おじさん

 電車の景色が色とりどりに変わっていく。ちゃんと時間が動いているんだな、と不思議な気持ちを胸に抱く。

 酔ってた頭が覚めてきて、胸の奥のもやもやがストンと落ちる。深呼吸を一回、私は外の景色から電車内に目を移す。


「夜の山の丘。夜の山の丘」


 他県の人が聞いたら困惑しそうな地名がアナウンスで流れる。夜の山の丘は私の降りる駅だ。


 夜の山の丘は、名前は素敵だがその町並みはお世辞にも素敵とは言えない場所だった。廃れた商店街。街灯がなくて、綺麗に見える星空。これは唯一の素敵な点と言えるだろう。

 華やかな町から来た人達には耐え難い場所なのだろうが、住めば都というもの。私は、この町がとても好きだった。四季を感じられる土手、毎日どんちゃん騒ぎの飲み屋街。この町に息づいてる人達の活気を肌に感じられて、明日も頑張ろう、という気持ちになれる。

 世間一般的にはお世辞にも綺麗と言えない町。でも私の目線で話すならば、お世辞でも何でもない、この町は素敵だ。胸を張って言える。


 五限までまだ時間はたっぷりと余っている。とりあえずはこのうるさいお腹を静めに、帰る前に家の近くのカレー屋さんにでも行こう。


 新緑の木が道の脇に植えられた大通りを歩いて行く。煌びやかな大通りから一変して、どんよりとした路地裏に私は足を向けていく。カレーの香辛料の匂いが鼻をくすぐるようになったら、そこは私の家の近く。家の手前で足を止めて右を向くと、お目当てのカレー屋フィルミンテーヘェインが佇んでいる。

 インド語か、ヒンディー語なのか分からないが馴染みのない看板に目をやりながら、似合わない暖簾のれんを手で上にめくりあげて店内に入る。店内は、シャンデリアが天井にぶらさがっており、店内を明るく照らしている。


 しかし、照明は洋なのに座る席は座敷と和になっている。そして、店構えはインド風と来た。


「いっらしゃいー。ナマステー。ってなんだ、薫ちゃんじゃないか」


「なんだってなによ、おじさん。 それにまだ、この店構えやめてなかったんだね」


「いいセンスをしてるだろう?」


「苦言を呈してるつもりだったんだけど」


「おじさん、ショック。泣いちゃうよ?」


「はいはい。いつものカレーちょうだい」


 独特の入店の掛け声。その掛け声の主は、私のおじさん―かいさんだ。この訳の分からない店内と店を作りあげたのは、この人の独特の感性からやってきている。私がこの近くに住んでいる理由も、おじさんが近くにいれば何かあった時に心配ないからという理由で両親がここにした。


 海おじさんは昔から私を妹のように可愛がってくれていた。あれが欲しいと言って親が駄目だ、と言ってもどこからかそれを聞き付けたのか分からない海おじさんが、いつも駄目だと言われていたものを私に買ってくれていた。ここのカレーのお金も要らない、と言われている。海おじさんの軽口を適当に流して、いつものカレーを注文する。


「はい、お待たせ〜。ポテトも付けておいたよ」


「ありがとう、海おじさん」


 十五分ぐらいすると似合わないターバンを頭に巻いたおじさんが、カレーと頼んでもないポテトをお盆に乗せて持ってくる。

 カレーを食べながら、時計に目を移す。時計はチクタクと秒針を動かす。ちゃんと時間は動いてる。


「どうしたの、薫ちゃん? いつもは時計なんて見てないのに。この後なんか用事でもあるの?」


「ん、いいや。何も無いけど。 時間がちゃんと動いてるんだなあって」


「どういうこと? 嫌なことでもあった?」


「何も無いよ。ただ不思議に思っただけ」


「そう、カレー食べ終わったら教えてね」


「うん、わかった」


 海おじさんは、いつも時計なんか見ていない私に話しかけてくる。何か用事?と聞かれたが、何もなくただ時間が動いているかを確認していただけだった。普通に考えれば、時間が動いているかなんて確認しない。おじさんが困惑するのも無理はない。おじさんは終始困惑した様子だったけど、私はカレーを食べ終えて、おじさんに空になったお皿を返す。


「ご馳走様、また来るねおじさん」


「いつでも来て。待ってる」


 おじさんのカレー屋を後にして、私は自分の家に帰る。

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