはなく、とにかくわたしは国内外から自分の興味を引く様々な情報を集めて記事にしていった。一日に最低五件ほどの記事を更新してPVを監視して一喜一憂した。わたしが無職であることは全員口には出さないが承知のようだった。やはり千葉が吹聴したのであろう、しかし幸い彼らは無職であることを笑ったり、からかったりはしなかった。今回の提案も彼らなりのわたしへの救済であったのかもしれない。人間不信になりすぎたのであろうか、誰も彼もがわたしを指差し笑い、陰では悪口を言い、面白半分で破滅を望んでいるように感じていた。自ら現実原則に身を寄せて、安定というものを得ようとしたわたしは、生活の中で人々の悪意もしくは無意識によって歯車の形を歪にさせられたと感じていたが、その実わたし自身が感じていたものは幻想で、ただ運が悪かっただけの可能性も考えられるような気持ちになってきた。
失業保険が切れてから、わたしの貯金は底をつき不如意はいよいよ危うい状態になった。誰かから金を借りるにも返す当てがない為、ゲームやPCの周辺機器、インテリア雑貨などを売った、そのいくつかは高く売れたのでまとまった金が作れた。とは言えただ生きているだけ、時間をいくら使っても金にならない状況に気持ちが落ち着かず、記事を書いていない間は情報を読むのにも目が滑り、部屋の中を右往左往して棚に足をぶつけて罵言を吐きながら苦悶の表情を浮かべた。しかし肉体的苦痛があるときは心が紛れるような気がしたし、ただ痛みを得るためだけに血が出るまで壁に頭を打ち付けたりすることがままあった。その時だけは、わたしの不安は締め切った部屋の淀んだ空気の中に溶けて、姿が判然としなかったように思われる。浜本が自傷行為を繰り返していたのはこういった理由からだろうか。そうしてふと浜本のことを思い出して連絡を取ってみようと思ったが、メッセージの返信はなかった。彼の入院周期的にそろそろ退院している頃かもしれないと思ったのだが、連絡を返してくれないのはもしかしたら、わたしのことを不要な友人として決めたからかも知れなかった。彼は人間関係に酷くドライで、自分に何かしらの利益を齎さない人間は、そっと関係を断つような人であったから、なにものも提供できなくなったわたしは遂に切られたのかと思った。わたしは職を失い、恋人を失ってから、自分の苦痛から目を逸らすことで、人間関係の切れ目にどんどん無頓着になっていった。また一人消えていったかという冷めた感覚があるだけで、そこに失望などを持ち込まないように気持ちの外でそれを感じることができるようになった。わたしはとにかくそういったことになるべく拘泥せず、いや、拘泥しないように心の焦点をズラしつつ日々記事を更新していった。それがいつか金になると信じて。ものを売ってできた金で生活はできたが、今まで以上に質素な食事になったが、そうすることでまだ数ヶ月は生き残れそうであった。ふとある日、千葉から連絡があった、わたしはどっと嫌な気持ちが濁った間欠泉のように湧いてくるのを感じた。電話を取ろうか散々逡巡したのちに、何かの希望に縋るように応答をタップした。
「久しぶり、生きてんじゃん」
「生きてはいる。何か用?」
「つれないね。まあいいや、ちょっと大事なこと。浜本、死んでた」
「は?」
わたしが急に立ち上がって冷蔵庫を開けたり、だらしなく伸びた爪の垢をほじったりして、心の置きどころを探していると、千葉は追い立てるように言葉を継いだ。
「半年前らしい、あたしもさっき知らされた。首を吊って、夏だったから足が早かったらしく、臭いでやっと気付かれたらしい。奥さんとは別居中だったから発見が遅れたみたい」
「なんで死んだんだよ。良くなったから病院から出られたんじゃないのかよ」
「服をクリーニングに出してたりしてるから、計画的なものではなくて衝動的な自殺っぽい。あの人、覚醒剤もやってたみたいだしそういうときにパッとやっちゃったのかもしれないって」
彼が常に浮世に希望を抱かず、快楽主義を地で行っていたのは知っていたが、覚醒剤に手を出したときは周りが散々怒ったらしく、「だから薬はもうやらない」とわたしに話してくれていたので安心していたのだが、完全に快楽への欲求を消すわけにもいかなかったらしい。わたしはますます薬物への激しい嫌悪感を募らせた。いや、それ以上に彼の哀れな死に対して自分の心が大いに乱され、同時に何かおかしなことに高揚していることを感じていた。そう、人の死を悼む気持ちとは裏腹に、わたしは浜本に対して「遂にやったのか」という興奮を覚えていた。まるで、一つの人生の完成を見たようないっそ祝福した気持ちになっている。しかしそれを言葉には出さずただ一言「ショックだね」とだけ呟いた。
「それだけ? 浜本の家庭環境知ってるでしょ、最悪だったじゃん。そんな人が幸福を掴めずに死んでいくなんて間違ってる」
「その気持ちはわかるよ」と言った、しかしだからこそ開放されたのではないか、とは言わなかった。
「遺品はあるの?」
「ないみたい、全部その、臭いがついちゃったらしくて、売りにも出せなくて処分したらしい」
「そう」
わたしは浜本のきれいな顔が腐った姿を想像するのは難しかった。ともすれば彼はその美を保ったままに腐っていったのではないかという幻想を抱いた。わたしは用もないのにまた冷蔵庫を開けた、そこに浜本の魂を探すように、そして何も見つからずに閉めて、汚れてもいない手を洗った。
「なんで半年も前のことがやっとここに来てわかったの」
「奥さんが秘密にしてた。あたしホラ、奥さんと一応知り合いだから、それで今日聞いたのよね。もう気持ちも落ち着いたから人に伝えようと思って連絡をくれたみたい」
「おれだって浜本の友人なのに、あまり知りもしない奥さんに情報を止められていたのはなんだか腹立たしいな」
「腹立つ気持ちもわかるけど、奥さんの気持ちもわかるでしょ」
「お墓はどこにあるの、墓参りしたい」
「お墓はないって。骨は東京湾に撒いたみたい」
確かに浜本は常々自分の死を、永遠の忘却にしたいと言っていた。死んで、今までの自分がなくなって、人々から忘れ去られ、自分自身がいた事実すらも消えてしまいたい、だから墓はいらないと。奥さんはその言葉を現実のものにしてあげたのであろう。そういう意味では彼女はシッカリと浜本の理解者であったように感ぜられ、浜本との関係の間に入ってきた敵のように思っていた奥さんに対して、わたしは印象を新たにした。しかしわたしは彼を忘却することができるであろうか。わたしの精神的な思考に関して少なからず影響を与えたその在り方は、陰鬱さを残しながらも、カラっとしていっそ鮮烈で、ある種徹底した快楽主義的な男といった具合であった。わたしの安定を選んだ人生とは真逆の、真っ向から人間社会の在り方に反抗するような態度で、憧れも感じた。しかしそれはあくまで憧れで、彼のようなエネルギーはわたしの中から時間とともに消え失せ、二〇代が終わる頃にはただ疲弊して従順な抜け殻のような人間となっていた。しかしそれでもわたしは彼と比べると幸福には違いなかった。彼は環境的な苦痛の中でより激しい刺激を求め続けることで生を維持していたが、それは刹那的で幸福とは程遠いものだ。だがどちらがより良いものであるのかは一考の余地がある。わたしはある種の人々が通常描く幸福というものに屈服したという劣等感が安定の中で残った。人生を刹那的な発火の中で感じ取り、美を求める在り方に憧れながらも諦め、他者から見て平穏な幸福というものにすがった。浜本の人生はわたしの反対の人生のお手本のようなものであろう、心の何処か素直に称賛するような自分を感じた。ところで、わたしはその平穏な幸福の象徴の一つである千葉の声を聞いても何故か心が抉られなかった。どこかずらした視線が彼女の声を殺菌消毒して、無味なものとして扱ったからなのか、苦しみから目を逸らして何も感じないように努力したここ半年以上の期間が脳の反応を鈍らせて、まるで無感情に受け取ることができた。痛みは多分どこかにあるのだが、それを感じなくさせるような機能の低下を感じさせた。長く沈黙をしていたわたしに別れを言うように千葉は口を開いた。
「それじゃあ、これ他の人にも伝えるけど、夛田も共通の知り合いがいたら伝えてあげて。さようなら」
「ああ、さようなら」
さようならという言葉が美しいと言えるならばそれは幸福なことだ。このさようならには相手を痛めつけようという意図がある。それが相手の皮膚を刺して血が流れば良い。そう思いながら発したし、そういう意志が相手にあるのを感じている。それにしても燻り消えて行く愛でも、皮膚を焼く熱はあるようで、ここに来てまんまとわたしは痛みを覚える。踏み込まない愛、なるべく多く愛さず、負けることのない恋愛をしていたため、それでもその火傷はすぐに冷えるはずである。かつての狂気に焦がれるような恋は昔に置いてきた。これで終わりのはずだ。あとはこの僅かな痛みに耐えながら時間の摩耗で削り取るように千葉の痕跡を記憶から消していくだけである。いや、「だけ」とはよく言ったものだ、別れた直後は生活もできないほどに疲れ切ったというのに。あとどれくらいあれば、普通の生活を取り戻せるのであろうか。誰かと同じような判を押して、親にも周囲にも異物と見られないような生活に。
だがそれ以上にわたしの中で大きい感情を起こさせたのは確かに浜本の死であった。その死は彼の人生を一つの形に結晶化したように感ぜられた。如何に悲しくとも、その在り方には惹きつけられる何かがあった。それはわたしの魂の在り方を否定するような、揺さぶりをかけてきた。同時にわたしはあの日最後に彼に投げかけた言葉を思い出していた。自死を肯定するような、幇助するような言い方はしなかったろうか。急に足元が竦む。ともすればわたしの言葉が彼を死に追いやったのではないかという自責の念が湧いてくる。だがその自責の念は千葉との別れの痛みよりも小さくて、人を殺したかもしれないという気持ちがこんな小さなしこりにしかならなかったことに自分の薄情さを痛感していた。わたしはもしかしたら、自分以外の人間の成り行きなど、何の関心もないのかもしれない。あるのは他者が幸福であることへの嫉妬だけで、それ以外には無頓着で全てを流してしまうのではないか。自分の痛みだけに敏感で、他人の人生の不幸や或いは終焉には何の痛みも感じないのではないか。とは言え浜本の死はわたしに小さな宿痾を残し、それはわたしの悲しみではない疼きのような感情を惹起させることだろう。「死んだら全ての人間から存在を忘れられたい」という彼の願いを裏切るような態度を赦してくれるだろうか。浜本、わたしはあなたを忘れたくない。わたしも誰かに忘れたくないと思われることはあるのだろうか、それとも既に、生きながら忘れ去られていくのだろうか。
webメディアを始めてから半年近くが経ち、徐々に小さなレーベルや企画からプレスリリースが入ってくるようになった。それらはわたしの関心の外にあるものであったり、むしろ元来の好みから忌むべき内容も含んでいたが、東海と藤堂はこれを好機と見ていた。いや、わたしも軌道に乗ってきたと考えることはできたが、それではこのメディアの趣旨であるわたしの好みのものを扱うというのは一体どうなるのであろうか。今はまだ何の金にもならない記事を書き、生活は家にある物を売って食いつないでいた。前に一度、雑貨を売った金が尽きたときに藤堂へ「本当に生活が苦しいので、お金を貸してくれないか」と相談したことがあるが、彼は「貸してあげたいのはやまやまだけれど、そういうのはキミの為にも良くないと思うんだよね、お金を簡単に貸してしまうとさ、人間ていうのはすぐ堕落してしまって、ちょっと贅沢をしても人から借りられるからと思って気が緩むと思うんだよね。お金がヤバイと思うからさ、行動できるんだと思うんだ、だからおれはキミにお金を貸さないよ」と言われた。わたしは彼の言葉をそのままの意味で受け取ることができなかった、返済能力に信頼が置けない人間に対して貸したくないというのを、彼なりのおためごかしで翻訳したように聞こえたのであった。内田百閒は生活のために借りるお金は返すことができないと言ったと思う、その通りだ、生活ができない人間が返済の余裕などできるはずがない。だから藤堂がわたしに金を貸さないのは理由としてわかるが、友人の不如意に対して心配をする様子など徹頭徹尾ない態度に少なからず友情というものの頼りなさ、軽薄さを感じざるを得なかった。結局、自分の交友関係の自己同一性に於いて重要な位置を占めていた本やレコードなどには手を付けたくなくて、なるべく周辺の電子機器や遊び道具などを減らしていった。おかずは一品用意できれば豪勢で、場合によっては醤油と米だけで凌ぐこともままあった。
