花束のようなゆびきりを

ざっと

Ep.null 眠れぬ男

 眠れない。いや、それどころか腹が空くことも、喉が渇くことも、疲れを覚えることすらなくなった。

 畑作業に精を出し、時として同じ集落の人間の仕事を手伝ったりしながら生活をしていた自分にとって、その効能はありがたいものだった。文字通り、飲まず食わずで仕事が出来た。疲れ知らずだったからどんな力仕事でも引き受けることが出来た。食わずに済んだ食料を、近所に分けてやることも出来た。

 しかし、ある日異変が起きた。そんな自分のことを、集落の人間たちは君が悪いと避け始めたのだ。避けられるだけならまだいいが、仲間内からも爪弾つまはじきにされ、石を投げられることだってあった。

 ある日、投げられた石が目に当たった。思いのほか強く投げられていたせいで、一瞬で目がつぶれた。血が流れ、目に激痛がはしる。石を投げた当の本人も、そこまでは予期していなかったのだろう。潰れた目を手で押さえながら、もう片方の目で見ると、そいつは真っ青な顔をしていた。おそらく、君が悪い人間を集落から排除したかった、視界に入らない場所へ行け、ということだったのだろう。

 滴るしずくをしばらく見つめてから立ち上がる。気づくと、石の当たった方の目からは痛みが引いており、僅かな違和感があるのみだった。砂か埃が入ったときにに似ている。押さえていた手の甲でそのまま拭う。

 違う、そんなつもりじゃなかったと先ほどまで必死に弁明していた男は、俺が目を拭ったのを見てまた顔色を変えた。真っ青なのはそのままだったが、後悔の念に駆られた顔から、恐ろしいものを見る目に変わったのだ。


「化け物!」


 そう叫んで、男は逃げ出した。何度も転び、何度もこちらを振り返りながら、それでも必死に手足をもがいて家がある方へと駆けていった。

 どういうことだろう。しかし、答えはすぐに思い当たった。痛みがない、どころか、。潰れたはずの目が、確かに開いている。すぐに、川へと走っていき、水面に映る自分の顔を確かめた。

 目は無事だった。血に汚れて分かりにくいため、水をすくって顔を乱暴に洗う。もう一度見てみれば、傷すらも見当たらない。あの一瞬で、勝手に治ったのだ。そう思った。

 こうなってはどう言い訳をしていいかわからなくなった。ただ休みなく働けるだけなら、労働力としていくらでも動けるだろう。しかし、傷が一瞬で塞がるさまは、もはや悪鬼妖魔の類にしか思えない。

 人の道に背くような生き方をしてきた覚えはないが、自分の体がこのように変わってしまったのを目の当たりにすれば、納得のいくいかないにかかわらず、化け物になったということを受け入れざるを得ない。

 どうしてこうなった。普通に生きてきたはずなのに。仲間と楽しく生きていたはずなのに。食料を分けたり、手伝いをしたり、むしろ人の役に立てるよう努めて生きてきたはずなのに。

 受け止めきれない現実に、涙が止まらなかった。

 ひとしきり泣き明かすと、気付いた時には日が暮れていた。

 もうここにはいられない。そう思い、必要最低限の道具類を持って集落を出ていくことを決意した。なるべく人目につかないように家まで戻ると、そこはひどい有様だった。

 燃えていたのだ。これ以上自分が集落にいられないよう、村人たちが俺の家に火をかけたらしい。紅蓮の炎が立つ俺の家を、鍬や鎌を持った村人が囲んでいた。その顔つきを見て、俺が戻ってきたときに戦えるように備えていたんだと悟った。

 あまりにも悲しい出来事だった。つい先日まで笑いあっていた仲間たちが、自分を排除せんと最大限の敵意を放っている。人間は、こうも残酷になれるものかと思うと、悲しいわりには涙も出なくなっていた。

 見つからないよう、静かにその場を離れた。こんな俺を受け入れてくれる場所はないだろう。仲間だった人間すらああも変貌してしまうのなら、他の場所は推して知るべしというものだ。行く当てはなかったが、とにかく人がいない場所へ行こうとした。

 そこで俺は、神のおわす山として信仰の対象となっていた集落の南東にある山へ向かった。急峻な地形にくわえ、猛毒を持つとされる蛇や蛙が生息するため、神仙に連なる者でなければ生きて戻れないとされていた。つまりは、人の出入りが極端に難しいからこそ、「神の坐す山」と言われていたのだろう。とはいえ、今の俺ならば、そういったことはあまり関係がないだろう。この体なら、この地形も難なく歩くことが出来るし、滑落しようとも傷は癒える。仮に毒に侵されて死んだとしても、行き場がないなら生きていたとて仕方のないことだ。むしろ、望むところともいえる。

