満たされる。ただ、それだけで。

 物心がついた時から、彼女には何かが足りなかった。本来あるべき何かを持って生まれてこず、故にずっとこの世界そのものが不満だった。

 最後の一ピースが最初から入っていない不良品のジグソーパズルのような人生を狗魔いぬま御白みしろは送ってきた。


 世界には光があって闇がある。影がある。世界のどこにも光と闇が存在し、故に世界のどこにでも光と闇は移動することが可能である。

 ぎぃ、という音を鳴らしながら少女が振り返る。黒いローブを纏っているが、それはあくまでもの為のもの。フードは既に外しており事件現場となったばかりの部屋が未だ映し出されているモニターの光によって、その美麗な容姿は晒されている。

 真っ白な髪とそれに負けないくらいの純白の肌、浮世離れした碧眼は島国の外の血が流れている証拠だ。年齢は中学生程に見えるだろうか。容姿はすれ違えば男女問わず誰もが振り返るだろう美しさ。しかし、テレビや雑誌などに出てくるタイプではない。高貴さの漂う、存在のステージが一般の人々とはそもそも存在の次元が異なる、そういう類の美しさだ。国一つ程度なら簡単に手玉に取るような、妖しさを少女は醸し出していた。

「ただいま戻りました。主様(御主人様)」

「おかえり、私の仔狗達」

 瞬きの間に、まるで初めからそこにいたかの如く数人の少年達が現れる。ドックマズルを口元に装着し飾りではない本物の狼の耳と尾を持つ少年達だ。少年と言っても、幼い男児ばかりという訳ではない。男女同数程度にはおり、その容姿も小学生低学年くらいから高校生くらいまでと様々だ。その内の二人――否、二匹が彼女の前に傅く。

 残りの面々はふらりと蠟燭の炎が消えるように、その姿を消失させた。

 明らかに日本の生まれではない褐色の少年と、髪を金髪に染めてしばらく経ったのかプリンのような頭をした、所謂不良っぽい風体の少女だ。

「テュート、彼の心臓は?」

「こちらに」

 テュートと呼ばれた少年は、未だ脈打ち続ける心臓を王に献上品を捧げるような恭しさで差し出す。

「ありがとう。今日はもう貴方の役目は終わり。あとは自由になさい」

「はい」

 テュートの目には光がない。何故ならテュートは既に、その全てを彼女に捧げているからだ。生き物ではなく、人ではなく、テュートの全ては彼女のもので、彼女はテュートの全てを支配している。下がれ、と指示をすればテュートは下がる。人であればそこには従うか否かという選択肢があるが、全てを捧げたテュートには存在しない。ただ従うのみだ。

「さて、シロ?」

「……はい」

 切なげな声がドックマズル越しに聞こえる。

 一方のシロと呼ばれた少女は、真逆だった。目が合うだけ、言葉をかけられるだけ、それだけで熱を帯びた視線を彼女に送ってしまう。テュートが所有物としての無機質な服従であるならば、シロのそれは生き物としての情熱的な忠誠である。

 主に見てもらいたい。主に呼んでもらいたい。主に触れてもらいたい。そんな激しい欲求を胸に秘め、しかし隠し通すこともできずないままにシロはとろんと蕩けた目で、主を見つめる。今か今かと主の次の言葉を待ち望む。待ての後の、次を待ち望む躾の行き届いた犬のように。

「この心臓を喰らえば貴方はまた強くなる。愚かな野犬だったけれど、欲望のままに溜め込んだ魔力マナは貴方をまた一つ昇華させるわ」

 そう言ってシロの目の前に、主は心臓を突き出す。

 彼女の中の僅かな理性が告げる。常識、倫理といった世界が平和である為の最低限度のルールを破ることになるぞ、と。この先に進むその意味を分かっているのか、と。

 だが、その警告は無意味だと、シロは知っている。

 主を前に、理性だの、常識だの、そんなものはどうだっていい。主がそう望むのであれば、それを実行するまでだ。それに――。

「シロ、貴方にはもっと強くなってもらわないといけない」

 そっと主は優しく耳打ちをする。

「貴方には期待しているのよ」

 それがトドメだった。

 パリンとドックマズルが影に呑まれるように消え、勢いそのままに、はぐり、と蠢く肉塊をシロは喰らう。小さな口の中に必死に押し込むように。

 咀嚼しそして嚥下する。食人という禁忌に拒絶反応を起こし吐き出そうとする身体を、ただ一つの想いでねじ伏せて。

 ――主の為に。私を救ってくれた、私という存在の最後の一ピースを埋める彼女の為に。

「いい子、いい子」

 必死に貪るシロの頭を、彼女は優しく撫でていく。優しい声音で褒められる。それだけで思考が真っ白になっていく。甘い快楽に理性も本能も、何もかもが溶かされていく。

 そうしてシロ――狗魔御白は堕ちていく。魔女の忠実な下僕しもべに。


 はっ、と気付いた時には朝だった。同時に体中に理解できない程の快楽が流し込まれて、御白はその身体をびくん、と大きく痙攣させた。

「っ……あ、ぇ……?」

 永くじんわりと響くように続く快楽はしばらく御白を放心させる。それが昨晩の奉仕の対価だと理解するまでに少し時間がかかり、体に帯びた熱が冷めていく。

 だが熱が消えていくのがどうしようもなく怖くなって、縋るように虚空に手を伸ばした。

「御、主人様……っ」

 しかし仕えるべき主はここにはいない。手は当たり前に空を切り、そのまま重力に抗うことができずにベッドに落ちた。

「……行かないと」

 ぽつりと呻くように呟く。

 ここに主がいないのならば、自分から会いに行けばいい。主のいない場所など、自分のいる場所ではない。

 急いで下着を変えて制服に着替える。自分には不釣り合いと自認する有名なお嬢様学校の制服に。

 小走りに寮の代わりに提供されているマンションの廊下を走る。二つ上の階の一番奥の部屋。そこに主はいる。

 扉の前に立って、服や髪が乱れていないか確認してから一度だけ大きく深呼吸をしてインターホンを鳴らす。

 恋する乙女のように御白はを待つ。

 カチリとゆっくりと扉が開く。同時に御白の首に首輪が出現する。主と御白にしか認識できないそれは、主と御白を繋ぐ主従の証だ。そこから繋がる鎖の先は扉を開けた少女の手首にしっかりと結びついていた。

「おはよう、御白」

 そう言って主は微笑みを漏らす。

 それだけでもう、彼女は充分だった。瞳が潤むのを堪えながらこくりと可愛らしく御白は頷く。


 物心がついた時から狗魔御白には何かが足りなかった。本来あるべき何かを持って生まれてこず、故にずっとこの世界そのものが不満だった。

 最後の一ピースが最初から入っていない不良品のジグソーパズルのような人生を御白は送ってきた。

「おはようございます、リズ様」

 リズ・スノーブラッド。彼女の存在が、己の最後の一ピースが埋まる一年前までは。

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ファムファタルズ ~運命の女達~ 不皿雨鮮 @cup_in_rain

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