ある日、インタビューの案件が入ってきた。わたしは以前勤めていた会社での一件以来、対人を酷く怯えるようになっていたから正直断りたかったが、二人はそれを許さず、また、手伝ってくれもしなかった。彼らはスタート時のコーディングやSEO対策の方針を完了してから何もしていない、彼らは彼らの生活を支える別の仕事があるからだ。だが、わたしは? 録音機材もなく、それを買う金もない。交通費とインタビュー場所での食事代は向こうが持ってくれるだけでもありがたく思うはずが、関心もなくリスペクトの欠片も持ち合わせていないインタビューに何の意味があるのだろうか。わたしの偏愛するものを扱うというメディアの趣旨はどうなっているのか、仕方がなく待ち合わせの場へ向かっている電車の中、夜の帳が降りた車窓に反射する光が尾を引いて伸びていくのを眺めながら、ただ呆然と思惟するのみであった。わたしは不如意がもたらした四角い箱のような精神的な余裕のなさの中で、東海と藤堂のことを考えた。彼らはわたしをいつもどうある人間なのか、わたしの意志の外で規定し続けた。彼らがいる場所ではわたしが何者であるのかを決めるのはわたしではなく彼らの方で、わたしはそれを強く憎んでいた。だからこのwebメディアの案は彼らの贖罪なのかと思っていたが、実際はそうではなかった。彼らはここでもわたしの在り方を指示し続けた。
インタビューは渋谷のカフェで行われた。テーブルは四人がけには少し広い、L字ソファとフカフカのクッションが敷かれたチェアが二つ、わたしはチェアに腰掛けて客を待った。鳴っている音楽は細く耳障りではなかったし、周囲の客も大声で騒いでいる人は見受けられなかった。恙無く仕事を行えそうな雰囲気にわたしは嫌な気分になった。程なくして三人の人間がこちらに来て挨拶をした。わたしは名刺がなかったので、相手の名刺だけを受け取って、三人をソファの方に誘導した。ここでも自分が何者でもないことが痛感させられる。インタビューはアーティスト二人とレーベルオーナーとわたしの四人で行った。何の録音機材も付けていないスマートフォンをテーブルの中央に置くとレーベルオーナーは鼻を鳴らし嘲笑するように見えた。零細どころか収入もないwebメディアなのだ、格好などつくはずもない。出された料理はタコスやモーレなどのメキシコ料理で、食生活が単調になっているわたしには香りだけで涎が出るようだったが、誰もそれには手を付けず、先ずは仕事を片付けなくてはいけないように思われた。視線も手の動きも不審に泳ぐわたしの質問にアーティストの二人は快く答え、互いに笑い合いながら話を膨らませてくれた。お陰でわたしが用意した質問をし終わる頃には記事になるだけのボリュームの内容が録れたように思われる。話を聞いている間、彼らは創作について語った。
「僕の場合、結局は人間の間にある愛や、それを人に与えたいという気持ちから音楽をつくるようになりましたね」
「わたしもそうです、普遍的でありながら情熱を注ぐことのできるものという意味ではこれ以外はありません」
「お二人の作品は動と静という違いはありながら、ポジティヴなメジャーコードを使った楽曲が多く見られます。テーマが愛というのも表裏のある概念だと思うのですが、陽の要素を見てらっしゃるのでしょうか」
「と言うか創作はポジティヴな感情から生まれるものですよ。過程や結果に色々な喜びがあるから産みの苦しみが耐えられるんです」
「ネガティヴな感情からも創作は生まれるとは思いませんか」
「わたしは思いません、仮に生まれたとしてもそれは徒花、袋小路のようなものだと思います。ネガティヴな感情を壊すために音楽はあって、そのポジティヴな作用こそが本当の創作であるはずです」
わたしは自分が音楽を作っていたときのことを思い出した。妬みや憎しみ、人を必ず殺したいなどといったネガティヴな感情からそれらの音楽は生まれた。それを否定されたような気持ちになって、彼らのことが嫌いになった。袋小路、徒花、忌み子。わたしから生まれたものは全てそうなる運命であると烙印を押されたように思った。彼らは良い人だったが、その作品は未聴感の欠片もないクリシェ。ゴミのような音楽を作って、わたしの創作の根幹を否定した。彼らは敵である。テーブルのタコスが灰色に見えた。その敵の記事をわたしは書くというのだ。創作などとうの昔に辞めたというのに何をそんなに拘ることがあるのだろうか。若い時分、創作は即ち生き方であったが、わたしはその産みの苦しみに負けて、世間の何者にもなれないことに負けて、敗者の恋愛を繰り返し、その中で疲弊して全てを捨てて普通の生活を希求したのではなかったか。なのにまだ過去の自分の生き方に拘泥して人のことを敵だのと呼ぶ。人間の連綿とした人生は、根本的な価値観の変化などがあったとしても、如何に恥じようとその中で生きてきた自分がまだどこかにしがみついており、痛みを覚えれば叫び声を上げながら暴れまわるのだろうか。インタビューが終わった後もわたしは料理に手を付ける気にはなれなかった。口の中が涎でいっぱいになって、それを何度も飲み込んだというのに、コーヒーだけを飲んでそのカフェを去った。アーティストの二人は何の屈託もなく、自分の創作がある一定の人々に認められ、受け入れられた者特有のおおらかさを以ってわたしに別れの握手を求めてきた。わたしは湿った手のひらをシャツで拭ってから敵の手を握った。渋谷の明かりはまだらに人々を染めて、目がチカチカして不愉快だった。とにかくわたしはこの場を去りたくて仕方がなかった。わたしは何者でもない。普通の生活もできず、創作をする人生も選べなかった。他の生き方があるのだろうか、生きるために生きるという無意味、人生はなべて無意味だが、人はそこに意味を見出す権利がある、わたしは何も見出だせない。あるのは嫉妬と喪失感と劣等感だけだ。夜が深まる。人々の足が速い。街の中でわたしは端っこに掠れて存在していた。若い頃わたしは世界の中心にいた。しかし視野が広がるとともに次第に世界の中心はズレていき、最終的に世界の端っこで生きていた。わたしはこの記事を書くのを止めることにした。webメディアにももう何も書くことはない。肯定されることはなく、ただ否定だけがある。ここにわたしはいない、人々が押し付けた何かがあるだけだ。東海と藤堂には「クソ喰らえ」とメッセージを送って、その人間関係を閉じた。
webメディアをボイコットしてから、わたしの日々は寝て起きるだけの単調で無為なものに変わり果てた。食事もろくに取らず、掃除もせず、本も読めず、風呂にも入らない。インターネット上での他人行儀な繋がりと、ほんの僅かな人以外とは連絡を取らず、その誰もがわたしを気にかける人間はいなかった。恐らく誰もが、わたしがいつ死んでも気付くことなく一生を終えるような距離の人たちだ。仕事は見つからず、当然生活は困窮している。生命の危機を感じたため、断腸の思いで画集や写真集などの洋書を売りに出した。それというのも人との関係上、縋るような優位のためにわたしはそういったサブカルチャーを所持していただけで、結局他者との反射の中で存在するこう見て欲しいという自己同一性の欲求の中で作られたペルソナでしかなかったのだから、友人たちから離れてこれらが魔力を失うのは必然であった。いくつかの本はプレミアが付いて数万で売ることができたので、暫くの間糊口を凌ぐことができた。一年ほどそれで生活をすると、今度はレコードやCD、あんなに買い貯めて積み上げた大事な資産である音楽を売り払った。こちらもいくつか貴重なものが紛れていていい値段で売れた。書籍はどれもその物理的重みに比して二束三文にしかならないことがわかっていたし、これには手を付けなかった。自己を切り離していく作業へのささやかな抵抗だ。わたしの日々の行動範囲は寝室のベッドから短い廊下を歩いて居間のPCの前までの往復のみであった。人と会う機会がなくなったから、外出して金を使うことはなくなったが、そのぶん家の中、PCの前に座って過ごすことが多くなり、冬は温めるために、夏は冷やすために水道光熱費などが嵩んでいった。働いているときなら特に気にすることもなかった出費が今はひどく痛く、もはや趣味の音楽や本など買っている暇があるはずがない。服も毎シーズン楽しみに買っていたものだが、それも買うこともなくなり、物欲を抑えるために、様々なコンテンツの新作の情報やイベント情報から目を逸らすようにしていると、次第にどの知識に関しても更新されなくなり、停滞が時間の進行の中で相対的に後退を示すように、進みゆく時代の流れに乗れず過去に取り残されていくのであった。食生活も健康的なものとは言えなくなり、米と麺を増やして、肉や野菜はかけらのようなものだけを食う。安い冷凍の肉と気持ちばかりの根菜を集めて、それを普通の人が食う半分だか三分の一だかくらいの量で米や麺をかきこむ。そんな食生活を送っていれば体型はどんどん崩れていき、みるみる太っていき会社に通っていた頃よりも三〇キロ以上も体重が増え、丁寧に選んだ服がどれも入らなくなっていく。人は裕福によって太るのではなく、貧乏によって太るのだと知った。化粧品もろくなものを使わなくなって、顔はくたびれ皺が増え、毛穴は開き、シミが現れてきた。日々のストレスと遺伝から洗うはしから髪はごっそりと抜けていく。そんな生活によって私の外見はいよいよ醜悪になっていき、人と会わないという消極的な気持ちから、人に会いたくないという積極的な拒否へと変化していった。とは言え自分の醜さに目を瞑れば希死念慮を目の端から追い出して、何とか精神的にも誤魔化していくことができるようになったように思ったので、就職活動をしたのだが、仕事は見つからなかった。年齢のわりに実績もなく、学歴もないわたしを受け入れるような会社は見当たらなかった。もう会ってもいないが仲間だったものからも哀れみと嘲笑の視線を投げかけられているに違いなかった。こうして、醜く仕事もなく、金もないわたしを、社会は不必要なもの、劣等者として扱うことに決めたように感ぜられた。そうして日々を過ごして、わたしはものの二年も経たず、全ての自信を失った。今では会社で働いて普通の人間を演じていた頃とはまるで違う、インターネット上で人々が冗談交じりに仮想し揶揄する底辺の人間、そのものの姿へと変わっていた。
それでも家の淀んだ空気に耐えられなくなり、なんとか入る服を着て、パツパツに膨らんだ風船のような酷く不格好な姿をしてたまに外に出て、川を眺めることがあった。そこには休憩所があって、座っていると、平日の昼過ぎだというのに暇そうにしている人が相席することがあった。彼らはわたしと同じく仕事をしていない人間なのだろうか、それとも家でフリーランスの仕事をしていて、気分転換に散歩に出てきただけだろうか。季節は仕事をクビにされてから四度目の夏で、強い日差しが川の波を銀色に輝かせていた。わたしたちはお互いに挨拶もせず、会話も交わさず、同じ休憩所に座って川を眺めていた。その場を離れるのはばつが悪かったから座っていたが、いつなんどき話しかけられて「何をしている人ですか」と聞かれるのではないかとビクビクしていた。わたしは恐らくもう、普通に生活している人に何かを質問されることに多大な恐怖を感じていたのだと思う。その返答から生まれる苦痛の大きさ、自分の矮小さを思い知らされることを恐れていたのだ。この質問は他の場所で出会った人に投げかけられてもきっと同じように効果を発揮したと思う。だからわたしは新しい出会いや一期一会などを楽しむことなどできなくなっていた。何者にもなれないという若いうちに感じていた恐怖は、やがてこの年齢で劣等者であるという事実を再認識することの恐怖へと移り変わっていった。いくら失敗しても、再出発ができるという若さゆえの可能性は時間を追ううちに薄れていく。わたしは相席する人間の様子を横目で伺いつつ、自分の手持ちの金の勘定を心の中で行った。近いうちに生活が立ち行かなくなるのは目に見えていた、レコードなどは結構良い値段で売れたし、量もあったから暫くはライフラインを確保し続けることはできたが、それでもその生活を続けられるのも時間の問題であることはわかっていた。生きているだけでジリジリと財布の中身が炙られて削られていくのを感じる。当然人間は仕事をすることで社会へ貢献して、その見返りに報酬を得て、生きたり楽しんだりすることが許されている。逆に言えば、働かざるものが生きたり、楽しんだりすることを許容するようにはどうにもできていないようである。
「生活保護に入ったら良いじゃないですか」
そう言ったのは近藤であった。放って置いても年金や住民税の滞納請求が届き続けている。そんなものを払ったらわたしはすぐに餓死してしまうから無視する他なく、差し押さえを匂わす郵便物なども届いていた。わたしは落ち着きなく自分の家の中を歩き回る。倦怠感と無気力から部屋の中は散らかり放題で、そこかしこが埃をかぶっていた。仕事をしていた時分は一日置きに掃除をしていた筈で、自分が住む環境が快適であることが生活の精神的な安定を生むと思っていたのに、今では汚れに目を瞑るだけで何もする気が起きないのだった。近藤のメッセージの映ったスマートフォンを持って歩きながら虫の湧いたゴミ箱を横目に流し、何日も風呂に入らない人間特有の異臭、特に股から嫌な臭いのさせている自分の生活が、人から見たら保護を受ける必要のある人間のものに落ちぶれてしまったことにそこでやっと気が付いた。髪はもつれたまま伸びっぱなしになり、ひげは顔を覆っていた。爪の隙間には皮膚を掻いたときにこびりついた垢が溜まったままになっている。わたしは醜く不潔であった。まるで自己嫌悪をするために自分自身が身につけた醜さを際立たせるように生きているという風情である。
「生活保護なんて恥ずかしくて入りたくない」こんなになってまでまだ良く見られたいと思っていることに驚いた。
「死ぬよりは良いですよ、足がかりを得て再出発すればいいんです」
「もう三〇代も半ばを過ぎて再出発なんてできるんだろうか、実績もない学歴もない、見た目も酷く醜悪になってしまいました」
