現代の魔女

「――どうして、どうして……ッ!!」

 四枚のディスプレイに表示された右肩下がりの棒グラフを前に、青年は机を強く叩きつけた。強く重い衝撃はカップを倒し、マウスを床まで吹き飛ばした。

 一体何がいけなかったのだろうか。

 青年は考える。否、その理由はわかっている。株なんてものに己の資産全てを賭けたことだ。

 株や投資なんてものは恐らく人生を賭けるものではない。少しの余裕、失くなって無問題の金を用いて遊ぶ生々しい娯楽なのだ。

 だが、それでも青年が己の全てを賭けたのは勝算があったからだ。

 こういった己の全てを賭けた投資は初めてではなかった。何度も何度も、己の全てを賭けてそして勝ってきた。青年が負けたことは一度もなかった。

 いや、青年がというとニュアンスに正確さが失われてしまう。青年とそして――。

『失敗しちゃったみたいね』

 ブッ、というノイズと共に未だ下がり続けている棒グラフの真ん中にウィンドウが一つ現れる。黒いローブを深く羽織った女性のシルエットがポツンと浮かび上がる、それだけの映像だ。加工のかかっていない声から女性であろうことが伺え、逆に言えばそれ以外は何も分からない謎の存在。

 デジタル世界において優秀なクラッカーを魔術師ウィザードと呼ぶ。彼女はそれを倣って己を魔女ウィッチと自称している。

 簡単に多くの極秘情報をまさしく魔法のように盗み出し、それを基にあらゆる物事において成功を納める。それだけではなく数多の情報を得ることで時折未来予知に近い事象まで成し得る、そこらで呼称されている天才もその名を恥じるような本物だ。その凄さを、偉業を、栄光と威光を青年は幾度となく見せつけられている。

「ッ、魔女様ッ!!」

 そんな彼女の力によって青年はどん底から這い上がり成功者となっていた――ほんの数十秒前までは。

『おかしいね。意味が分からないね。この私が一から教えてあげたのに、どうして貴方は失敗したんだろう? 私のやり方を見て学んで倣って絶対に成功すると確信していたのにね』

 魔女はローブ越しに笑みを漏らす。たまらなく愉しそうに。

「っ、そ、そうなんです! どうして、どうしてこんなことに……!」

 彼女の卓越した魔法に親しい技術などを青年は持ち合わせていない。だがそれを自覚した上で青年は最善を尽くした。調べ尽くし、あらゆる可能性を想定し尽くした。それでも結果はこのザマだ。一体青年の何がダメったのか――。

『あら、本当に分からないのかしら? 貴方の失敗について』

 失敗。彼女ははっきりと断言する。青年の何かが失敗したのだ、と。

「お願いします。お願いします。魔女様、僕をまた助けてください。僕を、助けてください」

 青年は画面に縋り付く。だが。

『私はね、躾のなってない犬は嫌いなの』

 恐ろしいまでに冷徹な声。凍てつくような鋭い声を青年は初めて聞いた。

 それが絶対的な拒絶であることを理解すると同時に、絶望が襲いかかってくる。

『さて、とはいえバカな子犬の始末は飼い主の仕事。……行っておいで、忠実なる狼ロイヤル・ドック達』

 魔女の言葉と同時に『何か』が迫ってくることを青年は理解した。それが逃れようのない『何か』であり、自分の結末を理解した。

 影が青年を囲う。部屋の光源が消える。

 暗闇の中、青年は冷や汗が止まらなくなる。

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!! し、死にたくないッ!!」

 叫び部屋から逃げ出そうとするが時すでに遅し。人影が音も何もなく突如として出現し、青年を囲む。影に包まれた少年達だ。ドッグマズルを装着した狼の耳を持つ人の形をした人ならざるモノ。或いは人だったモノ。

 無言無音のまま青年は彼らの一匹に素手で胸を貫かれた。するりと水流の中に手を入れるような緩やかな動作で青年の心臓は抜き取られた。

「……ど、うして」

 それが青年の最期の言葉だった。

『テュート。その心臓だけは持ち帰りなさい。後は貴方達の好きにしなさい』

「御心のままに」

 ドックマズルが不意に解き放たれる。同時に獣のような唸り声を上げ、青年だった亡骸を貪る。

 ぐちゃぐちゃ、バキンボキン、ぶちぶち。皮膚を喰らい、骨を砕き、筋肉を引きちぎる。分け合うように彼らは青年を平らげ、そして闇の中に消えていった。


 彼女は己を魔女と自称する。デジタル世界のクラッカーを魔術師ウィザードと呼ぶことに倣って――などではなく、彼女は真に『魔法』を使うからである。

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