Ep.01 星を想えば星に遭う

 きっと、星が綺麗なんだろうな。

 暗い体育倉庫の中で、寒さにふるえながらそんなことを考えていた。呆然と天井近くの壁にしつらえられた窓を眺める。わずかな星明かりがさすものの、長方形のかたガラスを通してではその形も位置も分かりようがない。

 息が白む12月、防寒着のダウンジャケットは教室に残されたままだ。もしかすると、それもズタボロに切り裂かれているかもしれないが、例年氷点下になるこの町の気温を、学校指定の制服だけでしのぐにはあまりに力不足だ。

 良いことがなかった、とまでは言わないが、よわい16の短い人生の四分の一近くが辛い経験で埋め尽くされている。どうしてこうなったのだろう、という恨み言もいつしか出なくなっていた。

 味方が一人もいない中で、孤独な生活をよくもまぁ数年も耐えたものだと我ながら思う。自殺の道もあったのだろうが、それを思い浮かべる頃には、自分で自分を害せなくなっていた。それどころか、他人からも、自分を物理的に傷つけることはできない。水に沈められても無事だった。

 そして迎えた結末は、酷寒の中、出口をふさがれた陰気な空間に一人震えるだけ。手足が冷え、激痛を訴えていたが、今ではもう感覚がなくなっていた。息を吐いて指先を温めようと粘っていたが、吐く息すらこの気温に侵されたような感覚がある。

 窓を眺めたのは、せめて星明りに温かさを見いだせないかという最期の足搔きだった。思えば、型ガラスがなくとも、もう視界もぼやけているのかもしれない。

 冷たい床に座るまいとマットの上に腰掛けていたが、徐々に体を支える気力もなくなっていた。冷たいマットに身体をうずめる。視界に映るのは窓から差す明かりに照らされた、無機質なコンクリートの床と壁。自分が徐々に冷たくなっていくのが分かる。

 ここまでか。随分と寂しい最期さいごだ。昨日まで笑いあっていた人間がみんな敵になって、なんでもなかった人すら自分に敵意を向けてきていた。行きついた果てが孤独の底とは、自分は前世で一体どんな大罪を犯したのだろうか。そう思わずにはいられない。そう思わないといられない。自分が何をしたのだろう。何もしていなかったはずなのに。状況が変わった。ただそれだけで、自分は人の世の中から爪弾きにされてしまうのだな。なんて悲しいことなのだろう。悲しいのに、涙は出ない。どうやらこの寒さに、涙腺すら凍りついたらしい。

 目を閉じて、凍える闇の中に沈んでいこうとしていると、突如として轟音が鳴り響いた。続いて、すぐ近くに何かが飛んできたような風圧と振動。

 沈みかけた意識が一息に地上へと引き戻された。

 目を開き、反射的に身体が起き上がる。けれど、既に力尽きそうな体は、再びマットの上へと落ちる。焦点の合わない目で、音のした方を見ようと努める。

 そこには、誰かが立っていた。窓から差す明かりで、僅かに髪の色とぼやけたシルエットが判別できる。

 入り口に立つ人物は輝くような金髪をしていた。もし星空を望めていたなら、こんな景色だったのかもしれないな。

 人影は、しばらくその場にとどまったと思うと、こちらを向くように頭を動かす。そしてこちらに歩いてきた。

 誰だろうか。状況から察するに、倉庫の扉を破壊したのだろうということは分かるが、なにか道具を持っているようには見えない。鍵の閉まった鉄扉を弾き飛ばすなんて尋常ではない。本能が危険信号を出すが、体はいうことをきかない。もとより死にく運命だったのだ。今更この危険人物にどうこうされたところで思い残すことはないが、拷問の類は勘弁願いたい。どうか、殺すなら一思いに。そう願いながら目をつむる。

「拍子抜けね」

 人影は落胆するかのようにそう呟く。声音から察するに女性だろうか。

「せっかく、質のいい魂の色を追ってきたのに。まさかこんな死にかけの子どもなんて思わないじゃない」

 魂の色……?女性が言っていることは全くもって要領を得ず、こちらに意味の伝わらないものであるが、女性にとっての目的は自分であるのだと自覚する。

「ねぇ。色はあるから死んでないんでしょ?」

 色が何を意味するのかは分からないが、死んではないのでひとまず頷く。

「死にたくないでしょ?人間なら死にたくないわよね。こんな寒くて暗い場所でひとりっきりなんて、そんな悲しいことないでしょ?」

 女性の言う通りだ。こんな場所で死ぬなんて、そんなのはごめんこうむりたい。しかし、死にたくないかと言えばそれは嘘である。希望の見出せない現状の自分の人生に、生きていたいという欲求なんて欠片も存在しない。

「死ぬのは……構わないよ……」

 かすれた声が辛うじて喉の奥から出る。

「はあ?正気?」

 蔑むような声色。当然だろう。でも、自分の本音だけはそれだけじゃない。

「でも、寒いのは嫌だ……」

 自分はいったい、何をしようとしているのか。もう先のないこの状況で、得体のしれない女性を前に弱音を吐露している。そうすれば、事態が好転することを、心の隅ででも願っているのだろうか。

 しかし、女性の方はその返答に満足したのか、嬉しそうな声で言う。

「そうでしょ、そうに決まってるわよね?じゃあ、あなたをこの暗闇から助けてあげる。その代わり、取り引きをしましょう?」

「取り引き……?」

「そう。私はあなたを助ける。代わりに、あなたも私に協力してほしいの」

「出来ることならするよ。でも、もう限界が近くて……」

「その限界から救ってあげると言ってるの。どう?のる?」

 この女性が居なければ終わっている身の上だ。差し出せるものなら何でも持っていけばいい。看取ってくれる人がいるのなら、もう思い残すことはない。

「……いいよ」

「交渉成立ね」

 女性は先ほどまでよりさらに嬉しそうな声で言う。

「じゃあ、取り引きの内容について一応説明しておくわね。これはあなたと私の契約。私はあなたの命を助けるわ。代わりに、あなたはあなたの能力を私に譲る」

 契約だとか能力だとか、女性が意図することは皆目かいもくわからなかった。それに、意識は朦朧もうろうとしており、何かを考える余力は既になかった。ただもうなるようになればいい、それがこの女性の得になるのなら全てを差し出そう。それが自分の安寧になると信じて。

 そこから先の女性の説明は曖昧になっていた。ただ言われるがままに、小指を差し出したことは覚えている。

 自分の小指と女性の小指が絡んだ時、周囲に光が満ちていった。光は僕らの体を包み、あたり全体を照らし、この夜の町全体をも覆うのではないかと思われるほどに眩しいものだった。体が光の中に収まると、先ほどまで感じていた寒さや無気力さは消えてゆき、全身に温かさが宿る。

 真っ白な視界の中で、女性の悲鳴が聞こえた。

「噓でしょ!?どれだけ差し出してるのよ……!!」

 光がおさまり、視界が戻ってきたときに目に入ったのは、両眼を包帯で覆った金髪の女性が、ふてくされた表情で座り込んでいる姿だった。

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花束のようなゆびきりを ざっと @zatto_8c

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