「見栄をはらなければ人間どうにでも生きていけるものです」
「生きることは重要なことなんだろうか。もう生きる意味なんてない気がします」
「生きていれば何かが起こります。生きる意味は生きているその時期ごとに変わるもので、有機的なものですよ。人生が普遍の一つの目標になっているのは人生そのものを芸術にしているごく一部の人間だけです」
「芸術にしたかったな」
「普通の人生を歩みたいって言ってたじゃないですか、もうこの時点でぶれてますからね、人生の意味というのはそういうもんですよ。ダダカンにでもなりますか?」
「確かにそんな一貫した人生をパフォーマンスできないね。でも今おれはものすごく醜くなってるんだ、今だけなら醜悪な人間として何かパフォーマンスできるかもなんて思っちゃうな、そんな度胸も強い志ももうないんですけど」
「生きていけば何かがきっかけで何かを感じて、何かに意味を持たせ始めるものです、そのきっかけは人間関係とは限らない、自分の生活の繰り返しからパターンを見つけて、そこから思索するかもしれない。とりあえず生きてください、今既に醜悪になっていると言うのであれば、もう一つ恥を重ねてもそう変わりはないですよ。わたしは生活保護を恥だとは思いませんけれど、ただそれは人それぞれの感じ方ですから。あと、たまには会いませんか、少しくらいなら奢れますよ」
わたしはメッセージアプリを閉じて、自分の部屋を改めて見回した。生活の気配はあるが、薄汚く怠惰を示していた。確かに今の醜悪さで良く見られたいなんて思うこと自体が矛盾している。本の背が焼けるから部屋のカーテンはずっと閉めっぱなしだったが、その隙間から太陽の光が鋭く突き刺さって、髪の毛と埃の散らばった床を照らして目に痛みが走った。そうだ、わたしはもう四年前のわたしではないのだ。
区役所の古びた臭いが鼻をつく。生活保護課の受付は他の窓口とは切り離されたような位置にあった。訪れている人は多くなかったが、高齢者からわたしより若いくらいの年齢の者まで幅広い様子で、様々な人が様々な理由で困窮していることが察せられ、わたしは自分が思ったほど惨めにならずに済んだことをホッとした。ここではわたしは普通なのだ。窓口で保護の希望を告げると、暫く待たされた後に個室へと連れて行かれた。そこでの面談は親身というよりは人を試すような物言いで進められた。申請は先ずは拒否の姿勢で対応される。そう簡単に国の金で人を養うわけにはいかない、篩い落とすことが彼らの最初の仕事なのだ。
「だってねえ、まだ働ける歳だし、健康そうな見た目をしているじゃないですか」
「仕事が見つからないんです、前の会社は心的理由で休職を勧められました、ねえ、お金がなくて食費どころか水道光熱費もままならないんですよ」
「みんなそう言うんですけど、仕事とか選んでるんじゃないんですか? 駄目だよ、生きていくなら妥協は必要なんだから。生命保険は入っていますか?」
「ああ、えっと、入っています」
「じゃあ本当にしんどいなら保険を解約してもらって、そのお金がなくなったらまた来てください。今回は申請を受け付けることはできません」
人間が、何の保証も後ろ盾もなくなって初めて、保護を受けることができるということらしい。一回目の訪問でわたしは保護を受けることができなかった。わたしは財布の中身の減り具合に焦りを感じ始めていた。電気代やガス代は既に二ヶ月の滞納をしていて、停止予告の支払い証でなんとかギリギリに支払っているといった風情である。或いは電気が止まったり、ガスが止まったりして一端の保護対象になるのかもしれない。人間がライフラインを失って、本当にあとは餓死にするのを待つようになって初めて役所の人間が動いてくれるのではないかと不安になった。ライフラインの喪失と同時に不安に感じることは、インターネットを失うことだった。ネット上の繋がりである人間関係がわたしの僅かに残った人間的社会性を保っていて、殆ど自分の同一性をそれらに依存していたので、インターネットが止まることは何か自分の存在の規定を失うようで心許なかったのだ。結局、わたしの同一性というのは他者との関係の上で存在しうるものであって、だからこそ真の孤独の前に立たされたときこそ、その存在を試されるのではないかと考えた。友人や家族との繋がりが殆どなくなったものの、ネット海に漂う人間を観測してたまにコンタクトを試みているという程度のわたしの孤独は、まだぬるい湯に浸かったようなもので、本当の無人島のような孤独とは程遠いもののように思われる。わたしはまだ最低にはなっていない。最低ではないのにこんなにも醜く弱いのは何故であろうか、人間はもっと弱く、もっと醜悪になれるのだろうか、わたしは自分の劣等感を強く意識して傷つきつつも、そのまだ最低ではない自分を恥じるような気持ちになった。
家に帰ると早速保険を解約した。しばらくのちに振り込まれた解約返戻金は、そのうち八割を家のローンの残っている親に渡して、暫くはそれで払って欲しいと伝えた。親はわたしの存在を恥じているのか、他の親族に状況を伝えたりはしなかったようで、わたしもそれを尊重してなるべく親戚と距離を取るように振る舞うことにした。残りの二割は滞納していた光熱費などに費やしたらすぐに使い終わってしまった。食費までは残らなかったが、米がまだ残っていたので、少しずつ食べれば一ヶ月は保ちそうだった。その間に生活保護を受けられるようになれば良い。そう思って次に訪れたとき、職員はまた生活保護の申請書を出すのを渋った。
「兄弟がいなくても親は居るでしょ、他にも叔父や従兄弟とか親戚もあるでしょう。なんで頼らないの? そういう人たちに支援して貰って持ち直していけば良いじゃない。生活保護は本当に生活に困窮している人のためにあるんですよ。まだ親戚が健在なら是非そちらで相談してください」
生活保護課の個室は薄い壁で仕切られているだけで、隣の声が聞こえてくるほどだ。折りたたみのパイプ椅子は表面が剥げて、中のクッションが覗いている。二つの部屋を跨ぐように吊るされた蛍光灯が青白く照らしている職員は、生活が安定していそうな若い男で、ともすれば私よりも年下のように見える。彼は腕組をして背もたれにより掛かると、タメ口混じりの気持ちばかりの敬語で相手を少しばかり敬っているポーズを取りつつ、相手を押し戻そうとする拒否の気合を見せている。彼の言葉は硬くて四角い壁のようにわたしを峻拒しているのがわかる。
「両親はもう定年しているんですよ、祖母たちの介護もしているし、わたしまで手がまわらない状況です。年金も二ヶ月に五千円程度しか貰っていないと言うし、わたしに支援する余裕なんてないんです」
「あなたに働く能力がないなら、親に働いてもらったらいい。どうかそのようにご相談してから改めて来てください」
わたしは「でも」と言うが、それを遮るように手を上げて、にべもなく追い返され、ひどく惨めな気分で帰路についた。わたしは帰りがけに区役所のガラスを蹴った。あくまで割れないような力加減だけれども、誰も手を差し伸べてくれないという
逆恨みのような憎しみを込めた。生活保護を受けるという状況そのものを恥じているというのに、その希望すらも縋り付けないのかと思うと情けなくて自然涙が滲んだ。醜く太った男の涙ほど嫌なものはない。自己嫌悪感を抱えながら街を歩くと、何の拘りもない服装をした人々の群れが目に入る。めかし込んだり、自分をよく見せようとしない普通の人々の圧力にわたしは潰されそうになり、人々の目を避けるように急いで家に帰った。あんな無頓着な人間が外を恥もせず闊歩している。それよりも下なのだと感じると頭がざわざわと騒いだ。そして省察する、人が老いて行く中で、生きていて良かったと感じる仄かな幸福というものをもう四年間味わっていない。あるのは虚無と自己嫌悪とそれを見ないようにするもう一つの虚無だけである。現実世界で生きることが難しくとも、インターネットで生息するのが可能な理由をもう一つ思い出した。それは姿が見えず、自分で与えたアバターやアイコンが存在するだけだからだ。人の無意識レベルでのルッキズムに晒されることへの恐怖がわたしを家に縛り付けるが、インターネットでは自分の正体を隠すことができる。「インセルきもい、自分が弱者であることをミソジニーに転嫁する。そうやって攻撃される女のことを考えていない」とか「年収一千万円もない人間が主張する政治的な発言に意味なんてない、貧困者は自分の能力の低さを国のせいにするだけで生産性に欠ける」などといった匿名の人々の口の端に現れる貧困や醜さに対する嫌悪の発露としてのマイクロアグレッションは、人の口が素直になるインターネットの上での方が強く現れるが、それでも自分がそうであるということを彼らにバレなければ良いのだ。そういう自己の曖昧さや、印象のデザインがある程度可能だからこそ、そこで呼吸ができているという自覚がわたしにはあった。ネット上でのわたしは仕事があり、趣味を持っていて、それでいて自由な時間も持っているという理想的な生活像を作り出していて、そこで知り合った人々はそれを信じこんで付き合ってくれている。わたしは嘘で作り上げたアバターを被って、ようやくデジタル上の人間社会を何とか躄ることができた。
二度目の申請を断られたあと、何の気力もわかないままに拗ねたように一ヶ月を無為に過ごして、気づけば食料が底をつき、食事を取れなくなって三日が経った、最初は空腹感がひどかったが、波が去ったのか、胃の痛みに変化し飢餓感が減ったのは幸いであった。財布の中にはいざというときのための二百円だけがあった。コンビニのおにぎり一つだけと思い身体を起こすと、酷い倦怠感と立ちくらみに襲われた。ともあれわたしは生命の危機を感じて三度目の生活保護申請を行いに向かった。外の空気はもう秋であった。たったのひと月とは言え、全く外に出ることなく過ごしていたわたしは、季節の突然の変化を目に憂鬱な気分になった。季節が移るということは確実に歳を重ねていくことに他ならない。浜本のことを思い出した。老いて体型を崩して、顔の毛穴をだらしなく開けて、頬にシミを付ける前に死んだ浜本が羨ましいように感じる。何故死なないのか、これは千葉と別れてから今日まで何度も自問して答えを出せずにいる問題である。或いは、恐怖に竦んでいるという情けない事実を認めないためのモラトリアムを無期限に引き伸ばしているだけなのかもしれない。そしてわたしは諦め悪く生にしがみつくために生活保護を受けようというのだ。昔、人の勧めで観た893愚連隊という映画で「いきがったらあかん。ネチョネチョ生きとるこっちゃで」というセリフを聞いて、なるほどなどと感じ入ったものだが、それでも今の生き方は実に覇気がなく、酷く萎びているようで、そのセリフを思い出しても過ぎたる言葉のように響き、決して慰めてはくれないようだった。滑稽であろうとも、それでも生きようと願う者の言葉であるように思われるからだろう。わたしは実に漫然と死なないようにしようというだけのことである。
生活保護課は相変わらず古い建物特有の薄暗さとほこりっぽい臭いがしていた。面談の相手は毎回別の人物である。今回は気の弱そうな五〇代くらいの男性で、体が縮んだのか、肩の余ったくたびれた紺のスーツを着ていた。ともすれば当時買った高い服に、大きくなった体を押し込んではち切れそうになっているわたしの方が金を持っているように見える風情だった。
「親族に頼れる人は居ませんか、手を差し伸べてくれる人がいるのではないですか」
前回と同じことを問われたので、同じことを返した。わたしの親戚に支援が可能な人間はいない。職員は困ったような様子でまた、重ねて「親が健在なら年金や貯金、もしくは不動産を」と言う。
「わたしの親戚に丁度他県の生活保護課で働いている人間が居るんですがね、生活保護の条件を満たしている人間をにべもなく追い返すのは法的には認められていないと聞きました。前に職員さんに言われて保険も解約して、金も使い切って、食事もできない状態なんですよ、申請の権利を認めてください」
生活保護課で働いている職員など親戚に居るはずもない、ネットでかじった方法を試しただけに過ぎない。職員は冷たい目でこちらを見るばかりだった。わたしは申請を認めさせるために何かを言わなければならないはずだが、次の言葉が出てこない、他に役に立ちそうな知識はあったろうか。そう考えているとこの沈黙の時間が酷く長く苦しみを伴うように感じて、わたしは胃がムカムカしてくるのだった。職員は「残念ですが」と言ったような気がしたが、それと同時にわたしは胃液を逆流させて、吐瀉物を机の上にばら撒いたのであった。最初にあったのは勿体ないという強い感情だった、やっと摂取した食べ物を戻してしまった事実に虚ろになった。同時にもっと食べてあの職員のスーツに引っ掛けられるくらい勢いよく飛ばせれば良かったのにという小気味良い気持ちがあった。しかし効果はあったようで、職員は相手にため息と認識されないギリギリの呼吸を行って申請書を持ってきた。わたしの口はニヤけていたに違いない、実に卑しいメンタリティだと言わざるを得ない。ストレスに耐えきれず、恥晒しにも嘔吐をして、人々の血税を吸いたがるダニを見るような目を向けられているのだというのに、わたしは笑うのを堪えられなかった。外に出るとわたしはアハハと声に出して笑った。それが如何にも不自然で、演技のような笑いだったので、たまらなく面白くなった。アハハ、役所の前を通る人はわたしを遠巻きにすれ違っていく。ああ、まだ運が残っていて、自分が生き延びたことを感じて嬉しかったのだ。何故生きられると嬉しいのかわからないのに。わたしは精神疾患に依る申請として受理された、その代わりにわたしは定期的に病院に通うことになった。あとは自立支援医療の申請などを行って、無事わたしは国民の税金を啜る側の、弱者の立場を利用する人間となった。