 夜を徹して歩き続け、気付けば山頂にたどり着いていた。積み上げられた石と、その奥に一本の錫杖が刺さっている。仏道にある者が、登頂に際して修験の証に立てたものだろうか。よろよろとそこへ近づき、その前に座り込んで呆然と眺めていた。

 これからどうしたものか。

 そう思っていた矢先、頭上が明るくなった。夜明けにしては随分と急な明るみ方だ。おもむろに顔を上げると、そこには一人の少女がいた。

 見たこともない装いに、月明りのように輝く銀色の髪。その背には、鳥のような翼が生えていた。一目でわかる。この世のものではない。

「あなたが能力者?」

 突然の問いに頭が混乱する。能力者?何のことだ。それにこの少女はどこから出てきたのだ。人間ではないことは確かだが、何が目的なのか。

「もしかして……俺を殺しにでも来たのか」

 絞り出した声が震える。何が何だか分からないが、神の坐す山で、不気味な化け物になった人間が一人。空からまばゆいばかりの光とともに降りてきて、今も宙に浮いている少女がすべきことと言えば、俺という化け物を殺すことしか思い浮かばない。

「違う。ここに、魂の色が変わった人間を見つけたから」

「魂?色……?何を言っている?」

「ねぇ。あなた、最近自分の体に変なことが起きたりしなかった?」

 こちらの質問には何も答えてくれない。ぞっとするほどの無表情で、声にも温度がない。見た目は少女なのに、歴戦の王のような威圧感を覚える。

「答えて。自分の体に変なことは起きなかった?」

 そこではっとする。それには心当たりがある。つい先ほど経験したばかりだ。

「……起きた。傷が瞬く間に癒えたんだ」

「なるほど」

「それだけじゃない。疲れもなく、腹も空かない。喉すら渇かないんだ」

「もう十分よ、分かったわ」

 そう言うと、少女は地面に足を付け、こちらへ歩いてくる。

「ねえ、取り引きをしましょう」

「取り引き……?」

「そう。私はあなたに、その身体での生き方を教えてあげる」

「生き方を……?冗談じゃない。今俺の中にあるのは絶望と諦観だ。生き方よりも死に方を教えて欲しいね」

「それは無理よ」

「何故」

「あなたの能力は、だから」

「能力?いやそもそも、“そういう”って一体どういうことだ」

「それはこれから説明する。でも、それより先に私に協力をして欲しい」

「協力?」

「そう。私が動ける時間は限られてるの。そのためにあなたの能力が欲しい」

「もし仮にアンタの言う能力が、傷が癒える力だったとして。アンタに協力すればこの力はなくなるのか?」

「不思議な人。人間って、そういう特殊能力の類を欲しがるものだけど」

「俺には無用なものなんでね」

「全部は無理だけど、一部?限定的?になら」

「それって……」

「時間がない。決めて。私と契約をする?しない?」

 随分と身勝手な言い分だ。いささか腹は立つが、この少女の言う契約とやらをしたところで、俺にはもう失うものはない。どうとでもなれだ。

「分かった。したいって言うならしてやるさ。アンタの言うことを信じるなら、俺は死ねないんだろう?だったら好きに持っていくといい。魂だか何だか知らないが、俺が差し出せるものなら全て、この命まで」

「助かる。これで契約成立」

 そう言って少女は、握った手から小指だけを立ててこちらに差し出す。言うことの意味も分からなければ、やることも意味が分からない。

「指きり。これをしないと契約できない」

「同じようにすればいいのか?」

 少女は無言で頷く。同じように小指を立て、少女の方に差し出す。“ゆびきり”とは初めて聞いた言葉だが、いったいどういったことをするのか。小指が触れられるほどに近づくと、少女はこちらの指に自分の指を絡めてくる。

 少女が何かの呪文を口にしたと思うと、急に視界が真っ白になった。

 そこから先のことは、記憶が曖昧になっている。少女に説明された俺の身に起きたことと、契約の内容を除いては、あまり興味がなかったからというのもある。しかし、その日以来、完全に死ねない体になってしまったことが原因であろう。契約のせいで少女から離れることも出来ず、外界との交わりも断たれてしまった。

 失うものが何もないとは、随分と驕っていたものだ。俺は、俺自身と世界から、大切なものを奪ってしまったらしい。

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