第9話【逃走】


 ボクは名もなき一匹の悪魔。生まれてすぐに捨てられたボクを育ててくれたのは、生い先短い高齢の悪魔だった。齧歯類を彷彿とさせる間抜けな顔に人型の身体をもつ気持ち悪い爺さんだ。

 そんな爺さんでも死んでしまうと辛かった。父親だと思っていた。哀しみ、居場所のない魔界を出たボクが辿り着いた場所。

 それが人間界だったのさ。


 何の知識もない悪魔が人間界で生きていくことは困難を極めた。ボクは生きるため、猫に扮して人間にすり寄り空腹を凌ぐ生活を余儀なくされた。

 爺さんは言ってた。ボクが忌み嫌われ捨てられた理由、それは恐らく契約の力の強さによると。ひとたび契約を交わすと、契約者の思ったことが現実になるという力。聞こえはいいけれど、その制御は難しく魔界では厄介者として扱われるのだと。


 そんな時、ボクは彼に出会った。

 強い雨の日、車にはねられ死を待つだけだったボクを彼は救ってくれたのだ。

 命を救われたボクは彼に何とか恩を返したいと思い、元の姿、——人型の小悪魔の姿を見せて事情を話した。彼はすんなりと事情を飲み込んでくれた。


「ボクと契約すれば何でも願い事が叶うよ。だから、ボクを捨てないで」

「ははは、捨てはしないさ。気が済むまでここに居ればいいさ」


 この時既に、ボクは彼に恋をしていた。

 それからは猛烈にアピールする日々を送った。けれども子供相手にそんなことは出来ない、と、毎回一蹴されてしまった。

 契約にはお互いの唇と唇を重ねる必要がある。

 ボクは何とか彼の唇を奪おうと奮闘したけれど、一向に相手にされなかった。


「君は童貞なんだろう? 女の子とあんなことやこんなことをしたくないのか!?」

「いやぁ、僕は幼女趣味じゃないからさ」

「ボクのこと嫌い……なのか?」

「そうじゃない。お前が大切だからだよ」

「ふーん……」


 意気地なしだな。毎日一緒に寝ているくせに、おっ◯いのひとつも触りやしない。ボクの魅力的ボディを目の前にしてだ!

 そうだ。奪えばいいんだ!

 何を遠慮しているんだ、ボクは悪魔だぞ?


 その夜、ボクは彼の唇を奪った。

 かわいてカサカサだった唇を、しっかり湿らせてやったのだ。これにて、契約完了。





 そしてはじめての願いがボクを、悪魔からロボットに変えた。未来から来たネコ型ロボットに変えてしまったのだ。こんな馬鹿げた願いを本気で願ったと思うと頭が痛くなる。

 ただ、生きたいと願えば良かったのに。

 結局未来から来たネコ型ロボットを演じ二人目の彼を救うことにした。それが彼の願いだから。

 しかし失敗し三度目の正直が……


「この様か。ボクはどうすればいい……」


 路頭に迷う。はじめて人間界ここに来た時のようだ。背の高い建物が並ぶ繁華街をあてもなく歩いているとボクを呼び止める声がした。


「よぅ姉ちゃん、こんなとこに一人で来るなんて訳ありかぁ? よかったら俺たちが話を聞いてやるぜ?」

「……君たち、誰?」

「俺たちは、あれだ、街の治安を守る正義のヒーローだ。姉ちゃん、お腹空いてない? なんでも奢ってやるから俺たちと一緒に来なよ? この街、変な奴ら多いからさ」

「はぁ……この上なく不細工なヒーローだな」


 いち、に、さん、し、ご、ろく……いつの間にか知らない人間に囲まれている。


「帰る——」

「おっとぉ、帰れないぜ〜? 俺たち全員が満足するまでは、ね? ぐへへへへ!」


 うわ、キモ!?


 とにかく逃げよう。

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