食卓に欠片のような肉と野菜を炒り煮にしてそれで米を食う。数ヶ月前の状態とほぼ同じとは言えその金はもう自分の持ち物を売らずに得ることが出来るようになった。受給額は家が持ち家だったこともあって一月に七万円程度ではあったが、生きるだけならば出来る額であった。電気代に一万円弱、ガス代に三千円、ネット回線に六千円、携帯電話代に五千円、食費に六千円、日用品消耗品に三千円、二月に一度の水道代二千六百円、ローンの足しに親に一万五千。残り二万円程度余裕のある生活だ。今までの生活よりもずっと良いが、何でも贅沢できるほどの余裕のある金銭ではない。少しでも外食をしたり本を買うなりすればすぐに消えてしまう儚いものである。世の中には下手な新卒の年収よりも高い受給を受けている家庭があると喧伝する人々はいるが、私はそちら側には行けず、生活ギリギリの受給額でやっていくしかない。とは言え、人間余裕ができれば欲も出るようで、SNSで知り合った人々に勧められて始めたソーシャルゲームに時間と金を使うようになっていった。仕事をクビになってから続いていた集中力の欠如は、相変わらず本を読めなくしたし、映画の二時間の拘束時間ですら苦痛に感じるほどであったが、ソーシャルゲームは社会人が隙間時間に遊べるように調整されているものが多く、三〇分ちょっと触っては別のことをして、などというぶつ切りのペースでも進められることができ、まんまとそれに時間を吸われるようになった。夜は相変わらず眠れなかったので、輾転反側してくまを作りながら、こういったゲームを続けていた。次第にそのゲームの中でどんなものが価値があり、どういう状態が人に羨まれるのかということを把握してくると、今度は他者との社会的な関係性を帯び始める。OLがバレンシアガやステラ・マッカートニーのバッグを持って街を歩いたり、おしゃれなカフェで食事をするように、人に見せるための幸福感の演出というものが存在している。ソーシャルゲームにはそういったブランド物を人に見せびらかすような優越感があった。人々はより優れて、人に羨ましがられたいという欲求から課金をして自分が如何に優れたステータスを持っているのかひけらかす。これらのゲームは基本的にプレイ時間と課金額が相乗的に合わさって評価を成す。わたしは時間が無尽蔵にあったからプレイ時間の面では他の人より優位に立てた。あとは課金だが、わたしの財力ではそれはあくまでギャンブルだった。金のある人間は運が悪くても九万円も払えば最高レアリティの物を確実に手に入れることができたが、わたしは運に身を任せて、課金をするしかなかった。そしてなけなしの二万円がものの数秒でデータの虚空に消えるのを見て、このゲームを作った人間を強く呪詛し、制作運営に関わった人間が苦しんで死ぬことを願うのだった。それでもソーシャルゲームを辞めることはできなかった、閉じたコミュニティに属する人間は常にそこで望まれるステータスを持つことを求める。以前の交友関係でサブカルチャーの知識を利用してその場所での自分をデザインしていたように、SNS上でのわたしはソーシャルゲームを通じてその存在の価値を表わすようになっていた。音楽や本を際限なく買うことができなくなったため一層ギャンブル性の高いソーシャルゲームに依存するようになり、ファッションは出不精やインターネット上でのやり取りに無効果であるために無意味なものになった。しかし自由に出来る金がほんの僅かだというのに、人はかくも簡単に堕落する。手に触れることも知識を授けてくれもしないデータを手に入れるために私は残りのマージンを全てつぎ込んだのであった。
自分がインターネットを介さず女性とコミュニケーションを取れる立場の人間ではなくなったことを仄かに感じる。千葉は勿論あれから連絡を一切取っていないし、他に沢山いた女友達とは、下北沢の飲み会に行かなくなってからめっきり関係が途絶えた。近藤だけはわたしの状況に頓着せず、普通に接してくれた。それは男女の関係と言うよりは、お互いの距離を保った観測のようでもあったが、少なくとも最後の実生活的人間関係と言えなくもなかった。
病院にはいい印象を持っていなかったので、どこを選べば良いかなど分からなかったから、客が多くなくあまり待たされることのないという理由で、近所の病院を適当に選ぶことになった。そこは隣の駅を出て少し歩くとある商店街に入ってすぐのテナントに入っているメンタルクリニックで、病院の名前が小さく書かれたミニマルな木製の扉を開けて入ると、室内は電球色で照らされた清潔な雰囲気で迎えられる。カーペットが足音を消していて、病院特有のクラシックや環境音楽のような音もなく静寂に包まれていて、ただ受付のタイピングの音や、客が足を組みなおすときに聞こえるかすかな衣擦れの音だけが耳に届いた。広さはさほどなく待合室はほぼ廊下のようなものになっている。二人の先客が長いソファに座ってスマートフォンに視線を落としていた。若い女性と初老の男性のようだ。わたしは受付で初診用の記入用紙を渡されて、それに丁寧に記入していく。当然のことだが、待合室では誰も互いに会話を交わさない。以前の交友関係でいた精神疾患持ちの友人たちには、病院の外で出会うマイノリティ同士の馴れ合いのようなものがあって、彼ら或いは彼女らは互いにいつ死ぬか、どんな薬を飲んでいるのかなどで話が盛り上がっている様子だったが、同じ病院に通う者同士でそういった話をするのは憚られるように感じられた。肉体的な病気よりももう少しパーソナルな部分に関わるように思われて、互いに不快感を感じる距離感というものが薄く見えるような気がした。わたしもまた、自分の事情など人に話したくはないし、他人も同様だろう。自分が如何に卑しく、惰弱なのかという説明は医者にだって本当は話したくない。本来ならば思い出したくもなければ、自分の状態の省察などもしたくない、痛みを覚えたり希死念慮に脅かされるのはゴメンなのだ。それでも生活保護を受けるためにわたしは自分の病名を知る必要があった。
名前を呼ばれて中に入ると、小太りで人と目を合わせない男が座っていた。わたしは仕事場でのことや交友関係での息苦しさ、恋人を失ったこと、社会的自信が喪失したことなどを丁寧に話した。その時間は酷く長く感じた。唾液が絶えず流れ出て舌は縺れ、それなのに喉が酷く乾いた。わたしの目は部屋のあちこちに泳いで、痛みをその乱れた視線でバラけさせようと試みているようだった。医者はわたしが何かを言う度にタイピングをして、わたしがセンテンスを喋り終えて相手の意見を待っていると、「続けて」と促すだけだった。一通り話し終えた後に、彼は「自分が自信に満ちていた時期はある?」と聞いてきたので、昔音楽をやっていたときの高揚感や、仕事を上手く動かせたときのことを思い出して「あります」と返事をした。その後に彼は「気分が落ち込むと死にたくなることはある?」と聞いてきたのでこれもまた「あります」と答えた。「誰かにバカにされていると感じることは?」という質問にも「あります」と言った。
「夜は眠れてる?」
「あまり眠れません、眠れても中途覚醒が酷く、そのあと寝直すことなどもできません」
彼は暫くまたタイピングをして勢いよくエンターキーを押下すると「双極性障害ですね」と言った。どうにもそうゆう風に医者がしたくて誘導されたような気がしないでもないが、わたしの病名が決まったらしい。しかし今のわたしに躁状態など存在しないし、活発さもなく、あるのはただ人生の上に長く横たわった無気力感だけなので、診断結果が心配になって念のために「今は躁状態と言えるような状態になることはないです、何もできないというような倦怠感があるだけです」と正直に意見をした。
「あなたはプロ? わからないことに首突っ込んでも診断をかき混ぜるだけになるよ」
「そういう意味ではないです、事実を伝えようと思っただけで」
「なら大丈夫、わたしはプロであなたは素人だからね、わたしを信用してくれれば良いです、余計なことは言わないでよろしい」
前の会社の産業医は「苦しかったね」とか「辛かったね」というのを会話の端に入れてくれて言葉がクッションのようなもので覆われていたが、以前浜本に紹介されたときの医者といい、今回の男といい、外で開業している医者というのは頭から相手を押さえつけるような物言いをするものなのだなと思った。わたしは処方を受けて、バルプロ酸ナトリウムやインヴェガ、トラゾドン塩酸塩、オランザピンOD、サイレースなどを持ち帰った。
それからは二週間ごとに病院に通うことになった。薬は果たしてどれくらい効いているのか全然わからなかったが、睡眠薬に関してはよく効いた、トリップするような、或いは背中に悪寒を感じるような感覚で眠りにつく。だが、効きすぎていつまでも目が覚めない、覚めても強い睡魔で夕方まで眠ってしまうことが多くあった、この薬は自分には強すぎると思ってどの薬が悪さをしているのか、飲まずに確かめたところ、トラゾドン塩酸塩、オランザピンODあたりの副作用が自分には重いように思われた。そのことを医者に伝えると、「薬は適切なものを与えています、寝てしまうとか起きられないではなく、ちゃんと朝に起きてください」と言われるだけで処方の見直しはしてもらえなかった。他にも倦怠感が全く改善されないので、そのことを訴えた。
「倦怠感と無気力感があって、何にも集中できません、昔などは色んな本を夢中になって読んだりしていましたが、今では本をまともに読むこともできません」
「どんな本を読んだりしているの」
「今は人に勧められてジョージ・バークリーの視覚新論を読もうとしていますが、集中できないんです」
「あなたに足りないのは集中力ではなく知力ではないですか? 身の丈に合わない難しい本を読もうとしているだけでは?」
或いは常々感じている劣等感や卑屈さについて相談をしても、「それはあなたがナルシストだからじゃないですか? 自分の理想像だけがやたらに高くて、実際は生活保護を受けて病院に通っているだけの人間で、仕事もしていないという事実との間にギャップを感じているからでしょう」と言う。
「わたしのナルシシズムが原因と言うのであれば、わたしはそのナルシシズムをどのように治療すればいいでしょうか?」
わたしがそう言うと医者は話にならないといった身振りをして診断を終えた。生活保護の職員の勧めで障害者手帳を申請するための診断書を頼んだときも、彼は酷くめんどうくさそうにして、その態度を一切隠そうとはしなかった。三級の障害者手帳だった。それから暫くすると通院率は月に一度に減って、彼も「何か変わったことは?」と聞くだけになった。わたしももう何を訴えても相手が聞く耳を持たないことに嫌気がさして、「特にありません」としか答えなくなった。薬はバルプロ酸ナトリウムやインヴェガとサイレースだけ飲んで、他の二種類は飲まないようにした。メンタルクリニックの医者というものが心の底から嫌いになった。相手の話も聞かず、毎回五分もかからない診察を行って、どんな意見を言っても同じ薬を出し続けるだけの無能でしかない。仮にわたしが本当に双極性障害だとして、彼がそれを治療できるようには思えなかった。診察はいつもわたしに精神的苦痛を与えるだけのものでしかなかったし、薬も睡眠ができるようにはなったが、それ以外の状態を好転させることはなかった。相変わらずわたしは集中力を欠き、何もできない人間のままだった。ただソーシャルゲームに時間と金を費やして空費するだけの日々。あとは寝たい時間に薬を飲んで眠るだけ。日々の空白の時間が酷く煩わしくて、しばしばわたしは暇を潰すためだけに薬を飲んだ。そんな毎日の中で感情はだんだんに硬化していった。恋人を喪失したときのような激しい痛みや、誰かに対する憎しみの感情がまるでセメントで固めてしまったかのように叩いても鈍く鳴るだけで心を動かさなくなったのだ。それは、薬のおかげなのか、それとも自分が目を逸し続けて来た結果、本当に心を外に放り出せたのか判然としなかった。ともかく、自分が無感動な動物になったのを薄々と感じて来て、それでふわりと一枚の希死念慮がシーツのようにわたしを包んだ。それは肌触りがよく、涼しげで、如何にも快適そうに見えた。今がその時なのかもしれないという予感がした。近藤の言うような生きる意味など結局見つからなかった。人生など他者がわたしを攻撃するだけの世界でしかなく、その中で自分がどう振る舞おうと、相手の決めたことが事実となってわたしを規定するだけなのだ。わたしは何ヶ月も飲まずに貯めた大量のトラゾドン塩酸塩、オランザピンODを片端から飲み込んだ。自分にとって副作用が強いからという理由でなんとなく死ねる気がして無計画に飲んだ。それに加えて残っていた半月分のサイレース。サイレースは致死性が高いと何処かで読んだ気がしたので効果があるだろうと思って飲んだ。そしてベッドに入った。仕事をクビになってから六年目の秋の日の、肌寒さが心地よい昼間時だった。わたしはあれから何十キロも太って、肌は荒れて、髪は抜け落ちて、不潔で醜かった。膝を抱えるように横たわりながら、背中に悪寒と大勢の誰かの強い悪意のようなまぼろしの視線を感じていた。それは今まで会ってきた人々の残像であったかもしれない。わたしは目を閉じて沼地に沈むような感覚が徐々に滲むように体を覆う睡魔を前に、率然として恐怖を感じ始めた。
