愛しの君は付喪神 本屋で僕は愛をささやく

高峠美那

第1話

 彼女は…、今日も本を片手に僕の前にあらわれた。


 積み上げられた本の隙間に、ちょこんと座り、下から上目遣いにパチパチと瞬きを繰り返す。


 見た目は、あどけない姿の少女。

 腰まである長い栗毛に、大きな瞳は新緑を集めたようなエメラルドグリーン。


 何も知らないような無垢の少女の顔が、この時ばかりは欲情を浮かせてゆっくりと近づいてくる。


 唇に感じる柔らかな感触。身体がジンジンして…、これ以上はまずいのに、気持ち良くて引き離せないでいると、バサ…と、無造作に積まれた本が、床に崩れた。


 腕も足も力が入らない。少女の腕が、急かすように、首にからまる。耳を撫でる冷たい手は、火照った身体には気持ちよくて…。


 それでも、されるがままになっていると、少女は焦れて胸ぐらを掴んだ。


「なに? もしかして、同情してるの?」


 小さなその手が、微かに震えている…。


 強がる姿はいとおしくて、心に愛憐の情を起こさせる。


 黙っていれば、優しげなのに、彼女の言葉は何時に増してそっけ無い。


「早くしてっ。終電に乗るんでしょう? 気分がのらないなら、わたしから、始めるわよ! 心成しんせいは何もしなくて良いから」


 投げやりな声。そんな彼女に何を話せと言うのか…?


 高校一年から始めたアルバイト。心成も大学まで続けるつもりはなかった。

 もうすぐ六年…。


 少女と出会った頃は、心成も十五か十六だったと思う。

 閉店の片付けを手伝って帰ろうとした店内に、今日みたいに本棚の間に座り、足をぶらぶらさせながら、難しそうなミステリー本を読んでいた。


「…それ、読めるの?」


 最初に声をかけたのは興味本位。少女が人でないことはすぐに気づいたし、心成も物心ついた頃から不思議な体験をしていたので、驚くことはなかった。


「……見えるの?」


「うん。はっきりと」


 驚く少女に、心成が頷いて見せると嬉しそうにニッコリ笑う。


「この本はね、最後が好きなの」


「あー、うん。僕も読んだ事あるよ。その作者なら、こっちのシリーズ物がおすすめかな。主人公の女刑事が、気持ちいいくらい破天荒で…」


「……」


「あっ! ごめん! 僕、本の事になると夢中になっちゃって…」


「…ミステリーオタク? ふふ…。さすがは書店員くん」


 少女は楽しそうに笑うと、ずいぶん大人びた仕草で長い髪を耳にかける。雪見大福みたいな真っ白な首筋が目に入って、笑い返した心成の顔は、恥ずかしいくらい赤くなっていた。


「…僕、アルバイトなんだけどね」


 それからは、閉店までいる時は店の鍵を預かり、互いに読んだ本の感想を話すようになった。


 彼女は話相手を欲しがっていたし、心成も読み終わった小説の興奮を共有してくれる少女の存在が嬉しかった。


 それでも高校を卒業するとき、少女にアルバイトを辞めようと考えていると伝えると、初めて泣かれてしまったのだ。


 そう…。それからだったと思う。本の感想を話すだけでなく、いつの間にか互いに頬や口づけを交わすようになったのは…。


 …今日は、さすがに高飛車な態度は見せない。


 今だけは忘れさせろとか、そんなの…できる訳ないのに。


「…いや。こんな真っ赤な顔で言っても、カッコ悪いだけだと思うけど、今日はやめとくよ…」


 心成はやんわりと少女の肩を押し戻す。

 

「なん…で?!」


 静かな店内に、少女の悲痛な声が響いた。

  

 明日には、ここにある全ての本が出版社に返される。

 又、こうやって一つの本屋が街から消えて行くんだ。


 心成は、ただの書店員にすぎない。だからどうする事もできない…。


 それでも紙の本には愛着があるし、魅力があると思う。


「…わたしは、明日消えちゃうんだよ?」 


 本屋には、ネット購入や電子書籍にない楽しさや、ワクワクがある。実際に表紙を手に取ったり、ページをめくる楽しさだったり…。


 フ…と、店内の明かりが落ちた。 


「うわ――ぁ!」


 切れた電灯を見上げて天井を見ると、そこには満天の星空があった。


「…あれが、冬の大三角」


 少女は愛しそうに、本の上に寝転がった。


「…冬の大三角形は、南東の空で確認できるの。おおいぬ座のシリウス。こいぬ座のプロキオン。 オリオン座のベテルギウス。この三つの一等星」


「うん。今日は星座の話なんだね…」


「…あの三角形の中を、淡い天の川が縦断しているでしょ? あの川の星粒に、わたしもなれるのかな…」


 あの時みたいに…、光る雫が少女の瞳から零れる。

 

「うん。…でも、やっぱり僕は…、君には星でなはくて、手に触れる事ができる本にいてほしいかな。ごめん。わがまま言って」


「……」


「君は綺麗だから。僕、どれだけ触れたかわからないけど…、きっと僕みたいに本を実際に手に取って、選びたいっていう人、たくさんいると思うんだ」


「…ほんとうに?」 


「うん。そうだよ。君が教えてあげて。もっともっと本の魅力を」

 

「…みんな、心成みたいな人ならいいのに」


「うん。僕は君のまっすぐで、欲情に忠実なところ、大好きだったよ…。いつか…、また」 


 ガチャ…。


「あれ? やっぱり心成くん残ってた?」


 ぱぁっと、店内の光がついて店の店長が顔を出した。


「今日が最後だから、多分いるだろうと思ってね。長い間、ありがとね。実は…これ、記念になるかわからないけど、見本でおいてあった児童書」


「え?」


「良かったら、もらって」


 店長が心成の手に握らせた児童書は、たくさんのお客が手にしただろう所々破けた本。

 ツヤも失った児童書は、それさえどこか誇らしげに見えた。


「…はい。ありがとうございます。嬉しいです」


「そう? 良かった。寂しくなるね…」


 寂しくなる…。確かにお気に入りの本屋が閉まるのは寂しくなる。


 でも、きっとこの地球上から本屋が無くなる事はない。


 だって、本が大好きな僕や彼女みたいな人はいっぱいいるから…。


「この本、大事にしますね…」


 心成は、破れた背表紙をそっと撫でた。



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