死にたくない。嫌だ。こんな人生は嫌だ。
浜本は美しいまま死んだのに、わたしはこんなにも醜い。人生は何故わたしにチャンスをくれないのだ。何故他者はわたしをわたしではない何者かにしようとするのだろうか。それともわたしが招いたことなのか、今日までの転落は全てわたしが悪かったのか。わたしの今の状況は全て自分の振る舞いや選択が原因なのか。わたしはやり直したい。昔わたしは何者かになりたかった。名乗る名前が欲しかった。同時に何者かであるのを人に決められたくなかった。人生を、やりたいことを物怖じず全てやりたかった。実際は、怠惰と倦怠感の中で時間を無為に消費し、その場その場のコミュニティに於ける自分の優位性というものだけに拘ってきた。わたしはまだ何もしていない、死ぬ前にできることを何もしていない。嫌だ、このまま眠るのは嫌だ。
しかし、肉体は眠りにつこうとしている。重い体が、液化してベッドにベッタリと張り付いて、動きたくないと言っていた。嫌だ嫌だ死にたくない。自分がものを考える、何かに傷つく、何かに感動する、思考、感情、伽藍堂の孤独の中で反響する音のようにわたしの輪郭を浮き上がらせるもの。そういったものが消え失せてしまう恐怖に支配されていた。まだ小学生にもあがっていない幼少の時分、わたしはテレビを見ていながらアイスを食べていた、その冷たさ、甘みが口の中で消えて、いずれなにものも無に帰すのを思って俄に消えたくないと思って泣いた。「死にたくない、死にたくない、怖い」と泣いていると、母親が駆けつけてきて、「大丈夫死なないよ、十年後には死なない薬が開発されて誰も死ななくなるのよ、大丈夫」とあやした。その後、自我に目覚めてからの人生は希死念慮との長い付き合いだった。ところが今、死が目前に迫ってきていると感じたとき、わたしは再び幼少の頃の自分に戻っていることに気がついた、果てしなく広がる無。無という意味すら考えることのできない消失を前に、みっともなくこの醜い生活にしがみつこうとしている。嫌だ、嫌だ、死にたくない。人生に意味なんてなくても良い、何かを思考することを奪わないでくれ、わたしの脳の発火を否定しないでくれ。まだ何もできていないのだ。あとは静寂、無感覚。
力の抜けた体が水に浮くように、水膜を破って空気が口鼻を通って肺が動いていることに気がついた。わたしは三日後に目が覚めた、体が粘りつくゼリーになったようにままならなく、たまらなく重かった。残っているのは頭痛と軽い吐き気だけ。夢を見ていたように思う、学生の頃の夢で、わたしはまだ若くて可能性があった。そこで友達にいい格好をしようと心砕いて、自分のやりたいことなど忘れていく夢。腹の立つ友人を殴ろうと思っても、手足に力が入らなくて、いくら足を踏ん張っても、拳を握りしめようと試みても、その端から力が抜けて、涙を流しながら相手を憎む夢だ。しかしそれ以外のことは、両手に掬い上げた砂のように流れ落ちてやがて何も思い出せなくなった。死の間際、人の脳が加速して、感覚的な無限の中で夢を見るのであれば、それは地獄か天国か。永遠に死に至らない夢の時間。わたしは、死ぬ間際の恐怖を思い出して、身震いした。結局は、たかだか致死量の至らないオーバードーズで情けなく怯えていただけのことなのだが、しかし、わたしはそれを死だと思ったし、自分自身の死のことを思った。本当に死ぬとき、わたしはかくも卑しく生を願うのだろう。夜だった。ベランダに出ると街頭がまばらに光って、黒い道を明るく照らしていた。柵に寄りかかってわたしはベランダの外に向かって勢いよく嘔吐した。吐瀉物が放物線を描き、月の明かりに仄かに照らされた。わたしが得た束の間の眠りは、それでも目覚めるまではわたしにとっては死だった。本当の死にはたどり着かなかったものの精神は死を眼前にしたときと同じ慄きを持ってそれと対峙した。ふとラディゲの書いた自らを死をよく知ると嘯く者が死ぬときの「これは死ではない」という言葉を思い出していた。わたしは死ですらも間違うのが怖いのだろうか。間違いたくない、普通でいたいという願いは、あの死の目前にした感動とは別の、おそらく俗世に属するものである。
「浜本、キミのようにはなれない」
五階のベランダから見える夜の黒光りする地面が、距離感を失って眼前に迫ってくる。昔、知人の家に集まってパーティーをしていたとき、エクスタシーをやっていた一人が「コンビニに行ってくる」と言って、高いベランダから飛び降りて両足をお釈迦にしたことがある。彼がラリっていたときにもこんな風に世の中が平べったく見えたのだろうか。喉元を過ぎると、わたしは生き延びたことに安堵を覚えるのではなく、恥を感じていた。擬似的な死を感じさせた眠りにつくときのあの醜態を思い出して顔が熱くなるのを感じた。恐らくは今のように生きている状態に感じる体面の悪さは、あくまで生きているという安堵の上に現れる贅沢品のようなもので、あの死だと思った眠りに対するわたしの混乱こそが自分の本性なのではないかと思えた。目的がなくてもただ生きたい。わたしは自分が卑しく弱く、怠惰で醜い人間になったことに絶望して、何事にも集中できず、無為に過ごす毎日に焦燥するのに疲れ果てて無感動になったというのに、まだ生きていれば何かがあると心の何処かで希求していたのだ。理由なんてなくても良い、本当の死に至るまでの間に、何かがあればいいと。ああ、わたしは、偉人にはなれない、強い意志のもとに人生を貫く一本の槍のような生を生きることはできない。思えばパーソナルイメージの乖離はずっと付き纏っていたのだ、所有欲をアイデンティティと呼んで捻じ曲げて、自分自身の外見をなんとか見えるように捏ねていただけである。そして鏡に映る自分の姿を見て、「これはわたしではない」と頭を悩ませ続けてきたに過ぎない。わたしは望んでいた姿ではない自分自身との折り合いを付けなくてはならない、それでも生きていたいと願うのであれば。
近藤から着信とメッセージが十数件来ていた。わたしはその卑しい寂しさから、メッセージとあらば既読しすぐさま返信するような人間であったから、どうやら心配をさせたようである。三日も一ヶ月も連絡がないことはよくあるが、既読にならないことが何か不安を感じさせたようである。
「さすがに二日も寝ているとは思えないので、何かあったのではないかと心配しています、このメッセージに気付かれたら、返信をください」
本当に勘が良い人間なのだなと感心した。同時に、わたしを心配するメッセージはSNSを含めても近藤のものだけであって、きっと本当に死ぬときには誰にも気付かれないのだろうという確信を深めた。インターネットで知り合った者の一人は「人間は他人をそこまで心配したり、助けてあげたいなんて思わない。事実があればその事実を受け入れるだけしかしない。だからわたしは自分が如何に状況が悪くても他者の助けを期待したりはしない」と言っていた。「だから期待するな」という意味だろう。身に沁みるようであった。だが、だからこそ、ドライな印象を持っていた近藤が心配してくれたというのは何か希望のようなものを感じさせた。
「起きた、ODして倒れてた」と送信した。暗い部屋で水を飲んでキッチンで座っていると、しばらくして返信があった。
「馬鹿なことをしているような気がしましたが、本当に馬鹿なことをしていたんですね。おはようございます」
「心配かけました。すみません。心配してくれることを少し意外に思いましたが」
「わたしは他人に無頓着ですが、知り合いが知らないところでも清穆であることを願うくらいのささやかな人間性は持ち合わせています」
人間が体温を持っていることをふと思い出した。
それでもわたしの生活は変わらなかった、外にも出ず、いつも焦燥して、それでも掃除もせず、体も洗わず、他人との比較の中に自らの卑しさを感じる日々を送りながら、米とたまに玉ねぎ、少しの肉の質素な食事を摂りながら、身の丈に合わないゲームの課金で俗っぽい優越感だけを啜りながらその小さな世界観の中で一喜一憂し、その日その日だけを見て生きていた。この生活に慣れてから数年が経った。ゲームの中ではコミュニティの中でも悪くない立ち位置に居たために、それが自分の価値のように思えるのだ。本当のわたしは仕事もできず、金もなく、インターネット上で「手帳持ち」と揶揄される存在である。更には同じく手帳持ちの二級を持っている人間からは、「三級程度で生活できないなんて情けない」と言われるのである。相変わらず自分の状況を鏡に映して省察すれば希死念慮が脳の隙間を埋めるように溢れて頭部が肥大するだろう。それでも死のような眠りを前にした恐怖が首を擡げてわたしを睨む。わたしはどちらへも行けず行動不能になった。だから今だけを見るしかない、今だけを見て、視野をできる限り狭めて、色々なものを見えなくして。病院には相変わらず「変わりない」と伝えている。近藤にこの代わり映えしない近況を伝えると、「何もしない日々で、無感動に過ごすなんて、エピクロス主義的な幸福に片足を突っ込んでいるじゃないですか。それも理想的な在り方の一つという気がしますが」と言ったのだが、わたしは「ゲームの射幸心に左右されているような幼い精神性だから一生アタラクシアには至れないと思うね」と自嘲するしかなかった。結局、わたしは人の群れから離れて生きたと思ったら、別の人の群れの中に入ったに過ぎなかった。もう昔のように心を全て開いて誰かと接することはないだろう、アバターの硬い外殻を一枚隔ててわたしの真の姿を隠し、誰に許されることもなく、誰に愛されることもなく、誰に理解を試みられることもなく生きていく。せめてそのコミュニティ内で良く見えるように素顔の見えづらい化粧をして。
美しい人生は強い意思のもとで作られる、行動力、集中力、無頓着、そして一匙の万能感。わたしは卑屈の中に身を横たえて、人の言葉の中で影響を受け、形を変えながら生きている。その変形に乖離を感じても痛みを感じないように、自分自身のイメージを最低まで貶める必要がある。どこまでも醜く、汚く。ある日、医者に勧められた通り散歩をしていると、女子高校生とすれ違った。塩っぽい汗の夏の香りがふわりと鼻孔を擽って、ノスタルジーを感じた。その様子が我ながら気持ちが悪くて、強い自己嫌悪に陥った。そう言えば会社や友人関係がわたしに齎したのは疑いと卑屈で、その卑屈は人からの称賛や褒め言葉を歪んで受け止めるようになった。「良いですね」という言葉を「もっと良いものがあるがお前程度ならそれが限界だろう」と受け取り、「またお願いします」と言われれば「もう二度と手間を取らすな」と言われているように聞こえた。人に良くされてもらっても裏があるのではないか、何処かで陰口を言われているのではないかという疑念が常に付き纏うようになった。ゆるいパラノイア。わたしは人を信用することができない。全ての人間は悪意を以ってわたしを貶めようとしていると考えて行動するようになった。
幼馴染の藤堂が連絡を取ってきた。「映画の後に食事でもどうか」という話だった、正直外食できる金もないし、webメディアの一件以来会いたくもない相手であったので、「おれは今仕事もなくて金銭面でも余裕がないし、残念だけれどやめておく」と返事をすると、「そうか、すまん、本当にまったく悪気なく言ったことでキミを酷く傷つけてしまったことに今気がついた」という、こういう風に彼が言うのはいつだって自分が責任を強く感じて傷ついているという意味の攻撃でしかない。「いやいや、本当に悪かった。心から申し訳ない。映画すらも観に行けないという状態を想像できなかった自分が嫌になるよ。本当にすまん」彼の繰り返しの謝罪は、これを許さない人間の心の狭さを叱責するよう仕向けたものだ。「許さないほど心が狭いなんて言わないよな?」という圧力である。そもそもわたしは彼から何を言われても何も感じない、ただ会話するのが、一緒にいるのが不快なだけだ。わたしは「気にしていないから、そっちも気にしないで良い」と言ったが、「いや、おれはクズだ、キミの気持ちを少しも考えていない」と重ねる。煩わしさからそれ以上の返事はしなかった。わたしは人間が嫌いだ。世の中は悪意だらけである。悪意の中で、なるべく静かにそれに晒されないように生きたい。社会的な弱者はマジョリティの無意識の攻撃の前にはしばしば悪にされる。わたしは今の自分の状況がある一面で悪を表しており、人からの蔑みに晒されていることを感じている。普通の生活とは何か、恋愛、結婚、仕事、程よく趣味に回せる金。或いは何かを創作すること、発信し続けて何かの一つの形を結実すること。そのどれもがもはや遠い世界のように感じる。誰もいない午前の十時くらいの時間に眺める川だけは、悪くないものである。これが近藤の言う発見であるというのなら、なんとささやかな発見だろうか。強い快楽もない、疲労感を伴う都会の遊びの満足感とも遠く、かと言って隠者の生活というには俗っぽく、死を選ぶには怯懦に足を竦ませて。漫然とした人生。殺人でもしたら少しは彩りが出るだろうか、かつての友人たちを殺して回る。そう考えると胸がすく思いだったが、きっと死を恐れたようにわたしは罰を受けるとき生活の変化を恐れる。今の哀れな生活でも、手放すのは惜しいと感じているのだろう。わたしは無敵の人にはなれない。まだもっとひどい人生がある。わたしは全てが中途半端なのだ。上を見ると自分が如何に矮小か感じるが、下を見るとその悲惨さに目を覆いたくなる。ここでもわたしは何者にもなれない。女々しく泣き言を語っているに過ぎない。
その間、食事の誘いは他にもあった。近藤からだ。藤堂と彼女の他、昔は週に一回はそれぞれの友人から連絡が来ていたのに、ここ三年ほど誰からも連絡はない、もはや過去の人間関係は途絶しているように思われる。これはわたしの態度が齎したものか、それともわたしの状況に起因するものなのか、判然としない。とにかく、わたし自身のありかたの何れかが、人の拒絶を惹起しているのであろう。ともあれ、近藤の誘いは受けるのにやぶさかではなかった。彼女はフラットにわたしに接してくれるし、現場のわたしのあり方に特に嫌悪感などを抱いている様子はなかった。無頓着なのかなんなのか、彼女の人間関係のあり方は近いようで常に一線を引いた、いや、一歩引いた俯瞰的な視点でもって人を眺めているように感ぜられる。近藤はこの数年間で月一程度だが定期的にそっけないやり取りをしていたに過ぎないが、それでもリアルな人間関係としてわたしの社会的楔、もしくは碇となっているような気がした。そんな彼女はわたしに「報告したいこともあるし、食事をどうですか。創作沖縄料理の居酒屋、東中野でいい店があるんです。奢りますよ」という連絡が来て、ここを捨ててしまうとわたしはいよいよ孤独になる予感がしたので、その誘いを受けることにした。秋口の、それでもまだ少し人を不快にさせる暑さが残っている時期であった。
東中野に改札を出ると、ほっそりとした近藤の姿が見えた。服装は相変わらずカジュアルだが、髪型などは職場で知り合った当時よりも垢抜けていて、あの頃はそう言えば彼女まだ新入社員として二年目くらいだったのを思い出した。環境と時間は人の姿を容易く変える。わたしは昔に買ったヨウジヤマモトのオーバーシルエットのスウェットにユニクロの伸縮性のある生地を使ったジョッパーズを履いていた。オーバーシルエットでもわたしのぶくぶくと太った胸や腹を隠すことはできず、ジョッパーズは足の太いシルエットをパンパンに膨らませていた。実に滑稽な姿だった。醜くなってまでまだオシャレに見せたいという気持ちが強く出ていて痛々しいくらいだ。
「健康そうですね」と近藤が言った。
「いや、食べるものをケチっていて安くお腹いっぱいになる炭水化物ばかりを摂っているから、これは貧乏太りです」
「本当にお腹を空かせて痩せ細るような状態じゃなくて安心しています」
「まあ、そう言われればそうなんですけれど」
わたしは自分が憐憫を向けられなくて少し残念に感じているのを自覚した。情を乞う女々しい承認欲求が働いているのだ。
「ちょっと歩くんですけど、まあ散歩だと思って行きましょう」
道中にはいろいろな飲食店が並んで空腹を刺激した。わたしは外食をしなくなってから、それらの贅沢が遠く離れた自分とは無関係なものになってしまったのを感じていた。今日の食事は卑しいながらも奢りということで、少なからず心が躍っているようだ。風は冷たいが、歩くとじっとりと汗が流れる。近藤の横顔を見ると、当時はなんとも思わなかったような彼女のこちらを見やる仕草が嫣然として見え、どうにも心が仄かに動くように思われた。
店は隠れ家的な小さな居酒屋で、カウンター席の他に四人がけが二席しかないようなこじんまりした間取りで、店主が一人で切り盛りしている様子だった。近藤は迷わず泡盛をボトルで一本注文してからゴーヤチャンプルー、海ぶどう、ソーキ焼き、とろけーろという聞いたことのない豆腐料理を注文した。そこそこお客が入っていながらワンオペだからか料理が来るのは遅かったが、近藤のわたしの生活苦を刺激しないさりげない世間話がするするとわたしと彼女の言葉の網の目を編んでゆき、時間は潺湲と流れるように過ぎていった。わたしは少し彼女が魅力的に見えた。彼女のような人間ならば、わたしのように零落した生活も受け入れてくれるような希望を感じさせた。
「うまいですね、この豆腐。揚げ出し豆腐の中身がモッツァレラチーズのようになっていて、ごま油の効いた濃い味のタレと合って非常に面白い」
「このお店ならではの料理みたいで、本場の沖縄料理にこれがあるかはちょっとわからないです」
もしかしたら、この醜く貧しい男でも彼女は受け入れてくれるかもしれない、そんな思いが仄かに咲き始めた。先に恋愛感情があるのではなく、まずは自分を受け入れてくれる人間であるかを探るようになっていた。実に打算的な感情だと思う。それでも女性ら全てから好かれることを諦めていたわたしにとっては藁にも縋るような気持ちになったのだった。
「それで、生活の方はどうですか、なんとかなっていますか?」
「あまり余裕があるとは言えないですが、生きていけるだけの生活はしています。人付き合いもろくにできない経済状況ではありますが」
「生きているなら、何処かで生活がより良くなるきっかけが来ると思います」
「正直諦めています、でも人間関係が改善されれば、或いはそういうこともあるかもしれません。今は被害妄想が強くて、人間不信が深く根を張っている。いや、被害妄想ではなく、実際にこの社会に排斥され敵とされている感覚が確実にあります」
「どうでしょう、わたしは夛田さんを敵として見ていないのでわかりません。でも人間関係が原因で心が病んだら、人から離れてしまうのは普通のことだと思います。人は誰もが同じ心的耐久力を持っているわけでもないし、同じ体験、同じ痛みを感じているわけではない、痛みの総量が受け皿を溢れるほどであったとき、人はどうなるかわかりません。人は痛みで死ぬこともある。夛田さんが生きていてくれて良かったですよ。自殺が未遂に終わって良かったです」
近藤はわたしと自分の琉球ガラスのグラスに泡盛を自然と注ぎ足した。彼女は手を小さく振り店主を呼ぶと、ゴーヤの天ぷらとタコの唐揚げ、豆腐ようを追加した。室温は高いけれど、店の開けっ放しの入り口から入ってくる風が泡盛で火照った体を冷やす。このときわたしにあったのは胸襟を開くような心の開放ではなく、警戒であった。人間が優しい言葉を吐くときには何かしらの罠がある。実際には無関心で口当たりの良い言葉を選んでいるだけであったり、何か後ろめたいことがあったりするのだ。傷つけられたくないという気持ちだけで人はこうも疑り深くなる。今までの接し方から彼女がニュートラルな状態でそう言っていることはわかるはずだろうに。
「わたしの近況の方なんですが、結婚することになりまして。大学時代の知り合いが
東京に転勤になって、それで交友を続けていくうちに、と言う感じです」
わたしは金槌で殴られたような気持ちになった。この子は或いはわたしを救う女性となるかもしれないという浅はかな期待が崩れて沈んだ。泡盛の独特の香りが急に耐え難いものになるのを感じる。
「おめでとうございます」
しかし本心だった。わたしを普通に接し続けてくれた人が普通に結婚をする。とても良いことだと思う。感情が少しチグハグなだけで、本心には変わりなかった。
「それで、夛田さんを式に招待したいと思ったんです。結局、わたしはドライな距離感というものを維持できませんでした、夛田さんと親しくなったと思っているんです、一方的かもしれませんが。しかし、金銭的な問題で参加するのは難しいだろうと、断られるだろうと思って招待状を送らず、こうして面と向かって口説いているわけです。祝儀もそんなに気にしなくて良いです、だから来てくれませんか」
「おれは」
「ちょっと深呼吸しましょう、すー、はー、どうでしょう、頭の中が少し風通しよくなりませんか」
「ああ、そうですね、酒が体からスッと抜けて、ちょっと落ち着いたような気がします」
彼女はわたしをまだ普通の人間として扱ってくれる。何処にいても邪魔な存在としてのわたしではなく、結婚式に招待できるだけの友人を思ってくれている。こんな人間がわたしの人間関係にどれだけ残っている? もしかしたら彼女だけかもしれない。だから、どうしても行ってあげたい、と言う気持ちが強く胸に反響した。他者に対する情というものが自分にとってどれほど危険なものであっても、社会の爪弾きを
一生の大事な行事に呼ぼうとする彼女に報いたい。わたしの仄かに燃えかけた打算的な恋愛感情は、いっぱいの水の中に入り込んだ泡のように溶けて消えた。
「行きます、いつですか?」
「ああ、良かった。十二月の九日です、もう二ヶ月を切っちゃってて申し訳ないのですけれど」
「大丈夫です、なんとかします」
余計なことを言う口だ。相手に恩を売るような言い方になってしまって自分に対して嫌な気持ちになった。気分を変えるように泡盛を一口飲み、豆腐ようを竹楊枝ですくって舐める、口の中で二つの香りが混ざって膨らむ。味がする。上下に揺さぶられるように感情が動く。恥辱だけの石のようになってしまったと思ったわたしの感情が、相手を想ったり、普通の人間として認められているという充足感で浮かされている、酒を飲みすぎたろうか。節約のために飲まなくなってから暫く経っていたから、弱くなったのかもしれない。食事を終えて外に出ると小糠雨になっていた。肌寒いほうがいっそ良かった。
なんとかすると言ったものの、家にもう売れるようなものは何も残っていなかったし、消費者金融などは生活保護の担当の監視が厳しく、記録に残るような金銭のやり取りはできそうになかった。ギャンブルも今まで避けてきたのもあって基礎知識がなく、増やすことはできそうにない。あとは人から手渡しで金を借りるくらいしか思いつかないが、同じく不如意な親に頼ることはできかねた。インターネット上の知り合いでは、個人情報を交換するような距離感の近いコミュニケーションを取れるような人間関係を築いてきていないので、こちらも難しいように思われる。もしくは途切れた友人だった人たちを頼る手段。冷蔵庫に歩いていき、使用済み二リットルのペットボトルに入った水道水を飲む。茶やコーヒーが買えないためだが、水道水も冷やせば常温よりは美味しい。口さみしいときはこれを一口直飲みする。甘いもの、しょっぱいものを体が求めれば、砂糖や塩を舐めれば良い。それだけでは満たされないものもあるが、体の要求は多少誤魔化すことができる。こういう少し寒くなり始めた時期には白湯も良い。頭の片隅でずっと金の算段をしているが、何処かストッパーがかかってなかなか、決断がつかない。粘着く液体が満たされた不愉快な沼を越えるような気持ちで頭を動かす。脳にまとわりつく不快感が下腹部を萎縮させる。もし金を借りるなら、一度こちらに連絡をしてきた藤堂だろう。しかし藤堂はこちらが困窮していたときに頼っても、一方的なおためごかしで金を貸してくれないような人間だから、彼から金を簡単に借りることができるのか、不安でもあった。だがそれ以上に、あのような不愉快な人間に自分から連絡を取るということ自体が非常に抵抗感を覚えた。水が喉を通る。近藤の結婚のことを思えば些事に汲々しているに過ぎない。
食費を抑えて、安居酒屋なら一度行けるくらいの手持ちを用意した。藤堂は奢ってくれるような人間ではないので、ここはなるべく自分で用意する必要があった。その上で彼には「確かに久々に話がしたいからサシで飲もう」とメッセージを送った。殆ど時間を置かずに「いいね、楽しみだ」と返ってきた。藤堂は家が近いので、お互いの徒歩圏内にある居酒屋に決まった。
睡眠薬を飲むとよく夢を見る。それはだいたい学生時代の夢で、柔らかいシーツに包まれるような肌触りの、青春と恋愛の夢。女友達は優しく指に触れ、男友達は頼もしく笑う。教師の泊まる部屋に忍び込んで、テストの答案が書かれた紙を盗む、ついでに金目のものを奪って、みんなで深夜のファミレスに行って、お互いに冗談を言い合う。そうした夢を見ながら、これは夢だと気づきながらも「そうだ、起きたら彼女に、彼に、連絡をしよう、一緒に服やレコードを見に行こうと誘おう」と思うのだが、起きて自分がもう三十代も後半で家庭もなく、金もないことを思い出すのだった。彼らはもう家庭を持ったり、趣味も変わってあらゆる価値の優先順位が昔とは変わり果てているに違いなかった。わたしはあいも変わらず音楽や本に固執していて、しかしそれが金銭的事情で新しいものを入手するにはもう彼らは遠くに行ってしまったのを気づくのだ。
十一月の夜の十九時、肌寒い風がひと吹き、コンクリートに散らばる枯れ葉をなぞった。駅前の壁に描かれた古びたグラフィティが時間と共に削れるように掠れている。仕事帰りの人々がまばらに駅から出てくるのを眺めて、わたしもその一人だったのをどうにかして頭から追い出そうとした。藤堂は約束の時間に来た。わたしはいつも通り十五分前くらいに着いてぼうとスマートフォンを眺めていた。藤堂はわたしを見つけるとにやけながら手を振った。彼はBluetoothのイヤホンをケースに戻して「よお」と言った。仲の良い幼馴染流の挨拶、それはそうだ、彼はわたしにそれほど嫌悪されていると思っていないだろうし、されていたとしても無頓着でいられるだけの神経の太さがある。平日の夜だということもあって居酒屋は空いていた。わたしたちは四人掛けの座敷席に着くと、早速飲み物と簡単なつまみをオーダーした。彼のオーダーの仕方は特にこちらを気にすることなく、好きなものを好きなだけ頼むような感じであった。きっとそれらに対してわたしが手をつけなくとも割り勘にされることが目に見えていたから、あとはどうにか予算オーバーしないことを祈るだけだ。一言「幾らしかない」と伝えれば良いのかもしれないが、彼の興が削がれてわたしに金を貸す可能性が下がってしまうのを出来る限り避けたかったのだ。
「千葉ちゃん新しい彼氏できてたよ」
早速聞きたくもない話をするのがいっそ彼らしい。わたしは不快感をなるべく顔に出ないように気をつけながら過ぎた出来事に再び足を取られないようにゆっくりと会話の歩を進めた。
「おめでとうと言っておいて」
「え、そんだけなわけ。まあ千葉ちゃん容姿いいし、エッチも上手いからこの歳でもやっぱり心配ないんだな。すごいよな。おれらなんて体型崩れ始めちゃってるし、肌もくたびれてきているのになぁ、最近どうなの、ゲームとかやってる? おれはサウナにハマってるわ。仕事とかも出来るサウナとかも増えてるんだぜ」
「そうなんだ。サウナなんて昔温泉旅行で利用したっきりさっぱりだな」
「人気のアウフグーサーとかもいて、その人の日は人も集まったりしてさ、なんかクラブイベントみたいなんだよな」
「そんなに人気なんだな、サウナ」
もう全然世の中の流行り廃りがどんなものなのかわかっていないというのを自覚した。思えば、映画も、音楽も、ファッションも、最新の情報が自分の中に一つも流れていないのだ。それらの情報が血管の中を駆け巡って、それを人々に言って聞かせるのがわたしのアイデンティティだと思っていたのに、今はただ貰ったお金で命を繋いでいるだけの動物に過ぎなかった。そして残っているプライドはソーシャルゲームでの優位性。そこで自分がいかに他プレイヤーよりも優れているか、それだけの話。箱の中から全てがこぼれ落ちて、残ったのは実に蔑むべきエルピス。それがわたしの人間性を人間としての。ああ、これほど小さく灯った火を抱えて、吹き消されないように大事にしている。生きる理由を曖昧にするための小細工。
その後も彼の自嘲風の自慢話を聞いていると、彼もだいぶ泥酔してきたのがわかる、気分良く笑顔で、仲良く楽しく会話をしていると彼は感じているのだろうか。わたしは金銭面が気になってほとんど注文もせずに酒も回っておらず、ただ彼がわたしより優位に立てていると思わせることに注力していた。彼はいつだって、わたしを負かすのが好きなのだ。男性同士の言葉のやり取りは勝負だ、と彼は昔言っていた。だからどの会話にも彼はアピールポイントがあって、相対的に相手を貶める術に心を砕いている。後一歩で彼はわたしを完膚なきまでに叩き潰せると思って嬉々としているのが感じる。わたしは弱みを見せる。「お金がないんだ。友人の結婚式に出たいんだけれど、ご祝儀を用意をすることができなくて、何か手伝えることがあるならするから」と犬なら腹を見せながらするようなお願いをした。彼ははたと会話を止めて、じっとこちらを見つめた。彼には金があるのは知っている、同棲している彼女がいるにも関わらず新しいガジェット、ゲーム機、機材を買ったり旅行に行ってダイビングをする余裕がある。自分の娯楽をする自由にできるお金がある。食生活も豊かだ。人付き合いも悪くない。金を貸してくれるような金銭的余裕はあるはずだ。
「前にも言ったけどさ、簡単にお金を貸すと癖になって何度も無心してくるようになるんだよ。そういうのはお互いに良くないし、キミが自立するのにも良くない影響を与えると思うんだ。おれは自分の財布が惜しいわけではないよ。キミのことが心配なんだ」
「こんなおれにも優しく接してくれた友人の結婚式があって、どうしても行ってあげたいんだ、頼む、後生だから」
わたしは恥も外聞もなくただ叩頭を繰り返した。彼はそれを見て困惑するどころかどこか嬉しそうに笑うのだった。
「ぷっ、プライドの高い夛田が土下座してるのちょっとウケるな」
彼は立ち上がったがその仕草はふらついていて、彼が泥酔していることがわかった。藤堂はわたしの頭を掴んで、畳に強く擦り付けた。
「偉そうに知識をひけらかしてたやつが、こんなになってるし、新しい出来事の話を振っても何も知らないときたもんな、正直がっかりしてるけど、同時に何か弱みを握ったみたいでちょっと気分いいわ」
優位な立場になると嗜虐的な性格になる人間がいる、ということをわたしは改めて学んだように思う。
「おれが以前居酒屋の新年会で尻にチョリソー入れる動画撮られたの覚えてる、あれめっちゃウケたんだよね。条件はそれやってもらうとかどう?」
彼の発言にわたしは躊躇った。吐き気のする動画だったのを覚えている。周りのゲラゲラする笑い声と共に藤堂の尻にチョリソーが入り、糞がこびりついたチョリソーが再び出てくる動画だ。わたしは仕事でその場に行かなかったが、いかにも下劣で品性に欠ける遊びをしているものだと思った。それを彼はわたしにやらせようとしている。彼はわたしがプライドの高い人間であることを強く知っている、昔からの付き合いだ。お互いのことはよくわかっている。彼は基本的には優しい。しかし、他者と関わるとき、自分のヒエラルキーを高く見せるためにわたしを貶めることが多々ある。この状況もそうだ。彼は自分のコミュニティの中でわたしより高い位置にいることを仲間に喧伝したくて仕方がないのだ。或いは性欲よりも人の欲求の高い場所に自己顕示欲があるように思われることもある。わたしは頭を押さえつけられて、動けない状態で上から降ってくる無邪気な悪意を浴びて背筋に氷筍が静かに伸びるようだ。
「夛田って確かノンケよな? おれもそうなんだけど、男のフェラチオって興味あるんだよな。おれのしゃぶってくれたら金貸すよ。その代わり動画取るから。絶対ネタとしておいしいから大丈夫だって」
そういうと彼はわたしのシャツを引っ張って立たせた。
「いや、これマジでみんなと仲直りするチャンスだよ。面白いネタやったらみんな水に流してくれるって」
人々から離れたのは彼らとのコミュニケーションが苦痛に成り果てたからだというのに、彼らはわたしに罪があると考えて、向こうから避けている格好になっているのか? わたしは人間というものの物事の解釈にはそれぞれの都合で事実とは曲げられることがあるのか、と省察した。わたしが選んだ選択、わたしが常に何かに追い詰められながらやっと出した選択は、他者にとっては別の選択肢がある中から意図的に選んだ選択肢として写り、その中で合理的邪推によってわたしがいとも簡単に悪者になるということが、仄かに見えた気がした。
彼の力は強く、運動もせずに肥えたわたしは抵抗するも息が切れるだけで相手に何の効果も与えなかった。彼はトイレの個室にわたしを押し込めると、後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた。そしてスマートフォンを取り出して動画を撮り始めた。
「動画撮っててズボン脱げないから脱がしてくれない?」
わたしは無言と無行動で拒否を表すが彼は「早くしてくれない?」と言うだけだ。わたしは屈辱で泣きそうになりながら彼のズボンを下ろす。男性は小便をしても性器を拭かない人間が多い、女性の下着とは違って、男性の下着は仄かなアンモニア臭がして非常に不快だった。それを脱がせると勃起もしていないだらりとした男性器が現れた。陰毛はカットされていて整えられていて、彼が性交渉に困っていないのがわかる。
「夛田がおれのチンポ見て硬直してるのクソウケる。早くしようぜ、金貸さないよ」
わたしは目を瞑ってそれを口に含んだ。尻の穴を舐めているような嫌な臭いが口内に広がって、吐き気を催させた。舌を使って亀頭周りを転がすと、口の中でそれが膨らんで来るのがわかった。
「あはは、マジで女の子にしてもらうのと変わらないくらい気持ちよくてキモいわ、笑うわ」
わたしの頭は屈辱で頭がいっぱいだった。これで噛み切ったら藤堂は死ぬだろうか、それとも怒りに任せてわたしをしこたま蹴るだろうか。できればこれを噛み切りたいと言う気持ちが膨らんでいく。だが臆病なわたしが、彼のペニスを噛み切った後、どんな罪を課せられるのだろうか、と言うことで頭が支配され、より悪い未来がわたしに覆い被せられるならば、今を耐え忍んだほうがマシなのではないか、そう囁いていた。相手を気持ちよくする、と言う考えはどこにもなく、ただぞんざいに口を動かしているに過ぎないが、それでも藤堂には面白いらしく、彼はゲラゲラと笑いながら動画を撮っている。
「あ、ちょっと待って、イクかも、男でイクのはおれ的にちょっとまずいから離れて。離せって」
そう言って彼は乱暴にわたしの両肩を押して壁へ叩きつけた。そして、三万円を財布から取り出して押し付けた。
「わかると思うけどさ、仕事は選ばなきゃ幾らでもあるからな。自分のプライドとか、面倒くさいとかで選んでるだけならマジで改めた方がいいよ」
「おれは障害で」と言いかけると彼はまるで興味ないと言った仕草でそれを止めると、「怠け者は道に獅子がいると言うって言うだろ」と言って個室を出て行った。
どうすれば良かったのだ、わたしは金を手に入れた。だけれど、幼馴染の理解すら得られない。当時彼は希死念慮に襲われて、自殺を試みた。わたしは思わせぶりな彼のメッセージから心配をして彼を助けたことがある。あの時見捨てて死なせておけば良かったのか? だが、彼のはたかが人の気を引くための狂言自殺に過ぎなかったろう。そうでなければ、彼がわたしに無理解を示すことの意味がわかりかねた。
外は寒かった。わたしは鳥肌が立っていた。当然だがグラフィティが何事もなかったかのようにまだそこにあった。藤堂は上機嫌に帰って行った。今日はわたしがあのコミュニティに再び足を運ぶことがなくなる理由が増えただけで済んだ、と思えば安く済んだろうか。人間関係を売って手にした三万円はまだ手に握りしめていて、それが財布に入る時に飛ばされるのではないかと言う恐怖感から離せずにいた。結局わたしはその握りしめた拳を上着に突っ込んで前屈みで歩いて帰った。影が、電柱の間で二つに分かれて、その曖昧さが自分の在り方を写しているようであった。
その日はわたしという存在を除けばいい朝だった。スーツは新調することができなかったので、もともと持っていたものを着用した。痩せている時分にオーダーメイドしたものなので前ボタンは止まらないし、パンツも締めると肉がはみ出して苦しかったが着れないことはなかった。シャツはアームホールがどうしても通らなくて、ファストファッションの安い白シャツを買う他なかった。良いスーツだったのでシルエットだけは一丁前だったが、よく見れば腕も胸もパンパンに膨らんで非常に不格好だった。良い服を着るとしてもサイズがしっかりしていればこそ見栄えが良いのだが、これではまるで誰かから借りてきた服の中に肉を無理やり詰め込んだ腸詰のように見える。しわくちゃになった三万円を引き伸ばして、ご祝儀に入れた。近藤は今頃綺麗に着飾っているのだろうか。わたしは一ヶ月ぶりに風呂に入り、久方ぶりの電車に乗って表参道に向かった。近藤の給料で考えるとこんな高級な結婚式をするには結婚相手の経済力が高いからに違いないと言うのが予想される。大学時代の友人だと言っていたから近藤と同じ大阪大学の人なのだろう、頭も良く仕事もでき金もたくさんある人間というものは本当にいるのだ。前は容易に想像もできたし近くにいたのに、今では全くわからない存在になっていた。同時に向こうから見ればわたしは意味不明で非論理的なものに映るのだろうと思われる。電車の車窓から見える川はまるで彼我を分つように横たわっている。この先はお前の領域ではない、と言っているように見えるのは、わたしの頭の融通が効かなくなっているからだろうか。わたしの頭には常に人から排斥されることを前提とした考えが居座るようになり、以降そいつはわたしの耳に語りかけてくる。お前は普通に生活している者たちからにじみ出た汁を啜る卑しい動物に過ぎないと。
表参道駅から地上に上がる道ですら休日の今日は人が多い。新宿や中野などと違ってモード寄りの高価で洒落た恰好をした人々が沢山溢れている。太陽の光を見て青山通りの十字路を眺めて、昔は週一くらいで通って服やインテリアを眺めていたのを思い出した。そんな奢侈など遥か遠くのように感ぜられる。表参道を少し原宿方面に下ったところに式場はある。人通りも式場に向かうほど多くなっていく。空の明るさが、人々の顔を照らして、多くは喜びの色を帯びている。わたしも色んな女の子とここでデートして、食事をしたりウィンドウショッピングをしたりしたのだけれど、どうにも夢で見た出来事のように淡い。
会場にはある程度人が集まっていて、中でたむろするもの、外で雑談に興じてるものなど様々だった。わたしは早々に受付を通って、名前を書いてご祝儀を渡す。人の視線がこちらに来るのに怯えながら、ガーデンが開かれた緑の多く、チャペル内部も天井が高くガラス張りの開放的な式場だ。ご祝儀が三万円で足りるのか不安になる高級感で、首元に嫌な汗が浮いてくる。会社の知り合いがいるとか思ったが、彼女の部署はわたしの部署と殆ど関わりがないから、知っている人間は確認できなかった。既に疎外感を感じているが、近藤の晴れの舞台を祝えると思うと耐え忍ぶことができる気がする。女性陣はやはりOLといった雰囲気で、表参道的な垢抜けてさはいないが、学生ノリは既に抜けて、落ち着いた態度の人が多い。男性陣は実業家然とした人間が多く、既にコネクションの拡張を狙ったようなコミュニケーションのが行われていた。わたしは空いている席に座って式の開始を待っていた。すると髪をゆるく三つ編みにしたローポニーの明るい雰囲気の女性が近づいてきて親しげに話しかけてきた。
「新郎さんのお呼ばれですか?」
「いえ、新婦と昔同じ会社で働いていて、それで呼ばれてきました」
「あー、じゃあもしかしたら新婦側だと唯一の男性のゲストかもしれませんよ」
「え、それは些か気まずいですね、新郎にいらないストレスを与えてしまいそうで心配です」
「気にしなくたっていいでしょ、新婦も新郎もお互いのゲストは相談して決めたことでしょうし、私たちは祝福してあげれば良いんですよ。あ、そろそろ始まるみたいですよ行きましょう」
この知らない女性について行くが、自分の容姿が醜いことで、他の女性ゲストに不快感を与えていないかなど憂患せざるを得ない。それとも、わたしの容姿は普通の範疇に入るものなのであろうか。確かに加齢と怠惰な生活のせいで肉体が崩れているが、怪我や病気等による容姿の変化はない。しかしそういった人たちの醜さは憐憫を呼ぶが、わたしの肉体には克己心のかけらも見受けられないメンタリティを透かして見て、嫌悪しかわかないのではないだろうか。もしかしたら人は思ったよりもわたしを厳しい目で見ていないのかもしれない。こういった結婚式に紛れ込んでも、彼ら、彼女らの仲間として参加できるだけの権利が残っていたのかもしれない。
新郎が新婦を待つ、白いウェディングドレスに包まれて、普段のカジュアルな雰囲気とはかけ離れた近藤が現れる。わたしの心には天使のような、とか美しい、とかの形容詞は浮かばなかった、ただいつもと違う、だからめでたいのだという魯鈍な推測で感動しようと試みていた。何か非現実的な、しかし神秘的とか幻想的だとかそういう意味とは違う距離感があった、めでたいことなのだから祝わなくてはならないという前提のものとしてなんとかわたしはこの儀式を祝していた。わたしは感動をしていなかった。何かが、流ていく様子を眺めているだけだった。まるで一枚の防音のフィルターを挟んでいるように、何の情報もわたしを揺らさない。
「おめでとう近藤」 と小さく呟いてみた。その言葉は外の誰にも届くことなく、そしてわたし自身にも反響することなく消えていった。伽藍堂。普通からはぐれてしまったことを自分で意識しすぎてしまったために、出来上がった脂肪の壁が常識的感動をわたしから奪ってしまったのではないか、と。けれど強いて感動を起こそうとわたしは近藤の顔を追い続けた。そこでふと、目が合う。「アッ」っと声が出た。わたしはただ彼女に存在を認めて欲しかっただけなのだ。
「真記ちゃんおめでとう!」という声が上がった。真記というのか近藤は、知らなかった。今日までやり取りを続けてきて、喧嘩もせず、大声で笑うこともせず、淡々と過ごした相手の名前を今初めて知った。その淡々とした所作の中で、わたしは肯定され、常に離れそうになりながら妬みを持っていた領域へ含まれ続けていた。
「おめでとう真記さん」と言った。コンと一つ石ころが、伽藍堂に反響した。
披露宴は恙無く進んだ。みんなで食事をとりながら二人のエピソードが壁に映し出される。わたしは先の一擲で体が揺れて、まるでゼリーのように時間と環境その進行の形に沿って流れて行く。壁に人をなぞって自分のことのように味わっていた。わたしはこの場そのもののように振る舞い、溶けている。わたしは空気だった、それも澄み切った透明な空気。普通と異質を隔てる一枚のスクリーンが溶解したように思われた。新郎がマイクを取って何かを喋っている。感動する話なのだろうか、ならば感動しよう。皆と一緒に近藤のこの後を祝福できればそれで良い。
「中には皆さんの血税を啜ってこの場に来ている人もいるかもしれませんね。そういう人の醜さも今は許せそうな、そんな気持ちです」
違和感のある言にはたと手が止まる。目を上げると新郎と目が合った。今のはわたしのことを言ったのだろうか、新郎の口だけが動く「帰れ」。新郎は尚もマイクを持ってにこやかに閑談を続けているが、目はわたしから離さない。どっと冷や汗が出る。一筋、首を伝って背中に入る、そこから肉の布団のような背骨に沿って尻まで滑り落ちていく、その一連の現象がわたしを再び凝固させ、醜く薄汚い男の像を再び結んだ。料理の味がわからないことに気づいた。新婦側の席でただ一人の男であることを思い出した。風呂には入ってきた、歯も磨いて来た。わたしは普通だ、溶け込んでいる。閑談が終わり、お色直しに二人が退場する。わたしはまるで釣りさがって腐れていく失敗したベーコンのように放り出されて、自分の立てる足場を必死に探そうとした。周りの人たちは気づいた様子もなかったが、新郎は明らかにわたしに対して悪意を持っているように思われる。だったらどうすれば良いのだろうか、わたしは彼らが帰ってくる前にこの場を去るべきなのだろうか。戻ってきてわたしがいなくなっていた時、近藤はどう思うだろうか。いや、何も思わないのかもしれない、もしかしたら新郎と同じ気持ちになっているのかもしれないではないか。社交辞令で結婚式に呼んだだけで、実際には来てほしくなかったのかもしれない。これらが、馬鹿げた邪推なのは分かってはいるが、わたしの脳内で案じていることが誰からも否定の声が上がらない限りは可能性がないわけではないではない。しかしもし新郎だけがわたしを排斥したがっている場合、客として呼んでくれた近藤のためにも断固としてここに居続けねばなるまい。思考が乱反射する。粗相があるといけないと思い控えていたアルコールに手を付けてそれを収斂させようとする。酔いが、不安を曖昧にし、思考の矢が、乱雑に動くのではなく、盲目的に一つに集中するように、どうか、と願いながら白ワインを飲む。どうか近藤の幸せを願いきれますように。
二人が戻ってきて会場があぶくみたいに湧いた。キャンドルサービスが始まるようだ。それぞれのテーブルで二人は軽く挨拶をして回る。新婚の夫婦が仲睦まじげに歩き回る姿は微笑ましいが、先ほどの新郎の態度がわたしへの意図的な悪意である場合、二つの理由から忿懣やるかたない気持ちが湧いてくる。一つはこんな公共の場所でのわたしへの個人的嫌がらせを行う心根の悪さ、そういう人間が近藤という分け隔てなくフラットに接する人間を奪おうとしていること。奪うと今わたしは考えたのだろうか、嫉妬だろうか、だがわたしは近藤に恋慕など抱いていない。わたしを普通の世界で扱ってくれた仄かな感謝を抱いているだけ、唯一わたしの友人関係の唯一の味方だ。そんな女性が、弱者と普通の人間を隔てて、評価を下すような人であっていいのだろうか、省察すればそれはわたしが認められたいという欲求の先にある希望であったとしても、近藤には相応しくないのではないかと怒りが湧いてくる。キャンドルサービスがわたしのテーブル席にやってくる、近藤はわたしに微笑み、新郎もにこやかにわたしへ向かって「恥ずかしくないんですか?」と静かに言った。同席の人たちはなんのことやらわからないように聞き流していたが、わたしはその言葉で遂に脳で膨らんでいた血ぶくれが言葉の針で破裂した。わたしは立ち上がってテーブルクロスの端を掴んでそれを引っ張りながら出口の方に引きずって行った。乗っていた高級そうな食器は音を立てて割れた、その音が、人々の会話をはたと止める。わたしはゆっくりとテーブルクロスを引きずり続ける。すると新郎が戦慄くような押し殺した声で「何考えてんだよナマポ野郎」と言った。わたしは振り返った。新郎の顔を見るためではなく、近藤の表情を見るためだった。困ったような、悲しんでいるような、少なくとも怒りではない感情を咲かせていた。徒花。ネガティブな感情はクリエイティブでも特別なものでもない、わたしはかつてのインタビューで言われて惨めな気分になったことを思い出した。近藤はわたしが少しずつ進めていた様々な映画や小説を読んで何か感じることがあったろうか。彼女の中に何かを残すことができたなら、わたしは友人として、一緒に時間を過ごしてきて良かったと思えるのかもしれない。わたしが恐れているのは結局、この男と一緒になることで、近藤がその考えに感化されて、わたしを普通の人が見る異質として見るようになることなのだと気づいて、なんて卑しいのだろうと思った。
「お前らは人に迷惑をかけることしかしない、人に寄生して、楽に生きることしかしない、ここには相応しくない。帰ってくれ」
「アンゲロプロスもわからねえ無教養が!」
わたしは振り返って新郎に殴りかかった。が、瓶を担いだ新郎の友人と思われる男がそれを走るわたしの顔面に叩きつけた。瓶が割れ、酒が身体中にかかり、顔はガラス片でズタズタに切れた。血を流しながらわたしは泣いた。
「こういう場所で騒ぎを起こすのが良くないことだってことくらいわからないの?」
「暴力を振るうってどういう神経しているんだよ」
「叩き出した方が良いよ」
女性陣はわあきゃあとうるさく騒いでいる。わたしは顔面を酒と血で濡らしながら人々の非難の目を背中に受けて外に出た。女性が一人近寄って、「顔ひどいですからちゃんと病院に行ってください。救急車呼びますから」と言ってくれた。わたしは式場の外の壁に持たれて項垂れながら泣いていた。わたしは結局溶け込めなかった。普通の振る舞いすらできなかった。みんなが望む弱者の姿を晒しただけだ。敵としての弱者。悪。
顔は額に七針と頬に四針、鼻に五針縫った。治療費や救急車代は生活保護の医療費で賄えるのだろうか、ぼんやりとそんなことを考えていた。そして近藤はきっと怒っているのだろうなと。あれから一週間ちょっと経って、抜糸をした病院の帰りにいつもの川へやってきた。休憩所には誰もいなかった。今日まで近藤から連絡はない。これがわたしの物語なのだ。小説は最後の句点で終わるが、人生はその後も冗長に続いていく。わたしは這いずるように、無意味な毎日を過ごしていくことを選んだ。せめて世界の端っこで生きる人間が、諦めとささやかな呪詛を川に溶かして過ごせるようにあれと。片時雨、日差し遠く外套に寒さが染む。結局は、多くの人間にとってわたしは緩い不幸の中で、憐憫を呼ぶこともないただ漫然と蔑むべき人間で、人々の血税を使い腹を満たし、その弱々しい経済状況と太り禿げ始め肌が荒れている姿はインセルとして定義されるものへわたしを変えていった。そしてインセルは女性たちにとって、忌むべき危険な潜在的ミソジニーとして扱われ、ますます敵対視されるのである。わたしは孤独になるべくしてなった、自ら孤独への道を歩いた。にもかかわらず、ある地点から人々から冷ややかな目で見られる、嘲笑され、攻撃され、嫌悪される対象に成り下がってしまった。わたしは完全にこの世の異物になった。結婚式なぞどだい無理だったのだ。雨で川が俄かに暴れる。左右の川が合流する時のうねりが、より強いものになって飛沫をあげている。スマートフォンが震えた。
「結婚式来てくれてありがとうございました。お怪我は大丈夫でしょうか。あの時あなたが怒りお覚えて行動されたことは人間として当然のことです、お気になさらないでください。しかし、わたしの夫との関係は良好とは言えません、彼はわたしにあなたと今後連絡を取らないようにと言いつけました。ですから残念ですがこれが最後の連絡、わたしたちの緩く伸びやかで少し乾いた関係の最後だと思って下さい。今日までありがとうございました。返事は結構でです。健康には気をつけて」
文字がこだまのように脳内で跳ねて、意味を凝固させ顕在化させようとしている。わたしは自然それに抵抗するように意識を曖昧に保とうとしている。ひとりぼっちになってしまう現実に、現実に繋ぎ止めていてくれた友人が消えてしまうという事実に、わたしは心をかき乱されている。人生は続く、わたしは死にたくないと死のうと思った時に思った。それでもわたしは人生が続くことがこれほどまでに厭わしく感じることはなかった。暗闇が伸びている。片時雨、日差しが遠く差し込んで、まるで導かれるようにわたしの周りだけを濡らしている。わたしは叫んでいた。この世に対する呪詛を吐いていた。どこにも属せず、ただ生かされているだけの恥の人生とそれに対するマイクロアグレッションの間で、すりつぶされるように喘いでいる。わたしはそのまま川の中へと歩いて行き、着ている服が水分を吸って重くなるままに水の中に沈んでいく。わたしの叫び声は水を鳴らし、鼻や喉に水が入り込み、ゴボゴボと嫌な音を立てていた。わたしはより深みを目指して前進していく。荒れた水がわたしを左右に揺らし、足がもつれて仰向けに倒れた。眼前には濁流、その内側。なおもわたしは叫び続けた。どうかどうかどうか、わたしにかかったこの緩慢な呪いが、全ての人の頭上に降り注いでくれますように。水の中、光はなく、泡に包まれて音はもう聞こえない。わたしはそれでも死にたくないとまだ思っているのだ。
柔らかな宿痾 柚木呂高 @yuzukiroko
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